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鉄腕ゲッツ  作者: 青星明良
終章 鉄の手と愛の温もり
41/50

第41話 お前からドロテーアを奪う

とうとう終章突入です!

みなさん、どうか最後までご覧ください!

 十月。

 この年の春に戦端せんたん火蓋ひぶたが切られ、夏に数々の激戦が繰り広げられたランツフート継承戦争も、秋の気配を迎えつつあるクーフシュタインの地で終結を迎えようとしていた。

 反逆者ピーンツェナウアーとループレヒトの残党、ケヒリたちボヘミア傭兵が立て籠もる要塞クーフシュタインは、すでに神聖ローマ帝国の大軍に包囲されていた。

 開戦を前にして、帝国軍の傘下に入ったプファルツ軍のジッキンゲンは、城から手勢を率いて出て来たピーンツェナウアー、クリストフ、ケヒリ、ヘルゲら籠城軍の指揮官たちと対峙し、降伏するように説得をしていた。

「げ、ゲッツ殿。ドロテーアは、あの城の中にいるのであろう? 妹にもしものことがあったら、私は……う、うう……」

 ドロテーアの兄ラインハルトは、大声を張り上げて降伏勧告をしているジッキンゲンをゲッツとともに見守りながら心配そうに言い、すすり泣いた。

「泣くなって。ドロテーアは、俺が惚れた強い女だ。簡単に死ぬわけがない。俺が必ず救出してみせる。だから、彼女を俺の嫁にくれ」

「嫁でも私の居城でも、何でも好きな物をくれてやるから、ドロテーアを助けてくれ!」

 ラインハルトは、鼻水を垂らしながらゲッツにすがりつき、わんわんと号泣し始めた。そんな時、

 ダーン!

 ケヒリに命じられたボヘミア兵が、「今すぐ降伏するんだ! 若様たちを戦争の道具に使うな!」とわめいていたジッキンゲンを狙って発砲した。

「殿様!」

 ジッキンゲンの傭兵たちが主人に慌てて駈け寄ったが、幸いただの威嚇いかくだったらしく、鉄砲玉はジッキンゲンの足元近くに外れた。

(小便ちびるかと思った!)

 ジッキンゲンはそうびびりながらも、しつこく「早く降伏を!」と怒鳴ったが、今度は殺意のこもった鉄砲玉が鎧の左小手をかすめて、「ひぃぃ!」と悲鳴を上げた。

(ケヒリの奴、降伏する気なんて全くないな。だが、兵たちの中にはけっこう動揺している奴らもいるみたいだ)

 ゲッツは、味方のはずだったプファルツ軍の騎士ジッキンゲンが帝国軍の一員として現れたことに対して反乱軍の兵たちが戸惑い、ざわついているのを注意深く観察してそう考えていた。そんな時、後ろから誰かがゲッツの肩をポンと叩き、

「鉄腕の騎士よ。和議成立の役目、ご苦労であった。」

 そう言って、ゲッツの横を通り過ぎて行った。ローマ王マクシミリアンである。

「あっ、王様! 危険です!」

 そばにいたヴェルテンベルク公ウルリヒが慌てて止めたが、マクシミリアンは側近のエーリヒだけを連れて、ジッキンゲンの横に立った。そして、敵の将兵たちに向かってこう告げたのである。

「よく聞け、皆の者。余は、レーゲンスブルク近郊の合戦で捕虜にしたボヘミア兵の命を助け、余に背いたイン川沿いの諸城の城主たちの罪も許した。それゆえ、そなたたちにも余に許しを乞う機会を与えようと思う。今夜の内に、城より出るのだ。夜が明けるまでに降伏した者については、余はその罪を問わない。だが、朝日が昇った時点で城にいた将兵たちは……殺す。一人残らず、処断する。兵たちよ、よくよく身の処し方を考えるのだぞ」

 それは、温厚なマクシミリアンが、かつてしたことがない残酷な恫喝どうかつだった。ここまで脅さなければ、この反逆者たちは降伏してくれないと考えたのである。できれば、攻城戦で彼らの命を奪いたくなかった。これまで王に忠誠を尽くしていながらたった一度の過ちで反逆者となってしまったピーンツェナウアーや、行き場を失ったループレヒトの残党たちを哀れだと思っていた。だからこそ、心を鬼にして、降伏しなければ殺すぞと言い、兵たちに生きる道を選ばせようとしていたのである。「生きようとしてくれ」と心の中で祈りながら、「従わねば殺す」と叫んでいた。

「お……王様……」

 長年に渡ってローマ王に仕えてきたピーンツェナウアーは、マクシミリアンの心情を理解することができ、できればあのお方の膝にすがって涙ながらに許しを乞いたいと思った。しかし、クリストフやケヒリたちは、この城の主である自分が城を脱け出すことを絶対に許さないだろう。降伏することなど、もはやできないのだ。

「ローマ王を撃て」

 ピーンツェナウアーが葛藤している横で、エリーザベトの復讐戦に燃えているケヒリは狙撃兵にそう命じていた。

(あっ! ケヒリの奴、ローマ王を……!)

 ボヘミア兵が王に銃口を向けて狙っていることに気づいたゲッツは、そばにいたハッセルシュヴェルトに、

「おい、俺の鉄の手に盾を握らせろ。急げ」

 そう命令し、ハッセルシュヴェルトの愛用の大盾を義手に装着すると、愛馬シュタールに飛び乗って左手で手綱を操り、マクシミリアンの前に出た。そして、ローマ王の心臓めがけて飛来した銃弾を盾で防いだのである。

 ループレヒトの遺臣たちやボヘミア傭兵たちは、敵軍の先頭に現れたゲッツの姿を見て、一様に驚きの声を上げた。彼らはヘルゲからゲッツの復活を聞き知っていたが、鉄腕で盾を握って颯爽と登場したゲッツの勇姿に目を見張り、感嘆したのである。

「ゲッツ!」

「やあ、クリストフ。ドロテーアは元気か?」

「…………」

 クリストフは、右手を失いながらも復活した親友の姿を見ることができて嬉しいと思いつつ、

(俺は挫折続きの人生に絶望して死への道を選ぼうとしているのに、ゲッツはなぜ絶望から立ち上がることができたのだ……)

 と、思った。しかし、その疑問の答えは、ゲッツ本人がすぐに教えてくれたのである。

「クリストフ。俺は、自分の心に素直になることに決めたよ。俺は……ドロテーアを愛している。お前からドロテーアを奪う」

 晴れ晴れとした表情でゲッツはそう言い、ニヤリと笑った。

(そうか。ドロテーアが、ゲッツの力の源だったか。ゲッツは、愛する者から目を背け続け、他人に奪われてしまった俺とは違うのだな……。あいつは今、愛のために生きている。だから、強いのだ)

 そう悟ったクリストフは無言でゲッツに微笑み、うなずくのであった。



 味方であったプファルツ軍の裏切りとジッキンゲンの降伏勧告、そして、マクシミリアンの恫喝は、クーフシュタイン城の将兵たちに十分過ぎる衝撃を与え、日が没すると同時に城を脱走する者が続々と現れた。

「逃げたい者は、逃がそう。どのみち、これだけの人数が籠城をしていたら、兵糧がもたない。最後まで戦う気力のある者たちだけで、最終決戦に挑めばいい」

 城主居館の三階廊下を歩きながらクリストフがそう言うと、傍らのケヒリは「ふん……」と呟いたが、いなとは答えなかった。ケヒリも、戦意のない奴が城にいたら戦いの邪魔だと考えていたのである。

「ただし、城主のピーンツェナウアーだけはここにとどまってもらう。奴にはこの戦の総大将をつとめさせなければならん」

「本人は、ローマ王に背いたことを後悔しているようだな。……気の毒だが、我々と心中してもらうしかない」

 二人は血走った目でそう話し合いながら、ドロテーアが二人の幼い公子たちといる部屋に入った。

「……クリストフ様」

 二歳のオットー・ハインリヒを寝かしつけ、泣いている一歳児のフィリップをあやしている最中だったドロテーアは、悲しげな目でクリストフを見つめた。

 破滅の道へと突き進んでいるクリストフは、本来の優しげな風貌は見る影もなくなり、顔は青白くて目だけがギラギラと狼のごとく光っていた。もはや、おのれの何もかもを諦め、最後に華々しく戦って死ぬことでこの苦しい生から解放されたいと彼は願っていたのである。

 結婚を拒否されても、ドロテーアにとってクリストフはずっと昔から優しい兄のような存在だった。だから、変わり果ててしまった彼の姿を見るのは、とても辛かったのである。

「ドロテーア。お前はここを出なさい。ゲッツが、お前を迎えに来ている。我々の戦いに最後まで付き合う必要はない。ここで死ぬのは、希望も行き場も失った俺たちだけで十分だ」

「……そうおっしゃるのならば、この子たちも城から出してあげてください。未来あるこの子たちこそ、ここにいてはいけないと思います。若君たちが城を出る時、私も一緒にここを出ます」

 エリーザベトに特に恩があるわけではないが、子を想う一人の母親から子どもたちを託されたのだ。ドロテーアは、

「この子たちを頼むと幼い命を託されたからには、騎士の娘の誇りと女の意地にかけて、途中で見放すことなどできません」

 そう言い、公子たちのそばにずっといたのである。そういった義理堅さは、やはり、ゲッツに似ていた。

「若様たちはこの城を出ても、両親と同じように、ローマ王か狡猾公に殺される。エリーザベト様が死の直前に、ローマ王から子どもたちを守ってくれと遺言されたのだ。俺は、彼女の最後の願いを守らなければならない」

 ケヒリは頭を振り、そう答えた。


 ――ケヒリ……。坊やたちを……ローマ王に……。


 エリーザベトはそう言い残して死んだ。ケヒリは、ループレヒト夫妻の死には、ミュンヘン公アルブレヒトだけでなく、マクシミリアンも関わっているのだと考え、帝国軍には絶対に公子たちを渡さないと決めていたのである。

「……エリーザベト様が最後に残された言葉は、本当に『ローマ王から守れ』という意味だったのでしょうか?」

 ドロテーアがそう言うと、ケヒリは「何だと?」と眉をひそめた。

「ローマ王のこれまでの行ないを振り返ってみてください。極力、敵対した将兵の命を救おうとしてきたではありませんか。今回も、この城に籠った兵たちに降伏の最後の機会を与えました。王様は、できることなら人を殺したくはないと思っているのです。そのようなお方が、謀略をもって人を殺めるでしょうか? ループレヒト夫妻の暗殺は、ミュンヘン公の独断で行なわれたことだと考えるのが自然です。聡明なエリーザベト様は、ローマ王の人となりをよく理解していて、『ケヒリ。坊やたちをローマ王に託して』と言おうとしていたのではありませんか? ミュンヘン公の魔の手から若様たちを守ってくれるのは、慈悲深いローマ王しかいないと考えて……」

「…………」

 まさか、そんなはずはない。

 とは、ケヒリは言えなかった。今日見たローマ王マクシミリアンは、城兵たちを恫喝しながらも、その顔はどこか哀しみを帯びているように思われたのである。ドロテーアに言われて今思い返してみたら、あの哀しそうな顔は、帰るべき場所を失った兵たちに同情していたのかも知れない。

「……たとえそうであったとしても、若様たちがこの城を出ることはできない。俺とケヒリ殿が納得しても、他のループレヒト様の遺臣たちが許さないだろう。みんな、亡き主君の遺児二人を自分たちに残された最後の希望だと考えている」

「二歳と一歳の幼子たちが、最後の希望……」

 まさしく、溺れる者は藁をもつかむ、だ。

 行き場を失ったループレヒトの騎士たちは、幼児二人にすがりつこうとしている。そして、クリストフもそう言いながらも、幼児にすがりついている騎士の一人なのだ。戦う覚悟も、死ぬ覚悟もできていない幼児たちに、その果てには死しか待っていない運命を自分たちと共に背負わせようとしているのだ。そうすることでしか、彼らは騎士としての自尊心をたもつことができないのである。ドロテーアは、クリストフたちが哀れに思い、涙を流した。

「……私は、若様たちとここに残ります」

 そう静かに言うと、ドロテーアはクリストフから背を向けた。今となっては、この子たちの真の味方でいてあげられるのは自分しかいない。子どもたちを残して、この城から離れられない。ドロテーアはそう考えていたのである。

 クリストフは、ドロテーアに何も言葉をかけることができず、

(すまない、ゲッツ)

 そう心中で友に謝ると、部屋から出て行った。

 ケヒリは、しばらくの間、寝息を立てているオットー・ハインリヒと、いまだにぐずって泣いているフィリップを見つめていたが、

「エリーザベト様……。俺は、あなたの最後の言葉を誤解しているのか?」

 そう呟くと、戦の準備をするために部屋を出た。これでいいのか、これでいいのか、これが彼女の遺志なのかと自分に問いながら……。

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