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側近達は、餌をまく

 ガランティアの更に東に当たるアンテオールの使節団との謁見を済ませたアレクは、そのまま中庭を横切り、足早に執務室へと向かった。

 中に入ると、報せを寄こしたアモンだけでなく、グルーク、ルイタスまでもが集い、主の訪れを待っていた。


「ヴィアを見かけたというのは、本当か!」

「本当です。まずはお座りください」

 落ち着き払って椅子を示すのは、グルークだ。


「ヴィアはどこにいる。元気なのか?」

 主が椅子に座るのを確かめてから、グルークはおもむろに口を開く。

「アントーレ騎士団の騎士がよく利用するミダスの表通りの店で、エベックを待ち伏せられていたようです」

「…………!どこに行った!」

「わかりません。

 エベックに情報を渡された後、また姿を消されました」


 アレクは苛立たしげに髪をかき上げた。

「エベックは何故、引き留めなかったんだ」

「一緒に王宮に戻られるようお願いしたそうですが、妃殿下は了承されませんでした」


 そして言葉を切り、真剣な表情でアレクを見つめる。

「それよりも、私の話を聞いてください!

 陛下のお命に関わる事だ」


「私の命だと?」

 苛々と視線を彷徨わせていたアレクが、ようやくグルークの目を見る。

 

「陛下が馬ごと濁流に呑まれる夢を見たと、妃殿下は報せに参られたのです。

 治水について話していたと言いますから、おそらくビゼ河の視察です。


 このところの雨で、地盤は緩んでいます。おそらく、大きな土砂崩れがあるのでしょう」


 アレクは息を呑んだ。

 大規模な自然災害の話に頭が冷えたらしく、表情が為政者のものへと変わっていく。


「場所はわかるのか」

「人の顔のようにも見える巨大な石と、その隣に三本の大きな木があったと。

 遅いので、今日はもう人を行かせませんでした。

 明日にでも、ビゼの下流に沿って人を歩かせ、場所を特定させましょう」


 グルークの言葉に、アモンが言葉を添える。

「視察は中止です、陛下。

 少なくとも雨が続くこの時期に、認める訳には参りません」


「わかった。

 もし場所が分かれば、下流の住民を避難させろ。立ち入りも認めるな」

「そのように公布致します」

 

 束の間の沈黙が落ち、アモンが改めてアレクに向き直った。主が何よりも知りたがっていたヴィア妃の事を伝えるためだ。


「ミダスからかなり離れた場所に、妃殿下はおられたようです。

 夢をご覧になったのが二週間前。

 ミダスには六日前に着き、アントーレ御用達の店をずっと張っておられたとの事でしたから」


「エベックが会ったんだな」

「はい。

 粗末な……ドレスを纏っておられたようですが、お元気そうだったと。

 陛下の身を案じてこちらに来られたようですが、陛下には会わないとはっきり言われたそうです」


 アレクはテーブルに視線を落とした。

 覚悟はしていても、会わないと言っていたと聞けば、やはり動揺する。


「ご結婚はされていないようですよ。

 ついでに、その予定もないようです」


 さばさばした口調で、そう付け足したのはルイタスだ。

 おい、と言うようにアモンが肘でつつくと、ルイタスは笑った。

「別にそれくらい言っていいだろう。陛下だって、お知りになりたい筈だ」

 

 ルイタスは穏やかに笑って、アレクを見た。

「陛下の事がまだ好きなのだろうとエベックは思ったそうです。

 けれど、会う事はかたくなに拒否された。

 そういう事です」


「そうか」

 アレクは呟くように言った。

 あの頃と今と、立ち位置は全く変わっていない。

 どうする事もできないのに、未だに思いを断ち切れずにいる己の方が愚かなのだ。


「一つ進展があったとすれば、エベックが自分の徽章を渡したそうです」


 何でもない事のようにルイタスは報告したが、アレクはさすがに瞠目した。

 あれは簡単に人に渡していいものではない。

 貴族位を次代に引き継げない者達にとっては、いわば命綱とも言えるものだ。

 

「妃殿下がこの先、本当に困った境遇に置かれたとしても、徽章がある限り命を繋ぐことができます。

 エベックにとっては命の次に大事だともいえるそれを、よく躊躇いもなく渡したものだと思いますよ。

 けれどこれで、陛下はようやく安心できる」


「…そうだな」

 手放す覚悟をつける時が今度こそ来たのかもしれないと、アレクはぼんやりとそう思った。

 ルイタスの言う通り、ヴィアはこれで生きていけるだろう。

 無事を確かめるためだと自分に言い訳して、騎士を動かす必要はもうないのだ。


「もう…、潮時かもしれないな」


 呟くように言葉を落とした主を、グルークは気遣わしげに眺めやった。

 陛下のためにヴィア妃は遠ざけられるべきだと判じたのは自分だった。

 だが本当に、あの判断は正しかったのだろうか。


 グルークは視線を床に落とし、厳しい顔で物思いに耽る。

 アモンとルイタスはそんな二人を困ったように見つめ、どちらからともなく小さな吐息を落とした。



 翌日アレクは、アントーレに命じていたヴィアの捜索を打ち切らせた。

 それはアレクにとって非常な覚悟を伴うものであったが、これ以上ヴィアの人生を台無しにしてはならないという強い思いが、アレクにその決断をさせた。


 ヴィアがまだ自分を想っているらしいというエベックの言葉はアレクを舞い上がらせ、その分、アレクを苦しめもした。

 昼間は何事もないように笑っているが、夜になればヴィアを思い出し、耐え難い孤独と喪失に苛まれる。


 ルイタスは何か言いたそうな目でこちらを見てくる事もあるが、どうしようもないので気付かない振りをした。

 心の虚を抱えて生きていくことには慣れている。

 血に塗れた皇冠を、自分は望んで掴んだ。眩い光の中を歩む者には、深い闇も背負わされて当然だ。


 その間にも断続的に雨は続き、ある日、ビゼの河流で大規模な土石流が発生したと早馬がもたらされた。

 濁流があっという間に押し寄せてきて、十近くあった村落を丸ごと飲み込んでいったという。

 

 ビゼ河周辺では、数十年前にも同じような土石流が発生しており、その時には四百人とも五百人ともつかぬ犠牲者を出していたが、今回は早めに下流の住民を避難させていたため、死者はほとんど出なかった。

 ただ、家屋を失った民の数は数百人以上に及び、難民となった民の生活の立て直しは州だけでは賄いきれず、いきおい国を挙げて支援対策に乗り出す事になった。


 同時進行で治水工事に関しての会議も進められ、余計な事を考える暇もなくなる。


 政務に追われる忙しい日々を送っていたある日、山のように積まれた嘆願書や書類に目を通していたアレクの前に、意を決したようにグルークがやって来た。


「どうした」

 書類から顔を上げたアレクが、訝し気に問う。

「貴方に皇后を迎えます」


 いきなりの爆弾発言に、同じ部屋にいたアモンとルイタスまでが、呆気に取られてグルークを見た。


「急に何事だ。断り切れない縁談でも来たのか」


 そもそも縁談については、うまい理由をつけて断るようルイタスに頼んでいた。

 どういう事だとルイタスに目をやると、瞠目してグルークを見つめていたルイタスが、何かに気付いたように、急ににやりと口角を上げた。


「最近こそこそと動いているかと思っていたけど、うまくいったんだ」

 そうルイタスが問い掛けると、グルークは生真面目な顔で答えた。

「おおよその見通しはついた。ロフマン卿も以前から強行に推している」


「おい、一体何の話だ」

 グルークはゆっくりとアレクに向き直った。

 強い決意が瞳に宿っている。

 

「ヴィア側妃殿下を皇后陛下に推挙します」


 思い掛けない言葉に、アレクは戸惑った。

「ヴィアを皇后に?しかし…」


「今のアンシェーゼは国として充実しています。

 ただ一つ欠けているのが、皇帝に未だにお子が一人もおられない事だ。

 

 陛下には一刻も早く皇后を迎えて、嫡子を作っていただきたい。これは、アンシェーゼにとって何より優先されるべき事項です。

 ヴィア側妃以外後宮に入れたくないとおっしゃるなら、他に選択肢はありません。側妃殿下を皇后にお迎え下さい。


 クリフト、ガリアス、ネックル……。主だった重臣の了解は取り付けました。 

 先ずはヴィア妃に戻っていただき、その上で改めて円卓会議で議決いたします」


「しかし…ヴィアの居所が分からない筈だ」

「妃殿下自ら、帰っていただく必要があります」

 そう言った後、グルークは言葉を探そうとしたが、うまい言い方が見つからなかったらしい。


「餌を撒きます」

「え、餌……?」


 アレクはさすがに絶句した。

 ルイタスもその表現はどうだろうと内心思ったが、面白そうなので黙っていた。妃殿下に似合いそうだと思ったからだ。


「で、どうする気なの?」

「セルティス殿下に病気になって頂く。

 突然の病に倒れられ、危篤になったと国中に噂をばらまけば、あの妃殿下の事、慌てて帰って来られる筈だ」


「一応、セルティス殿下は皇位継承権第一位の方なんだけど、まずくはないかな」

 皇帝陛下を重病に仕立てるよりましだけど、と続けると、私も国を傾ける気はない、と大真面目に返された。


「他に手はない。

 セルティス殿下は、妃殿下にとってたった一人の大切な弟君だ。

 陛下重病説では帰って来られなくても、セルティス殿下なら大丈夫だろう」


 グルークの言葉に、アレクは地味に傷付いた。

 確かに、アレクのために自ら身を引いたヴィアの事だ。自分が本当に死にかけたとしても、迷惑がかかるとか何とか言って、絶対に会いに来てくれそうにない。


「今は下らない事で落ち込まないで下さいね」

 アレクの様子に気付いたルイタスがさりげなく釘を刺し、改めてグルークの方に向き直る。


「臣民が動揺しないようにさえ気をつければ、悪くない案だ。

 妃殿下は、絶対に帰って来られると思う。

 で、どこで待ち伏せる?」


「この前のように、アントーレ騎士団御用達の店に、エベックを待機させる。

 ただおそらく今回は、そんなまだるっこしい事はされない筈だ。

 徽章を使って、何らかの形で我々に連絡を取って来られると思う」


「…ヴィアは本当に帰って来るだろうか」


 ぽつんと言葉を落としたのは、アレクだった。

 希望を持つ事を恐れでもするような弱気な言葉に、ルイタスはため息をついた。

 弱音を吐かれるような方ではないのだが、それだけ傷が深いのだろう。


「これでもし帰って来られなかったら、傷付くのはセルティス殿下でしょうね。

 きっとあなたに輪をかけて落ち込みますよ」


 明るく切り返し、ルイタスは改めてアモンの方を向く。

「という事で、セルティス殿下には早速、紫玉宮で寝込んでいただこうか」


「せっかくの病弱の噂が消えたのに、とぼやかれそうだ」

 言われたアモンの方は、苦笑しながらもどこか楽しそうだ。


 ルイタスもアモンも、周りをぱっと明るくするような妃殿下がもう一度皇帝の傍らに帰って来てくれる事を、心のどこかでずっと待ち望んでいたのだ。

 

 最後にグルークは、厳しい顔で主を仰いだ。

「機会はおそらく一度だけです。

 それだけは心にお留め下さい。

 これを逃したら、二度と妃殿下を連れ戻す事は不可能です」

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