皇帝は、ようやく側妃を捕まえる
こうして、胸のつかえをようやく下したルイタスだったが、皇帝の方は相変わらず、側妃に会えず苛々を募らせていた。
何と言っても、逃げるように出奔され、二年もの間行方がわからなくても、ずっと思い切る事ができなかった女性だ。
ようやく手元に連れ戻したのに、抱きしめて再会を喜んだのは、ほんのひと時だ。
アレクはもう、待てなかった。
一刻も早くヴィアに会いたいし、声も聞きたい。腕の中に抱きしめて、片時も傍から離したくない。
思い詰めたアレクは、ついに水晶宮に正式な使いを出し、皇帝宮に呼ぶと言う暴挙(皇帝が側妃を伽に呼ぶ事を暴挙と言うのかどうかはわからないが)に出た。
勝算がなかった訳ではなく、ルイタスの助言があったからだ。
妃殿下は陛下に夢中ですよ、とルイタスは言った。それはもう、傍で心配するのが馬鹿らしくなるくらいです、と。
ルイタスが自分より先に会ってもらえたと知った時、アレクは愕然としたが、皇后になる事を了承してもらいに行ったんですよと、ルイタスはさばさばとそう答えた。
円卓会議で承認された後、ご本人に嫌だと断られたらことですから。
ヴィアは喜んで皇后の地位に就くと答えたらしい。
そしてアレクは、伽の使者を水晶宮に遣わせた。
ヴィアを呼びつけた当日、アレクは妙にそわそわと一日を過ごした。
まるでお預けを食らった犬のようだと、グルークは心の中で独り言ちる。
一国の皇帝をここまで骨抜きにするとは大した女性だと思ったが、それ以上にアレクとの付き合いが長いグルークは、ヴィア側妃に出会う前のアレクが、女という生き物を全く信用しようとせず、ただ快楽を分け合うだけの存在としか認識していなかった事を知っているので、ここまで主を変えた女性に、素直な感嘆の念を禁じ得なかった。
因みに、妃殿下が皇帝を遠ざけていた理由を、皇帝を除く三人が三人とも知っていた。ルイタスがしゃべったからだ。
余りに下らない理由にアモンは頭を抱え、グルークは妃殿下らしいと端的な感想を述べた。
陛下にも知らせてやろうかと一瞬思ったが、仲直りする事はわかっていたので、口は挟まない事にした。
無駄な事は極力しない主義なのだ。
そのアレクは定刻になるとさっさと仕事を切り上げ、自分の居室棟に戻って行った。
帰るなり侍従長に、「ヴィアは来ているか」と確認したまでは良かったが、「お待ちでございます」という答えに、「本当か!」と食いつくように答えを返して、侍従長から胡乱な目を向けられた。
「ご夕食の準備ができておりますが、すぐにお食事にいたしましょうか」と聞かれ、「そうしてくれ」と上の空でアレクは答える。
剣を預け、ヴィアの待つ部屋に向かおうとした時、扉が開いてヴィアが出て来た。
今日は夕食を共にするように伝言が渡されていたので、ヴィアはまるで晩餐会に出席するような華やかなドレスに身を包んでいた。
「お帰りなさいませ」
そしてヴィアはアレクを仰ぎ、花が綻ぶように笑みを浮かべた。
アレクだけでなく、その場にいた女官や侍従達までが、一点の瑕疵もない圧倒されるような美貌に息を呑んだ。
艶やかな陽を紡いだような金髪がさらさらと背に流れ、湖水のように澄んだ青い瞳は嬉しそうな笑みをたたえて真っ直ぐにアレクに向けられている。
ほっそりとした白い面は優美なラインを描き、すっと通った鼻筋もカーブした長い睫毛も、甘く瑞々しく熟れた小さな唇も、何もかもが完璧に整っていて、申し分ない。
その側妃が、ようやく会えた恋人を一心に見つめて、心の底から湧き上がる歓喜に、匂いたつような甘い艶を出してアレクを見つめてきたものだから、アレクの自制は完全に吹っ飛んだ。
吸い寄せられるようにヴィアに近付いて、そのほっそりとした体をがばりと抱きしめる。
ぴったりと体を密着させ、もう二度と離さないとばかりにきつくかき抱いて、ようやく手に入れた愛おしい恋人の頭に顔を埋めた。
思わぬ展開に、見ていた侍従や女官らはどうしていいかわからず、その場に呆然と立ち尽くしていたが、抱きしめられているヴィア妃が、皇帝に気付かれぬようひらひらと手を振って来たので、音を立てないようにそろそろと退室した。
随分と長い間ヴィアを抱きしめて、ようやくヴィアの存在を実感できた皇帝が僅かに体を離してヴィアを見下ろすと、ヴィアはこれ以上ない甘やかな笑みでそれに答えた。
「わたくしの陛下」
舞い上がった皇帝は、その後四半刻もヴィアを腕の中から離さず濃密な愛情を示し、あろうことか、そのまま寝所に連れ込もうとした。
なのでヴィアは、聞き分けのない皇帝を叱りつけなければならなかった。
扉の外には、締め出された女官や侍従らが、固唾を呑んで皇帝からのお呼びを待っているのだ。
ヴィアだって、心ゆくまで恋人としての時間に浸りたいが、アレクが皇帝である限り、規律というものがある。
その夜、皇帝と側妃殿下は仲睦まじく夕食を二人でとり、寝所へと向かわれ、朝まで共に過ごされた。
そして、公務が入らぬ限りは、これが皇帝にとっての日常となり、五日後には、ヴィア側妃の皇后立后が円卓会議で採択された。