第31話 貴様にはあの世で食事をしてもらう
ケヒリが今度こそ退出しようとした時、謁見の間に文官が入って来て、少々慌てた口調でこう告げた。
「申し上げます。クリストフ・フォン・ギーク様の許嫁を名乗る女性が、婚約者に会わせて欲しいと城門前まで来ております」
「戦を前に、外部の者を誰がランツフート市内に入れたのですか!」
エリーザベトが憤ってそう問うと、文官は「そ、それは、ループレヒト様です……」と、こわごわと答えた。
「『我が家臣の許嫁を粗略に扱ってはならない。丁重に迎え、クリストフと再会させてやれ』……との仰せでした」
(あの若造は、少々迂闊すぎる)
ケヒリは、内心舌打ちした。そのクリストフの許嫁を名乗る女が敵の間者や刺客だったら、どうするのだ。ランツフート市外にとどめ、クリストフに本人か確認させてから市内に入れるべきではないか。エリーザベトもそう思っていたらしく、短くため息をついた。
「ケヒリ。一つ、頼みたいことがあります」
「何でしょうか」
「今からここでクリストフと彼の許嫁だと名乗る女を引き合わせます。もしも、クリストフが知らない女だと答えた時は――女をこの場で殺してください」
「御意」
エリーザベトは、クリストフの許嫁だという女を城兵たちに謁見の間まで連れて来させ、ランツフート市外で軍事訓練中のクリストフにも今すぐ城に来るようにと使いをやった。
「あなたが、クリストフの婚約者ですね」
謁見の間に一人で入って来た少女――ドロテーアは、エリーザベトの問いかけに対して、凛とした声で「はい」と返事をした。
エリーザベトのそばに控えるケヒリは、鷹のように鋭い目でドロテーアを睨み、短剣を握った左手を背に隠している。エリーザベトの合図とともにこの女の胸に剣を投げつけるつもりなのだ。
ドロテーアは、隻腕の老兵が発する殺気に気づいていたが、特に動揺することもなく、エリーザベトに自分がここへ命がけで来た理由を説明することができた。
この少女は、ゲッツやタラカー一味など、物騒な男どもたちに囲まれる生活を送っていたし、外道極まりないフリッツに散々恐い目にあわされたこともある。だから、ケヒリに睨まれたら睨み返すぐらいの度胸が備わっていたのである。
「あなたの兄はミュンヘン公側なのでしょう? ランツフートに来たら、殺されるとは思わなかったのですか?」
ドロテーアに色々と質問をして、彼女の兄ラインハルトがミュンヘン陣営の騎士だと分かると、エリーザベトはそう問うた。
「ループレヒト公は、重傷を負った敵将を客分として手厚く保護するほど度量の広い君主だと聞いています。私のようなか弱い女を敵の間者だと恐れて殺すなどという小心者がするような真似はしないと信じ、ここまで来ました。それに、私を殺した後でクリストフ様の本当の許嫁だったと分かれば、家来の婚約者を殺した愚か者だとループレヒト公は人々に謗られることでしょう」
(十代の娘が、敵地の城でよくもここまで堂々と言えるものだ)
エリーザベトは、怒ることも忘れて、あっ気に取られてしまった。ケヒリまでもが眉をわずかに動かして驚いている。
ドロテーアの言いたいことをズバズバと言う性格は生まれつきなのだが、同じように誰にでも言いたい放題なゲッツと出会ってからは、彼の影響を受けてしまい、言葉の切れ味と放縦ぶりに磨きがかかっているのだ。
ドロテーアに一発ぶん殴られたような気分になったエリーザベトは、この女ゲッツとも言うべき豪快な少女に対する警戒心をうっかり忘れそうになっていた。
クリストフが謁見の間に現れたのは、ちょうどこの時である。
「ど、ドロテーア! なぜここに!?」
「クリストフ様!」
今まで気丈に振る舞っていたドロテーアは、クリストフの顔を見ると、涙ぐんで、
「なぜここに、ではありません!」
と、声を荒げた。
「なぜと問いたいのは私のほうです! なぜ、今まで手紙の一つも寄越してはくれなかったのですか! 薄情ではありませんか!」
「ま、待て……待て。エリーザベト様の御前だ。こ、こら、叩くな」
さっきまで堂々としていたドロテーアが、急に子どもっぽくなり、泣きながらクリストフの胸を両手でポカポカと叩き始めた。
(前からお転婆だったが、危険を冒して敵地に乗り込むほどたくましい女になったか。……あいつが、この子を強くしてくれたのだな)
クリストフはそう思い、少し寂しげな微笑みを浮かべて、「すまなかった、ドロテーア」と謝った。
「クリストフ。彼女はあなたの婚約者で間違えないのですね」
「はい、エリーザベト様。ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
「よいのですよ、クリストフ。結婚は一生を決める大切なこと。二人きりでよく話し合いなさい」
女の勘で二人にはなぜか男と女の匂いがしないと感じたエリーザベトはそう言った。クリストフはエリーザベトに礼を言うと、ドロテーアを伴って謁見の間を退出していった。
「……どうやら、私たちの思い過ごしだったようですね。それにしても、不思議な力強さを持った娘でした。あのように型破りな娘を妻とする男は、同じように型破りではないといけないでしょう。クリストフでは、少々真面目すぎるかも知れません」
エリーザベトは、ドロテーアという少女に対する感想を呟いた後、家来たちに、
「城門で待たせているドロテーアの供たちを城内に入れて食事でも与えてやりなさい」
と、命令した。
ザクセンハイム家の家来に扮してランツフートに入ったタラカーとカスパールは、城内までドロテーアの供をすることを許されず、夕暮れ迫る城門前で門番たちに監視されながらドロテーアの帰りを待っていた。
ちなみに、ハッセルシュヴェルトや他の傭兵十数人は、ランツフート市から少し離れた森の中に潜んでいた。ハッセルシュヴェルトは、ランツフート近郊における合戦でボヘミア傭兵たちと交戦しているため、顔を知られている可能性がある。だから、タラカーはハッセルシュヴェルトを市内の潜入に同行させなかったのだ。
また、タラカーたちがランツフートからゲッツを連れだし、敵の追手があった場合、市外で武装して待機しているハッセルシュヴェルトらが駆けつけて、ゲッツを守りつつランツフート領内から脱出する手はずだった。
「ドロテーア殿、おせえなぁ。もしかして、殺されているんじゃ……?」
ドロテーアを心配して、カスパールが馬面を歪ませながらそう言うと、「心配するな」とタラカーが言った。
「さっき、クリストフが城内に入って行った。殺されることはない」
「あの野郎、俺たちの顔を見てビックリしていましたね。さんざんゲッツ殿やドロテーア殿に心配をかけさせておいて音沙汰なしだったのに、ドロテーア殿はまだあんな奴に惚れているのかなぁ? 俺はさぁ、あのお嬢さんにはゲッツ殿の嫁になってもらいたいんだよ」
「俺もそう思っているさ。だが、今はドロテーア殿を介して、ゲッツがランツフートから脱出する手助けをしてくれるようにクリストフに頼まなければならない」
「その後、ドロテーア殿がクリストフの元に残ると言い出したら、どうするんだよ」
「もちろん、ゲッツと一緒に連れ帰るさ。彼女が駄々をこねてもな。自分が本当は誰が好きなのか分かっていないみたいだから、俺たちがゲッツとドロテーア殿をくっつけてやるんだよ」
「まどろっこしいなぁ~。がーっと大暴れして、ゲッツ殿を救出しちまえばいいのに。それに、クリストフが裏切ったら……」
「落ち着け、カスパール。馬面なだけに馬並みの知恵しかないお前が余計なことを考えるな。ゲッツの親友であり、ループレヒトの家来であるクリストフに協力してもらうのが一番安全な救出方法なんだよ。それに、あの男はたとえ協力してくれなくても、ゲッツの仲間の俺たちに危害は加えない」
タラカーはそう言ったが、タラカー一味の中でも短気でこらえ性がないカスパールは、「ちぇっ」と舌打ちをした。しかし、
「お前たち。飯を食わせてやるから、城内に入るがいい」
エリーザベトの命令を受けた家来が城門前にやって来てそう言うと、カスパールはすぐに上機嫌になって「やっほう! 飯だ!」と小躍りして喜んだ。実に単純な男である。
「我らの主であるドロテーア様は、どうなったのだ」
タラカーがたずねると、ドロテーアはクリストフと二人きりで話をしている最中でしばらくは城内にいるだろうとのことだった。
「じゃあ、俺たちは、二人の話が終わるまでの間、お城のごちそうでもいただいていようか」
タラカーがそう言った直後のことである。
「悪いが、貴様にはあの世で食事をしてもらう」
という嗄れ声して、
シュッ!
と、短剣が城門の内側から飛んで来たのである。
タラカーは、その聞き覚えのある声に体が素早く反応して、おのれの左胸めがけて飛来した短剣をぎりぎりで何とかかわした。ただし、左肩にかすってしまい、肩から血がビュッと噴き出す。
剣を投げたのは、ケヒリだった。
城を退出しようとしていたケヒリは、自分が三十数年前に取り逃がした獲物が城門前にいることに気づいて驚き、今度こそ殺してやろうと襲いかかったのだ。
「お、お前は……ケヒリ! とっくにどこかの戦場で野垂れ死んでいると思っていたのに!」
「生憎だが、俺は片腕になってもしぶとく生き残ってしまった。貴様も無駄に長生きしているようだな。自分を助けに駆けつけた友を見捨てて敵前逃亡した卑怯者――ハンス・フォン・マッセンバッハ!」
「訳の分からないことをぐちゃぐちゃと言いやがって! よくもタラカーの親父を傷つけたな!」
激怒して馬面を真っ赤にしたカスパールが剣を抜いた。しかし、タラカーはカスパールを右手で制し、
「よせ! こいつを隻腕と見て侮るな! お前では返り討ちにあう! ここは逃げるぞ!」
と言って、カスパールの腕を引っ張って逃亡したのである。
「また逃げる気か! 待て!」
ケヒリは、街の中へと逃げようとするタラカーを追った。




