第8話 一泡吹かせてやろうじゃないか
「ドロテーア。ゲッツは、そのような男ではないよ」
クリストフが、幼い妹に言い聞かせるような穏やかな口調で言った。
「こいつはこう見えて、困っている人間を放っておけない優しい男だ。ゲッツは、心の底からドロテーアの力になりたいと思ったからこそ、お前を救ってくれたんだよ。だから、ちゃんとゲッツに礼を言いなさい」
年上の許嫁にそう諭されると、ドロテーアはムスッとした表情をして頬を膨らませたが、やがて、素直に頷き、
「ゲッツ殿、ありがとうございます」
と、ゲッツに頭を下げた。
ゲッツのような盗賊騎士を簡単に信じ、感情のままに怒りを口にし、拗ねながらも助けられたことに感謝する、ドロテーアの純真無垢さとコロコロ変わる表情をゲッツは可愛いと思った。怒号と罵詈雑言が飛び交う戦場にいつも身を置いている荒くれ者にとって、少女のあどけなさは、荒野で見つけた可憐に咲く一輪の花のようだ。ゲッツはドロテーアに短い感謝の言葉をもらえただけで、彼女に婚約者――しかも、相手は自分の親友――がいたというショックもやわらぎ、心癒されて思わず笑みがこぼれていた。実に単純な男である。
(それにしても、婚約者というよりは、まるで兄妹みたいだな)
そういえば、クリストフにはドロテーアと同じ年頃のイルマという名の従妹がいて、実の妹のように可愛がっているらしい。だから、ドロテーアのことも、ついつい妹扱いしてしまうのかも知れない。
「しかし、ラインハルト殿の助勢を求める使者が、我が城にあと一時間来るのが遅かったら、俺はドロテーアの危機を知らないまま戦場に赴くところだった。駆けつけることができて、本当に良かった」
「戦場? どこかで大きな戦でも起きたのか?」
「何を呑気なことを言っているんだ、ゲッツ。タラカーという盗賊騎士とつるんで、各地を転々としているくせに、ブランデンブルク辺境伯の長男カジミール様が、帝国自由都市のニュルンベルクに対して私闘を仕掛けたという噂をどこかの町で聞いていなかったのか?」
「えっ、カジミール様が!?」
ゲッツは、ブランデンブルク辺境伯の次男のゲオルクや三男のアルブレヒトとは馬が合って仲良くしていたが、ポーランド野郎の肩ばかりを持つゾフィア妃の神経質そうな容貌に瓜二つの長男カジミールのことは苦手意識を持ち、敬遠していたのである。はっきり言って、嫌いだった。だから、町でカジミールの噂を耳にしても、右耳から左耳へと聞き流してしまっていたのかも知れない。
「戦いが始まった当初、辺境伯はアンスバッハに不在で、戦を始めたカジミール様の軍勢がニュルンベルクの奴らに追いつめられていると聞き、慌てて帰国なさった。そして、各城の騎士たちにニュルンベルクとの戦いにはせ参じよと檄を飛ばされたのだ」
「なるほど。それで、クリストフも出陣の準備をしていたんだな。そこに、ラインハルト殿の救援要請が来て、慌てて駆けつけたと」
カジミールが単独で戦いを始めた時点では参陣しなかったということは、クリストフもカジミールのことが嫌いなのだろう。(さすがは我が親友、俺と気が合うぜ)と思い、ゲッツはクスクスと笑った。
「おいおい、何をにやついているんだ。気持ち悪い。ゲッツ、お前は行くのか、行かないのか?」
「もちろん、行くさ。カジミール様のためには働きたくないが、恩ある辺境伯が助けを求めているんだ。喜んではせ参じるぜ」
「ならば、話は早い。このまま出立しよう」
クリストフがそう言うと、さっきから二人の話を黙って聞いていたドロテーアが、「クリストフ様……」と寂しそうに呟いた。
(久し振りに会えたのに、もう私の元を去ってしまうのですか?)
そう言いたいのだろう。しかし、恥ずかしくて口には出せないのだ。
「ドロテーア。戦が終わったら、会いに来るから」
クリストフは微笑んでドロテーアの頭を撫でると、すぐに引き締まった武者の顔になり、「行くぞ、ゲッツ」と言った。
(何だか、ドロテーアがかわいそうだな)
ゲッツはそんなふうに思ったが、「ああ」と頷き、トーマスを従えて、クリストフとともに馬を走らせた。
(ドロテーアは、泣いていないだろうか)
やはり、気になる。ゲッツは、振り向いた。ドロテーアはうつむいていて、彼女の顔を見ることはできなかった。
つかの間の恋と失恋を経験したゲッツは、ニュルンベルクに向かう途中、盗賊騎士タラカーとその傭兵たちがいるニーデルンハルに立ち寄った。今から傭兵を募っている暇がないから、タラカーに助勢を求めようとしたのである。
「ゲッツには、いつも助っ人をしてもらってばかりいるから、たまには借りを返さないとな。いいぜ。俺の傭兵たちを好きに使いな。帝国直属の都市だからといってでかい顔をしているニュルンベルクの奴らに一泡吹かせてやろうじゃないか」
タラカーの快諾を得ると、ゲッツはタラカーの傭兵隊十五人を率い、ニュルンベルク付近の戦地を目指した。
ゲッツが今から戦うニュルンベルクだが、この都市はフランケン地方で大いに繁栄した帝国自由都市である。
帝国自由都市とは、神聖ローマ帝国皇帝に貢ぎ物を献上する代わりに地方領主からの独立を認められた自治都市で、その繁栄を嫌った帝国の諸侯や騎士たちに目の敵にされていた。
たとえば、神聖ローマ帝国の次期皇帝を決める選挙を行なう時、帝国はその選挙費用を帝国自由都市に税金という形で負担させた。このような特別税金の見返りとして、その地方を治める領主の支配から脱することが許されていたのだ。
だが、諸侯たちは、自分の足元で、
「我らは帝国の直属都市だ。地方領主の支配は受けぬ」
と、自由独立を謳う帝国自由都市の存在を忌々しく思っていた。さらに、没落しつつある騎士たちも、「商人ふぜいが我らよりも裕福な暮らしをしやがって」という嫉妬や侮蔑の心から帝国自由都市を敵視していたのである。
そういった理由により、帝国自由都市は、諸侯や騎士たちから執拗に私闘を挑まれた。都市の人々は、自己防衛のために傭兵を雇い、大砲や火縄銃などの軍備を整え、都市に防壁を築いた。そして、各地方で都市同盟を結成した。この都市同盟の結束力は強く、皇帝からの特別課税の要求すらはね返すようになっていた。
シュヴァーベン都市同盟に属するニュルンベルクは、これら帝国自由都市の中でも最大級の経済都市であり、そのため、方々から喧嘩を売られていたのである。
一四四九年にニュルンベルクが作成した敵対者リストによると、約七千人の騎士たち(その中には騎士の家来も人数に含む)と私闘を行なっていたという。特に、フランケン地方内における勢力の拡大と諸都市支配を目論むブランデンブルク辺境伯の一族とは険悪な関係だった。今回、辺境伯の長男カジミールが始めたこの戦いも、ニュルンベルクが挑まれた数多の私闘の一つだったのである。