第3話 草葉の陰で泣いているぞ!
朝靄の中、ニーデルンハルを発ったゲッツとトーマスは、夕暮れ時までにはゾーデンベルク城に着こうと、馬に鞭打って急いだ。ケチな伯父の気が変わらぬうちに良馬をもらおうと気持ちが急いていたということもあったが、途中で夜になってしまったら、盗賊に襲われる危険性があったからである。
この時代、盗賊騎士だけでなく、本物の盗賊たちが旅人や商人どもを追いはぎしてやろうと舌なめずりして、街道のあちこちで待ち受けていた。
彼らのほとんどが、貧困のあまり罪を犯して故郷を追放されたあぶれ者や、戦で家をなくして頼るべき縁者もおらず自力で生きている無頼の徒だった。そういった賊どもは情け容赦なく旅人の金と衣服と命を奪っていく、盗賊騎士に劣らぬほど恐ろしい奴らだ。猪武者のゲッツも、そんな盗賊たちと不必要な戦いはしたくない。それに、彼らあぶれ者たちをできたら殺したくないとも思っていた。
ゲッツの仲間であるタラカーの傭兵たちも、出自はまちまちだが、多くがそういったあぶれ者――世間から爪はじきにされた男たちなのだ。
(あいつらも、タラカーの親父に拾われず、傭兵にならなかったら、盗賊に身をやつすしかなかっただろう)
と、そう思うと、盗賊たちを無闇に殺す気にはなれなかったのである。
夕暮れ時にゾーデンベルクに到着したゲッツは、山の上に築かれた城塞を眺め、
「ここに来るのも久しぶりだなぁ」
と、呟いた。ゲッツは、盗賊騎士タラカーとつるむようになって以来、ヤークストハウゼンの母や兄たちだけでなく、伯父のナイトハルトともほとんど会っていなかったのである。会えば、盗賊騎士などやめてどこかの諸侯に仕官しろと説教されるに決まっているからだ。
「あのガミガミ屋の伯父上と会うのは気が重いが、もらう物をさっさともらって、ニーデルンハルに帰るか」
ゲッツが馬に揺られながらぶつぶつとそう言っていると、農具のフォークや鍬などを持った、農作業の帰りらしき農民七人と遭遇した。ナイトハルトの領内の農民たちで、ゲッツも見知った顔の者が三人いる。
「よう、励んでいるか」
ゲッツは、馬上から声をかけてやった。怒りさえしなければ、基本的に気さくで優しい若者なのである。ただし、怒りの沸点は極端に低い。
農民たちはゲッツの元に駈け寄って来て、「へへえ」と跪いた。そして、
「なあ、兄貴。このお方がゲッツ様なのか?」
「間違いねぇ。俺は何度かゲッツ様を見たことがある」
「だったら、殿様のご命令通り、城までお連れするべ」
と、何やらひそひそと話し合い、お互いに頷き合った。
「ん? 何だ? 何を言い合っている?」
ゲッツが鼻の穴をほじくりながらそう聞くと、フォークを持った農民が、「ゲッツ様、怒らないでくださいね」と言い、いきなりフォークでゲッツを突いたのである。
「いってぇーーー! 右手がちぎれたらどうする! ……って、うわ! うわわ! 何をしやがるんだ!?」
フォークで右手を突かれ、驚いたゲッツは馬上で体勢を崩した。農民たちは、そんなゲッツの足を引っ張り、馬から引きずり下ろす。
「あっ! 貴様ら! 俺の主人に何てことを!」
トーマスが怒り、剣を抜こうとしたが、横から鍬が襲いかかってきて、慌ててかわそうとしたら落馬してしまった。
農民たちは、地面にかっこ悪い姿勢で転がったゲッツとトーマスを縄で縛り、「少しきついですが、我慢してください」とゲッツに言った。
「てめえら、自分たちの殿様の甥っ子にこんなことをして、ただで済むと思っているのか! 早く縄を解きやがれ!」
縛られたゲッツは、ぴょんぴょーんとエビが跳ねているみたいに暴れ、ぎゃあぎゃあと騒いだ。
「それが、殿様のご命令なんです。ゲッツ様が逃げないように城へ連れて来いって」
「え? 伯父上が?」
ゲッツが間抜けた声を出して驚いていると、農民たちは「さあ、行きましょう」と言い、縄を乱暴に引っ張った。
「こ、こら! 引きずるなっ! ひーきーずーるーなぁーーーっ!」
ゲッツとトーマスは、農民たちにズルズルと引きずられ、伯父のナイトハルトが待つゾーデンベルク城に連行されたのである。
「ひどいぜ、伯父上。可愛い甥にこんな乱暴な仕打ちをするなんて」
農民たちによってゾーデンベルク城の居館まで連れて来られたゲッツは、久々に顔を合わせたナイトハルトに膨れっ面で文句を言った。逃げ出さないように、縄でぐるぐる巻きにされたままである。
「なーにが可愛い甥だ。王様の側近たちに睨まれているタラカーのような悪名高い男と行動を共にして、お前の母がどれだけ心配していると思っているのだ。まったく、もう、お前という奴は……」
ナイトハルトがガミガミと説教を始めると、ゲッツは、
(伯父上のくそ長い説教がまた始まったぜ……)
と、うんざりして顔を歪めた。
ナイトハルトがここで言う「王様」というのは、神聖ローマ帝国の現在の君主であるマクシミリアン一世のことである。マクシミリアンは、一四八六年に、次期皇帝となるローマ王を決めるための選挙権を有する選帝侯たちの選出によりローマ王となったが、一五〇二年の現時点でいまだ皇帝になれずにいた。
皇帝になるためには、イタリアのローマに赴き、ローマ教皇の戴冠を受けなければいけなかったのである。だが、イタリアの支配を虎視眈々《こしたんたん》と狙うフランスにローマへの道を阻まれ、戴冠式を挙げることができないのだ。
「タラカーの親父は、世の中の奴らが噂しているほど悪い奴じゃねえよ。あのじいさんは、自分を慕って集まった傭兵たちを我が子のように可愛がっているし、貧しい農民たちみたいな本当に弱い奴には手を出したりはしない。喧嘩を売るのは、貧乏な人間にたくさん恵んでやれるだけの財産があるのに、自分だけが私腹を肥やしていばりちらしている金持ちの商人や貴族だけだ。……それより、早く馬をくれよ。俺は良馬を伯父上が譲ってくれるというからここに来たんだぜ?」
「だまらっしゃい! あれはお前を我が城に呼び寄せるための嘘だ!」
「ひ……ひでえ! 伯父上の嘘つき! けちん坊! イボ痔! ……いや、切れ痔だったっけ?」
「うっさいわ! 両方じゃ! ……こ、こほん。そんなことは、今はどうでもよい。ああ、もう……。頭が痛くなってくるわい。お前の父親は、先帝フリードリヒ三世様から厚く信頼された立派な騎士であったというのに……。なんと情けないドラ息子じゃ! お前の父も、草葉の陰で泣いているぞ!」
「うぐっ……」
父親の名前を出されたゲッツは、急に元気をなくして顔を伏せた。
ゲッツの亡き父キリアン・フォン・ベルリヒンゲンは、マクシミリアン一世の父フリードリヒ三世に仕えた人物で、先祖代々、馬上槍試合に出場することを認められていた由緒正しき帝国騎士である。彼は若い頃に戦で左足を失い、その後、体も病弱になって、騎士として華々しく活躍することはできなかったが、ベルリヒンゲン家の豊かな資産を使って皇帝フリードリヒ三世を助けた。
貧窮のあまり皇帝の求めに応じて戦場にはせ参じることができない近隣の騎士たちに金を貸したり、多くの傭兵を雇って自分の代わりに従弟のコンラートを帝国軍に従軍させたりなど、裏方仕事に徹したのである。キリアンの忠義に感謝したフリードリヒ三世は、彼と従弟のコンラートに、様々な特権と封土を与えていた。ゲッツの父は、皇帝に認められるほど立派な貴族だったのだ。
末っ子として生まれたゲッツは、父の若い頃の苦労や偉大さを理解しているとは言い難いが、老いてから生まれたゲッツをキリアンはかなり甘やかして育てたため、ゲッツは優しい父のことを愛していた。ちなみに、父とは正反対で烈火のごとき厳しさでゲッツを教育したのが、母マルガレータだった。
とにかく、大好きだった父のことを話題にされると、ゲッツは途端に大人しくなってしまうのである。
「ゲッツよ、今からでも遅くはない。タラカーと縁を切り、辺境伯の元に戻れ。キリアン殿に負けないような、立派な騎士になるのだ」
「そうは言ってもよぉ……。あそこにいても、俺はポーランド野郎と喧嘩ばかりして、殿様を困らせちまうんだよ」
ゲッツはそう言うと、ポーランド人のピオトルという男との間に起きたいさかいをナイトハルトに語るのであった。