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寵妃の連れ子の言い分

 青天の霹靂とは、おそらくこういう時に使う言葉なんだろうな。

 一番初めにアレクが思いついたのは、そんなくだらないことだった。人間、あまり驚きすぎると、つい、現実逃避をしてしまうらしい。

「あなたが私の愛妾に?」

「ええ」

「皇帝陛下が目をつけられている女を私の愛妾にしろと?」

「ま、そういうことですわね」

 ヴィアはあっさりと肩を竦めた。 

「それとも殿下は、わたくしが陛下の愛妾となり、更にセゾン卿と密約を交わして、必ずマイアール妃のお子を次代の皇帝に推すと約束した方が良いとお考えですか?」


 アレクは押し黙った。さすがにそんな事をされたら堪らない。

「その方が、皇女殿下にはより有利かもしれません」 

 そう口を挟んだのは、側近のグルークだった。

「殿下の愛妾となれば、皇女殿下は陛下とセゾン卿の二人を、確実に敵に回すことになります。

 どちらが安全かと言えば、現皇帝の庇護を受けられた方がまだましなのではありませんか?」

「おい」

 お前は一体どちらの味方なんだと、アレクは恨みがましくグルークを見る。

 そんなアレクをちらりと横目で見て、グルークはもう一度ヴィアに目を向けた。

「セルティス殿下の庇護を心から望まれるのであれば、あなたは殿下ではなく、皇帝陛下の手を取るべきです。

 マイアール妃には興が削がれたと陛下がおっしゃったのなら尚の事、あなたが陛下の寵を得て、マイアール妃とその実家のセゾン家を追い落とす手もある。

 その方がよほど確実でしょう。なのに何故、あなたは殿下の所へ来られたのです?」


 ヴィアは唇を引き結んだ。

 グルーク・モルガンは、本音を言えとヴィアに言っているのだ。ヴィアの行動は余りに不自然で、何か姦計を腹に秘めて、第一皇子の元を訪れたと疑われている。


 どう答えるのが正しいのだろう。

 ヴィアは狼狽え、視線を彷徨わせた。

 第一皇子を騙し、陥れる気などヴィアには毛頭ない。

 ヴィアには、皇帝の手を取るわけにはいかない理由があった。それは皇帝を憎んでいるからでも、心底嫌悪しているからでもない。

 どんなに苦しくても、どんなに口惜しくても、もしそれが、たった一人の弟を救うためのただ一つの道であるのなら、ヴィアは迷わず皇帝の元に行っていた。

 だが、皇帝ではだめなのだ。皇帝の手を取れば、セルティスはおそらく殺される。


「信じがたい話かもしれませんが」

 唇を開きかけては閉じ、何度となく躊躇った後、ようやくヴィアは口を開いた。

 彼らには信じてもらえないかもしれない。

 けれど、手持ちの札はもうこれしかなかった。第一皇子の庇護を得られなければ、セルティスに未来はない。出し惜しんでいるような余裕はないのだ。


「わたくし、時折、夢を見ますの。わたくしの母は、テルマの巫女の血を引いていたと聞きますから、多分血によるものでしょう。

 訪れる夢は、回避できる可能性のある未来です。たいていは役に立たない夢ばかりですが、ほんのたまに、見て良かったと思える夢が混じります」

 ヴィアは言葉を切り、震えそうになる手を両手で握りしめた。

 今朝方、目覚めた時の、臓腑のよじれるような恐怖が喉元に迫り上がってくる。王が動き、夢が訪れた。

 そして、ほどなく知らされたのが、マイアール妃の懐妊だ。


「陛下がわたくしを訪れた昨日の晩、わたくしはセルティスが殺される夢を見ました。セルティスを手に掛けたのは、濃紺のジャケットに星二褒章を胸元につけた若い貴族です。襟からアイボリーのレースが覗き、碧玉の襟止めをつけていました。

 これほど細部を覚えている夢は、起こりうる未来の予兆に他ありません」


 ヴィアは爪が食い込むほどに両手を握りしめ、アレクを仰ぎ見た。

「このまま皇帝の愛妾となれば、セルティスに未来はないでしょう。

 わたくしは、どうしてもセルティスを助けたい……。

 そして、今、陛下の手を退けることができるのは、第一皇子である殿下だけです」


 アレクは溜息をついた。あまりに荒唐無稽な話だった。


 だが、この皇女はおそらく嘘をついていない、とアレクは思った。

 こういう時の直感は、絶対に外れる事がない。

 けれど、提案を鵜呑みにする事にも躊躇いがあった。後がないのはこちらも一緒なのだ。

 判断を一つ間違えれば、自分だけでなく、自分に繋がる全ての者が、命を落とすことになるだろう。


「他にどんな夢を見た。それに夢が成就するとすれば、いつ頃の話だ」

「殿下、皇女殿下のおっしゃることを信じられるのですか?」

 我慢できなくなったようにアモンが口を挟む。


「いいから、答えろ。どんなくだらない事でもいい」

 

 ヴィアは記憶を辿るように瞳を伏せた。

 緊張しているせいか、思うように頭が働かない。

 とにかく思いつくままを、ヴィアは必死で口にした。


「つい、二、三週間前に見たのが、厨房でジャガイモ袋が裂けて、ジャガイモが転がっていく夢でした。確か、リボンをつけた黒髪のメイドが、ジャガイモを踏んで転んでいましたわ。方々にジャガイモが転がって、大騒ぎになっていて……。


 その前に見た夢は……、湖で釣りをしていた男の帽子が、風で飛ばされるものでした。大層派手な羽根飾りがついていて、飛ばされた男の頭部が、あの……禿げていました」

「どうでもいい夢ですね」

 脱力したようにルイタスが呟いた。


 ヴィアは焦った。もっと、何かもっと、深刻な夢を自分は見た筈だ。

「確か、馬上で槍を……、そうです、騎士達が馬上で稽古をしていたのです。

 槍を持った騎士が突き合いをしていた時、馬が急にいなないて、それで、バランスを崩した騎士の左目に槍が突き刺さりました。金髪の若い騎士でした。

 槍を構える時、一度肘を上げる癖があって……、そう、注意されていましたもの。

 胸には紋章が…、確かあれはアントーレ騎士団のものではないかと」


 アモンは壁から体を離した。わずかな逡巡の後、アモンは尋ねた。

「皇女殿下の話を信じるなら……、夢はいつもどのくらいで成就しますか?」

 騎士団の仲間は、アモンにとって家族同然だ。

「せいぜい、三、四か月ですわ。その期間を過ぎれば成就することはありません」


「他には?」


「騎士の夢を見る前、青い服を着た男の子が、木から落ちて足を折る夢を見ました。

 ロランと呼ばれていました。多分、名家の子息です。


 駆け付けた母親が、タフタをたっぷりととった緋色のドレス姿で、胸には見事な碧玉のネックレスをされていました」


 アモンらは押し黙り、主の判断を仰ぐようにアレクを仰ぎ見た。

「これだけで、お前の夢を信じろというのか?」

「嘘は申しておりません」

 アレクはそれには何も答えず、考え込むように顎に指を這わした。


 これだけでは、どう判断のしようもない。

 アレクは小さくため息をつき、ふと思いついてヴィアに尋ねかけてみた。

「私がお前の提案を受け入れたとして、お前は本当にそれでいいのか?

 思惑はともかくとして、一生を私の愛妾として過ごして後悔はないか」


 改めて尋ねられて、この契約を持ちかけるにあたってどうしても言っておきたかったことを、ヴィアはようやく思い出した。

「そのことですけれども」

 ヴィアにとっては、とても重要な事だ。

「殿下の立場が安定して、セルティスの安全も保障されましたら、是非ともわたくしを捨てていただきたいのです」

「はあ?」

 アレクは思わず間抜けな声を出した。

「飽きていとまを取らすのでも、病死と言う形に持っていってもらってもよろしいのですが。

 つまりですね、わたくし、愛妾期間を無事勤めましたら、第二の人生を歩みたいのです」


「そ、そうか…」

 この皇女は、何もかもアレクの常識の斜めを突き進んでいく女だった。

「わたくし、母からくれぐれも、と言われていたことがございますの。

 たとえお相手が、頭が薄くて、お年寄りで、太っていらっしゃる方でも、きちんと妻として下さる方と一生を過ごしなさいと」


 ハゲで年寄りでデブ?

 今度こそ、アレクの目が点になった。

 一体、この皇女が何を言いたいのか、理解できない。


「……申し訳ありません。

 えっと、ツィティー妃が本当にそのような事を?」

 引き攣った笑みでルイタスが問い掛けるのへ、

「わたくしも、人生の目標が人妻ですの」

 何だか高らかに宣言されてしまった。


「愛人と言うのは、不安定な立場ですものね。

 あと十年、殿下の元で過ごしても、わたくしは二十六。幸せな事に、母に似た容姿を受け継ぎましたもの。

 贅沢を望まなければ、わたくしを迎えて下さる方はいくらでもいると思いますの」

 容姿だけを言うならそうだろうが、とアレクはつい考え、その後すぐにその考えを否定する。


「待て、私の愛妾をやっていた女を、妻に迎えるような奇特な貴族はいないと思うぞ」

「ご心配なく。わたくし、市井に降りるつもりですの。王宮は煩わしい事が多すぎるので。

 そうするよう、ずっと母から言われておりました。

 うっかり貴族に見初められてはいけないので、決して公の場に姿を見せませんでしたし」

「うっかり?」

「不用意に、と言った方がよろしかったですか?」

 いや、問題にすべきはそこではない。

 アレクは咳払いした。

「王宮で育った者が、いきなり市井で暮らせるはずがないだろう?」


「わたくし、度々この紫玉宮を抜け出して、市井に下りておりましたの。

 毎日、寝込んでいるという設定でしたので、いくらでも目はごまかせましたし」


 ああ、例の病弱設定ね……。

 四人は遠い目をした。これだけ元気によく喋る女だ。

 下町を元気に闊歩していたとしても、今は何の違和感も覚えなかった。


「料理もできるようになりましたし、掃除や洗濯も何とか覚えました。

 実際、庶民の暮らしの方が、わたくしにはよほど向いていると思いますのよ」


 アレクはもう、何だかどうでもよくなってきた。

 なのでその事には触れず、別の事を聞いてみた。

「………十年たったら、私のもとを去っていると言っていたな。

 子供ができたらどうするつもりなんだ。捨てて行くつもりか?」


 ヴィアは首を振った。

「子供はできませんわ」

「それは、私に協力しろと言うことか」

「いいえ。子のできぬ薬を飲みますから、ご心配なく」

 医術にも詳しいグルークが、それを聞いて即座に否定した。

「そんなものが、都合よくあるわけがない」

「あら、ございますのよ」

 ヴィアははんなりと否定した。


「セルティスがお腹にできた時は、突然のことで母も用意できなかったそうですけれど。

 だってまさか、大国の皇帝から見初められるとは思っておりませんでしたでしょう?


 でも、セルティスが生まれた後は、これ以上面倒なことになっては困るので、伝手を辿って、テルマの女から薬を手に入れたそうですわ。

 ですから二度と、母は身ごもりませんでしたし」

「あれは、セルティス殿下をもうけられた後、体を壊されたせいだと聞いているが」

「そう、陛下には申し上げたでしょうね。本当のことを申し上げる訳には参りませんから」


 ヴィアは柔らかな視線をアレクに向けた。

「皇帝の子をこれ以上身ごもると、政治が動いてしまうと母は本当に怖がっていましたの。


 殿下……。 母は、ずっと穏やかな市井での暮らしを望んでいました。

 セルティスのために、紫玉宮で一生を終える覚悟はしておりましたが、踊り子をしていた頃の自由な生活を死ぬまで懐かしんでおりましたわ」


「お前も市井での生活を望むんだな」

「ええ」

 ヴィアは微笑みながら、頷いた。

「このまま鳥籠に捕らわれたまま、一生を終えたくありません」


 この上なく贅沢な鳥籠だがな、とアレクは心の中で呟いた。

 いずれは皇帝となり、この広大なアンシェーゼを治めていくことが、第一皇子としての義務だとアレクは信じて疑うことがなかった。

 母を含めた親族や、自分を慕う臣下、友と頼むこの三人も、いずれアレクが帝位を継ぐことを、一心に願い続けている。


 次期皇帝か、死か。


 その二択しか残されてない自分と違い、この皇女の何と自由に伸びやかな事か。


 こんな女が傍にいたら、退屈はしないだろうとアレクは思った。

 自分が知らぬ価値観で、自分の知らぬ世界を知っている女。


「わかった。考えてみよう」

 今のアレクに言えるのはこの言葉だけだった。

 ヴィアもそのことはわかっていたが、それだけでは引き下がれなかった。


「殿下」

 そういうか迷うように瞳を伏せ、それから一言呟くように言葉を落とした。

「あまり待てませんわ」

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