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第一皇子は、追いつめられる

「殿下の立場を盤石なものとするために、皇后陛下が正妃様を探しておいでです」


 それを教えてくれたのは、ルイタスだった。

 卓子の上の杯を持ち上げようとしていたアレクは、一瞬、息を呑んだ。


「お相手は?」

 代わりに尋ねたのは、アモンだった。黙って杯に目を落とす皇子に心配そうな一瞥を向け、厳しい顔でルイタスに向き直る。 


「まだ、絞られてはいない。

 シーズ国の第一王女と、ガランティア王国の第三王女の名が挙がっている。

 あるいは、国内の貴族の令嬢を選ぶか…」

「国内?」

「ガリアス卿かボードン卿、クリフ卿……。その辺りだとは聞いているが」


 いずれにせよ、正妃が決まれば、ヴィア側妃はしばらく水晶宮を離れないといけなくなる。


 第一皇子の立場を盤石とするために嫁いでくる正妃には、相応の誠意と配慮が必要で、政治の流れ次第では、ヴィア側妃を手元に呼び戻す事も難しくなってくる可能性があった。


「アンシェーゼに戦を仕掛けてくる可能性のある列国への牽制を重視するか、確実にアンシェーゼの覇権を狙う、か。

 相変わらず皇后のなさる事に、隙はないな」

 

 アレクは何も答えない。感情を抑えるように瞳を伏せ、卓子の上の拳をただきつく握りしめた。


 端から自分に選択肢はなかった。


 大国の第一皇子として生まれた以上、政略結婚は避けられない。

 帝位をこの手に掴みたいなら、最も政治的に利用価値の高い相手を正妃に迎えるしかないのだ。


 半年前の自分なら、候補に挙がっているのはどんな姫だと笑って聞けていた。今も、そうするべきだった。

 出自を聞き、誰と手を結べば政治的に優位か話し合い、国外の姫ならば持参金は如何ほどかと笑い合う。


 だが、舌が凍り付いたように、今は言葉が出なかった。

 痺れたような頭の中で考えるのは、もうじき自分がヴィアを失うだろうという事だけだ。


 好きな女を手元に置き、守りたいというただそれだけの事が、自分には叶わない。

 だが、婚姻を拒否する理由も資格も自分にはなかった。

 嫌だと言えば、自分を信じてついて来てくれている者への裏切りとなるからだ。


「嫌だと言ってもいいんですよ」

 気付けば、間近に近づいていたルイタスに、真っ直ぐに顔を覗き込まれていた。


「だからと言って、何をして差し上げる事もできませんけど。

 でも、愚痴くらい言って下さい。

 一人で抱え込まれたら、どうしようもできないじゃないですか」


「お前は全く、昔と変わらないな」

 アレクは笑おうとして失敗し、ため息のような息を吐いた。

 父と祖父の犯した罪に悩んでいた時も、ルイタスはそうやって慰めようとしてくれた。アレクの立ち位置をきちんと知り、支えようと必死に手を伸ばしてくれた。


「まだ、時間はありますよ」

 ぼそりと口を挟んだのは、グルークだ。

「列国から選ぶか、アシェーゼの貴族から選ぶか、今、決めるのは早すぎます。

 ここで札を切り間違うと、取り返しのつかないことになりますから。

 皇后が先走っても、しばらく止める事は可能です」


 つまり、時間の猶予はあるから、あまり落ち込むなと言いたいらしい。


「お前の慰め方は分かりにくい」

 アレクは思わず苦笑した。


 アンシェーゼの第一皇子として生まれ落ちた事実は嘆いても変わらない。

 荷を背負ったまま進むしかないのだと、まだ少年のグルークに言い諭されていたことまで思い出した。


「私は一生、女を好きになる事はないと思っていたんだ」


 ぽつんと呟くように言ったアレクに、「ですよね」と妙に感慨深く同意してきたのは、ルイタスだ。

「何せ殿下は、女嫌いでしたから」


「どこがだ」

 それまで黙って聞いていたアモンが、その言葉には納得できないとばかりに憮然と口を挟んだ。


「今までの所業を思い出してみろ。女好きの間違いだろう」

 思わず目を剥くアレクには、お構いなしだ。


 ルイタスは、分かっていないな、とアモンに向き直った。

「そこそこ遊んでいるというだけで、女を信用しない、執着しない、大切にもしない。


 自分に群がってくるのは、肩書に釣られた馬鹿ばかりだと思い込んでいる殿下は、政略で嫁いできた女性を取りあえず正妃に据え、どの女性にも心を開くことなく、一人ぼっちで老いていくだろうと、私は最初から見切っていましたよ」


「そこまで言うか!」

 余りの言われようにアレクは唖然とする。


 持つべき者は友だと秘かに感動していた自分が馬鹿みたいだ。


「ちょっと待て。そういうお前はどうなんだ」

「私ですか?

 私は殿下と違って、ちゃんと女性は好きですけど」

「十歳以上年上の女のどこがいいんだ」


 真剣な話をしていたのに、いつの間にか互いの暴露話となっていた。


 下らない事を言い合いながら、鬱屈した思いを紛らわせるように卓子に置かれた酒を空ける。

 四人が四人とも酒豪なので、少々の酒で酔い潰れる事はない。


 と、不意に扉の外が騒がしくなった。

 アレク付きの騎士が声高に何かを言い合い、すぐに扉が叩かれる。

 三人が剣を握り直し、アレクを守るように立ち位置を変えた。


「入れ」

 入った騎士は僅かに青ざめていた。


「何があった」

 アモンが厳しい声で問いかける。騎士はアレクを仰ぎ、苦渋の声で報告した。


「マイアール妃が、先ほど皇子殿下を出産されました」





 翌日、皇帝の口から発せられたのは、アレク達にとって思いもかけない宣布だった。


「皇位継承権を持つ男児が皇家に生まれたのは、十三年ぶりの慶事だ。国を挙げての祝祭を一月後に執り行う」


 皇子誕生から時を置かず、セゾン卿が進言し、皇帝が了承したらしい。

 皇后が口を挟む間もなかった。



「こちらが動く前に手を打ってきたか」

 執務室に戻ったアレクは、もはやため息しか出ない。

 おそらく皇子が生まれる前から、セゾンは手を打っていたのだろう。


 今の勢力図では、マイアール腹の皇子は明らかに不利だ。


 国の行事に長年携わり、列国との繋がりが深い皇后の力は大きく、その皇后が生んだ唯一の皇子で、すでに成人皇族として皇帝を交えての円卓会議にも出席している第一皇子アレクを差し置いて、生まれたばかりの庶子を皇太子に据えたいと願うような重臣は、ほとんどいないからだ。


 ディレンメル家とロフマン家との婚約も、その流れに輪をかけた。


 だが、同時に皇帝の力は絶対的なものだ。

 皇帝が第三皇子を皇太子に据えたいという意思を鮮明にすれば、貴族らは表立っては反対はできない。


「たかだか側妃が生んだ第三皇子ごときを、皇后腹の第一皇子と同列の皇位継承者であると、国中に広めるつもりか!」

 怒り心頭といった様子で吐き捨てるアモンに、ルイタスもまた、うんざりとした口調で付け加える。


「ついでに十日後には、列国の大使らを招いて、三日三晩宴を開かれるそうですよ」

「本当なのか?」


 ルイタスは苦い顔で頷き、お手上げとばかりにグルークが首を振った。

「こちらの事情に疎い列国の大使なら、第三皇子が皇位継承者に選ばれたと勘違いするかもしれませんね」


 少なくとも第二皇子セルティスが生まれた時は、祝賀の類は一切行われていない。ツィティー妃が頑なに嫌がったからだ。


 そして歴代の皇帝の皇子誕生の例を紐解いても、皇后にすでに皇子がいる場合、側妃腹の皇子の誕生をここまで大仰に祝った事はないのだ。


「皇帝は余程、私を皇太子に据えたくないようだな」

 自嘲とも皮肉ともつかぬ口調で、アレクが呟く。

「そういうことです。あの方は皇国に、第二の勢力は不要と考えておいでですから」


「マイアール腹の皇子を皇太子にする気もないと?」

 アモンが問い掛けると、グルークは頷いた。

「マイアール腹の皇子を皇太子に定めれば、今度はセゾンが権力を握っていく。皇帝はそこまでをセゾン卿に許す気はありません。

 ただ……」

「ただ、何だ」

「このまま生殺しのまま大人しくしているセゾンでもないでしょう。 

 権力を盤石なものとするために、あらゆる機会を使って、皇后やアレク殿下の権威の失墜を図ってくる筈です。

 それ自体も、勿論注視していかなければなりませんが…」


 グルークは言葉を切り、アレクを正面から見た。

「殿下。我々が一番警戒しなければならないのは、時が動いた時です」


「時が動く?」

「二十二年前、人望も厚く、皇太子として過不足なかったヨルム皇子を弑したのは、パレシス陛下でした。

 つまり、セゾン卿にも同じことができるわけです。

 レイアトーを背後に従え、正当な皇位継承権を持つ皇子も手に入れた。


 皇帝陛下がお元気なうちは、近衛に守られた皇帝に手を掛けようなどとは、セゾンは夢にも思わないでしょう。


 けれど、皇帝陛下に何かあれば、皇統の闇を請け負っていた近衛が機能しなくなりますから、この間だけは何をしても許されるわけです。

 王冠と錫杖さえ手に入れ、即位の宣言さえ済ませてしまえば、帝位はその者の手に渡ります」

 三人は息を呑んだ。


「もしかして、皇帝はそれを望んでいるという事かな?」

 一番早く立ち直ったルイタスが、世間話でもするような口調でグルークに問い掛けた。


「つまり、自分が生きている間は自分が全ての実権を握り、餌をちらつかせて臣下を振り回し、死んだ後なら国を二分する皇位継承争いが起こっても全く構わないというか…」


「帝位欲しさに実の兄を殺した男が、いかにも考えつきそうな事だ」

「殿下」

 窘められて、アレクは軽く肩を竦める。


 どこまであの男にうんざりさせられなければならないのだろうとアレクは忸怩たる思いで心に呟く。

 民の命と生活を負うべき王冠の重みを、あの男は何故理解しようとしないのだろうか。


「内乱が起これば、国は疲弊する。それだけはしたくない」

 アレクの言葉に三人が頷いた。


「取りあえず、他の貴族らの出方は見ておかなければなりませんね。

 それと宴に出席する列国の大使らには、アレク殿下の血筋の正当性と優位性を、しっかりと理解していただくことが肝要です」


 どこから手をつけますかねと呟きながら、グルークは親指と人差し指で顎をさすった。考え込む時のこの男の癖だ。


「面倒なのは、ミダスで行われる、国を挙げての祝祭も一緒でしょう」

 勘違いする民も出てくるかもしれませんからと、呟くようにアモンが言った。 





「大丈夫なのではありませんか?」

 アレクらの懸念に対し、あっけらかんとそう答えたのは、弟のセルティスだった。


 このところの鬱屈を晴らすようにアレクがアントーレで汗を流した後、セルティスを訪れると、姉に似てやや楽天的なこの弟皇子は、殊の外明るい声で進言した。


「何がどう、大丈夫なのです?」

 アモンが眉宇を寄せると、セルティスは、「姉上がそう言っていましたから」とにっこり笑う。


 つまり、月に一度は、弟の顔を見にアントーレを訪れているヴィアは、国の祝祭行事を心配していたセルティスに、下らない悩みだと一刀両断したらしい。


「姉上がおっしゃるには、ミダスの間でセゾン卿は大変不人気なのだそうです。

 あの御仁の領地チェリトはミダスに接しているのですが、ここ数年、チェリトからの食いはぐれた民がミダスに多く流れ込んでいるようで。

 官吏が物を横流ししたり、賄賂が公然と行われていたり、セゾン卿の欲深さがそのまま末端まで染み込んでいるともっぱらの噂なのです。


 元々人望がないところへ、ミダスの祝賀ムード如何によっては、皇位継承戦争が起きるかもしれないと噂を流したら、民がセゾン卿ゆかりの皇子の誕生を祝福する筈がないと姉は言っていました」


 二人は思わず唸った。

 宮中の流ればかり追っていたアレクには、思いもつかぬ発想だったが、確かに面白い視点かもしれない。


「ミダスが戦場になる事を歓迎する民はいませんからね。

 思いっきり不穏な噂を流しておけばいいじゃないですか。

 そういうの、得意な人はいないのですか?」


「グルーク辺りが適任かもしれませんね」

 笑いを堪えるように、アモンが答える。

 グルークなら張り切ってやってくれそうだ。

 民の間で祝賀ムードが尻すぼみになれば、セゾン卿の求心力も一気に落ちる。喜々として噂をばらまくだろう。


「父上も妙な欲は出さずに、早いところ兄上を皇太子に決めて下さればいいのに」

 幾分うんざりとした声で、セルティスは続けた。

「どうせ、マイアール側妃の生んだ皇子を皇太子に据える気もないのだから、時間を引き延ばされても迷惑ですよね」


「殿下も、時間の引き延ばしだと考えておられるのですか?」

「母が生きていた頃からそうでしたから」

 セルティスはそう言って、ため息をついた。


「兄上が皇太子になってくれれば、私に対する風当たりも弱くなるし、そうしたら姉を市井に逃してやろうと母は考えていたのです。

 だから何度も父上に勧めていたらしいのに、父上はお聞き届けにならなかったみたいで。 


 かと言って、私を皇太子に据えたいという感じでもなかったでしょう?

 だから、皇太子を決めたくないのだと」


 あれほど寵愛していたツィティー妃の皇子を皇太子に据える気がなかったのなら、マイアール妃の皇子も当然そうだという事だ。


「踊らされているセゾンが気の毒ですか?」

「まさか」と、セルティスは首を振った。

「あの御仁は、後々アンシェーゼの禍根となりますよ」

 この温和な弟には珍しく、口調は辛辣だ。


「チェリトの治世を見れば一目瞭然です。

 あの欲深い男は本当に何も気付いていない。帝位は人の上に君臨し、贅を貪るための椅子ではなく、背負うべき重荷であるものなのに。

 あの庶民二人でもわかっていましたよ。だから、ミダスの治安や貧民の救済に力を注いでいた兄上を、すごく褒めていましたし」


「庶民二人?」

 アレクが首を捻ると「母と姉です」と、セルティスは言い換えた。


「母は閉じ込められていましたけど、姉はよくミダスで噂を拾って来ましたからね。

 そう言えば、兄上の作られた救護院にも何度か行った事があると言っていましたが、お聞きになっておられませんか?」

「いや」


 ただ、思い当たる節はあった。

 あの日、ミダスの下町を一緒に歩いた時、ヴィアは残っていたお金を救護院に寄付するよう、当たり前のようにエベックに頼んでいた。


 今、考えれば、それまでお忍びの度に、寄付をしてくれていたのかもしれない。


「アレク兄上が皇太子になって、愛妾との間に男の子を二、三人でも作ってくれたら、お前は安泰よって、あの頃は二人によく言われていましたね」


 懐かしそうにセルティスは瞳を眇める。

「私もいい加減病弱なふりは飽きていましたし、あのままではどこの騎士団にも所属できずに王宮に飼い殺しになるところでしたから、少しばかり焦っていました」


 自分達が知り合う前から、ヴィアが自分を評価してくれていたらしいという話には元気が出たが、愛妾との間に男の子を二、三人といった下りで、アレクは微妙にへこんだ。


 広い肩を心なしか落としたアレクを横目で見ながら、アモンは「大変参考になる意見でした」と締めくくる。


 正妃選びを思い出して憂鬱になる皇子の気持ちが手に取るように分かり、出そうになるため息をすんでのところでアモンは飲み下した。

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