第45話 最後の頼みを聞いてくれ
ゲッツとタラカーが幕舎で語り合っているちょうど同じ頃、ミュンヘン公アルブレヒトの陣営では、ある男が捕縛されてアルブレヒトの前に連れて来られていた。
「ちくしょう! ゲッツから逃げることができたと安心して油断していたら、こんな野郎に捕まっちまうなんて!」
「クンツ、よくも儂を裏切ってくれたな。今日のことといい、クーフシュタイン城に食糧を運び込んだことといい……」
「裏切ったのは貴様のほうが先だぞ、狡猾公! 貴様、クリストフがループレヒトの家来になっていることを知っていて、俺にループレヒトを殺させただろう! おかげで、俺はクリストフにまた恨まれることになっちまった!」
「黙れ、ならず者の盗賊騎士め! ……いいか、もう一度儂に従えば、命を助けてやる。だから、今から儂の言う通りに行動しろ」
「ふざけるな! 貴様の言葉など、もう二度と信用するか! 殺せるものなら、殺してみろよ! 縄で縛られていても、飛びかかって、貴様の醜い鼻を噛み切ってやることぐらいできるんだぞ!」
クンツがそう吠えると、アルブレヒトは冷酷な笑みを浮かべた。
「お前は大事なことを忘れているぞ? お前の病弱な妻は、儂の手の内にあるのだ。儂がミュンヘンに『クンツの妻を殺せ』と手紙を送れば、我が家臣たちがお前の妻をなぶり殺しにするであろう。いいのか? 友情を壊してまで手に入れた妻を失っても……」
「うっ……。ひ、卑怯者め……」
クンツは、がくりと膝をついた。そして、
「卑怯者め、卑怯者め、卑怯者め! …………今度はいったい、俺を何に利用するつもりだ」
と、うめくように言い、狡猾公を睨んだ。アルブレヒトは、ニヤリと笑う。
「我が軍は、夜明けの総攻撃を待たずに、これからクーフシュタイン城に単独で夜襲をかける。防御力を完全に失ったあの城ならば、我が軍だけでも簡単に城内に突入できるだろう。だが、ループレヒトの遺児たちに城を落ち延びられたら困る。ガキどもを助けるつもりらしい我が義兄ローマ王に保護されてしまっても、手が出せなくなる。だから、お前は我が軍の精鋭部隊を率いて城内の居館に突入し、ループレヒトの遺児たちを捕えるのだ。そして、儂のところまで連れて来い。……場合によっては、その場で殺しても構わない。やってくれるな?」
「…………」
クンツは顔を歪ませた。クンツは人を簡単に殺す残忍な男だが、クリストフの弟を殺してしまって以来、子どもを殺すことに抵抗を感じるようになっていたのである。しかし、イルマを人質にされている今、アルブレヒトの言いなりになるしか選択肢はなかった。
「……一つだけ、頼みがある」
「お前の今の立場で頼み事だと? ふん、厚かましい男だな。まあいい、言ってみろ」
「落城後、クリストフの助命嘆願をローマ王にして欲しい。王の義弟である貴様なら、きっとできるはずだ」
「それぐらいのことならば、お安い御用だ」
アルブレヒトはそう言うと、クンツの縄を家臣たちにほどかせた。そして、帝国軍の他の部隊に気づかれぬように密かに出撃の準備を始めたのでる。
一方、砲撃を免れた居館以外の建物は全壊、もしくは半壊してしまっていたクーフシュタイン城では、一つの騒動が起きていた。城主のピーンツェナウアーが、城から密かに脱け出そうとして、ループレヒトの遺臣の騎士たちに捕まったのである。
「まさか、こんな所に地下通路の隠し場所があったとは!」
それは、城主であるピーンツェナウアーしか知らない城外へと脱出するための地下通路だった。この地下通路の入口は、居館内の炊事場と大きな塔のそばにあった。ピーンツェナウアーは、居館一階にある炊事場に隠してあった地下通路への階段を降りようとしていたところを見つかり、騎士たちに縄で縛られて居館の一室に監禁されてしまったのである。あくまでも城を枕に討ち死にするつもりの騎士たちは、名目上の総指揮官であるピーンツェナウアーを逃がすわけにはいかなかったのだ。
ケヒリは、そんな騒ぎなど意に介さず、大きな塔の最上階でヘルゲらボヘミア兵たちとともに葡萄酒を酌み交わしていた。屋根が砲撃で吹き飛ばされたせいで、見上げると夜空の星々が瞬いていて、手を伸ばしたら星をつかめそうだった。
「明日、帝国軍の総攻撃があるだろう。狡猾公は、城攻めのどさくさに紛れて公子たちを殺そうとするはずだ。俺はクリストフと話し合い、夜が明けるまでに公子たちを城から脱出させてローマ王にエリーザベト様の子たちを託すことに決めた。すでに、クリストフが、ピーンツェナウアーが隠していた地下通路を使って公子たちを逃がそうと動き始めているはずだ」
ケヒリが盃の酒を飲み干してそう言うと、ヘルゲは「え?」と驚いて顔を上げた。
「信じるのですか、ローマ王を……」
「……うむ。あのドロテーアという娘が言っていた通り、ローマ王は慈悲深い男のようだ。苛烈な性格の王ならば、砲撃で城を無力化したら間髪入れずに城を攻めたはずだ。しかし、こうして、我々に最後の夜を与えてくれた。……あの王は、恐らく、最後の選択をしろと我々に暗に言っているのだろう。夜の間に逃げて生きるか、城で死ぬかの選択をしろとな。ローマ王には敵に対してもそんな優しさを示す男だ。……幼い子どもを殺すことはないだろう。ローマ王に遺児たちを託すことが、エリーザベト様の遺志だったのならば、俺はそれに従うまでだ」
「……分かりました。俺は、どんな決定でも父上のお言葉に従います」
ヘルゲがそう言い、父の空になった盃に酒を注ぐと、ケヒリは「ならば、俺の最後の頼みを聞いてくれ」と息子を見つめた。いつになく穏やかな目をしているケヒリは、まるで別人の……息子と酒を酌み交わしている普通の父親のようだった。息子でさえも戦の駒として扱う戦闘狂の傭兵隊長とは思えない、ヘルゲが初めて見る顔だ。
「ここにいる生き残ったボヘミア兵三十五人とその家族を引き連れて、ゲッツの陣所に逃げ込むのだ」
「えっ」
「あの人情に篤い男ならば、お前たちの助命嘆願をローマ王にしてくれるだろう。そして、ローマ王も、ボヘミア王との関係が悪化するのを嫌い、お前たちを極刑に処しようとはしないはずだ」
「な、ならば、父上も一緒に……」
「俺は、ここでゲッツを待つ。昔、俺はキリアンという誇り高き帝国騎士と一騎打ちし、引き分けた。キリアンの息子であるゲッツと戦い、あの時の決着をつけたいのだ。だから、ヘルゲよ。ゲッツに、ここへ来て俺と戦えと伝えてくれ」
「父上は……もしや……」
ヘルゲはようやく理解できた。ケヒリが、なぜ、右手を失ったゲッツを気にかけて、彼が戦士として復帰できるように手助けをしていたのか、分かってしまった。ケヒリはゲッツをもう一度戦場に立たせて、彼と戦いたかったのである。そして、ゲッツによって……。
「父上。俺もここに残ります。そして、最後まで父上と共に戦い、死にます。そうさせてください」
ヘルゲがそう懇願すると、ケヒリは星空を仰ぎ、「駄目だ」と答えた。
「俺は戦争狂いの傭兵だ。道徳なんてない。人の情愛も理解できぬ。……そう今までは思っていた。だが、あのお方……エリーザベト様に出会ってから、母に愛されていた頃の記憶が蘇り、昔は俺も人並みの優しさや愛情を持った人間だったことを思い出したのだ。だから……死を前にした今頃になって、息子とボヘミアの仲間たちを生かしたい、生きて欲しいと願うようになってしまった。ヘルゲよ……俺は母を守りたいと願って叶わず、エリーザベト様のために戦おうと誓って彼女を死なせてしまい、何一つ望みが叶ったことのない人生だった。最後に一つだけ、いや、欲を言って二つ願いを叶えたいのだ。協力してくれ」
ケヒリの願いは、ヘルゲとボヘミア兵を生かすこと。そして、ゲッツと戦い、自分の人生に決着をつけること……。それらの願いが叶えば、ケヒリはこの世に何の未練もなかったのである。
「父上……。分かりました。全て、父上の希望のままに……」
これまで親らしい愛情を示してくれることがなかったケヒリが、最後に「お前に生きて欲しい」と言ってくれたことが、ヘルゲには嬉しく、そして、父と離れなければいけない運命が悲しくて、ぼろぼろと涙を流した。すると、ボヘミア兵たちも、もらい泣きし、星空の下の塔では彼らのすすり泣く声が長い時間していた。
「もう泣きやめ。ボヘミアの男が、いつまでもメソメソとしているな。さあ、そろそろ行け。下の階で眠っているループレヒトの残党兵たちに気づかれぬようにな」
ケヒリがヘルゲたちにそう言い、無表情な彼にしては珍しく微笑んだ。……変事が起きたのは、その時だった。
ズダーン! ズダーン! ズダーーーン!
銃声が夜の静寂を切り裂き、ケヒリたちは「何事だ!?」と驚いた。
それは、ローマ王の「総攻撃は明日から」という命令を無視して夜襲を仕掛けて来た狡猾公アルブレヒト軍の攻撃開始の合図だった。




