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外伝 側近は、皇后陛下の手のひらで転がされる 4

 あの後、一度邸宅に寄り、明日のバルド夫人の茶会を欠席するとフェンに伝えたら、案の定、嫌な顔をされた。

 取り急ぎ、夫人に断りの書状をしたためて夜会へと向かい、ようやく自邸に帰りついたのはかなり夜も更けてからだった。

 夜会は退屈極まりなく、それでなくてもうんざりとした気分なのに、館では不満たらたらのフェンが手ぐすね引いてルイタスを待ち構えていた。

 

「そりゃあ、本国の用事が入ったと聞けば、バルド夫人は許しては下さいましたが、こっちは平身低頭して謝って来たんですよ」


 ルイタスが正騎士になった頃より、秘書官として仕え始めた一族筋のフェンは、ルイタスに対して全く遠慮がない。

 というか、そもそもそのふてぶてしさを気に入って秘書官にしたので、今更文句も言いにくかった。


 フェンの家は、ラダス家一族でも端の方に当たり、フェンはその三男にあたる。

 自分の才覚でのし上がらなければ食い扶持にも困る状況だったので、フェンは幼い頃から文官を志して文院へ進んでいた。

 そこそこ優秀だったためにラダス家の事務方として引き抜かれ、ついでにルイタスの秘書官候補の一人として紹介されたのだが、何と言うか、当時からずけずけと口が悪かった。

 必要なことを物おじせずに言うだけなのだが、お上品なラダス卿には大層不評だったようだ。


「あいつは実務はできるが、どこか気に食わん」と父親が言うのを聞いたルイタスは、その場でフェンを秘書官に取り上げた。

 即決だった。ざまあみろという心境である。


 さて、帰る早々、フェンのぼやきを聞かされているルイタスだが、慣れているため、実は全く気にならない。

 さくっと無視して、「謝罪の文と用意していた贈り物は渡せたか?」と問うと、フェンは渋々と頷いた。


「その場で書状をご覧になって、何だか苦笑していらっしゃいましたよ。わかったとお伝えして、と言われましたが」

「詫びついでに、ちょっとしたお願いをしておいたんだ。

 明後日の夜会でお会いできる筈だからな」


 そのまま居室に向かおうとするルイタスに、「そう言えば、セディア夫人に関する資料がアンシェーゼから届きました」とフェンが声を掛けてくる。

 ぼやきよりも、そっちを先に言えとルイタスが内心で呆れていると、「卓子の上に揃っています。お茶でも用意させましょうか」と、フェンが言ってきた。

 気がつくんだかつかないんだか、よくわからない男だ。



 眠気を取るために少し濃いめのお茶を用意してもらい、ルイタスはセディア皇女についての報告書に目を通し始めた。

 国の中枢に関わる部分なので、グルークが動いてくれたらしく、婚姻が結ばれた当時の国の事情や、双方の条件、カインズ家の実情や風評など、報告は多岐に渡って抜かりがない。

 ここまでの資料を集めたのであれば、報告書が今日の到着になっても無理はないなとルイタスは苦笑いした。


 読み進めるうち、事ここに至った経緯がようやくルイタスにも見えてきた。


 この婚儀は十年前、シーズ国のカインズ家の嫡男とアンシェーゼの第三皇女との間に結ばれた。 

 婚儀の当日に、両国の間で調印が行われ、その時点で婚姻に付随する契約事項が発動したが、不確定要素も有していた。

 二人がまだ幼く、正式な夫婦とはなり得ない年齢であったからだ。


 庶出とはいえ、パレシス帝の皇女殿下を、嫡男でもない他国の貴族の子弟に嫁がせるなど、アンシェーゼには論外だった。

 そのため、正式な婚姻関係を結ぶ前にグレンが廃嫡となった場合は、アンシェーゼから婚姻無効を訴えることができるという条文が、わざわざ付け加えられていた。


 落馬事故を隠し、セディア皇女共々、寝たきりの長男をウズクに遠ざけたのはそれが理由かと、ルイタスは苦々しい思いでそう呟く。


 事故が公になれば、当然、婚姻は無効となる。

 名を持つ貴族であれば、有事には王の盾となる義務があり、身動きもままならないような人間にカインズの名が背負える筈もなかったからだ。


 カインズ卿が国を欺いてまで婚姻の継続を望んだ理由は金だった。

 婚姻時に交わした契約に、カインズ家の収益に大きく関わる条文が記されていたため、カインズ家はどうしてもこの婚姻を無効にしたくなかったのだ。

 

 当時のアンシェーゼは、シーズで開発された新しい養蚕技術を必要としており、一方のシーズは、自国の製品をアンシェーゼで大量に消費してもらうことを欲していた。


 ハーブや紅茶の栽培が盛んなシーズは、茶器となる陶磁器の生産も盛んだ。

 『彩器』や『白透窯』、『白藍』など名の知れた陶磁器も多く、列国でも人気はあったのだが、アンシェーゼでの売れ行きはさほどでもなかった。

 アンシェーゼは、流通経路のしっかりした貴族向けの贅沢品に対しては高い関税をかけており、シーズの陶磁器もそれに該当していたからだ。


 シーズは、『白藍』と『彩器』の二品について、期限を区切った関税撤廃を求め、アンシェーゼは新しい養蚕技術の伝授と引き換えにそれを了承した。

 婚姻に付随する契約であったため、関税撤廃の期間は婚姻後十五年を限度とし、もし皇女が若くして亡くなったとしても、その権利が子どもに受け継がれない旨も明記された。


 庶出の皇女に何の関心も抱かぬパレシス帝であったが、作案した文官は、幼い皇女を守るための様々な細則を条文に盛り込んでくれていた。

 皇女が嫁ぐシーズは、男性優位の国として有名だ。夫からの離婚申し立てが公的に認められている上、家長の権限が異常なほどに強い。

 そのためこの婚姻に関しては、皇女の資産をカインズ家が勝手に使えないことや、カインズ家からの一方的な離婚が認められない事などが条文として書き加えられ、更にはグレンに庶子ができた場合を想定して、細やかな規約が追加された。


 これで皇女の立場は、十分守られていた筈だったのだ。

 金に目がくらんだカインズ卿夫妻が、愚かな行為に手を染めようとさえしなければ。

 

 カインズ家はシーズの名門ではあるが、このところの領地経営が思わしくなかった。王家出身の夫人には激しい浪費癖があり、そのため財産もかなり目減りしていたようだ。


 そもそもセディア皇女を迎え入れるにあたり、白藍の関税撤廃を王に強く推したのは、カインズ夫人であったらしい。

 透き通るような白磁に藍色で精緻な文様が施された『白藍』は、その生産の凡そ八割がカインズ家の領地であるブルーニャ地方で作られており、財政を安定させるために白藍の売り上げを伸ばしていく事が、カインズ家にとっては喫緊の課題だった。

 

 手元の資料を見れば、あの婚姻以降、白藍がアンシェーゼで急激に売り上げを伸ばしている事がはっきり読み取れる。

 順調な利益を弾き出し、これで財政面での憂慮はなくなると安心していたところに、婚姻から僅か四年でその嫡男が事故に遭ってしまったのだ。

 潤沢に入ってくる予定だった白藍の利益が水の泡になりそうだと知り、カインズ卿夫妻はかなり焦ったに違いない。


 大怪我をした嫡男を前にして、その身を案ずるよりも白藍の収益が少なくなってしまう事を、あの夫妻はまず心配した。

 ……不具となった嫡男を、切り捨てる事に決めたのはいつ頃だったのだろうか。

 その心情を思うだけでも恐ろしい。 

 

 彼らの事を思い出すだけでも、ルイタスは滾るような怒りに襲われる。

 寝たきりとなった息子の介護をセディア皇女に押し付けて、他の貴族達とは一切会わせようとはせず、自分達は華やかな社交の場でにこやかに笑っていた。


 グレンに代わって跡取りとなったセフェイムという次男も、ルイタスはよく知っていた。つい二日前にも、晩餐の席で談笑したばかりだったからだ。

 まるで王妃懐妊に合わせるように、その妻も身籠っていた。

 いずれは、王太子の側近にでもなってくれたらと、あの男は得意げに周囲に話していたのではなかったか。

 自分達が誰の犠牲の上で今の贅を享受できているのか、彼らはもうそれさえも、忘れてしまったに違いない。


 彼らへの怒りは尽きないが、それ以上に悔やまれたのが、長年に渡るセディア様への無関心だった。


 十年以上も前に他国に嫁いだ庶出の皇女は、ルイタスにとって古い過去でしかなかった。シーズを訪れる事はあっても、その存在を思い出す事すらなかったのだ。

 皇帝の名の下に国をどうまとめ上げるか、広大な国をどう富ませ、列国に脅かされない強大な力をつけていくにはどうしたらいいか、ルイタスの関心はそこだけだった。

 その関心を少しでもセディア様に向けていれば、その窮状にすぐに気付いていた事だろう。

 

 ルイタスは、自分の目の前で子どものように泣きじゃくっていた皇女の姿を思い出した。


 手の甲で何度も擦って腫れぼったくなった目元も、赤くなった鼻先も含め、てらいもなく泣きじゃくる姿が、とてもきれいだとルイタスは感じた。

 自分のためにではなく、亡くなった夫君のために憤っていたからだと思う。

 言葉の一つ一つに温もりが感じられ、気付けば、引き込まれるように話に聞き入っていた。


 あんな風に心の琴線に触れてきた女性は、初めてだった。

 もうずっと、上辺だけを飾る薄っぺらい女しか、ルイタスの周囲にはいなかった。

 ……唯一の例外は皇后陛下だが、あの方はいろんな意味で規格外なので、そもそもルイタスの中で女の部類には入っていない。


 そうしてふとルイタスは、二年前に亡くなった妻を思い出した。

 何不自由なく育てられた貴族の姫君で、楽しいことや華やかな事が大層好きな、きれいな女性だった。

 ルイタスは彼女の事を妻として大事にはしたが、特段、愛してはいなかった。彼女もおそらくそうだっただろう。

 ルイタス個人を見てはおらず、ルイタスの財力や家柄、地位などを気に入ってくれていた。

 おそらく自分には似合いの女性だった。


 人当たりはいい方だと自認しているし、社交的で明るい人間だと周囲に思われているが、ルイタスは自分を人嫌いだと自認していた。

 知り合いは腐るほどたくさんいるが、友人として心を許せるのは、アレク陛下とグルーク、そしてアモンくらいのものだ。


 今でも彼ら三人とは、折に触れて酒を酌み交わしている。

 因みに、毎回アレク陛下のところへ押しかけるので、傍にはもれなく皇后がついてくる状態だ。

 

 準騎士時代に培った絆は健在で、この三人のいない生活などルイタスには到底考えられないのだが、実を言えば、自分とアレク陛下との出会いはこれ以上ないほどに最悪だった。


 何故なら、アントーレで初めて出会った時、と言うか会う以前から、ルイタスはアレク皇子のことが大っ嫌いだったからだ。

 理由はごく単純で、入団前、両親から皇子と仲良くなるようにと命じられたためである。 



 そもそもルイタスが皇子の遊び相手として目をつけられるようになったのは、母親がサロンによくルイタスを連れ出していたからだ。


 自分で言うのもなんだが、ルイタスは人の機微を読むのが上手な子だった。

 どうすれば相手が警戒しないか、どのような態度を取れば他人から可愛がられるかとか、自分がこう振舞えばおそらく相手はこういう態度に出るだろうとかいうのが、ルイタスは幼い頃から何となくわかっていた。

 ルイタスを連れて行くと、婦人たちの口が軽くなる。それを知った母親は、好んでルイタスを連れ歩くようになり、父親もまたそれを望んだ。


 勿論、マナーや教養が身についてなければ不興を買うので、家庭教師からは貴族の一般教養や行儀作法を徹底的に叩きこまれた。

 同世代の人間と遊ぶ暇などなく、常に年配の貴婦人らのご機嫌取りをさせられて、年の近い姉や弟とは疎遠になり、あっという間に上っ面がいいだけのひねくれた子供ができあがった。


 いくら両親から優しい言葉をかけられても、期待を裏切ればすぐに掌を返される。

 だからいつも必死だったように思う。

 努めて明るく無邪気に振舞い、大人の好むいい子を演じ続け、結果ルイタスはサロンの間で人気者となった。


 やがて、そうしたルイタスの処世術のうまさは、いつしか当時の皇后の耳にも入り、両親は直々に皇后に呼び出され、皇子の側近候補となるようにとお言葉をいただいたのだ。

 

 その頃にはすでに、ルイタスは両親を蛇蝎の如く嫌っていて、皇后の言葉に有頂天になった両親から皇子と仲良くするようにと言われて、当然ながら猛反発した。

 入団してようやく親の支配から逃れられると思っていたのに、準騎士の生活にまで干渉されるなど、冗談ではない。


 善処しますと神妙に答えたが、仲良くする気など毛頭なく、自分の生活を謳歌する気満々でいたのに、入団してみればすでに皇后の手が回っていて、ルイタスはアレク皇子と同室にされていた。

 あとの二人はアモンとグルークだった。


 アモンは真っ直ぐな気性ののびやかな少年で、アレク皇子と同室になった事を単純に喜んでいた。

 二人は幼い頃からの遊び友達であったらしく、子ども時代からガタイも大きく、武術一般に優れていたアモンは、皇子の事をこっそり弟のように思い(アレク皇子が知れば、大いに文句を言っていただろうが)、何かと構っていた。


 一方のグルークは名家の嫡男ではあったが、名家とは名ばかり、すっかり落ちぶれて生活にも困窮しており、まともな仕官は諦めていた。

 家庭教師を雇うようなお金もなかったため、商家の子どもや貧乏貴族の子弟らが通う文院に六歳から通い始めたところ、あっという間に頭角を現し、文院始まって以来の天才と騒がれるようになった。

 その才能に目をつけ、支援を申し出る貴族もいたというから、よほど抜きんでていたのだろう。


 結局、グルークを取り込んだのはトーラ皇后だった。

 グルークの母親は若い頃侍女として皇后に仕えており、その縁からトーラ皇后に呼ばれ、経済的支援と引き換えに、皇子の学友になる事を命じられたらしい。

 自分の才能を国のために生かしたいと考えていたグルークは、この申し出に一も二もなく飛びついた。

 

 こうして、皇子の親友であったアモンと、会った事もない皇子に取りあえず忠誠を誓うグルークと、皇子なんかと仲良くするかと思っていたルイタスと、その中心にいる皇子との、四人の共同生活が期せずして始まった。


 さて、反抗期真っただ中を驀進ばくしんしていたルイタスだが、引き合わされた皇子というのが、ルイタス以上に荒んだ子供で、会った瞬間、はっきり言ってルイタスは引いた。


 そもそもアレク皇子は、父親からも母親からも愛されていない孤独な少年だった。

 唯一、皇子に無償の愛情を注いだのが乳母であった女性で、その乳母から人を愛する事や、他者を尊重する道徳心などをきちんと教わったのだが、皇子が心を許していたその乳母も、既にその時、皇子の許から遠ざけられていた。

 いずれ皇帝となるべき皇子を甘やかす乳母の存在が、皇后の気に障ったのだ。


 皇子にとって救いだったのは、この乳母がとてもできた女性で、皇子が道を誤らぬように、別れる前にきちんと皇子に言葉を残していった事だろう。


 この点、その乳母は今のヴィア皇后と大変似通っていた。

 ヴィア皇后も、一時期皇帝のために身を引いて姿をくらましたが、自分がいなくなった後、皇帝が傷つかないよう様々な言葉を皇帝に残していかれた。

 今思えば、女性運に非常に恵まれたお方と言えるだろう。


 そのお陰で、皇子は何とか出来の良い第一皇子の猫をかぶれていたが、その頃丁度、父親や祖父の犯した罪を知ったらしく、心は荒み切っていた。

 

 そりゃあまあ、皇帝の第一皇子としての矜持を唯一の糧として孤独に耐えて生きてきたのに、その帝位が実は正当な皇位継承者を殺してもたらされたものだと知ったならば、そりゃあ荒れもするだろう。


 アモン以外には心を許していなかったアレク皇子だから、グルークやルイタスに対しては、一応、穏やかな態度で接しようとしていたのだが、何せルイタスの方が喧嘩を吹っかける気満々だった。

 当時は結構血の気が多かったし、何を思いついたか、未来の皇帝になるかもしれない皇子を思いっきり殴ってやりたいと言う、訳の分からない衝動に駆られていた。


 で、ある日、分かりやすい形で、わざと皇子に喧嘩を吹っかけた。

 皇子の方も、誰でもいいから殴ってやりたいみたいな凶暴な気分でいたらしく、ルイタスの挑発にいきなり拳を見舞ってきて、あっという間に殴り合いの大げんかとなった。

 グルークやアモンは必死で留めようとしたが、十代の少年の血の気の多さを侮ってはいけない。


 止めようとした二人にもルイタスは遠慮なく拳を振るい、そしてそれはアレク皇子も同様だった。

 八つ当たりで何度も殴られた二人はだんだん腹が立ってきたらしく、最後には二人までが訳の分からない喧嘩に参戦してきて、取っ組み合いの凄まじい大喧嘩になった。

 

 部屋の中であんまり騒ぎ立てたものだから、結局、教官の耳にも入ったらしい。

 いきなりバケツで水をぶっかけられて(冬だったので、とても寒かった)、四人は着替えを片手に、そのまま仲良く反省房行きとなった。

 この点、アントーレ卿は肝の据わった人物で、自国の皇子を反省房に入れる事に、全くの躊躇いを覚えない豪傑な御仁だった。


 四人で震えながら服を脱いで、新しい服に着替え、乾ききらない髪の毛に布を巻いて過ごす事になった。

 布団は用意されていたが、当然反省房の中は寒い。ついでにご飯抜きだ。

 水だけは用意されていたが、グルークはともかく、今まで餓えるという経験を全くしてこなかった三人は初めてひもじいという感覚を知った。


 あまりに寒いので布団を引っかぶって四人で固まり、そのうち黙っているのも気まずくなったので、ぽつりぽつりと話をするようになった。


 反省房で過ごしたのは三日だったが(翌日からは、粗末な食べ物が差し入れられるようになった。ほとんど具のないスープを美味しいと思ったのはあれが初めてだった)、あの三日間のおかげで、いつの間にか自分達の間に仲間意識が芽生えていた。


 あれ以来、憑き物が落ちたように、ルイタスは温厚な少年になった。

 皇帝になるかもしれない皇子を思いっきり殴った事で、やるだけやったみたいな達成感があった。

 アレク皇子には迷惑な話だったが、ルイタスだって思いっきり殴られて、しばらくは人前に出られないような愉快な顔になっていたから、あいこだと思う。


 あの三人との準騎士生活は、なかなかに楽しかった。

 とにかく怖いもの知らずの四人だったから、思いつくいたずらや冒険は一通り全部試した。

 

 正騎士の厨房からこっそり酒と食べ物をくすねてきて、四人で宴会をした事もある。

 加減が分からずに飲むものだから、当然翌日は二日酔いで、四人とも真っ青な顔つきで訓練に参加する事になった。

 ……今思えば、相当酒臭かった気がする。


 教官はそう言う事に対しては見て見ぬふりをしてくれた。

 基本的に、やんちゃ結構というスタンスだったが、今思えば、おそらく自分達にも経験があったからだと思う。

 だから別に叱られたりはしないのだが、何故か二日酔いの日に限って、日頃しないような走り込みをさせられた。

 大声を出すと頭がガンガンするくらい体調が悪い時に、そんなことをさせられたらひとたまりもない。

 四人が四人ともげえげえ吐いた。

 余りにも苦しかったので、酒はほどほどが良いという教訓が、体に深く刻み込まれた。


 お忍びを始めたのも、準騎士時代からだったなとルイタスは懐かしく思い出す。

 変装用の服をグルークが用意してくれて、着替えたお互いを見て、似合わないなと笑い合った。

 街へ下りれば、初めて見る下町の喧騒や、露店で客が物を値切る姿に皇子は目を丸くし、グルークから小銭というものを渡されて、買い物に初挑戦していた。


 市井の暮らしを知り、民の姿を間近に見て、貴重な体験だったと今でも思う。

 

 そう言えば、最後のお忍びはヴィア皇女と一緒であったのだ。

 皇子は、自分よりも遥かに経験値の高いヴィア皇女に散々振り回され、大いに文句を言い、そしてとても楽しそうだった。

 

 思い出をゆっくりと辿るうち、また、ふとセディア様の事が思い出された。

 こんな風に自分達が笑い合っていた時、セディア様は寝たきりになった病人の世話に明け暮れていた。その事を思うと、ルイタスはどこか切ない気分になる。


 それでもセディア様は、三年余に渡る看病の苦労を一切口にしなかった。

 セディア様が口にしたのは、夫君と一緒に仕上げた刺繍や、手ずから育てた花やハーブ、そして二人で楽しんだお茶の時間だ。

 寝たきりだったグレンという青年も、その明るさにどれほど慰められただろう。

 

 セディア様が丹精込めて世話をされたという花やハーブを、明日はゆっくり見てみたいとルイタスは思った。


 その温もりに触れ、優しい時間を共有できればと願っている自分に気付き、らしくもないなとルイタスは苦笑気味に独り言ちた。


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