5-3: 教院からの手紙1
9時半ごろに講義が終り、10時過ぎには会社へと着いた。
机を見ると経理課長からのメモが置いてあった。
| 試験に問題なし。
| 仕様と算譜との照らし合わせをしたいので来られたし。
メモにはそう書いてあった。
机の島を周り、竹下さんの席に向かった。
「竹下さん」
背を屈め、小声で呼びかけた。
「ん?」
「あ、経理課長から、こういうことなんで、ちょっと行ってきますが。いいですか?」
竹下さんは、広げたメモに目を落とした。
「さっき来てた件か。わかった。行ってこい」
私は一礼してから自分の机に戻り、経理からの仕様書、チャールズ言語の解説書、バベッジ言語の解説書、竹下さんがチャールズ言語で書いた算譜、そして竹下さんが書いたチャールズ言語からバベッジ言語に私が翻訳しているノート――そこには私が書き換えたチャールル言語の算譜もある――を抱えた。
部屋の入口にある黒板の私の名前の横に、「経理。依頼された算譜の試験結果の打ち合わせ」と書き、部屋を出た。
経理の部屋に入ると、そこではいつもどおり、算盤を弾く音、手回し計算機の歯車の回る音と計算が終った時のベルの音、英文、和文タイプライターの音、そして刻印機の動作音が響いていた。
私は課長の机を見た。そこでは経理課長が背を丸め、和文タイプライターと格闘していた。
「課長、メモをいただいたので……」
机の前に立ち、メモを広げた。
「ん? おお、それね。こっちに周って」
壁の近くにあった椅子をガタガタと引き出し、手招きした。
「この和文タイプライターってのは、どうにかならないのかね?」
机から回り込み、覗きこんだ。手前には五十音から漢字が印刷された鉄板があり、その上でカーソルを動かして文字を選択する、比較的新しい型の和文タイプだった。
私は用意された椅子に座り、資料を抱えたまま答えた。
「使ったことはないんですが。慣れですかね」
「慣れかねぇ」
課長はカーソルを右へ左へと動かした。
「あちらの方は英文タイプライターを使ってるみたいですけど」
「あ、あれね。課内の文書は英語でも、あとはローマ字でもかまわないことにしてるから」
「そのローマ字ですけど、ローマ字化運動とは違うんでしたよね?」
「漢字の指定とかね、課内の書式を使ってる。見せたことなかったっけ?」
「あるんですけど、それってこの課内だけの書式なんですか?」
「ん〜。いや、違うな。きっちりした規格があるわけじゃないが、実質的な標準はあるな」
そこで課長の和文タイプライターと、向こうの英文タイプライターを眺めた。
「今の刻印機だと無理なんですけど」
課長の和文タイプライターの、カーソルの下にある鉄板を覗きこんだ。
「これ、日本語の文字の並びかたは決まっているんですか?」
「あぁ。決っているらしい」
「ということは…… 英文字も番号を付けて、英文タイプライターでそのまま刻印版にその番号を刻印して。あとは漢字の指定も書いて……」
「それを解析機関に入れて、そこから和文タイプライターを改造したので出力か?」
「えぇ」
課長は和文タイプライターの横にある、タイプ内容の手書きの下書きに目を落とした。
「できるんだろうけどな」
そう言い、課長は顎に手を当てた。
「まだそういう機器はないからなぁ」
こちらに顔を向け、意地の悪そうな笑みを浮かべた。
「空いてる時間でいいから、その企画とか仕様とか書いてみるか?」
「え? いや、そちらの仕事とかに割り込むことになりますし」
「それは大丈夫。見てのとおり、みんな忙しいからなぁ。そういうのが出来るなら助かるだろうし、こっちの界隈で共有できればあちこちで助かるだろうし。特許で収入になるかもな」
課長は打ちかけの紙をタイプライターから抜き取り、新しい紙を入れた。
「それ、企画として出そう。社内ではだめでも、こっちの界隈では通るかもしれない。狭山君の名前もチームに入れとくよ」
私は急いで首を手を振った。
「私のほうの仕事も……」
「干されてるだろ?」
それには返す言葉はなかった。
「それはともかく、昨日の算譜の試験のことですが」
「あぁ、それね」
課長はさっそくタイプを始めていた。
「問題はなかったよ。ただ一応確認だけね」
「そっちのほうを、あの」
課長はカーソルを動かす手を止めた。
「そっか。やっとかないとな」
そう言うと、タイプライターを持ち上げ、机の上を空けた。
私はそこに、それまで抱えていた資料を置いた。
「それでは説明しますので、確認をお願いします」
私は仕様書と算譜の内容の説明を始めた。課長はときにうなずき、ときに質問をしてきた。
しばらく経ったときだった。社内便でいくつかの封筒が課長の机の上に届いた。
「ちょと待って」
課長はそう言うと、封筒の表面だけを確認した。その内の一通で課長の手が止まった。
「新聞にあったのって、これなのかな?」
封筒には教院の日本統括の名前と、その紋章、そして「X年Y月Z日 13:30に開封のこと」という今日の日時を指定した注意書きがあった。
「早いですね」
「うん。早いね。『今日にも』ってあったから、明日の新聞に載るのかと思ってたけど。てことは、そうとう前から準備していたのかな」
教父からは関係しそうなことは聞いたことはなかった。せいぜい日曜日の説教がいつもと違ったくらいか。
「だが、まぁ、時間指定ありか。じゃぁ、こっちはこっちで続けようか」
そう促され、私はまた説明を続けた。




