外伝 皇后陛下は、弟を見つける 7
その後、子ども達とのんびり昼食をとったヴィアは、再び皇后宮に戻り、ロフマン卿を私室に招いた。
「陛下にお願いする前に、貴方のお気持ちを窺っておきたいと思いまして」
心配をかけた詫びを口にした後、ヴィアは早速本題に入った。
「ロフマン卿。わたくしは、ロマリスがこの先騎士団に入団するとしたら、ロフマン騎士団しかないと思っています」
皇后の言葉に、ロフマン卿は穏やかな笑みを浮かべた。
「そのようですな」
現皇帝も、セルティス殿下もアントーレ出身だ。更に、パレシス帝の第三皇子のロマリス殿下までもがアントーレというのは、余りにバランスに欠ける。
かといって、ロマリス皇子をレイアトーに入れるというのは、余りに危険な選択だった。
かつてロマリス皇子を擁立して現皇帝に反旗を翻したのは、他ならぬレイアトーであったからだ。
「しかし今の現状では難しいかと。陛下がいい顔をなさらないでしょう」
「陛下からはすでに、今後ロマリスを弟として遇するというお言葉を頂いています」
ロフマン卿はさすがに驚いた様子だった。そこまでの情報は得ていなかったのだろう。
「あの子は背景が複雑です。
中途半端な愛情では、この先恨みを溜めてしまうでしょう。皇室に迎え入れるなら、全き愛情を注がなければなりません」
ヴィアは言葉を切り、真剣な面持ちでロフマン卿を見た。
「ロマリスには、後見となる貴族が必要です。一緒に紅玉宮に暮らし、親代わりとなって慈しむ大人を、誰よりも必要としている子供です。
そしてその者は、陛下を絶対に裏切らないと確信できる者でなければなりません。
わたくしはその者を、ロフマン卿に選んでいただきたいと思っています」
「私に……?」
「はい」
ヴィアは頷いた。
「陛下は、人選についてはわたくしに任せるとおっしゃいました。勿論、最終的には陛下のご了承が必要ですが、いずれロフマン騎士団に入る子ならば、卿に親しい方がいいでしょう。
無理強いするつもりは勿論ありません。ただ、考えておいてはいただけませんか?」
暫く逡巡した後、ロフマン卿はゆっくりと頷いた。
「わかりました。お心に沿えるよう、考えて参ります」
「感謝します」
ヴィアはほっとしたように微笑んだ。
「わたくしはあの子を、あのまま暗い場所にずっと置いておくことはできません」
皇后が見つかった晩は遠慮したが、翌日の晩、三人の側近は、早速皇帝陛下の私室を訪れた。
皇后はすっかり回復されて、心配させたことを詫び、にこやかな笑みで三人を歓待してくれた。
「心情的には、今、皇后陛下がどんなわがままを言われても、かなえて差し上げたい気分です」
杯を一気に空けて、グルークが言う。
「国が傾く事に比べたら、何でもありませんから」
「グルーク様でも冗談を言われますのね」
皇后はころころと笑ったが、アモンとルイタスは笑えなかった。
皇后が行方不明になった時、国が半分機能しなくなったのは本当だ。グルークやルイタス達が必死でカバーしたので、綻びは出ていないが。
諸悪の根源である皇帝は、今もヴィア妃の手を取って自分の腿に乗せ、その指を弄びながら何食わぬ顔で酒を飲んでいる。
皇后の行方が分からなかった時、何の手掛かりも見つからず、憔悴しきった皇帝の様子を見たグルークは、このままでは執務どころではないと、外せるだけの公務を皇帝から外した。
だが昨日、皇后は無事見つかったというのに、今日はいつもの時間になっても皇帝は執務室に現れなかった。
体調でも悪くなったのかと心配したグルークが様子を見に行くと、皇帝は何と皇后宮の寝所に籠っておられた。
「呼ぶまで邪魔をするな」と厳命されたと言う。
心配した分腹が立ったグルークは、今日の午後、馬車馬のように皇帝を働かせた。
「皇后陛下は今日の午後、ロフマン卿とお話をされたとか。
実は先ほど、ロフマン卿から妹婿に当たるアルディス卿をロマリス殿下の後見に推挙したいと話がありました。
アルディス卿は殿下の後見役として、品性、人柄ともに申し分ないと」
相談されたグルークはその言葉をじっくりと吟味し、別室にロフマン卿を待たせて、皇帝に奏上した。
「それで?」
「ロマリス殿下を捨ておくのではなく、今後表舞台に立たせるなら、全幅の信頼がおける者を後見にしなければなりません。
アルディス卿なら、申し分ないとお伝えしました」
実のところ、皇后の裁量にグルークは感謝した。
兄と呼ばせる事を皇帝が許した時点で、ロマリス皇子はある程度の復権が確約された。
だが、どこまで立場を戻すかという問題になると、これまでの経緯を考えればどうしても慎重にならざるを得なかった。
そこに風穴を開けたのが皇后だった。
皇后は、自らロマリス皇子を庇護する立場を鮮明にし、皇妹マイラと同じように皇弟ロマリスを遇すると断言した。
皇后の庇護下に入るならば、翻意を抱く者達がロマリス皇子に近付けよう筈もない。
何と言ってもロフマン卿は、ヴィア側妃の皇后立后を円卓会議の議題に出した人物で、事実上、皇后の後見人である。そのロフマン卿ゆかりのアルディス卿夫妻が紅玉宮に入って、親代わりとして慈しむというのであれば、騒乱の芽は二度と皇国に芽吹く事はないだろう。
「ではよろしいのですね?」
嬉しそうにヴィアがアレクを見上げると、「好きにしろ」と答えが返ってきた。
今まで捨て置いて弟とどう付き合っていけばいいのか、アレクにはわからなかったが、ヴィアなら何とかするだろうと思っていた。
何にせよ、家庭内の問題は全部ヴィアに任せておけばいい。
その日はロマリスにとって、不思議な事の連続だった。
お昼前、優しそうな侍女が四人やって来て、「今日からわたくし達が殿下にお仕えする事になりました」と挨拶をしてきたのだ。
ロマリスを邪魔ものにしていた太っちょやいばりんぼ、やせぎす、そばかすは、いつの間にかいなくなり、見も知らぬ使用人も増えていた。
新しく来た侍女はつきっきりでロマリスの相手をしてくれて、一緒に部屋の中を駆け回ったり、ボールで遊んでくれたりした。
そしておやつを食べようと言っていると、今度はものすごくきれいな皇子様がロマリスの所へやって来たのだ。
一昨日の皇帝陛下はカッコいいという言葉がぴったりだったが、今日来た皇子様は文句なしの美人さんだった。
「セルティス殿下!」
侍女達は興奮したように叫び、慌ててセルティス殿下の前に膝を折った。
「せるてぃす殿下?」
名前を繰り返すと、顔を顰められた。
「私はお前の兄だ。兄上と呼べ」
「兄上?」
ロマリスはびっくりした。
「おととい会った皇帝陛下も兄上だとおっしゃいました」
「皇帝陛下もお前の兄だ。私の兄でもある」
ロマリスはまじまじとセルティスを見つめた。
「何だか姉上と似ていらっしゃいます」
助け出された時に見た美しい姉とこの兄は、どこか顔が似ていた。
「当たり前だ。私は姉上と血が繋がっている」
その言い方に小さな引っ掛かりを覚えて、ロマリスは上目遣いに聞いてみた。
「あのぉ……、私は?」
「繋がっていない」
ロマリスはがーんとショックを受けた。
「嘘……」
思わず涙目になるロマリスを見て、セルティスは面倒くさそうな顔をした。
「お前と血が繋がっているのは私だ。皇帝陛下もそうだ。ああ、あと、マイラという姉もいるぞ」
「でも、姉上は私の事を弟だって」
「義理の姉だ。マイラもお前も、姉上とは血は繋がっていない。血が繋がっているのは、私だけだ」
ロマリスは眉をへの字にした。何だか自慢されている気がしてきた。
「お前が姉上を見つけてくれたそうだな」
言われてロマリスは小さく頷く。
「礼を言う。私にとっては大切な姉だ。お前が見つけてくれなかったらと思うと、ぞっとする」
その後セルティス兄上は、ロマリスと一緒におやつを食べ、剣の練習もしてくれた。最後に高く抱き上げられて、ぐるんと一周回ってくれた。
「お前を抱っこした事は、マイラやレティアスに言うなよ」と最後に言われた。
でないと私がひどい目に遭うからな、と続けられ、ロマリスにはさっぱり意味が分からなかった。
それから数日後、セルティスは久しぶりに水晶宮を訪ねた。ロマリスが皇室に馴染んでいるか、気に掛かったからだ。
マイラはいつものように水晶宮に遊びに来ている。おそらくロマリスもそうだろうと思った。
中に入ると、やはりロマリスは来ていた。後見役のアルディス夫人も一緒だ。
セルティスの姿を見つけたマイラが「お兄様」と飛びついてきた。それを抱き上げたところで、一歩遅れたレティアスが「おじうえ」と叫んで背中にやってきた。
そろそろ二人とも重くなってきたので、二人一遍に飛び掛かってくるのは止めて欲しいとセルティスは思う。
続いて、高速で匍匐前進してきたアヴェアがセルティスの足に齧りついた。姉と同じく根性のある姪っ子だ。
ロマリスは遠慮があるのか、羨ましそうに見ているだけなので、「ロマリス、来い」と声を掛けた。飛びついてきた弟をセルティスはこの前のように抱き上げてやった。
ひとしきり四人と遊んでやると、四人は子供同士で遊び始める。
怪我をしないよう、侍女がつきっきりで見てくれているので、その間、皇后は、セクトゥール側太妃と子どもたちの乳母二人、そしてアルディス夫人とティータイムを始める。
今日はそこにセルティスが加わった。
「貴方がここに来るなんて珍しいわね」
姉に声を掛けられて、セルティスは肩を竦める。
「あいつが馴染んでいるか、気になったのです」
視線の先にいるロマリスを見て、ヴィアは笑った。
「子ども同士はすぐに仲良くなるわ」
「そうみたいですね」
そしてセルティスは、どこか呆れたような、半分感心したような顔でヴィアを見た。
「なあに?」
「いえ」
セルティスは小さく咳払いした。
そして姉に次ぐ高位の身分であるセクトゥール側太妃に話しかけた。
「目の前の光景が、私にはどうにも納得がいきません。
親子でいがみ合い、兄弟で殺し合うのが、アンシェーゼの皇族のあるべき姿ですよね」
セクトゥール妃は一瞬目を丸くし、それからふき出した。ビエッタ夫人やアルディス夫人らも思わず笑い始める。
確かにそうだと皆は思った。
パレシス皇帝は兄を殺して帝位に着き、アレク皇帝とロマリス殿下は、つい五年前、皇位継承を掛けて戦を起こしていた。
皇后がアレク陛下の元に来るまでは、パレシス帝の子供たちは互いにほとんど面識もなく、兄弟としての情など皆無だったのだ。
「皇后陛下が来られて、何もかも変わりましたね」
セクトゥール妃の言葉に、ヴィアはそう? と首を傾げた。
流れていく時が愛おしかった。そしてそれを与えてくれたのは、アレクだった。
力ある者に、ただ踏みにじられるしかなかったヴィアはアレクによって救われ、更には愛されて、皇后の地位まで上り詰めた。
「すべて陛下のおかげですわ」
この二十年余、セクルト連邦が荒れ、やがて一公国が他の公国を統一してセクルト皇国を名乗り始めた。
獰猛な王は他国への侵略を始め、南のダナンやタイアックは相次いで領地を失ったが、盤石のアンシェーゼは揺るがず、セクルト皇国に甚大な被害を与えて勝利し、反対に領地を奪い取った。
そしてその防衛の核となったのが、皇帝の二人の弟君、セルティス皇弟殿下とロマリス皇弟殿下だった。
アレク帝は中興の祖とも評され、その後帝位を継いだレティアス帝と共にアンシェーゼ皇国の盛期を築き上げている。
その功績もさることながら、アレク帝の名を世に広く知らしめたのは皇后ヴィアトリスとの恋物語だ。
歴代の皇后の中で随一の美貌をうたわれた皇后ヴィアトリスは、家柄を重んじるアンシェーゼに於いて、平民出身でありながら皇后の地位に上り詰めた唯一の女性である。
踊り子であった母が前皇帝の側妃であったために皇家の養女となっていたヴィア皇女は、アレク帝が皇子時代にその側妃となった。
美しく賢明なヴィア妃はアレク帝に愛されたが、その寵愛が激しかった事から国の障りになると懸念されて、一時期ガラシアに静養に出されている。
だが、ヴィア妃を諦めきれなかったアレク帝はその後、一切の女性を近づけようとせず、最終的に皇后として呼び戻される事となった。
その数奇な生涯は戯曲としても多く残されたが、平民から皇后に上り詰めた異例の経歴や、夫君からこの上もなく愛された事などが、多くの女性達の憧れとなり、異国風のヴィアトリスという名がアンシェーゼでは大層流行るようになったという。
皇家に迎え入れられたロマリスは、セルティス同様、姉上至上主義へと育っていきます。そして、レティアスやアヴェア以下、ヴィアの生む子ども達に振り回されます。年はさほど変わらないのに、「おじさま」と呼ばれ、「おじさま言うな!」と言い返したり、一緒に午睡してやったら、おねしょをされたり、などなど(笑)
これで本作はおしまいです。読んで下さった皆様に、本当に感謝しています。
あと一話、どうしてもセルティスの事が書きたくて話をあたためていましたが、時系列的に話を差し込むのが難しいのと、コメディ要素が強すぎる気がするので、短編として投降しました。
よろしければ見てやってくださいませ。
では、また別の作品でお会いできますように。
本当にありがとうございました。