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フリークス (Freaks)  作者: 宮沢弘
第五章: 信仰世界・自由技芸世界3
25/26

5-5: 明日

 発布の読み上げのあとは、仕事にならなかった。

 退勤時間になると、部屋からは誰もが静かに帰っていった。私も、急ぐではないが早く部屋を出た。


 いつもの教院の前に着いた。そこの掲示板には簡単な貼り紙があった。


|    当教院は、戒め15項の実効停止に関しての疑問に応じ、また説明

|   することにとくに承認されています。

|              教父: 小谷(こたに) 康永(やすひさ)

|              教院日本統括会議


 教父の名前のあとと、教院日本統括会議のあとには、それぞれの紋章が描かれていた。

 そしてもう一枚。


|    本日は、みなさまからの疑問をお聞きするにとどめています。回答

|   と個別のご相談については、次回のミサ以降において行ないます

|              教父: 小谷(こたに) 康永(やすひさ)

|              教院日本統括会議


 やはりそれぞれの紋章が描かれていた。

 ミサ堂の扉は開かれており、ちいさく声が漏れて来ていた。私はミサ堂に向かった。


 ミサ堂の中では、中央の通路に十数人が並び、席にも同じくらいの人が座っていた。視野の右側でひらひらと動くものがあった。つられてそちらを見ると、森山さんが席に座り、手を振っていた。私はそちらに向かった。

「森山さん、なんでここに」

 森山さんは立ち上がった。

「父が、こちらに伺えと言ったので」

「森山さんのお父さんというのは……」

「さ、小谷教父に伺いに行きましょう」

 森山さんは通路に出ると、説教壇へと歩きはじめた。私は言葉を途中で切ったまま、ついていくしかなかった。

 並んでいる人の横を通り、説教壇の前に着いた。そこには机と椅子が置かれ、見慣れない教父がそこで人々から疑問などを聞き、また書き記していた。

「こんばんは」

 森山さんはとまどうこともなく、その教父に声をかけた。教父は顔を上げ、左手で奥の扉を指した。

 それを見て森山さんはそちらに歩きはじめた。

「あの人はなんだ? 割り込んで来て」

 教父の前にいた男性が声を挙げた。

「あちらの方は以前からの約束がありますので」

「約束? 発布が今日で、いつなんの約束をしたって言うんだ?」

「約束の内容についてはお聞きしていません。ただ、今日いらっしゃるので通すようにと小谷教父から伝えられているものですから」

 教父はもの静かさと落ち着きを崩さないまま、そう答えた。

 そのやりとりの間にも、森山さんは歩き続け、私も続き、教父の言葉が終るころには奥に通じる扉を通った。森山さんは教父の執務室へと向かっていた。

「森山さん、約束って」

「私の父に、今回の発布について伺ったら、むしろこちらの小谷教父お聞きしろということでしたので」

「事前に内容を知っていたんですか?」

「知っていたというのも正確ではありませんけど。重要な発布があるというくらいでしたが」

 そう答えているときに、ちょうど執務室についた。森山さんはドアをノックした。

「どうぞ」

 小谷教父の応えがあった。森山さんはドアを開けた。教父は机から離れるところだった。

「あぁ、いらっしゃい。そっちのソファーにどうぞ」

 そう言いながら、私たちとすれ違い、廊下に顔を出した。

「いないな。ちょっと待ってて下さい。お茶をね」

 そう言うと、早足で執務室から出ていった。私と森山さんは勧められたソファーに腰を下した。

 私はさっきの話を続けたものかどうか迷っていた。小谷教父は、彼女を才人か、奸物(かんぶつ)だと言っていた。それに親父さん譲りだろうとも。先程からの振舞いは、その一端だろうか。

「やぁ、失礼」

 ドアが開き、小谷教父が盆を持って入って来た。ソファーの前のテーブルに置くと、そこにはティー・セットとポット、そしてクッキーが載せられた皿があった。

「森山さんから、あぁお父さんのほうね、今日にでも行かせるって連絡はもらっていたんだけど。あれでしょ? 発布のこと」

 教父はそう言いながらお茶の準備をした。

「あの、ミサ堂にいた教父ですけど」

「あの人ね。うん、うちの教院は小さいから回してもらったんだけど」

 ティー・ポットから目を離し、こちらを見た。

「森山さんから聞いてない? この前、ちょっと言ったから興味持って聞いたかと思ってたけど」

 私は首を振った。

「森山さんのお父さん、森山(もりやま) 実重(さねしげ)さんは、教院日本統括会議の重鎮。森山さんの教院はここから遠くないから、よくしてもらっててね。ミサ堂の人もそのつてで回してもらったんだ」

「森山さんの教院から?」

「うん、そう」

 ミサ堂で森山さんを一瞥しただけで通したのは、それでなのかとはわかった。

「でも、森山さん、あ、こちらのね、にも詳しい内容は言ってないと思うけど。だからこっちに来たんでしょ?」

 横で森山さんはうなずいた。

「規模も違うし、急がしいんだろうけどなぁ。それとも他人から話を聞いたほうがいいと考えたのかな」

 そう言うと三つのカップに紅茶を注いだ。

「さてと、」

 教父はカップをすすめ、またクッキーの皿もすすめてきた。

「それで聞きたいのは、発布の本音と、これからどうなると予想しているのか。そんなところだと思うけど」

 森山さんはまたうなずいていた。

「狭山君はどう思う? と聞いても、問題の戯曲を知らないと答えられないか」

 教父はポケットから本を取り出した。教院が問題にするのだから、どれほどの大著かと思っていたが、それはあまりに薄かった。そして、古かった。

「古いのは気にしないで。復刻とか出てないだけだから。教院はこれまでその戯曲に触れたことはないし、復刻を禁止してたなんてこともない」

 そう言って、私に差し出した。

「簡単になら今でも読めるから」

 私は本を手に取り、読みはじめた。

「発布にあった、200年の議論はそれが発端。そのことは森山さんは知ってるよね。それ以上は発布にあったとおりとしか言えないけど。本音となると、もう議論をしている場合じゃないっていうところかな。懸念した状態になり、それが根付いてしまった。これだけは避けたいと思っていたのにね。だから戒めを手放した。教院にできることはそれしかなかったからでもある」

「教院が、そうはならないように導くことも可能だったのではないですか?」

 森山さんが訊ねた。

「うん、それも考えはしたんだけど。教院が導くという形であるなら、今とあまりかわらない。立場としてだけど。それに、それはやってなかったわけでもない。私とかね。そうだろ、狭山君」

 私は顔を上げ、思い返してみた。小谷教父の説教はそういうことだったのかとも思った。リベラルな説教をしていても、教院が閉鎖されたり、教父が代えられることはなかった。それは、教院の方針の一つだったからということか。

「そうですね。なぜ教父が代わったりしないのかは不思議に思っていましたが」

「そういうこと。だけど小規模にやっててもだめだったんだ。世間で議論にすらならなかった」

 私はまた本に目を落とした。

「そして、これからだけど。わからない」

「計画や議論はないのですか?」

 森山さんが訊ねた。

「30年、議論したよ。だけど、科学が発達するなら、どうなるかわからない。教院がそろって科学音痴なのかもしれないけどね」

「それでは、社会を野放図にするということですか? 教院が戒めを放棄したのなら、どうやって社会の秩序を維持するのですか?」

「そこは勘違いしないで欲しいところなんだけど。戒めの実効を停止しても、天の書トリロジーを放棄したわけじゃない。200年の議論として、戒めは都合よく解釈されすぎた。それに対してできる方策は、教院としてはその実効の停止しかなかった。教院としてできることは、社会に対して都合のいい言い訳は用意しないという宣言しかなかった。あとは、人間自身としてどうあるのが望ましいのかを決めていくしかない」

「それは、楽園からの追放ということですか? 言うなら二回め、あるいは三回めの」

 しばらく応えはなかった。

「そうかもね。これまでが楽園ならだけど」

 私は本を閉じた。簡単にではあるが目を通し、教院がなにを危惧していて、その危惧が現実のものになったことだけはわかった。

「教院がなにを危惧していたのかは、わかったかもしれません」

「そう? 一応、それの復刻をしようっていう話はあるんだ。どう思う」

「ただ戒めの実効を停止するよりは復刻したほうがいいと思います。教院の意図はわかりやすくなるでしょうから。ですが、この200年の教院の責任はどうするんですか?」

「そうだよね。この30年の議論にはそれも含まれていた。当面は、相談に乗ることしかできないだろうな。社会がそれでも教院を頼ってくれるならだけど」

 目をとおした戯曲と、教父のその言葉が重なって思えた。

「教院は消えていくつもりですか?」

「そうなるかもしれない」

「そんな、格好をつけるようなことが認められると思いますか?」

「狭山君は、そういうのは認めない?」

「認めません」

「ありがとう。他にもそう言ってくれる人はいるだろうが」

 教父はそう言うと森山さんを見た。森山さんは、うなずいた。

「では、教院の外からの意見を出してくれませんか?」

「私がですか?」

「工業専門学校を出ていて科学にも造詣があり、社会にも出て様子を見ている。そして小谷教父の説教を聞いている。適任だと思いますが?」

「それに自由技芸大学にも通ってるしね」

 教父が付け足した。

「なに、君一人でというわけじゃない。ちょっとした御意見番の一人というだけだよ」

「私に勤まるとは思えませんが」

「勤まるかどうかじゃないんだな。森山さんに見込まれちゃったのが運が悪かったというところかな」

 私は森山さんに目を向けた。森山さんは薄く頬を染めていた。見込まれたというのはそういうことなのかという疑問もわいたが、存外、気分の悪いものでもなかった。

「森山さんと教父の助けがあれば、助けになるなら、できる範囲で」

 自身の膝に置かれていた森山さんの手に、私の手を重ねた。


――了――


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