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側近達は、側妃を捕獲する

 セルティス皇子殿下危篤説が流されて十日後、アントーレ騎士団の門を一人の女が訪れ、エベックに取次ぎを頼んだ。


 訪れたのはヴィアだった。

 セクルト連邦の南端の街から、三日三晩馬車を乗り継いで、ようやく辿り着いたのだ。

 普通なら、数日かけて徒歩と乗合馬車で来るような距離である。

 それをヴィアは自分用に貸し馬車を頼み、街ごとに効率よく馬を入れ換えて、金を惜しまずミダスまで急がせた。


 一日目の夕刻にはすでに激しい馬車酔いとなり、ガタゴトと揺れる馬車の中でほとんど眠る事もできず、二日目からは食べ物を吐くようになり、水やお粥だけを僅かに口にして、旅を続けた。

 金を用立てるために徽章はすでに手放しており、このような身なりでエベックに取り次いでもらえるか心配だったが、エベックならば、ヴィアが来ることを見越して何か手を打ってくれているのではないかと賭けに出た。


 ヴィアの予想は当たり、ヴィアはすぐ中に通された。

 激しい疲労で立っている事もできず、用意された椅子に崩れるように座り込む。

 本当は座っている事も苦痛だった。

 ただ、一刻も早くセルティスに会わなければならない、その一心だった。


 ほどなくノックの音が響き、姿を現したのはアモンだった。

「アモン様がどうして…」

 ヴィアはそう呟き、すぐにエベックが伝えてくれていたのだろうと納得する。


「セルティスの具合はどうなのですか?」


 立ち上がろうとしたが、眩暈を起こしてそのまま膝から崩れ込む。

 床に倒れ込む寸前、足早に近づいてきたアモンによって抱きとめられた。


「妃殿下!」

 ヴィアの顔色の悪さに気付いたアモンが、ぞっと顔を強張らせる。


「わたくしは大丈夫。疲れているだけなの」

 ヴィアは何とか笑みを作った。それよりも、セルティスの身が案じられた。

「アモン様、お願い。早くセルティスに会わせて下さい」


 これではあまりに惨いと、思わず真実を口走りそうになったアモンだが、妃殿下を連れ戻す機会は一度きりだと言い切ったグルークの言葉を思い出し、すんでのところで踏みとどまった。


「すぐに紫玉宮へ参りましょう。

 その前に、そのお姿では王宮内を歩けません。着替えていただきますが、よろしいでしょうか」


 ヴィアが頷いたので、アモンはそのままヴィアを抱き上げて、アントーレ家が所有する居住棟へ運んだ。

 アントーレ家の侍女らに妃殿下の湯あみや着替えを手伝わせ、その間に、貴賓用の輿を準備するよう、紫玉宮に使いを出す。

 今の妃殿下では、宮殿内を歩くだけの体力もない。

 天蓋に覆われた輿に乗せ、従僕らに担がせてセルティス殿下の寝所まで運んだ方がいいだろう。


 紫玉宮に出向く前、何か滋養となる物を口にしてもらおうと思ったが、果物やスープでさえ、ヴィアは受け付けなかった。

 湯あみをした事で、更に体に負担がかかった事は一目瞭然だった。


 少しは休んではと言うアモンの言葉にも、ヴィアは頷かなかった。

 一刻も早くセルティスに会いたいと繰り返し、アモンは細心の注意を払いながら、抱きかかえて馬車まで運び、揺れの少ない六頭立ての馬車で、ゆっくり紫玉宮へと向かった。


 紫玉宮の中はしんと静まり返っていた。

 普通のヴィアならば様子がおかしいと気付くところだが、セルティスの寝所の前まで輿で運ばれたヴィアには、その不自然さに気付く余裕もなかった。

 アモンに手を貸してもらうようにして下りると、控えの間にはグルーク一人が待っていて、戸口の方に誘導される。


「セルティスの具合はどうなの?」

 グルークは問いには答えず、「こちらへ」と寝所へ続く扉を開けた。

 

 寝所の中は、薄暗かった。外の明るさとの違いに目が馴染まぬうちに、ヴィアの後ろで扉が閉ざされる。

 ゆっくりと寝台の方へ近付くと、天蓋のカーテンは半分開かれていて、足元の方へ腰かけていた弟が立ち上がった。


「セルティス?」

 

 久しぶりに見る弟は随分と背も伸び、大人びて見えた。

 危篤だと聞いていたのに、歩み寄ってくる足取りはひどく軽やかだ。


「セルティス」

 もう一度名を呼ぶと、懐かしそうにセルティスは笑った。

「姉上、申し訳ありません」


 いつの間にかセルティスはヴィアの背丈を頭一つ分、追い越していて、ヴィアを軽く抱擁した後、その耳元に囁くように言う。

「兄上のために、姉上を騙しました」


 どういうことかと尋ねる間もなく、セルティスはそのままヴィアの脇を通り、扉を開けて出て行った。

 再び扉が閉ざされ、混乱したヴィアが辺りを見渡した時、ヴィアはふと、天蓋のカーテンの陰にもう一人青年が隠れている事に気が付いた。


 薄暗い部屋の中でも、その鮮やかな金髪はすぐに分かった。

 額にさらりとした金髪がかかり、首のところで後ろ一つに止められている。

 その髪が殊の外手触りがいい事を、ヴィアは覚えていた。

 見つめられるだけで心が乱されるその切れ長の琥珀の瞳も、すっと通った鼻梁も、今は引き結ばれた、形の良い口元も、ヴィアの覚えているままだ。


 その精悍な姿から目が離せなかった。

 この二年間、会いたいとずっと渇望し、寝ていても夢に現れ、ヴィアの心から一日も去ってくれなかった男性だ。


「ヴィア」

 深みのある声で呼ばれ、ヴィアは涙ぐむ。

 アレクの立場も、自分の立ち位置も、今はもうどうでもよかった。ずっと会いたかった。その声を聞きたくて、何度も枕を涙で濡らした。


「陛下…!」

 万感の思いでアレクを呼ぶ。

 もう、心を偽る事はできなかった。ヴィアの足が床を蹴る。


 駆け寄って首にしがみついてきた華奢な体を、アレクはただただ、きつく抱きしめた。

 その柔らかな髪に顔を埋めたまま、アレクもまた、いつまでもその体を離そうとはしなかった。



「如何でしたか?」

 寝所を出て来たセルティスは、兄の側近らが心配そうな顔つきで控えの間に揃っているのを見て、思わず失笑する。


「とにかく二人きりにしてきた。それ以上はわからない」

 あとは兄がうまくやってくれる事を願うだけだ。


「それよりも、輿でここまで来たって?

 そんなに姉上の具合は悪いの?」

「かなり憔悴されています。詳しい事はお聞きしませんでしたが、シニヤからここまで、三日三晩馬車を乗り継いで来られたようでした」


「シニヤから?」

 それは無茶だとグルークは思わず顔を顰める。

 大の男でも、そんな強行軍をしたら、腰が立たなくなるだろう。

 

「シニヤから三日三晩ってことは、貸し馬車を使ったのかな。よくそんなお金があったよね」

 天然系のセルティスが、どこかのんびりと見当違いの心配をした。

「お言いするのを忘れていましたが、先日エベックが妃殿下にお会いした時、自分の徽章を渡しているんですよ。

 おそらく、それを売り払ったのではないかと」


「徽章を?」

 さすがにセルティスもびっくりしたようだった。

「渡す方もすごいけど、売る方も売る方だよね。思い切りがいいと言うか、姉上らしいと言うか…」

 感心するセルティスに、ルイタスも頷く。

「今度、どこで売ったか聞いておきましょう。今なら、買い戻せるかもしれませんし」


「そんな事より、私は妃殿下の体調の方が気になります」

 ごく常識的な言葉を割り込ませたのはアモンだ。

「歩くのもおぼつかないほど衰弱しておられたし、疲労のあまり、食べ物も受け付けられませんでした。

 どうしても皇子殿下に会いたいと言い張られるので、お連れしましたが」


「セルティス殿下は、本当に愛されていますよね」

 ルイタスはにっこりと微笑んだが、言われたセルティスの方は、そこまで無理をさせたのかと、さすがに罪悪感がわいてくる。

 ちょっと心配そうに、グルークに問い掛けた。


「侍医は待機させてあるんだよね」

「はい。別室に侍女と侍医を待機させています」


 その言葉に安堵した途端、不意に寝所から大きな声が響いた。

「おい、誰かいないか!」


 慌てふためいた皇帝の声に、四人が慌てて寝所へと向かった。

「ヴィアが倒れた。侍医を呼んでくれ」


 抱擁の最中にそのままぐったりと意識を失ってしまい、床に崩れ落ちそうになる体を慌てて抱き上げたものの、それきりヴィアが意識を取り戻さないのだ。

 すっかり取り乱した皇帝に、グルークが冷静な声を掛ける。


「ルイタス、すぐに侍医を呼んでくれ。

 セルティス殿下、寝台をお借りいたします。陛下、こちらに妃殿下を」


 上掛けを捲り、広い寝台にヴィアを横たえる。

 待機していた侍医や侍女があっという間にヴィア妃の周りを取り囲み、大騒ぎの中、皇帝と弟皇子、皇帝の側近らは、問答無用で部屋の外に追い出された。


 別室に集まった五人は、誰からともなくため息をついた。


「陛下、ヴィア側妃殿下はおそらく極度の疲労です。体を壊すほどの無理をして駆け付けたのに、それが茶番だとわかったら」

 グルークは、皇帝陛下と弟皇子を気の毒そうな目で眺めやった。

「多分、激怒されると思います」


 部屋はしんと静まり返った。

 アレクは焦った様子でグルークを見た。


「そもそもお前の案だろう?何か、手はないのか?」

「何か手は、と言われましても」

 どこか他人事のように、グルークは首を傾げる。


「いえ。わたしもここまで妃殿下が無理をされるとは想定外でした。

 余程、セルティス皇子殿下が大事だったのですね」


 セルティスは頭を抱え込んだ。

「騙していたと分かったら、きっとしばらく口をきいてもらえない。

 姉上は怒らせると怖いんだ」


 アレクは弱り切ったようにルイタスを見た。

 そんな縋りつくような目で見られても、どうしようもない事はどうしようもない。ルイタスはあっさり肩を竦める。


「仕方ありません。この際お二人は、気が済むまで妃殿下に怒られてください」

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 誤字報告しましたが、水晶宮と紫玉宮がごっちゃになってるみたいです。この回と前回(弟殿下に寝込んてもらうとこが水晶宮になってます)。たぶん、水晶宮が間違ってるみたいですね?
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