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外伝  皇后陛下は、弟を見つける 1

 不穏な噂もいつの間にか消え(というか、皇后の惚気話を延々と聞かされ続けた列国の要人は、本国に帰ってからも、その恐ろしさを涙交じりに語ったという)、平穏なアンシェーゼの宮廷である。


 だが、アレクの周辺では政治は停滞する事なく動いている。

 朝も早い執務室には、すでにグルーク、ルイタス、アモンの三人が揃い、皇帝と打ち合わせをしていた。


「先ほど近衛から報告が来た」

 口火を切ったのは、アレクだ。待ち望んだ報せがようやくもたらされたのだ。

「タイスル峡谷の馬賊の統領と副統領をったそうだ」


 因みにアンシェーゼ皇国の近衛は、他国の近衛騎士とは一線を画する。

 列国の近衛は騎士すべてが貴族出身で、いわば軍の花形だが、アンシェーゼの近衛は皇帝の警護に加え、暗殺、粛清、諜報といった闇の部分を担うものだ。

 その人数や形態は、皇帝であるアレクですら詳細を把握しておらず、近衛はただ当代の皇帝の命ずるままにあらゆる汚れ仕事を行っていた。


 半年前、アレクは近衛に、馬賊の統領らの暗殺を命じた。

 二年をかけて組織の弱体化には成功したが、正攻法の討伐では騎士団に甚大な被害が出ると踏んだからだ。


 アレクの言葉に、三人の顔がすっと引き締まった。

「ではいよいよですね。思ったより時間がかかりましたが」


「トウア騎士団の準備はできているな?」

 確認するようなアレクの問いに、アモンは頷く。

「いずれ、不動鬼の動きがある事は伝えてあります。いつでも出撃できるよう、準備はさせています」


 アンシェーゼの最南端であるトウアと、その手前のミシャの境となるタイスル峡谷は治安が大層悪く、不動鬼と呼ばれる馬賊が跋扈する事で有名だった。

 パレシスの時代から散々民からの嘆願は出ていたが、長い間放置され、アレクもまた国を掌握する事に忙しくて南境の地の問題まで手をつける事ができなかった。

 それが殲滅に向けて一気に動き始めたのは、二年半前。皇后が峡谷の事をアレクらに語ったのが、事の発端だった。


 最愛の皇后が危うく峡谷で殺されるところだったことを知ったアレクは、すぐさま馬賊の殲滅に向けて手を打ち始めた。

 不動鬼は、その組織力、人数共に、一個騎士団に匹敵すると恐れられる馬賊集団だ。そのためアレク達はまず、彼らの資金源を断つことから手をつける事にした。

 慎重に金の流れを追い、金が不動鬼に回らぬよう、資金源となっていた商人らを次々と投獄した。

 あれから二年以上の時が過ぎ、不動鬼はだんだんと先細った。そしてこの段階で、アレクは初めて近衛を動かした。


「統領と副統領が相次いで暗殺され、不動鬼の間に疑心暗鬼が広がっている。討伐部隊を差し向ける、最良の時期だ」


 無論、統領を暗殺できる技量を持った近衛なら、時間をかけて一人一人不動鬼の仲間を殺していく事は可能だった。

 だが、それでは意味がない。あくまで不動鬼は、皇帝の名によって討伐されなければならないのだ。


「皇室に忠誠を誓う私設騎士団が、民のために進軍する。民が皇帝によって守られている事を民が知る、いい機会になるでしょう」

「派遣する騎士団は?」

 ルイタスの問いに、アレクは笑った。

「レイアトーだ」

「グイドがレイアトーをどの程度掌握したかを見る、いい機会になりますね」


 パレシス皇帝が亡くなった時、生後ひと月に満たぬ第三皇子を擁立するセゾン卿と手を組み、アレクを窮地に追いやったのがレイアトー騎士団だ。

 アモン率いるアントーレ騎士団の到着があと一歩遅れていたら、アレクはあの場で殺され、弟のロマリスが皇帝となっていた事だろう。


 あの政変を唯一、評価できるとしたら、死者を最小限に抑える事ができたという事だった。

 命を落としたのは、セゾン卿とその親族、そして倉院の警護兵と、立て籠もった数人のレイアトーの騎士のみだ。

 ロマリス皇子の母マイアール側妃はゴアムの塔に幽閉され、ロマリス皇子は紅玉宮に蟄居となって、二人とも命だけは繋いでいるという状態だ。

 そして、現皇帝に反逆行為をとったレイアトーは、皇室典範に基づき存続を担保され、陰謀に加担した当主は蟄居となった。幹部だった人間は軒並み失脚し、レイアトー騎士団を率いるようになったのは前当主の末弟の次男であったグイドである。


 当主の嫡男ではなく、無名の甥をわざわざ当主に据えたのは、アレクに逆らったレイアトーの力を削ぐためだ。

 だが、いつまでも、皇国の私設騎士団が機能しないのでは困る。あれから五年が経過し、アレクは若いグイドがどれだけレイアトーを動かせるか試しておきたかった。


「そう言えばトウアの騎士団で噂を拾いましたよ」

 思い出したようにそう告げるのは、ルイタスだ。


「五年前、皇后陛下が襲われた当時の事を覚えている者がいました。 

 センテールの隊商が襲われ、隊商は護衛団に守られて生き延びたようでしたが、同行させていた乗合馬車はほとんど全滅だったようです。

 死体の回収を行っていた時、気を失っていた若い女性が助け出され、騎士団員によって宿屋に送られたと聞きました」


 皇后は非常に美しい女性だ。粗末な服に身を包んでいても、その容姿は人目を引いたらしい。


「騎士団員の一人がすっかり夢中になり、毎日宿屋に足を運んでいたそうです。

 女性の方は余りに惨い目に遭った直後でしたので、ほとんどしゃべる事もなく、ずっと部屋に閉じこもっていたそうですが、毎日のようにその騎士団員が訪れていたので、宿屋の女将がよく覚えていました」


 皇帝の思い人と知っていれば、その騎士団員もそんな恐ろしい真似はできなかっただろうと、ルイタスはふとおかしくなる。

 騎士団員はこまめに女性の世話を焼き、ようやくしゃべれるようになった頃、その女性は書き置きと幾ばくかの金子を騎士に言づけて、そのまま姿を消した。


「ヴィアに下心を持って近付くとは、不愉快な奴だ」

 ヴィア妃が体調を崩していた事よりもそっちが気になるのかと、ルイタスは思わず笑いを噛み殺したが、グルークも同じように感じたらしい。


「皇后に一番下心を抱いておいでなのは陛下だと思いますが」

「自分の妃に下心を抱いて何が悪い」

 アレクは堂々と開き直った。


「陛下のおっしゃる通りだ」

 ここで口を挟んだのが、生真面目なアモンだ。

「この先も下心を持っていただいて、皇后陛下には是非とももう一人、皇子殿下を産んでいただきたい」


 周囲の三人は、何とも言えない顔で押し黙った。アモンが本気で言っていることが分かるだけに、余計に力が抜ける。

 アレクはため息をつき、呻くように呟いた。

「種馬の気分になるから、身も蓋もない言い方はやめてくれ」


 軽口を叩きながらも、四人は忙しく書類や嘆願書に目を通していく。と、その中の一枚に目を留めたグルークが、ざっと確かめてアレクに書面を手渡した。

「タイスル砦の設計が届きました。見ていただけますか?」


 不動鬼を討伐しても、このままでは追剥や夜盗の類は後を絶たないだろう。だから新たに、中規模の砦を峡谷に作り、兵を配備する予定だった。

 砦の建設にあたり、予算や人足の確保などもこれから詰めていかなくてはならないだろう。

 砦に配置する騎士は、今まで護衛団を務めていた傭兵から募集する予定だった。食いはぐれた傭兵らが夜盗の類になっては困るし、彼ら自身にとっても職を得るいい機会になるからだ。


 一方峡谷を通る者達からは、通行料を取る予定にしていた。今まで商団は護衛の傭兵らにかなりの金を支払っていた筈だし、隊列に混ぜてもらう乗合馬車は商団に幾許かの同行料を払っていた。その金が浮く分を通行料として徴収する形だ。

 無料にする事も考えたが、そうすると商団や旅人がみな峡谷を通るようになってしまい、迂回路沿いの宿場町や馬車主が経済的な打撃を受ける。

 タントーやシャンクといった街もまた、庇護してやらなければならない、アンシェーゼの大切な領地だ。

「忙しくなるな」

 アレクの落とした言葉に、三人は穏やかな笑顔で頷いた。



 討伐命令が出された五日後、民の大きな歓声を受けてレイアトー騎士団はトウアへと発っていった。

 ヴィアは皇后として壮行式に立ち会い、トウアに向かう騎士団を鼓舞した。


 隊列を見送りながら、トウア周辺の民や商団は喜ぶだろうとヴィアは思った。あの地方の領主だけで対処できるような規模の馬賊ではなかった。

 多くの血が流され、ようやく国が動いた。


「民はレイアトー騎士団が来るのを心待ちにしているわ。けれど、力に優れたレイアトーといえど、今回は無傷では済まないでしょう。送り出すのは複雑な気分だわ」

 カミエを従わせて歩きながら、ヴィアはそうカミエに話しかける。ヴィアの言葉に、カミエはちょっと笑った。


「騎士ならば、君主のために命を捨てる覚悟はできています。それに今回は、民を守るという大義を持っての出陣です。

 レイアトーの騎士は喜んでいる筈ですよ」


 そしてカミエは、理解できないかもしれませんが、と前置きした上で言葉を続けた。

「今回の事は、陛下の恩情でもあるんです」

「恩情?」

「ええ。五年前の政変以来、レイアトーはずっと冷や飯を食ってきました。勿論、当代陛下を弑するところだったのですから、自業自得とも言える訳ですが。

 けれど、名誉を重んじる騎士にとっては、とても辛い事です。

 今回の出陣でレイアトーは名誉を回復する。民の歓呼を受け、皇国と民のために戦う事ができるのです。

 実際、アントーレでも羨ましがっている者は大勢いました。ロフマンもおそらく同様でしょう」


「騎士は強いのね」

 ヴィアがぽつりと言葉を落とすと、カミエは器用に片眉を上げた。

「私に言わせれば、皇后陛下も十分お強いと思いますよ」

「そうなの?」

「ええ。一癖も二癖もあるアンシェーゼの貴族を束ねていらっしゃるでしょう?それにあちこちに信奉者を作って、情報を集めて対処されておいでです。

 よくここまで猫を被り続ける事ができるものだと、いやもう、心底感服しています」


 ヴィアはカミエを軽く睨んだ。

「この猫は、皇帝陛下公認なの。マイラやアヴェアにも伝授しようと思っているわ」

「マイラ皇女殿下には、既に片鱗が見えていますね」

「あら、そう?」

「あれだけ淑女らしい完璧な挨拶をされながら、屈み込んだ父の頭頂部を見て、生えてる、と声を出さずに言っておられたでしょう?」

 あの時の事ね、とヴィアは笑った。

「カミエも気付いていたの?」

「危うく笑い死ぬかと思いました」


 話をしている内に、いつの間にか倉院の前まで来ており、皇后の姿に気付いた衛兵が最敬礼してくる。


「陛下のお許しを頂いてきました」

 ヴィアが告げると、伺っております、と衛兵は答えた。そして、従ってきた護衛騎士が、扉の施錠を外すのを許す。

 倉院は、皇帝一人に帰属するものだ。たとえ皇后であろうと、皇帝の許しがなければ入る事は許されなかった。


 書庫の中へはカミエ一人を連れて入り、他の護衛騎士は扉の外で待たせることにした。

 かつてレイアトーの騎士が立て籠もり、攻略できずに周囲を包囲するに留めていた場所だ。外からの襲撃には強く、護衛はカミエだけで十分だ。


「実を言うと、ここは少し怖いわ」

 中に足を踏み入れたヴィアがそう言うと、「そうですか?」とカミエは首を傾げた。


 書庫の内部は、書物が読めるよう明り取りの窓もあり、テーブルや椅子も完備され、過ごしやすい空間となっている。

 二百年ぐらい前にアマリウス皇帝が建てたもので、当時列国との戦に明け暮れていた皇帝は、石造りの頑丈なこの倉院を立て、値のつかない宝玉や貴重な蔵書などを不測の事態から守ろうとした。


「ここはほら、五年前の政変を思い出すの。ここでレイアトーの騎士が亡くなったでしょう?」

 立て籠もった騎士は、食料の支援を受けぬまま、周囲を包囲されて餓死したのだ。当時十二人いた騎士のうち、助かったのは僅か五名だ。


「彼らは自ら立て籠もったのです。降伏して出て来た騎士らを、陛下は決して罰しなかったでしょう?」

「そうね」

 ヴィアは形ばかりの笑みを浮かべた。

 何だかひどく心がざわめき、一刻も早くここから出たいという気分になる。

 

 ヴィアは心を落ち着かせるように一つ小さく息を吐き、怖がる事はないのだと自分に言い聞かせた。


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