第48話 あなたの愛を感じます
その頃、地上へと続いていると思われる階段にたどり着いていたゲッツたちは……。
「兄貴、すまねえ。俺が不用意に壁のボタンを押したせいで……」
実は、フルンツベルクと別れてすぐ、走っていたジッキンゲンがつまずいて転びそうになり、壁に手をついたら、突然、地下通路の天井から鉄格子が落ちて来て、前方にいたゲッツ隊とジッキンゲン隊の半数、後方にいたジッキンゲン隊のもう半数とフルンツベルクが預けてくれたランツクネヒトの兵たちが分断されてしまったのである。仕方なく、ゲッツたちは半減してしまった兵力のままここまで来た。フルンツベルクが応援に駆けつけようとしても、あの鉄格子のせいで足止めされてしまうだろう。
「あんな罠、誰も予想できなかったさ。仕方ねぇよ。この兵力でも何とかやってやるさ。……おい、エッボ。地上に敵はいるか?」
ゲッツは、耳がいいエッボに聞き耳を立てさせ、地上に兵士がいないか確認させた。地上に出るなり、敵に襲われたら危険だからだ。
「……五、六人の足音が聞こえます。あと、『早く登れ、登れ』という怒鳴り声も……」
「登れ……? いったい何だ? 少しのぞいてみるか」
ゲッツは、階段の一番上の段まで上り、行き止まりになっている天井をぐっと押した。すると、四角形の石の蓋がわずかに浮き、外の光景が見えた。
すでに朝が迫っているらしく、あたりが白み始めている。そのおかげで、帝国軍に打ち負かされて逃げて来た兵たちが、塔の二階から降ろされた梯子を登っている姿もよく見えたのである。
(ここは大きな塔だ。城兵たちが、塔に逃げ込もうとしているんだ)
前にも書いたが、大きな塔には、敵が侵入できないように一階(土牢または倉庫)に入口がなく、二階から梯子などを味方に降ろしてもらって塔内に入るのである。そして、ここで最後の籠城戦をするのだ。ドロテーアと公子たちをさらった騎士たちも、この塔にいるに違いない。
「あの梯子がしまわれてしまったら、塔に入れなくなる!」
そう叫んだゲッツは、石の蓋を押しのけ、飛翔する鳥のごとき勢いで地上に出た。タラカー、トーマス、エッボ、ハッセルシュヴェルトらも飛び出し、ジッキンゲンも慌てて後に続く。
「て、敵だ! 敵が地下から現れたぞ! お前たち、早く登れ!」
塔の二階の城兵が喚くと、梯子を登っていた兵たちは「う、うわわ!」と叫びながら大急ぎで塔内に入った。
「よし、梯子をしまえ!」
「そうはさせるかぁーーーっ!」
ゲッツとその傭兵たちは野獣のごとく吠え、梯子にしがみついた。ジッキンゲンが鉄砲隊に発砲させて塔の城兵を萎縮させようとしたが、じめじめとした地下通路にずっといたせいで、火縄が湿気てしまい、撃てなくなっていた。
塔の兵士たちとゲッツらが、梯子を引っ張り合い、「梯子から手を放せ!」「嫌だ!」「手を放しやがれ!」「嫌だ!」と、喚いていると、
「おらおらーっ! みんな、どけーーーっ!」
という怒鳴り声と馬蹄の音が聞こえてきた。
ゲッツが振り返ると、鋼鉄の義手を片手に持ったカスパールが白馬のシュタールを猛速度で走らせ、現れたのである。
「ゲッツ殿! 義手が直ったぜ! ほらよ!」
カスパールは、ロルフ親方が大急ぎで修理した義手をゲッツに放り投げると、
「カスパール様の馬術の妙、見せてやる!」
そう叫び、なんとシュタールに梯子を駆け上がらせたのである。
城兵たちは、天を駆けるように梯子を登って来た白馬が自分たちに飛びかかって来るのに驚き、口々に悲鳴を上げながら逃げ出した。
「今だ! みんな、梯子を登るぞ!」
ゲッツ隊、ジッキンゲン隊は、怒濤のごとく梯子を登り、ついに塔内に侵入したのである。そして、塔の二階にいた兵たち十数人を瞬く間に斬り殺した。
「カスパール。俺たちの居場所がよく分かったな」
ゲッツがエッボに手伝わせて義手を交換しながら言うと、カスパールは、
「ピーンツェナウアーをローマ王の本陣まで護送して行く最中だった、ランツクネヒトの兵たちに、ゲッツ殿たちは大きな塔に向かっていると聞いたのさ」
と、ニヤリと笑いながら答えた。かっこいい登場の仕方をして調子に乗っているみたいだが、相変わらずの馬面である。
「敵の総司令官を捕まえたのか。だったら、後は俺たちが若様たちとゲッツ兄貴の嫁さんを救出したら、戦は終わりだな!」
ジッキンゲンが嬉々としてそう言うと、タラカーが「どうやら、そう簡単にはいきそうにないぜ?」と呟いた。その直後、
「敵だーっ! 殺せ、殺せーっ!」
下の階の騒ぎを聞きつけた三階の城兵たちが降りて来て、襲いかかって来たのだ。
「ゲッツの兄貴! 俺に任せろ! 鉄砲隊、構え!」
ジッキンゲンがそう叫ぶと、ジッキンゲンの傭兵たちが火縄銃の銃口を敵兵に向けた。敵兵たちは、ジッキンゲン鉄砲隊の火縄が湿気っていることなど知らないので、一斉射撃が来ると思って「うっ!」と唸って一瞬立ち止まる。
「ぶん投げろ!」
鉄砲隊は、役に立たなくなった火縄銃を「この野郎!」と口々に喚きながら敵たちに投げつけた。まさか、鉄砲玉ではなく、鉄砲本体が飛んで来るとは思っていなかった城兵たちは「は!? え?」と混乱し、飛来した火縄銃で頭を強かに打ったり、顔面に命中したりして、大きな隙を作ってしまった。
「いいぜ、ジッキンゲン。さすがは俺の義弟だ。者共、ぶん投げろ! ぶん殴れ! 全てはそれからだぁーーー!!」
鋼鉄の義手で剣を握ったゲッツは先頭を切って敵兵たちに飛びかかり、トーマス、エッボ、ハッセルシュヴェルト、馬から降りたカスパールも大暴れして、突破口を開き、上の階へと駆け上がった。
(見事な連携だ。もう、俺がいなくても、こいつらはやっていける)
タラカーはフッと微笑み、ゲッツたちの戦いぶりを愛おしげに見つめていた。
激しい戦闘をその階ごとに行ない、ゲッツたちはとうとう最上階の五階にたどり着いた。
最上階は、重砲の砲撃により屋根が吹っ飛んでいて、塔の東側の壁も大部分が崩落しており、太陽が顔を出しつつある地平線を見渡すことができた。
「よくぞ、ここまで来たな。キリアンの息子よ」
そこで待ち受けていたのは、ケヒリとヘルゲらボヘミア兵、そして、ドロテーアと公子たちを捕えているループレヒトの遺臣たち十数人だった。ドロテーアは、暴れないように縄で縛られていた。
「ドロテーア! 迎えに来たぜ!」
「ゲッツ殿……」
ドロテーアは、ゲッツの顔を見るなり、泣いているような、笑っているような表情をして、愛しい男の名を呼んだ。
彼女は、この瞬間、ゲッツへの愛をようやく自覚できていたのだ。自分にとってゲッツは、こんなにも、再会できて嬉しい、涙が溢れてくる、大切な人だったのだと、自分の胸の内から湧き出てくる愛が教えてくれていたのである。その感情は、ドロテーアを突き動かし、
「ゲッツ殿。私は、あなたが好きです」
縄で縛られて倒れていた身を必死に起こして叫んでいた。すると、ゲッツは微笑み、
「俺もだよ、ドロテーア。愛している」
と、頷いた。
「こんな時に愛の告白とは、我々を馬鹿にしているのか。ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン。獅子亭で奪えなかった命、ここでいただくぞ。……ケヒリ殿。何をしているのだ。我々と共に戦ってくれ」
ここで公子たちと共に死ぬつもりのループレヒトの遺臣たちは、すでに剣を抜いてゲッツたちと睨み合っているというのに、ケヒリたちボヘミア兵は、ループレヒトの遺臣たちの後ろで動こうともしないのである。不審に思い、一人の騎士がそう言って振り向くと、
「貴様らは、俺とゲッツの戦いの邪魔だ」
ケヒリは一言そう呟き、その騎士を斬り殺した。
「な、何をする! 裏切るつもりか!」
他の騎士がそう喚いたが、聞く耳持たぬボヘミア兵たちは、次々とループレヒトの遺臣たちを襲い、全員を縄で縛ったのである。
「俺が、ループレヒトの家来たちの中で一目を置いていたのは、クリストフだけだ。貴様らなど、仲間だとは最初から思っていない」
ケヒリは冷ややかにそう言うと、ドロテーアを縛っていた縄を切り、公子たちも解放してゲッツたちに引き渡したのである。
「ドロテーア! ドロテーア! ああ……」
ゲッツは、愛しい少女の華奢な体を必死になって抱き締め、我が胸に押しつけられた彼女の豊かな胸の柔らかさに震えるほどの幸福を感じた。ドロテーアは、ようやく恐怖から解放され、ゲッツに抱かれた安心感から、童女のようにわんわんと泣いた。気丈なドロテーアも、さすがに精神の限界を迎えかけていたのだ。ゲッツは、しばらくの間、ドロテーアの背中を左手で優しくさすってやり、彼女が少し落ち着くと、ドロテーアと向き合い、こう言った。
「ドロテーア。俺の右手は、この通り、鉄の手だ。戦では剣を握って俺の役に立ってくれるが、お前の体に触れても愛の温もりは感じられねえ。……こんな手になっちまった俺でも、結婚してくれるか?」
ゲッツは、剣を握った鉄の手をドロテーアに見せた。こんな殺し合いのためにあるような恐ろしい鋼鉄の義手、女性であるドロテーアは嫌がるかも知れないと心配だったのだ。
しかし、ドロテーアは涙で潤んでいる美しい瞳でゲッツを見つめ、柔らかな笑みを浮かべた。そして、その白くて細い手を血まみれの鋼鉄の義手にそっと置き、「私は、愛の温もりを感じますよ」と答えた。
「私のために、ここまで鉄の手で戦ってきてくれたのですよね。この義手は、あなたの心そのものです。だから……私は、この鉄の手から、あなたの愛を感じます」
ドロテーアは、そこまで言うと、ゲッツの鉄の手に接吻をし、「結婚しましょう」と囁いたのである。
「ドロテーア……。ありがとう」
ゲッツは、もう一度、ドロテーアを強く、強く、抱き締めた。




