束の間の平穏
その後、アレク殿下からの伝令が来て、ヴィアはロフマン騎士団の城塞に移る事となった。
ロフマンの城塞では、皇族を迎え入れるための準備が慌ただしく行われ、昼過ぎ、護衛のエベックと侍女数人を連れたヴィア側妃が、護衛の騎士らに周囲を守られて到着した。
時を同じくして、皇帝宮に詰めていたセクトゥール側妃が、幼いマイラを抱いて、ロフマンの城塞に移ってきた。
めまぐるしく状況が動いていく中、警備の薄い碧玉宮に戻すわけにもいかず、持て余していた中で、ヴィアからの伝言を聞いたアレクが決断したらしい。
セルティスはそのままアントーレに留め置かれた。
アレクの身に何かあった時、セゾン卿が有するロマリス皇子しか皇統が残されないという状態では、アントーレやロフマンは、戦うべき大義を失ってしまう。
皇帝の血を引くセルティスは、無傷のまま残しておかなければならなかった。
レイアトーとの戦に備え、宮廷全体が極限の緊張状態にあった。
城門は閉ざされ、セゾン卿やレイアトーの騎士が城外へ出ぬよう、皇后の命を受けたミダス騎士団が警戒に当たる。
外からの侵入を防ぐ筈の城門が、今や内側からの逃亡を阻止する檻となっていた。
倉院には、依然十数名の騎士が立て籠もっているが、アレクは早々に踏み込む事を諦め、持久戦へと切り替えた。
井戸水だけは汲み上げることができた筈だが、食料は自分達が持参してきた戦時用の携帯食だけだ。
外からの補給を断てばいずれ餓える事は確実で、投降するのを待つか、最悪の場合、動けなくなった頃を見計らって建物を壊すかだ。
そんな中、セゾンはロマリス皇子とマイアール妃を連れてレイアトーの城塞に籠り、しぶとく反撃の機会を窺っていた。
ロフマンとアントーレに周囲を包囲されていると言っても、レイアトーは元々、戦を想定した城塞だ。
独自の抜け道を持っているため、ある程度の情報も仕入れる事ができ、実際、近しかった貴族らとも連絡を取り合っている様子だった。
時々思い出したように小競り合いが繰り広げられる事もあるが、いずれも突破できず、倉院への補給もままならない。
それでもこの奇妙な膠着状態は、図らずも、束の間の平穏を王宮に与えていた。
異様な雰囲気の中、皇帝代理である皇后の名の下にアレクは執政を始め、国としての態をなし始める。
皇帝空位とはいえ、政治がきちんと動いているせいか、付け入る隙を狙っている列国がちょっかいを出してくる気配もない。
「アレク殿下が、何か手を打ったようですな」
そう教えてくれたのは、ロフマン卿だ。
ヴィアは朝食だけは一人でとり、昼食と夕食は、セクトゥール側妃殿下と義妹マイラ皇女との三人でとるようになっていた。
他に何もする事のないヴィアは、午後のお茶の時間には、エベックやロフマン騎士団の幹部らを必ず自室に招く。お茶会と称した情報交換だ。
最初は、ロフマン騎士団の中で一人居心地悪そうにしていたエベックも、今やすっかりお茶会の常連さんだ。
ロフマン騎士団にもすっかり溶け込み、時折、ロフマンの訓練場にふらりと現れては、鍛錬もしている様子だった。
「何か手を打ったとは?」
「ガランティアの港の使用を巡ってシーズ国とかの国の間で、揉め事が起こっているようです。双方の大使が、落としどころをつけるために奔走しているという噂を耳にしました」
「それに殿下が関わられていると思われますの?」
「ええ。タイミングが良すぎますから」
ロフマン卿は紅茶を一口含み、卓子に戻した。
「おそらく、何らかの意図が働いたのでしょう」
「そういえば、セクルト連邦も、今は足並みを乱していますね」
エベックがそう続け、ヴィアはセクルト……と口の中で呟いた。
「確か十二ある公国の集合体だったわね。連邦全体を治める王を置かぬ代わりに、筆頭大公を定めているのではなかった?」
ヴィアの代わりに応えたのはロフマン卿だった。
「その通りです。その筆頭大公は高齢になっているのですが、誰がたきつけたか、次期筆頭の座を狙って他の大公たちが騒ぎ始めたようなのです」
「セクルトはこのまましばらくごたつきそうな気配がしますな。アンシェーゼにちょっかいを出すどころではないでしょう」
副官のアルネルもそう言葉を足し、ヴィアは小さく頷いた。
「では、残るのは西の国々かしら。確か西の三国は好戦的な国だと聞いていますが」
「その西側ですが、アンシェーゼは、演習と称して国境近くの兵を増員しています。国として機能している事を諸外国に見せつけていますから、迂闊には手を出してこないと思いますよ」
「それを聞いて、ほっとしました」
「そういえば妃殿下は、ミダスの情報を集めておいでだとか」
いつもは厳めしい瞳を細めて、アルネルがそう、口を挟んだ。
「厨房の配膳係と気軽に喋っている騎士がいないかと聞かれて、フィンが目を白黒させておりましたぞ」
「城門の警備が厳しくなったとは言っても、毎日王宮には大量の野菜や肉が運び込まれておりますもの。
厨房の者は、外から荷を運んでくる者達と必ずおしゃべりをしますから、そういうところに働く者は、意外と情報を持っているのですわ」
ヴィアも紫玉宮に住んでいた頃、そんなやり方で、セイナやルーナから情報を集めてもらっていたから慣れたものだ。
「おっしゃる通りですな」
ヴィアの返事に、ロフマン卿は苦笑いするしかない。
騎士団には、一番年少で十二歳からの騎士見習いがいるが、まだ声変わりもしていないような子供達の中には、慣れない集団生活で体調を崩し、だんだんと元気を失っていく者もいる。
厨房を切り盛りする女たちは、そうした子供達を見ると、好物を少し多めによそってやったり、何かと声を掛けてやったりして、少年達を母親のように見守ってやっていた。
多くの少年は長じるにつれ、気恥ずかしさから疎遠となっていくものだが、中にはそのまま厨房の女達と親密に言葉を交わす間柄になっていく騎士もいる。
ヴィアはそういう騎士を紹介してもらい、厨房の女達から色々な噂を拾ってきてもらっているのだ。
「城門付近に、少なからぬ数の王宮警備兵が監視するようになって最初は怖がっていた民達も、今はすっかりその光景に慣れたようですわ。
城門の行き来の際の手続きが複雑になった事には不満を零していましたが、ミダスで戦を繰り広げられるよりは余程いいと、民達も納得している様子です」
膠着状態となって三週間余り、ヴィアも城塞での生活にすっかり自分が慣れてきたことを感じる。
出歩く事を許されていないため、多少の閉塞感は覚えるが、その代わり、ロフマンの幹部や騎士達とも随分と顔なじみになった。
何より、今まで全く面識のなかったセクトゥール妃やマイラ皇女と交流を持てるようになったのは、ヴィアにとって何より大きな収穫だったと言えるだろう。
セクトゥール妃はそこそこ名のある貴族の出であったため、皇帝の子を身ごもった時点で側妃に召し上げられた経緯を持つ。
ただ、貴族の娘と言っても、父親は既に他界しており、後見となれる親族もいなかったため、宮廷ではほとんど忘れ去られた存在だった。
皇帝の訪れは、子を身ごもった後にぴたりと途絶え、皇后の顔色を窺う廷臣らは、セクトゥール妃になるべく関わらぬよう、距離を置いたと聞いている。
このままひっそりと碧玉宮で一生を終えると思われていたセクトゥールだが、皇帝の死去と共に、環境は大きく変化した。
安全のために、しばらくロフマンの城塞で過ごすようにと言われ、しかも共に暮らすようになったのが、第一皇子の側妃殿下だ。
かつて皇帝の愛を一身に受けていた寵妃の娘であり、第二皇子の実姉で、かつ、第一皇子の側妃であるというヴィアに対し、セクトゥールは最初、どのように接すればいいかわからない様子だった。
初めの頃こそ、おどおどとヴィアの顔色を窺っていたセクトゥールだが、毎日顔を合わせて食事を共にし始めてからはだんだんと打ち解けていき、そうなってみると、セクトゥールが心根も優しく、ひどく好ましい人柄だと、ヴィアにもわかってきた。
幼いマイラもすっかりヴィアに懐き、食事時になると、ヴィアの姿を見つけて駆け寄ってくる。
マイラ皇女は、自分に兄弟がいるという事も、知らされずに育っていた。
貴族社会から忘れ去られたまま日々を過ごしていたセクトゥールは、そうやって娘を守ろうとしていたのだろう。
「わたくしは、貴方の姉よ。これからはわたくしをお姉さまとお呼びなさいね」
目線を合わせて優しく言ってやると、マイラは嬉しそうに抱きついてきた。
生まれて初めて姉ができたことが、よほど嬉しかったらしい。
ヴィアはマイラを膝に抱き、セルティスやアレク殿下の事を話してやった。
セルティスはヴィアの自慢のたった一人の可愛い弟だし、アレク殿下については猶更、その容姿や人となりを誰かに話して聞かせるのは、ヴィアにとって心浮き立つものだった。
因みに、それを一言で表すなら、惚気である。
脇で聞いていたエベックは、ここまで褒め称えられたら、お二人はきっと鳥肌を立てて勘弁してくれと言いたくなるに違いないと秘かに思った。
マイラは、自分に素敵な兄が二人もいると聞かされて舞い上がり、毎日二人の話を聞きたがった。
そんな無邪気な妹の姿を見て、ヴィアはいつかこの子を、アレク殿下達に会わせようと心に決めた。
マイラはまだ幼いからこの境遇が辛いとも感じないようだが、このままでは確実に流れから取り残される。
皇后の手前、表立って庇ってやれなくても、兄である二人がマイラの事を少しでも気遣ってやれるなら、マイラの将来はこの先どんなにか明るいだろう。




