第27話 悔やむな、ゲッツ!
ゲッツが右手を失って三日目。
朝、ゲッツは、右腕に走る激痛で目覚めた。
「ここは……どこだ?」
痛みは相変わらず気が狂わんばかりの激しさだが、強靭な精神力を持つゲッツはその尋常ではない激痛に歯を食いしばって耐えられるようになっており、朦朧としていた意識もはっきりとし、冷静に思考をめぐらすだけの余裕ができていた。
「ここは誰の幕舎だ? 俺は、いったい……?」
激痛と闘っていた二日間の記憶をほとんど覚えていないゲッツは、自分がどこにいるのか確認しようと考え、右手を支えにして体を起こそうとした。
しかし、利き腕である右手はすでに失われている。体を支えてくれる手がないゲッツは、寝床からまたもや転げ落ちた。
「いてえ! いってぇぇぇ!」
包帯が巻かれた欠損部を強く打ち、ゲッツは飛び上がった。そして、左手や両足をジタバタと動かしながら喚いていると、
「目を覚ましたか、ゲッツ。少しは医者の薬が効いてきたようだな。ずいぶんと顔色が良くなった」
紅のマントを羽織った男が幕舎の中に入って来たのである。
その男の顔を見たゲッツは、激痛を忘れてしまうほど驚愕した。
「く……クリストフ! お、お前が何でここにいる!?」
「ここが俺の陣営だからだ。俺は、ループレヒト公の家来になった」
「な、何だって!? つ……つまり…………ここは敵地かよっ!」
まさか敵軍であるループレヒト軍の陣地内にいるとは思わなかったゲッツは、狼狽した。
「慌てるな、ゲッツ。お前の右手の治療をするためにランツフートの名医をこの陣まで遣わしてくれたのは、ループレヒト公なのだぞ。ループレヒト公は、俺の願いを聞き入れてくれて、お前の容態が落ち着いたら、ランツフート市内で療養する許可も下さった」
「……敵である俺になぜそこまで親切にするんだ?」
ローマ王の命令に真っ向から逆らい、ランツフート領を我が物にしようと企む傲慢で野心家な貴公子という印象をループレヒトに対して持っていたため、ゲッツは不審に思った。
「ループレヒト公は少々自信過剰で軽率なところがあるが、才気溢れた名君となる器を持った御仁だ。
……俺は、一年前にあの忌まわしき事件が起きた後、しばらく各地を放浪していたんだ。家族を殺され、最愛の従妹を奪われ、領民たちまで失った俺は、悲しみに明け暮れ、騎士としての誇りもズタズタになっていた。こんな惨めな俺を誰にも見せたくなくて、お前や他の友人たちの前から姿を消したのだ。
そして、俺は、半年ほど経って何とか立ち直り、もう一度騎士としてやり直すために、ループレヒト公の誘いに応じて家来となった。あのお方は、領土を放棄して流浪していたような情けない俺を軽んじずに一人の立派な騎士として重用してくれている。俺にとっては、命に代えても守りぬくべき恩人であり、主君なのだ」
「そうか……。お前もこの一年、苦しんでいたんだな。……だが、落ち着く場所が見つかったのなら、なぜドロテーア殿に手紙の一つも送ってやらなかった? いや、妻とするために迎えに来てやるべきだったろう? 彼女は、お前が行方不明になってから、めっきり元気をなくしてしまっていたんだぞ」
「……ドロテーアには申し訳ないと思っている。しかし、俺にはあの子を妻にする資格はない」
「お、おい……。資格がないって、どういうことだよ。お前がそんなことを言ったら、ドロテーア殿がお前の無事を祈り、迎えに来てくれるのを待ち続けた一年間はどうなるんだ。それに、俺が、いったいどんな気持ちで、今までドロテーア殿のそばにいたと思うんだよ。お前の……親友の婚約者だからと思って俺は…………。うぐぐっ……!」
興奮したせいか、右腕の欠損部の痛みが急激に増し、ゲッツは顔を歪めて苦しんだ。
「ゲッツ! 大丈夫か! …………すまなかった。俺のせいで、お前にまで苦しい思いをさせてしまったようだ。……とにかく、今は療養に専念してくれ。右手を失っても、我が軍のボヘミア傭兵の隊長ケヒリ殿のように隻腕の戦士として再び戦場に立つことがきっとできるはずだ」
クリストフはそう言いながら、ゲッツを寝床まで連れて行ってやり、友の体を横たえさせた。
「隻腕のケヒリ? ゲオルク様を殺そうとしたあの男のことか……」
父キリアンの左足を奪い、キリアンによって右手を斬られた戦士の名がケヒリだったと伝え聞いている。もしや、あの男が……と思いながら、ゲッツは痛みによってまた意識を失うのであった。
ゲッツがクリストフの幕舎で療養している数日間に、ミュンヘン陣営はランツフート陣営とランツフート近郊で何度か小競り合いをしたが、戦況はこう着状態に陥っていた。
しかも、七月の焼きつけるような太陽が、多くの兵士たちを殺していき、軍の士気は下がる一方だった。
「兵の多くが死傷し、逃亡者まで出てきています。このままランツフート陣営と睨み合いを続けていても、勝ち目はありません。一度ミュンヘンまで退きましょう。そして、ローマ王に使者を送り、救援を乞うのです」
初戦でニュルンベルクなどの主要部隊に大きな損害が出たシュヴァーベン同盟軍のパッペンハイムが、ミュンヘン公アルブレヒトにそう提案すると、アルブレヒトは「むう……」と唸った。
(たしかに、このままではランツフートを落とせない。それに、ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンがジッキンゲンという敵将から聞き出した情報によると、クーフシュタイン城で反乱の兆しがあるらしい。もしも背後で裏切り者が出たら、本拠地のミュンヘンが危ない)
アルブレヒトが撤退に心動きかけていることを察したブランデンブルク辺境伯は、今はそれが妥当だと思いつつも、
(ゲッツを置き去りにして、ランツフートを去るのか……?)
と、息子をかばって右手を失ってしまったゲッツのことを案じていた。先日、ミュンヘン陣営にループレヒトの使者がやって来て、
「勇敢なる騎士ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンの身柄は我が陣営の将クリストフ・フォン・ギークが預かり、手厚く看護している。敵将という理由で、騎士であるゲッツを粗略に扱うような真似はしないので安心して欲しい」
という内容のループレヒトの手紙を辺境伯に渡したのである。
撤退するのならば、ゲッツも連れ帰ってミュンヘンで養生させてやりたいというのが辺境伯の願望だ。しかし、たとえループレヒトにかけ合ってゲッツの身柄を返還してもらったとしても、重傷を負ったばかりで弱っているゲッツがこの炎天下におけるミュンヘンまでの行軍に耐えられるかが問題だった。健康な兵士たちが暑さにやられてバタバタと死んでいるのだから、ゲッツの命も危ういだろう。
(今はループレヒトの言葉を信じて、ゲッツの命を彼に託すしかないか。ゲッツ、許せ……)
辺境伯は、心の中でゲッツに謝るのであった。
辺境伯は炎天下の行軍を心配していたが、憔悴しきっているゲッツには幕舎内で安静にしていてもこの酷暑は耐えられるものではなかった。彼の生命力は確実に奪われつつあったのである。
クリストフは、
(このままではゲッツが死ぬ)
と思い、ループレヒトの許可を得て、早朝の涼しい時間にゲッツを荷馬車に乗せてランツフート市内に護送した。
ゲッツの療養先は、ランツフートの都市の中心部にあるアルトシュタットの町の獅子亭という宿屋になった。
クリストフは、ゲッツの身の回りの世話のために下女二人と下男一人を付けてくれた。ゲッツと一緒に保護された愛馬シュタールは獅子亭の厩に置いてもらえることになり、ゲッツはクリストフが遣わしてくれた下男にシュタールの世話を頼んだ。
「ここでなら、ゆっくり養生できるだろう。何か困ったことがあったら、下男を我が陣に遣わして遠慮なく俺に伝えてくれ」
クリストフはそう言ってくれたが、獅子亭に運ばれたその日、宿の二階のゲッツの部屋には、ランツフート陣営の人々が続々と見舞いに訪れ、中にはかなり高名な騎士までもがゲッツに面会を求めて来たのである。そのせいで、ゲッツは、療養中でありながらゆっくり寝ている暇もなかった。
(何だ? どうして、聖地巡礼みたいにぞろぞろと俺のところへ来るんだ?)
最初、ゲッツは不思議に思ったが、だんだんと彼らの考えていることが分かってくると、不愉快な気分になってきた。
(要するに、戦争が長引いて面白いことが何一つないから、あいつらは娯楽に飢えているんだ。それで、右手を失った敵将を珍しがって見物しに来ている……というわけだ。ちくしょう、俺は見世物じゃねぇんだぞ)
見舞いに来てくれた人物の中には心から敵であるゲッツのことを心配してくれている者もいたかも知れないが、体力だけでなく精神まで消耗してしまっている今のゲッツには、
(どいつもこいつも片手だけになった俺を面白がってやがるんだ)
というふうに悪い方向にしか考えることができなかったのであった。
そして、夜になって一人きりになると、ゲッツは寒気に襲われた。寝床でシーツを頭からかぶってうずくまり、ガタガタと身を震わせていたのである。その寒気は恐怖と不安がもたらしたものだった。
(これから先、俺はどうなるんだ?)
クリストフが励ましてくれたように、隻腕の老戦士ケヒリの例もある。ゲッツも、おのれの努力次第ではケヒリのように戦場でめざましい働きができるまでに復活できるかも知れない。だが、いまだにおさまらない切断部の激しい痛みや日に日に衰えていく体力が、
(このままでは、父上のように病弱な体になってしまうのでは?)
と、ゲッツを不安にさせ、自分の未来に希望を抱くことを妨げていたのである。
(あの時、ゲオルク様を助けなければよかったんだ。勝手に戦場に飛び出したゲオルク様をかばわなければ、俺は右手を失わずに済んだのに……)
闇夜の中、ふとそう後悔してしまい、ゲッツは(俺は何を考えているんだ……!)と、すぐに思い直して首をブンブンと強く振った。
ゲッツは、おのれの心の奥底に隠れていた弱さを垣間見て愕然とした。俺は何て最低な野郎なんだ、と。
あの時、ゲッツは一人の騎士として、一個の男として、正しい選択をしたのだ。自分の正義を貫いたのだ。後悔などあるはずがない。あってはならない。ゲオルク様を見殺しにすればよかったなどと悔やむのは姑息だ。軟弱だ。もし、後悔をしたら、あの瞬間におのれが貫いた正義を否定してしまうことになるではないか。
右手を失っただけでなく、自分が信じた正義までも見失ってしまったゲッツが戦士として再び立ち上がることなどできるはずがない。
「悔やむな、ゲッツ! 悔やむな! …………悔やんじゃいけねぇ」
ゲッツは髪の毛を左手でかきむしり、自分に言い聞かせ続けた。




