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側妃の弟は、告白する

「ルイタスはどうした」

 アレクの問いに、グルークは書類から目を上げずに答える。


「セクルトの情報を集めに、どこかをふらふらしているんじゃないですか?」

 ルイタスの放浪癖はいつもの事だから、どこで何をしていようが気にするほどの事はない。


「それよりも陛下、国境近くの軍の配備ですが」

 それよりも、と口を挟んだのは、アモンだった。


 ここ最近、ガランティア国境近くに出没する夜盗の被害が、深刻な問題になりつつあった。

 部下の報告を受け、夜盗の出没した日時と場所を記した紙を広げて、アモンが説明しようとした時だった。


 ノックの音がして、よろしいでしょうか、と戸口を守る護衛騎士が声を掛けてきた。


「何事だ」

「陛下、セルティス殿下がお越しになっております」

「セルティスが?」


 アレクはアモンと顔を見合わせた。こんな朝早くから、セルティスが執務室を訪れるのは初めてだ。


「昨日は、ヴィア妃殿下と紫玉宮で過ごされたのではないのですか?」

「その筈だが」

 何か、嫌な予感がした。アレクは琥珀の瞳を眇め、厳しい表情で扉の方を見た。


「通せ」

 アモンが声を掛けると、ややあってセルティスが姿を現す。


「セルティス、どうした」

 セルティスは、まるで一晩泣き明かしたように目元を赤くしていた。

 扉がきっちりと閉められているのを確認して、セルティスはゆっくりと口を開く。


「姉上が、王宮を出ていかれました」

 自分の顔色が変わるのが、アレクにはわかった。


「いつだ」

「昨日の昼過ぎです。

 夜に紫玉宮に戻りましたら、姉からの書き置きが残されていました」


「昨日の昼過ぎ……?」

 アレクは息を呑んだ。

「何故、昨夜のうちに言わない!すぐに騎士を……!」


 戸口へ向かおうとするアレクの背中に、セルティスが悲鳴のような声を上げた。


「姉を自由にしてやってください!」


 駆け出しかけていたアレクの足が止まる。セルティスの両目から涙が溢れ出た。


「お願いします、兄上。

 姉上は多分、じっと機会を窺っていた。

 警備の厳しい水晶宮からは抜け出せないから、私が紫玉宮に泊まる日を待っていて、それが昨日だった…」


 アレクは感情を抑えるように肩で息をつき、苛烈な眼差しでセルティスを見据えた。


「何故、ヴィアを行かせた!何故、引き留めようとしない!」

 セルティスは拳で涙を拭った。


「私は姉に、大きな借りがあったからです」

「借り、だと?」


 二度、三度、躊躇うように唇を震わせ、ひどくつらそうにセルティスは言葉を絞り出した。


「姉の父を殺したのは、私の……私達の父上です」 

「……!」


 アモンやグルークも思わず息を呑んだ。馬鹿な、とアレクが小さく呟く。


「母に横恋慕した皇帝は、近衛に命じて、母と姉の目の前で姉の父を殺したのです。

 幼い姉まで手に掛けようとしたので、母は姉の命と引き換えに、皇帝の愛妾となりました」


 語られる壮絶な過去に、アレク達はもはや言葉も出ない。

 セルティスはしゃくりあげながら、それでも気丈に話を続けた。


「母がそれを私に話してくれたのは、この事が別の人間から私の耳に入る事を恐れたからです。


 母はよく、自分と姉が生きているのは、私のおかげだと言ってくれました。


 当時三つだった姉は、父親を目の前で殺された衝撃から、しゃべる事も笑う事も出来なくなっていたそうです。

 それを見ていた母は、この子を殺して自分も死のうかと毎日毎日思い詰めていて、そんな時に私を身ごもっている事に気付いたのだと。


 母はお腹の子供のために生きてみようかと思うようになり、それから姉も……赤子の私を見て笑ってくれるようになったと母が言っていました」


 明るく楽天的な二人だったが、痛みを知らないから笑っているのではない事を、セルティスは幼い頃から知っていた。


 恨んではダメよ、と母は繰り返し姉に言い聞かせていた。

 人を恨んでいたら幸せになれない。恨むよりも幸せになりなさいと。


「私は二人にとってかたきの息子ではあったけれど、二人は本当に心から私を愛してくれました。


 母はずっと姉に、市井に下りて普通の結婚をするようにと言っていたけれど、亡くなる間際に、私を守ってやるよう姉に言い残して、だから姉は王宮に残ってくれたのです」


 守られるばかりで、自分は姉に何もしてあげることができなかった。

 殺されそうになった時に身を挺して庇ってくれたのも姉だし、そのせいで姉は命まで落としかけた。


「兄上」

 セルティスは泣き腫らした目を真っ直ぐにアレクに向けた。


 姉がこの兄の正妃になれたらどんなにいいだろうと、本当はずっと思っていた。

 だが、それは不可能なのだ。

 兄はいずれ、もっと政治的に価値のある、後ろ盾のしっかりした血筋の良い姫を皇后に迎え入れるようになるだろう。


「母はいつも、幸せな結婚をするように姉に言い聞かせていた。 

 側妃が皇后からどんな扱いを受けるか、私はずっと見て育ってきたのです。

 私は姉上に、母のように悲しい思いをして欲しくない…」


 その先は言葉にならず、セルティスはただ泣くばかりだった。


 アモンがセルティスの肩を抱き、黙って自分の体に引き寄せる。

 セルティスがアントーレ所属である以上、アモンにはセルティスを庇護する義務も理由もあった。


「とにかくセルティス殿下を別室で休ませます。よろしいですね」

 確認だけで返事を待たず、アモンはセルティスの肩を押すように部屋から退出していった。


 アレクは一歩も動けなかった。傷付いている弟に、言葉をかけてやる余裕もない。

 アレク自身が打ちのめされて、立っているのがやっとだった。


 書類を手に、呆けたようにその場に突っ立っていたグルークが、ようやく自分の立ち位置を思い出したように書類をテーブルの上に置いた。


「この部屋は、午前中、騎士の立ち入りを禁じておきます。

 それまでに気持ちを落ち着けておいて下さい」


 アレクは何も答えず、震える拳をダンっとテーブルに叩きつけた。

 髪が乱れ、俯いたアレクの表情を隠す。


「お昼にお迎えに上がります」


 グルークは事務的な声を掛け、部屋を出て行った。

 扉を閉める前、何か言葉を掛けようかと口を開いたが、結局かける言葉は見つからなかった。

 打ちのめされ、やり場のない怒りを持て余している主に、どう言葉を掛ければいいというのだろう。


 部屋の中から、怒号が聞こえた。壁にグラスを叩きつける音も。


 グルークは足を止め、しばらくその場に留まっていたが、やがて重い足取りでその場を去って行った。




 昼過ぎからは何事もなかったように執務に戻り、ガランティアの件についても重臣と意見を交わした。


 夜には再びセクルトの公子らと会食を楽しんだ。実際には何を話していたのか、よく覚えていない。

 ただ、下らない話だったとアレクは心に呟いた。


 今日は無事に一日を乗り切れた。明日も大丈夫だろう。

 こうして一日一日を積み上げていけば、いつかこの胸の痛みも少しは薄らいでいくのかもしれない。


 私室で一人杯を傾けていると、ノックの音がした。


「何事だ」と声を掛けると、

「陛下、入りますよ」

 と、聞きなれた側近の気の抜けるような返事が返ってきた。


「何をしに来た」

 酒を二本と自分の杯を手に入って来たルイタスに、アレクは胡乱な目を向ける。

「一人で飲む酒は、面白くないでしょう」


 どうやら朝の一件は、全て聞いたらしい。アモンは寡黙な男だし、グルークは頭が切れるくせに、気の利いた言葉は一切言えない。


「私の相手を押し付けられたか」

 そういうと、ルイタスは笑い出した。


「何がおかしい」

「いえ、思ってたよりあなたが元気だと思って」


 空になったアレクの杯に新しい酒を注ぎ入れ、自分の杯にも同じように注ぐと、ルイタスはアレクに向かって軽く杯を持ち上げ、勝手に飲み始めた。


「自分は妃殿下の仇の息子だったのかぁって、穴を掘って落ち込んでいるかと思ったんですよ」


 いつも通り軽い口調だが、ルイタスは心底心配していたのだろう。それが分かるから、アレクも仕方なく笑う。


「前にヴィアに言われたことがあるんだ。

 私の親がヴィアの家族を殺したとしても、決して私を恨む事はないと」


「何ですか、それ」

 さすがにルイタスはびっくりしたようだった。

「家族を殺したとしてもって、そんな重い話、いつしたんです?」


 普通の会話じゃないでしょうに、と呆れたようにルイタスが言うから、アレクは肩を竦めた。


「ヴィアが皇后に殺されかけた時だ。

 ヴィアに恨まれても仕方がないと言ったら、何だかひどくまじめな顔をしてそんな風に言われた。

 あの言葉で救われた気がしたから、よく覚えているんだ」


「家族を殺したとしても、ですか」

 ルイタスはゆっくりと言葉を反芻する。そして大きくため息をついた。


「実はロフマン卿が、私に言ってきた事があるんですよ。ヴィア妃の父親を殺したのは、パレシス陛下ではないかと。


 ヴィア妃が三つの時、目の前で近衛に人を殺され、自分も殺されそうになったから、母親が皇帝の愛妾になったという話を、以前聞いていたらしくて……、そして思ったそうです。


 あれほどツィティー妃に執着していた皇帝が、その夫を殺さずにいられるものだろうかと。


 むしろ夫を殺され、娘までも殺されそうになったから、ツィティー妃が後宮に入ったと考える方が自然なのではないかと、ロフマン卿は私に言いました。


 私はあり得ないと言ったんですよ。 

 ヴィア妃は心からセルティス皇子を可愛がっていた。

 もしパレシス皇帝が父親を殺したと知っていたら、その男の息子であるセルティス皇子を愛せる筈がないと思いました」


 けれど、とルイタスは言葉を続ける。


「全て承知のうえで、家族として暮らしておいでだったのですね。

 貴方の事も、全てを知った上で守ろうとなされていた。


 本当に妃殿下らしい。

 陛下が真実を知った時傷付かないよう、ちゃんと言葉を残しておられた」


 愛されていますよね、と言うルイタスに、アレクは平坦な声で聴いてきた。


「どうしてそうだと分かる」

 アレクは杯の酒を一気に煽った。


 アレクが酒浸りになりそうなので、ルイタスは今日、なるべく度数の少ない酒を選んできた。

 この酒なら主には堪えないだろうと踏んでいたが、ここまで気持ちが乱れていると、悪酔いしてしまうかもしれない。


「分かりますよ。姿を消したのだって、結局陛下のためだ」


「何故、そう言いきれるんだ。今の私は、お前ほど自信家にはなれない」

 アレクは自嘲するように、唇を歪めた。


「エベックに話を聞きに行ったんですよ。あいつはずっと、妃殿下の警護をしていたから、何か聞いているんじゃないかと思って」


「……あいつは何か言っていたか」


「ロフマンの城塞で、妃殿下が言われたらしいんですよ。

 陛下が自分を側妃に迎え入れたのは政治的な理由があったからだと。


 どうしてそんな事を言われるのかと聞いたら、殿下が正妃を迎えられて、側妃である自分に不快や不安を覚えられたら、そう教えて差し上げたらいいって。 


 貴方の立場を安定させるために、後ろ盾のしっかりした正妃を迎える事が必要だから、そのためには災いとなる側妃は排除されてしかるべきだと」


 妃殿下が出ていかれたと知って、エベックは衝撃を受けていた。

 ある程度知らされていたようだが、受け入れられるものではなかったのだろう。


 話を聞くだけ聞いたルイタスが立ち去ろうとすると、エベックは一つだけ教えて下さい、とルイタスを引き留めた。


 自分が妃殿下の護衛騎士に選ばれたことをずっと不思議に思っていました。

 もしかして、何か夢をご覧になっていたのですか、と。


 だからルイタスも、誰にも言うなよ、と釘を刺して教えてやった。

 そしてこれきり、ヴィア妃の事は忘れるようにエベックに言った。


「妃殿下は……、こうするしかなかったんですよ。

 貴方が皇后を迎え入れたとしても、ヴィア妃が貴方の傍にいる限り皇后は冷遇される。


 女性は男の眼差しや言葉一つで、誰を愛しているか敏感に感付いてしまうものですし、そうなったらヴィア妃は憎まれるだけだ。

 そして国も乱れていく」


「分かっている」

 アレクは感情の抜けた声でそう答えた。


 早く自由にしてやることがヴィアの幸せだと分かっていた。けれど、自分にはできなかったのだ。


「随分前、まだ皇太后が存命の頃、陛下は夜に水晶宮を訪ねた事がありませんでしたか?」


 ルイタスに問われて、アレクはよく知っているなと乾いた声で言った。

「確かに行った。皇太后からヴィアを遠ざけるように言われ、思わず会いに行っていた」


「皇太后に?それで話をされに行ったわけですか」


「それがどうかしたか?」

 アレクは吐息だけで嗤った。

「今更あの日の事を持ち出しても仕方あるまい」


「いえ。ようやく合点がいったと思って」

 ルイタスは空になったアレクの杯に、なみなみと酒を注いだ。


「ヴィア妃と仲の良かった侍女頭を訪ねてみたんですよ。何か、知っていないかと思って。


 そうしたら、あの日陛下が帰られてから、妃殿下が泣きじゃくっておられたと侍女頭が訴えて来たんです。

 子供のようにしゃくりあげ、泣き続けて、最後には泣き疲れて眠ってしまわれたと。


 あの日陛下が、何か妃殿下を追いつめられるような事を言われたのではないかと問い詰められたのですが…。


 そうですか。そういう話が出ていたのなら、仕方がありませんね」


 アレクは、杯に視線を落とした。飲み慣れた筈の酒が苦かった。


「違う」

 アレクは呟いた。


「ヴィアを遠ざけるとは私は言っていない」

 私から離れるのかと、自分は恨みがましくヴィアに聞いただけだ。


「ヴィアは私を忘れて幸せになると言った。だから私は、忘れないと言った。

 お前にはできても、私には無理だ。お前を諦める事はできないとヴィアに言った」


 酔えないな……とアレクは思った。部屋に戻ってからずっと飲み続けているのに、全く効かない。


「それだけだ。

 ヴィアは私の言葉に返事もくれなかったんだ」


 辛い言葉は全部ヴィアに言わせた。

 出ていく事を許してやれば、きちんと生活に困らぬだけのものを用意して、ヴィアはきちんと別れを告げて出て行っただろう。


「行かせてやれば良かった」

 後悔で胸が引き千切られる。アレクは拳を握りしめた。


「私が許さなかったから、逃げるように出て行かせるようになったんだ。

 たった一人の弟と、別れを惜しませることもできなかった。私が手を放してやれば!」


 アレクは両手で顔を覆った。覆った指の間から、涙が零れ落ちる。


「陛下、もういい!」

「取り返しがつかない。ルイタス、私はどうすればいい」


 震える言葉が、薄闇の中に落ちる。


 ちゃんと暮らしに困らぬだけのお金は持って行けただろうか。今日泊まる所はあるのか。女一人の旅で、心細い思いはしていないだろうか。


 抑えようとしても、咽び声を止めることができなかった。

 残ったのはやりきれない後悔だけだ。

 幸せにできないと分かっていて、手放す事もできずに囲い込もうとした。挙句に一人で出て行かせた。

 愛していた女に、何一つしてやれなかった。


 ルイタスが肩を抱いて、何か必死に言っていたが、アレクの耳には入らなかった。

 ただ、煽るように杯を重ね、罵声をまき散らして、自分を罵った。


「今日だけだ。許せ」

 酔い潰れて意識を落とす寸前、体を抱きとめて来たルイタスにそう謝った。


 抱え上げるように主の体を寝台に寝かせたルイタスは、ようやく眠りに落ちた主の顔を見下ろし、「いいんですよ」と一言呟いた。

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― 新着の感想 ―
[一言] ヴィアの想い、アレクの想い、愛するが故に… 苦しいです。涙が止まりません。
[良い点] このときの、アレクの悔しさ、愛の深さに涙しました。そして、この作品にはまり、この作品の世界をもっと味わっていたくて、ライトノベルも買いました。こちらのサイトの小説も何度も読んでいたため、こ…
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