5-2: 弁術
「では、今日は議論について考えてみよう」
教室はそのままで、弁術の講義にと代わった。
「諸君も議論に加わることもあるだろう。そういう場合でも諸君が犯しがちな間違いは、前回の講義でも言ったとおりだ」
教授は黒板に「意見」と書いた。
「議論とは、互いの意見をぶつけ合うことだ。ぶつける。そう、わかるね。まず諸君に意見をぶつける資格があるのかということを意識しなければならない。そして、その資格がある者は……」
教授は教室を見渡した。
「まぁ、いないだろうな。これからまだまだ経験を積み、その資格を得てからの話だ」
教授は黒板に「正−反−合」と書いた。
「古くは、議論とは、一人では到達できない結論に至るための方法の、すくなくともその一つと考えられていた。だがね、諸君の経験上の話でいい。合に至っての、正や反より優れた結論に到達したことはあるかね?」
教授は学生の一人を指差した。
「君、どうかね?」
「なかったように思います」
指された学生は間を置いてから答えた。
「そう、正−反−合が仮に理念としては合理的だとしても、より優れた結論に至ることはない。あるいは、仮に優れた結論だとしても、それを受け入れられるかどうかは別の話だ。それはなぜだろう?」
教授はその学生に向けて顎を上げて促した。
「たぶん、友人との議論という、結論を決定づける要因がないこと…… かと」
教授はそれを聞いてうなずいていた。
「うんうん。いいところを突いてるね」
そこで教授は黒板に向かい「ディベート」と書いた。
「歴史的には、正確には競技ディベートと呼ばれるものだが。議論の手順や形式が明確になっているとともに、審判によって勝敗を明らかにした。ここにおいて重要なのは……」
教授はまた黒板に向かった。
「手順や形式が明確であること」
そう言いながら黒板に「手順・形式が明確」と書いた。
「勝敗が明らかであること」
そう言いながら「勝敗が明確」と書いた。
「そして、これが先の正−反−合とは最終的に異なることだが、勝敗であるのだから合などというものは、そもそも求めていないということだ」
「合」と書き、その上に「×」を重ねた。
教授は黒板に向いたまま続けた。
「これが現代の議論の基礎になっている。実務において審判に当たるのは、より目上の者だ。そして、議論においてはいかに相手に勝つかが目的になる」
そのまま、「声」、「態度」、「印象」と黒板に書いた。
「印象については、書術とも関連するが、資料における説得力というものがある」
そこで教授は学生に向いた。
「基本的には、利点を強く訴える資料ということになる」
「態度」を教授は左手の人差し指の関節で叩いた。
「そして態度だ。肘を張る、仰け反り気味になる。ともかく体を大きく見せる。それが基本だ。それは誰が勝敗を決めるにせよ、また実際のその時点での状況がどうであれ、そういう態度を取っている側のほうが有利であるという印象を与えるという効果もある」
咳払いをし、教授は続けた。
「あるいは、相手が声高になにかを訴えたとしよう。そういう場合には、話にならないという余裕を見せることも効果的だ。もちろん、その際においても、その余裕の根拠は必要になる。だが、こちらがそういう余裕を見せれば、相手の苛立ちなどを誘い、感情的になるかもしれない。そうなれば、結果として審判にあたる目上の者にとっては、むしろ余裕を見せている側の優位性が印象に残るだろう」
次に「声」を教授は叩いた。
「さらには声だ。基本は大きな声となる。感情的にならない範囲での、大声での威圧。これが効果的だ」
教授は大きく息を吸い、そして吐き、また吸った。
「では、このような、印象、態度、声の使いかたが有効なのだが、それを正当なものとする根拠はなんだろう?」
教授は教室を見渡した。
「なにより、権威、地位、資格など、尊敬条項にもとづくものが挙げられる。だが、他にもある。わかる者は?」
教授はもう一度教室を見渡し、うなずいていた。
「これはわかりにくいかもしれないな。一つめは尊敬条項として、二つめには窃盗条項と強欲条項が挙げられる。つまるところ議論とは、自分の主張を通すことだ。もし、他人の主張を受け入れる前提であるとするなら、それはつまり他人の主張を盗むことを前提とすることと同義だ。わかるね?」
一旦間を置いて、教授は続けた。
「そして、それを前提とするなら、それを前提にしているということは明確にはしないだろう。つまり、三つめとして、誠意条項にも反することになる」
なるほどと思った。先の会議での発言は、尊敬条項に反するだろう。また、態度と声も弱かったとは言えるだろう。もちろん現在の状態では、別の意味で尊敬条項に反することになるが。資料にも問題があったのだろう。あれでは到底、印象に残るとは言えない。
「では、次回の講義では競技ディベートを基礎として、議論のデモンストレーションと実習をやることとしよう。議題は、そうだな……」
教授はそこで天井を見上げた。
「今日の新聞を見た者はいるかな?」
私は手を挙げた。あたりを見回すと、3/4ほどの学生が手を挙げていた。
「教院がなにを発布するのかはわからないが。戒めの各条項についての賛成、反対という題材でやることにしよう。変則的だが一対一。誰と組み、どちらが賛成、反対の立場を取るかはまかせることにしよう」
私は、左に一つ席を隔てた学生と、とりあえず組むことだけを決めた。




