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寵妃の連れ子は、第一皇子にお願いする

「マイアール妃が、ご懐妊されたそうです」


 その報らせがもたらされた瞬間、アンシェーゼ皇国の第一皇子を囲んで和やかにさざめいていた室内が、糸のようにぴんと張り詰めた。


「……確かなのか?」

 肘置きのついたソファにゆったりともたれかかり、テーブルに置かれたグラスに視線をとどめたまま、アレクは平坦な声で聞き返す。

 右手は無意識に、グラスに彫り込まれた皇国の紋章をなぞっていた。皇国の直系のみが使用を許されている、二つの竜が絡み合う皇紋だ。


「陛下自らが侍医を遣わし、確かめられたそうです。

 マイアール妃が、というより、父親のセゾン卿が触れ回っていますから、明日には王宮中に知れ渡るかと」


 馴染みの女官から知らされた情報を、ルイタスは苦い笑みで繰り返す。

 家柄も良く、人当たりのいいルイタスは、あちこちに顔なじみを作っていて、様々な情報を集めることに長けていた。因みに三年前、セゾン卿が容姿に優れた少女を一族内で探しているという情報を、いち早くアレクに知らせたのもこのルイタスだ。そして、その少女は今、皇帝の妾妃となり、アレクの皇位継承を阻みかねない子を腹に宿している。


「厄介なことになりましたね」

 アレクのすぐ脇にいたグルークが、忌々し気に呟く。


 現在、皇帝パレシスには、皇后トーラの生んだ第一皇子アレクと、亡きツィティー側妃が生んだ第二皇子セルティスという、二人の皇位継承者がいるが、事実上はアレクが次期皇帝と目されてきた。


 というのも、もう一人の皇子セルティスは権力基盤を一切持たぬ上に、余りに病弱で、公式の席にもほとんど顔を出していないからだ。

 アレク自身、この弟と言葉を交わした記憶はない。確か十二になったと聞いているが、母親の儚げな容姿を受け継ぐ、線の細い皇子だと噂に聞くくらいだ。


「そういえば、陛下に直属の侍医の診察をねだったのは、当のセゾン卿らしいですよ」

 ルイタスの言葉に、さもありなんとアレクは頷く。

 一族筋の美しい少女をわざわざ養女に迎えてまで、皇帝の後宮に送り込んでいたセゾン卿だ。皇帝の顔色を読むのにも長け、新興貴族でありながら、いつの間にか政治の中枢まで近づいている。


 一方、皇后の生家は、アンシェーゼの名門ではあるが、十数年前、宰相であった父親を亡くしてからは一気に求心力を失っていた。その上、先月には兄当主までが亡くなって、今当主を名乗っているのは、その嫡男である二十代半ばのリゾックだ。覇気も薄く、アレクの支えとは到底なりえない。

 もしこのままマイアール妃に男児が生まれれば、権力の流れが一気にセゾンに傾きかねない。


「こうなってくると、ツィティー妃が亡くなられた事がつくづく惜しまれますね。陛下のご寵愛は深かったが、一切の野心を持たれぬ方でしたから」


 ツィティーは、非公式の宴で皇帝に見初められた、美しい踊り子だった。当時、ツィティーにはすでに夫と娘がいたが、ツィティーの美しさに魅せられた皇帝は、そのままツィティーを王宮に召し上げ、二度と後宮から出すことをしなかった。

 太陽を紡いだような艶やかな金髪はさらさらと背に流れ、肌も抜けるように白く、その面立ちを初めて見た者は、余りの可憐さに一様に声を失ったという。それほど清楚で美しい容姿をしていた。


 アレクが生まれた後、皇帝としての義務は果たしたとばかりに、皇后の元を訪れなくなった皇帝は、その後、立て続けに三人の女性を孕ませ、皇女を産ませていたが、ツィティー妃を後宮に迎え入れてからは、ぴたりと一切の女遊びをしなくなった。常にツィティーを侍らせ、度の過ぎた寵愛は諸外国の噂にのぼる程だ。

 セルティス皇子を産み落とした後、ツィティーは体を壊して子を産めなくなるが、その後も皇帝の夜を独占し続け、五年前に病没した。


 ツィティーを失った時の皇帝の嘆きは尋常ではなく、一年ほどは女性にも興味を失って、後宮に足を向けることすらなかった。その後のようやく女官の一人を迎え入れて、第五皇女を生ませ、今はセゾン卿の用意したマイアール妃を、しとねに迎え入れている。


「ツィティー妃は、賄賂代わりの挨拶を片っ端から民草に流していたからな。あそこまでしろとは言わないが、マイアール妃も少しは慎みを持てばよいものを」

「マイアール妃より問題なのは、父親の方だろう?」

 グルークの言葉に、隣にいたアモンが思わず口を挟む。王宮内に三つある騎士団のうちの一つ、アントーレの名を冠する家に生まれ、いずれは団の頂点に上る男だ。

「セゾン卿の良からぬ噂は、俺でさえ耳にしている。男児が生まれでもしたら、何をどう仕掛けてくることか」


 今、一番怖いのは、セゾンが目に見える形で武力を手にする事だとアレクは思う。

 アレクはアモンを側近に持つことで、軍閥の一つ、アントーレ騎士団を手中にした。

 強大な軍力を持つ騎士団を、セゾンが欲していない筈がない。自分がセゾンの立ち位置なら、残る二つの騎士団、ロフマンとレイアトーのどちらかと、早々に繋ぎをとろうとするだろう。


「セゾンは、ロフマン騎士団に狙いをつけたかもしれません」

 まるでアレクの考えを読んだように、ルイタスがふと、そう呟く。

「何か動きが……?」

「いえ、まだご報告できるようなものは」

 口を濁すルイタスに、アレクは苦笑いする。この場で言わないだけで、きな臭い動きを確かに掴んでいるのだろう。

「生まれる子が皇女であることを願うしかないか」


 吐息交じりのアレクの言葉を最後に、四人はそのまま黙り込み、ひとしきり杯を傾ける。夕刻から降り始めていた雨が急に強くなったか、ひときわ強い雨音が窓の外から響いてきた。

 と、そんな物憂い空気を破るように、不意に扉が小さくノックされる。


「何事だ」

 アモンがすっと背を正して、扉近くに歩み寄った。


「ヴィアトーラ皇女殿下がお越しです」

「ヴィアトーラ皇女殿下、だと?」


 思いがけない名に、四人は戸惑うように互いを見やった。

 アンシェーゼ皇国第四皇女、ヴィアトーラ。ツィティー妃の連れ子で、セルティス皇子の異父姉でもある。

 

 まさか、と、勢いよくアレクを振り向いたのはグルークだった。その端麗な容姿と毛並みの良さで、自分の主がいろんな女性と遊んでいることを知らぬグルークではない。

「まさか貴方、ヴィアトーラ皇女に手を出されたんですか?」

 他の二人もぎょっとしたようにアレクを振り返り、あらぬ疑いを掛けられたアレクは目を剥いた。

「冗談はよせ。会った事もない皇女だぞ」


 ヴィアトーラは、ツィティー妃の機嫌を取るために皇帝が養女に迎え入れたツィティーの連れ子で、皇女とは名ばかり、今まで一度も公の場に姿を現したことはない。

 聞くところによると、かなりの病弱で、母ツィティーに与えられた紫玉宮で、ほとんど寝ついているとも聞く。確か、十六になった筈だが、唯一の後見であった母ツィティー妃を失い、嫁ぎ先さえまだ決まっていなかった。

 そのヴィアトーラが一体自分に何の用があるというのだろう。


「まあいい。通せ」

 軽くグルークを睨んで、アレクが声をかけると、やがて侍従の先導と共に、一人の少女が姿を現した。


 皇女が入室した途端、まるでぱぁっと室内が明るくなったかのようだった。


 現皇帝を虜にしたツィティー妃の面影を色濃く継いだ、奇跡のような美貌の少女。透き通るような白磁の肌に、青く澄み渡った瞳、柔らかな蕾のような唇は僅かに弧を描き、まるで生粋の王族の如く清楚な気品が香り立つ。


「ヴィアトーラにございます。お目通りいただきましたこと、先ずは感謝申し上げます」


 すっと膝を折る姿は、流れるような所作で非の打ちどころもない。アンシェーゼの第一皇子として、様々な国の王族に接してきたアレクでさえ、この皇女ほど優美な気品を滲ませる女性には会った事がないと感じた。

 アレクは我知らず、詰めていた息を吐いた。男なら誰しもこの皇女を一度は欲しいと願うだろう。もし今まで公の場に出ていれば、おそらく両手に余る崇拝者を有していた筈だ。


「それで一体、私に何の用だ」

 気を取り直して問い掛けると、ヴィアは困ったように首を傾げる。

「お人払いをお願いしてはなりませんか?」


 隣にいたアモンに目をやると、アモンは黙って肩を竦める。このような時期に、よりにもよってセルティス皇子の異父姉と二人きりにさせるなど論外だ。


「無理な相談だな」

 半ば予想していた答えに、ヴィアは頷き、ゆっくりと周囲を見渡した。


 皇子が今、ちらりと視線を送った先にいる、ひと際大きな剣を腰に佩いた長身の男。これがおそらくアントーレ縁のアモンだろう。聞いていた通り、褐色の髪と黒い瞳をしている。

 自分を迎え入れてくれた青年は、明るい金髪を肩で括り、それと目立たないほど着崩して、レースや宝玉を品よく身に持していた。内務卿ラダスの嫡子はおそらく彼だ。

 そしてもう一人、皇子の側近として有名なグルーク・モルガン。知略に優れ、皇子の懐刀と言われている。やや神経質そうな顎の尖り、知性に溢れた眼差しから、おそらくこちらがそうだと知れる。


 ヴィアは一人一人の目を見つめ、「アモン様、ルイタス様、グルーク様」と声を掛けた。

「殿下が心を許していらっしゃる三人の側近の方ですね。皇女ヴィアトーラと申します。どうぞお見知りおきを」


 いきなり挨拶された三人は、戸惑いを隠せぬまま、取りあえず礼を返す。

 そんな彼らの不審を代弁するように、アレクはゆくりと口を開いた。

「何故、彼らの名を?」

 ヴィアはふわりと口元を綻ばせた。在りし日の寵妃ツィティーを偲ばせる、あえかな可憐さと、優美な艶を含む微笑みだった。

「わたくしとて、王宮の噂話くらい集めておりますわ。下々の者は、高貴な方々を意外とよく見ておりますし、下働きの者達に頼んでおけば、いろいろ面白い情報も持ってきてくれますのよ」


 ヴィアの真意を測りかね、アレクは警戒するように瞳を細めた。

「何のために」

「もちろん、セルティスを守るためですわ」

 ヴィアの返事には躊躇いがない。

「殿下、セルティスは本当に困った立場にありますの。

 継承権だけあって、後ろ盾もない皇子など、命を狙われこそすれ、何の役にも立たない無用の長物ですわ」

 ヴィアは高らかに言い放ち、聞いていた三人の側近は、自国の皇子をそこまでぼろくそに言っていいものだろうかと、あっけに取られてヴィアを見た。

「そ、そうか」

 さすがのアレクもその気迫に気圧されて、返す言葉もない。


「臣下に降ろして下さるよう陛下にお頼みするはずの母は亡くなってしまい、わたくし達はずっと、アレク殿下の立太子だけをひたすらに待ち望んでおりましたの。でも、その前に、何やら後宮がまた賑わいを見せてしまって」

 セルティスはアレク皇子に敵対する意志はないという意思をはっきりと表に出したヴィアに、ルイタスは人好きのする笑みを浮かべてそれに応える。

「おやおや。皇女殿下は、陛下が妾妃をお迎えになったことがお気に召しませんか?」

「そのようなことは」

 はんなりと否定し、けれど、とヴィアは続ける。

「ただ、義理の御父上であるセゾン卿は、あまりいい噂を聞きませんの。

 おまけについ先ほど、マイアール妃が懐妊されたとお聞きしましたわ。何だか、困った事態が起きそうで」

「皇女殿下はなかなか王宮の事情にお詳しいようだ」

 ここまであけすけに喋られると、アレクももう苦笑するしかない。


「生き延びるために、わたくしたちも必死でしたから。

 それでも目立たずにひっそり暮らしていれば何とかなるかと思っておりましたの。ところが昨日、そうとばかり言っていられない事情が発生いたしまして」

「おや、他にまた何か問題でも?」

 アレクが水を向けると、ヴィアは「そうなんですの」と深刻そうに頷く。

「皇帝陛下が」

「父上が何か?」


 何やら途轍もなく嫌な予感がして、アレクは眉根を寄せる。

「昨日、何の気の迷いか、急に紫玉宮に来られましたの。しかもセルティスにではなくて、わたくしに会いに」

 いかにも迷惑そうに、ヴィアは眉根を寄せた。

「わたくし、病弱設定で通しておりましたから、本当に焦りましたわ。

 慌てて髪を下ろして、いかにも寝付いてました、風を装ったのですけれど」


 病弱設定だったのかよ、と、四人は同時に心の中で突っ込んだ。

 確かに、月の半ば以上を寝付いていると聞いていた割に、頬はバラ色で明らかに血色もよく、さっきから大層元気に喋ってはいるなと思ってはいたが。


 だが、驚くところはそこではなかった。

「陛下には本当に困りましたのよ。

 何か困った事はないかと肩を撫でまわされて、贅沢をさせてやると言われましたの。マイアールは腹が出て、興がそがれたとも」


 流石に、その意味するところは明白だった。

 三人の側近は色を失い、実子であるアレクも答える言葉を持たない。


「わたくしは母に似てきれいですものね」

 彼らが固まっている間に、ヴィアはさらりと自画自賛する。


「皇帝は見掛けにだまされるタイプでございましょう?

 陛下に目をつけられる前に外に出してあげると母からは言われておりましたが、母が亡くなった今、セルティスを一人残して出ていく訳には参りませんし」

 

 アレクは唸った。突っ込みたいところはいろいろあったが、それよりもまず、目の前の皇女の真意を確かめておくことが先決だった。


「父の妾妃になりたくないのだな」

「なりたくはございません」

 ヴィアはきっぱりと答えた。

「ですから、どうすれば良いか、一生懸命考えましたの」

 なんか、ろくでもない事を考えつかれた気がして、アレクはおもわず身を引いた。


「殿下から断っていただきたいと?」

 まっとうな質問をするグルークに、ヴィアは首を振った。

「違いますわ。いくら第一皇子が反対なさっても、陛下の心を変えるのは不可能でしょうから。

 ですから、外聞が悪くて、手が出せないようにすれば良いのではと思いつきましたの」


 そしてヴィアは真っ直ぐにアレクの目を見つめ、にっこりと言い切った。

「殿下。どうかわたくしを、殿下の愛妾にして下さいませ」

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