第26話 今、楽にしてやる
今回から「三章 大波乱」がスタートします!
右手を切断されたゲッツの大いなる試練が始まります。ご覧ください!
「ゲッツ! ゲッツ! ゲッツーーーっ!」
戦場に、ゲオルクの絶叫が響き渡った。
ゲオルクが乗っていた馬は頭部に砲弾が当たって、惨たらしい姿になって斃れている。
ゲッツは、奇跡的に愛馬シュタールから落馬していなかった。そして、
手首と皮膚一枚でつながってだらりとぶら下がっている自分の右手。
止めどなく噴き出している真っ赤な血。
切断部分から見える白い骨。
それらをぼう然と見つめていた。
「ほう……。右手を失ったというのに、気絶せずに馬上にあるとは、なかなかの胆力の持ち主のようだな。だが、貴様はここで終わりだ」
ケヒリは再び短槍を構え、ゲッツめがけて投げた。
「ゲッツ様! 危ない!」
トーマスが駆けつけようとしたが、間に合わない。もう駄目だと絶望しかけたが、ゲッツは野生的勘でとっさに身をかがめて飛来した槍をかわしたのである。そして、
「トーマス! ハッセルシュヴェルト! ゲオルク様を連れて逃げろ! 絶対にゲオルク様を死なせるな!」
血走った目でそう怒鳴ると、ゲオルクが逃げるための時間稼ぎをするために、ケヒリの荷車城塞へと単騎で突進した。
「げ、ゲッツ様! 俺もお供をします!」
「待て、トーマス! ゲッツ殿の言う通り、ゲオルク様をお守りして我らは退却するべきだ!」
「止めないでくれよ、ハッセルシュヴェルト! 俺はゲッツ様の家来なんだ! 家来が主人と生死を共にしなくてどうするんだよ!」
「馬鹿者! 目を覚ませ! ここでゲオルク様を死なせてしまったら、ゲッツ殿は辺境伯との約束を違えることになる。誓いを破るのは騎士の恥だ。家来ならば、主人の騎士としての誇りを守ることを何よりも優先するべきではないか!」
「ち……ちくしょう!」
トーマスとハッセルシュヴェルトは、傭兵たちにゲオルクを守らせて後退を始めた。
ゲオルクを狙ったニュルンベルクの砲撃はなおも続いており、ゲッツの傭兵十人が砲弾に吹き飛ばされて死んだ。
この状況を後方で見ていたカジミールは、冷淡な男だが弟には人並みの情があるらしく、手勢の騎兵を率いてニュルンベルクの大砲隊を囲み、
「今すぐ砲撃をやめないと皆殺しにするぞ」
そう脅して、ゲオルクの退却を助けた。
「逃がすな! 辺境伯の子息を殺せ!」
ケヒリが鋭く叫び、荷馬車隊にゲオルクたちを追撃させようとした。しかし、その行く手に捨て身のゲッツが立ち塞がったのである。
「うおぉぉぉぉーーー!」
ゲオルクを追わせまいと、ゲッツは丸腰のままケヒリの部隊に突進する。切断された右手はまだ皮膚一枚でつながってぶらぶらと揺れているが、今にもちぎれそうだった。
(この若武者……やはり、あの男に似ている。友を逃がすために、俺に立ち向かって来たキリアン・フォン・ベルリヒンゲンという騎士に……)
若き日の死闘の記憶が蘇り、ケヒリは(もしかしたら、あの若者は……)と思った。
ズダダーン! ズダーン!
ボヘミア傭兵たちが、荷車城塞の銃眼から鉄砲を一斉に撃った。
弾丸は、ゲッツの鎧の右肩当、左手甲をかすり、最後に飛んで来た弾丸は鉄兜のてっぺんをへこませてゲッツの頭に激しい衝撃を与えた。そして、ゲッツはついに馬から落ちてしまった。
だが、ゲッツはすぐに立ち上がり、落馬した時にちぎれてしまった右手を口にくわえながら悪鬼の形相でケヒリを睨んだのである。
実は、この時のゲッツは理性が吹っ飛んでいた。
右手を失った衝撃によって狂乱し、無意識のままトーマスたちに「逃げろ」と叫び、闘争本能とゲオルクや仲間たちを守らねばという強い思いに突き動かされて、ケヒリに立ち向かおうとしていたのだ。
しかし、ゲッツの頑張りもここまでだった。血を出し過ぎたのである。
ゲッツは、二、三歩よたよたと前に進んだ後、
「う、うごごごごごぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
という野獣のごとき唸り声を発し、前のめりに倒れてしまったのだ。
ボヘミア傭兵たちは、気絶したゲッツをしばらくの間、ぼう然と見ていたが、
「…………待っていろ。今、楽にしてやる」
と言いながらケヒリがゲッツを殺すべく歩み寄ろうとした。しかし、その時、
「待ってくれ! その男を殺さないでくれ! そいつは、俺の友なんだ!」
紅のマントの騎馬武者が駆けつけ、ケヒリを止めたのである。
大打撃を受け、かなりの数の大砲を敵軍に奪われてしまったミュンヘン陣営は軍をいったん退き、ランツフートの南のクライネ・フィルス川のほとりで軍勢を立て直した。
ナイトハルトとフリッツは、ゲッツが右手をカルバリン砲の砲弾で失い、生死が分からないとトーマスから知らされると、「妹のマルガレータに何と言えばいいのだ!」と嘆き悲しんだ。
「ニュルンベルクの奴らめ! お、俺の……俺の甥をよくも……。み、皆殺しにしてやる! ニュルンベルクの人間は、皆殺しだぁーーー!」
激昂したフリッツは長槍を手にして、ニュルンベルク部隊の幕営に殴り込みに行こうとした。しかし、ナイトハルトが、
「馬鹿者が! 落ち着け!」
そう怒鳴ってフリッツの頬を殴り、それでも興奮しているフリッツをトーマスとハッセルシュヴェルトに取り押さえさせた。
「あ、兄貴は、ゲッツがかわいそうだとは思わねぇのかよ!」
「この儂の涙を見て、お前はそれを言うのか! 今はニュルンベルクと争っている場合ではない。ゲッツの生死とその所在を調べるほうが先なのだ!」
ナイトハルトがフリッツを叱り飛ばし、復讐を思い止まらせている頃、ゲッツはランツフート近郊に陣取るループレヒト軍の幕舎にいて、右手首の切断部の激痛にもがき苦しんでいた。
「あぎゃぁぁぁ! だ、誰かぁーーー! 誰か、何とかしてくれぇーーーっ!」
寝床から転げ落ち、幕舎内を這いずり回り、助けを呼ぼうとして立ち上がってすぐに転び、泣き喚き続けたのである。
自分がどんな状態で、どこにいて、今が昼なのか夜なのかも分からない。ただひたすら、激痛のあまり気絶し、また激痛で目が覚めるということを二日の間に何百回も繰り返した。
誰かが、時折、ゲッツの様子を見に来て、
「しっかりしろ。命には別条ないぞ」
と、励ましてくれていたような気がするが、それは夢だったのか幻だったのか。
気が触れそうになるのを耐えるため、ゲッツは愛しい人たちの名前を何度も何度も必死に呼び続けた。
父上、母上、フィリップ兄上、ハンス兄上、ナイトハルト伯父上、フリッツ伯父上、ノイエンシュタインのおじさん、タラカーの親父、トーマス、ハッセルシュヴェルト、カスパール、ブランデンブルク辺境伯、ゲオルク様、クリストフ。そして…………。
「ドロテーア……助けてくれぇ…………」
憔悴しきったゲッツの灰色の瞳には、可憐に微笑む少女の幻影が映っていたのである。




