第22話 久し振りだな、ゲッツの兄貴!
実を言うと、ジッキンゲンは迷子になっていたのである。
ミュンヘン陣営に味方した都市の攻撃に参加していたジッキンゲンは、ループレヒトの「急ぎ帰還して、ランツフートの防衛戦に加われ」という命令により、ランツフートに撤退することになった。その時、ジッキンゲン隊は殿をつとめたのだが、退却の途中で友軍を見失い、ランツフート領の地理に詳しくないジッキンゲンは自分の隊が今どこにいるのか分からなくなってしまったのである。
それで、ランツフートの近辺をうろうろとさ迷っている間に、敵であるミュンヘン陣営の連合軍と街道でばったり遭遇したのだった。
「殿様! あれは味方じゃねえ! 敵だぁ!」
傭兵が悲鳴に近い声を上げ、大将のジッキンゲンに報告した。
傭兵の多くがジッキンゲンの領内の出身で、家を継げず働き口もない農家の次男、三男を殿様のジッキンゲンが兵士として雇ってやっていたのである。
「に、逃げよう! みんな、逃げるぞ!」
敵はざっと見て一万数千、こちらは百五十。敵軍はまだジッキンゲン隊に気づいていないようである。ならば、逃げるのが当然だった。
しかし、ジッキンゲン隊は敵軍の先鋒の辺境伯軍に火縄銃をぶっ放してしまったのだ。動転した兵士数人が慌てて発砲したのである。
「敵襲だ! 敵襲! 奴らをぶち殺せーーーっ!」
辺境伯軍の先頭にいたフリッツが、敵の出現に喜び勇んでそう怒鳴り、ジッキンゲン隊に襲いかかって来た。
こうなったらヤケクソだと腹をくくったジッキンゲンは、
「こっちには火縄銃がたくさんあるんだ! どんどん撃てーっ!」
と、一斉射撃を命じたのであった。
辺境伯軍の軍列の後方にいたゲオルクは敵襲に驚き、
「ゲッツはまだ戻らないのか」
と、不安そうに言った。曲者を見つけて森の中に入って行ったゲッツが、まだ帰って来ないことを心配していたのだ。
「も、もしや、敵に討たれたのでは……!」
「ゲオルク様! 俺は死んでなんかいませんぜ!」
嫌な想像をしてゲオルクが大声を上げた直後、ゲオルクのすぐ後ろに接近していたゲッツがそう叫び、ゲオルクのそばに馬を寄せた。
「げ、ゲッツ! 心配したぞ! そなたの伯父のフリッツが、奇襲を仕掛けて来た敵部隊と交戦中だ」
「敵は火縄銃をたくさん持っているようですな。銃声がやたらとうるさい。……ゲオルク様、後方のここなら滅多なことでは鉄砲玉に当たりませんので、どうかじっとしていてください。俺は、伯父上と協力して敵を追い払って来ます」
ゲッツはエッボを馬から降ろすと、ゲオルクの護衛としてトーマス、ハッセルシュヴェルトと傭兵百人を残し、自分は残りの兵士二十七人のみを率いて、街道の行く手を阻む敵部隊へと突撃した。
さらに、フルンツベルク率いるランツクネヒト騎兵隊も加わり、二人は敵軍に攻撃をしかけたのである。
正面からフリッツ隊、左からゲッツ隊、右からフルンツベルク隊が襲いかかり、ジッキンゲン隊は鉄砲を撃ちつつ後退していく。
「敵は火縄銃の訓練が不十分のようだ。俺たちに全く当たらねえ。お前たち、当たりもしない鉄砲玉に怯むんじゃねぇぞ! 突撃だぁ! ぶん投げろーっ! ぶん殴れぇーっ!」
ゲッツは銃声に怯える傭兵たちを励まし、剣を振りかざして突進する。
ゲッツの言った通り、ジッキンゲンの兵たちは火縄銃の扱いにまだ不慣れで、一度の発砲の準備にかなりの時間を要していた。ジッキンゲン隊がもたもたしている間に、ゲッツ隊は目前にまで迫って来ていた。
ジッキンゲンは、砂塵をあげてこちらに駆け迫る騎馬武者の顔に見覚えがあるような気がして目を凝らした。燃え上がる闘志のようにギラギラと輝く大きな瞳が印象的なあの男は……。
「あれ? あの騎士は、ゲッツの兄貴じゃないのか? ……おお、やはりそうだ。ゲッツの兄貴だ! おーい、兄貴ぃ~!」
「殿様! 前に出たら危ないですよ! 下がってください! 敵の騎士に殺されます!」
兵士の一人が、ジッキンゲンをそう呼び止めた。しかし、ジッキンゲンは、
「兄貴が俺を殺すわけあるか! あの人は俺の義兄弟なんだ!」
と言い、間近に迫ったゲッツに両手をブンブンと振っている。
しかし、ゲッツはどう見ても殺る気満々の鬼の形相で剣を振り上げ、
「死ねーーーっ!」
などと叫んでいた。
ジッキンゲンの兵たちは「困った殿様だ!」「戦場で呑気すぎる!」と口々に言いながら、ジッキンゲンの腕や肩をつかんで力いっぱい後ろに引っ張った。
「うわーーー!?」
ジッキンゲンは三、四人の兵たちと共に仰向けに倒れた。ゲッツの剣の一閃は、ジッキンゲンの前髪をほんの少し切っただけだった。
「ひ、ひどいぜ、ゲッツの兄貴! 義弟の俺を殺す気か!?」
「ああん? 誰だ、てめえ。お前みたいな奴、俺は知らな…………」
そこまで言って、ゲッツは、不格好な体勢で倒れている、お調子者そうな風貌の騎士に何となく見覚えがあるような気がしてきた。
「まさか……。お前、フランツ・フォン・ジッキンゲンか!?」
「ようやく思い出してくれたのか。久し振りだな、ゲッツの兄貴!」
ゲッツとジッキンゲンが知り合ったのは、九年前のことである。
十五歳だったゲッツが、父キリアンの従弟のコンラートに連れられて、帝国議会が行なわれていたヴォルムスを訪れたことがあることは前に書いた。その時の帝国議会で私闘の禁止が決定したわけだが、ゲッツはそんな重大な法が制定されつつあったヴォルムスの街で、大男の騎士に喧嘩を挑んでいる少年と出会ったのである。
ある曇り空の日、ゲッツは、コンラートに知り合いの貴族が逗留している宿屋に手紙を渡して来るように言われて、ヴォルムスの街を道草しながら歩いていた。そんな時、ゲッツが街の広場までやって来ると、広場には人だかりができていて、
「喧嘩だ! 喧嘩だ!」
と、人々が騒いでいたのである。
何事かと思ってゲッツが駆け寄ってみると、ゲッツと同年代くらいの少年が巨人のようにでかい騎士にボコボコに殴られていたのだ。少年の後ろには十歳前後の小さな女の子がいて、わんわんと泣いていた。
「このクソガキ! よくも俺の顔に石を投げやがったな! 謝れ!」
「嫌だ! お前こそ、この女の子に謝れよ。どれだけ急いでいたのかは知らないが、こんな街中で馬を全速力で走らせていたら危険だとは思わなかったのか。この子は、危うく馬に蹴り殺されてしまうところだったんだぞ! それなのに、お前は女の子のことを気にもとめずにそのまま走り去ろうとしたんだ!」
町娘の女の子は、疾走して来る馬をぎりぎりでよけたが、転んでしまって膝を怪我したらしい。泣きながら膝をおさえていた。
「俺は、『騎士たる者、か弱き者たちを守らねばならない』と父から教わった。だから、俺は民たちに慈愛をそそぐ騎士になろうと志している。お前も騎士ならば、自分が傷つけてしまったか弱き少女に心から謝罪するんだ!」
「うるさい! 誰がこんな小汚い小娘に謝るか!」
大男の騎士はそう怒鳴って少年をまた殴った。しかし、少年は怯まず、拳を振り上げて騎士に挑みかかる。
騎士は、何度殴り飛ばされても諦めずに立ち上がる少年に苛立ち、「チッ……。鬱陶しいガキだ」と言って剣の柄に手をかけた。
(素手の殴り合い中に剣を抜こうとするとは卑怯な奴だ。許せねぇ)
義憤に駆られたゲッツは、
「おい、そこのクズ野郎!」
と、大声で騎士に呼びかけ、スタスタと歩み寄った。
「何だ、貴様。邪魔をするな」
騎士はそう言おうとしたが、言葉の途中で「うぎゃぁ!」と悲鳴を上げ、股間をおさえながら倒れた。ゲッツが、騎士の金玉を思い切り蹴ったのだ。
ゲッツは間髪入れず、うずくまって苦しんでいる騎士の顔を三発殴り、半分抜きかけていた剣を奪い、騎士の喉元に突きつけたのであった。
「体格差があってまともにやり合っても勝てそうにない奴は、奇襲で一発手痛い目をあわせて、相手が怯んだところを畳みかけるように攻撃するんだ」
伯父のフリッツから喧嘩のやり方をそのように教わっていたゲッツは、それを実行したのである。
「てめえみたいな奴は目障りだ。てめえが怪我をさせたそこの二人に謝罪をしたら、とっととこの街から出て行け。さもないと……」
ゲッツは、剣の切っ先で騎士の喉元をツンツンとつついた。
「わ、分かった。あ、謝る。謝るから、こ、殺さないでくれ……」
図体がでかいわりには小心者だった騎士は、情けない声でそう言って降参したのである。
(す、すごい! なんて大胆不敵な人なんだ! 俺もこの人みたいな強い男になりたい!)
助けられた少年はゲッツに男惚れして、
「俺は、フランツ・フォン・ジッキンゲンっていうんだ。助けてくれてありがとう。なあ、俺をあんたの義弟にしてくれないか? 俺は、あんたみたいに弱きを助け強きを挫くような男になりたいんだ」
と、ゲッツに頼みこんだ。いきなり義兄弟の誓いを申し込まれたゲッツは困惑し、「俺は弟なんていらねぇよ」と言って断った。
「そんな冷たいことを言わないで頼むよ、兄貴!」
「しつこい奴だなぁ。兄貴って呼ぶな。第一、お前のほうが年上かも知れないだろ? お前、歳はいくつなんだ?」
お互いに年齢を教え合い、ゲッツが十五、ジッキンゲンが十四で、ゲッツのほうが年上だと分かった。ジッキンゲンは、ライン地方の騎士の息子だが、帝国議会に参加しているプファルツ選帝侯の家来である父親の供としてヴォルムスに逗留中なのだという。
ジッキンゲンがすがりついて懇願してくるものだから、ついに音を上げたゲッツは、
(まあ、年下の友人ができたと思えばいいか)
と考え、ジッキンゲンを義弟にしてやったのである。
そして、ヴォルムスにいた数週間、ゲッツとジッキンゲンは何度か街で会い、一緒に遊んだ。
帝国議会が終わり、ヴォルムスを離れることになったゲッツとジッキンゲンは「また会おうぜ」と約束して別れ、そのまま一度も会うことなく九年の歳月が流れていたのである。
ゲッツはジッキンゲンのことをすっかり忘れていたが、ジッキンゲンはゲッツのことをずっと覚えていて、昨年、義兄に結婚の報告をするためにゲッツの故郷のヤークストハウゼン城を訪ねていたのだとジッキンゲンは言った。
「でも、兄貴は消息不明だからどこにいるのか分からないと兄貴の母上に言われて、俺はがっくりしたんだぜ」
「そうか、悪かったな。……母上は、俺のことを怒っていたか?」
「帰って来たら、鞭でお尻を百回叩いてやるってさ」
ぞくぞくっと、ゲッツは恐怖で寒気がした。トーマスがこの場にいたらまた馬鹿にされるかも知れないが、この歳になっても、母親の折檻はやっぱり恐いのだ。
「そ……そんなことより、ここは見逃してやるから早く逃げろ。フリッツ伯父上とフルンツベルクの隊がすぐそこまで迫っている」
「ああ。ありがとよ、ゲッツの兄貴。俺は、もう故郷に帰るよ。兄貴と殺し合いはしたくないからな」
ジッキンゲンはニカッと笑うと、自分の兵たちに「みんな、家に帰るぞ!」と言った。
「あっ、そうそう。一つ忠告しておくが、背後の警戒を疎かにしていたら大変なことになるぜ、兄貴」
「どういう意味だ?」
「うちの殿様のプファルツ選帝侯が、クーフシュタイン城の城代ピーンツェナウアーを味方に引き入れようとしている。何度も使者を送っているみたいだ。あそこの城が寝返ったら……」
「俺たちは、ランツフートとクーフシュタインの前後から挟み撃ちにあうということか。それはちょっとまずいな。ジッキンゲン、敵方なのに重要な情報を教えてくれて感謝するぞ」
「水くさいことを言うなよ、ゲッツの兄貴。敵味方に分かれても、俺たちは義兄弟なんだぜ? それじゃあ、また会おう!」
ジッキンゲンはそう言って手を振ると、兵たちを引き連れて脱兎のごとく遁走していったのであった。




