第16話 三十分後にも同じ台詞を言えますか?
さて、ゲッツがニーデルンハルでもたもたしている間に、ミュンヘン公アルブレヒトの軍勢とループレヒトの軍勢は各地で小競り合いを始め、ローマ王マクシミリアン自ら率いる帝国軍もプファルツ選帝侯の領土であるライン地方に侵入していた。
居城のハイデルベルク城で戦争の全体の指揮をとっているプファルツ選帝侯は、息子のループレヒトに続々と援軍を送り、ランツフート領内の地固めを急がせていた。フランス王ルイ十二世の後ろ盾がある我が領内には、マクシミリアンも簡単には攻め込めないだろうとたかをくくっていたのである。
しかし、マクシミリアンはローマ教皇の仲介でフランスと和議を結んで他国の介入の不安をなくすと、吹き荒れる嵐のごとく大軍を率い、兵力が手薄となったライン地方に攻撃を仕掛けて来たのだ。
「プファルツ選帝侯は、約束事を簡単に破るルイ十二世を信じ過ぎた。これを機に、プファルツ選帝侯の力を削ぐべし」
ランツクネヒト隊を中心とした帝国軍の快進撃は凄まじく、プファルツ領は飢えた狼のごときランツクネヒトたちに蹂躙された。
ランツクネヒトは帝国の軍隊といっても、その兵士たちの多くが行く当てがなくて食い扶持に困り、金と食事を得るために入隊した荒くれ者たちばかりだ。都市や農村を次々と襲い、略奪を行なった。兵たちと同じように乱暴者が多い隊長たちは、戦の後の略奪は傭兵の楽しみだと考え、彼らを止めようとはしなかったのである。
(帝国の軍隊がこんな盗賊のようでは困る。ランツクネヒトたちを教育して、立派な軍隊に育成してくれる将はいないのか……)
マクシミリアンは、帝国軍の連戦連勝に満足しつつも、ランツクネヒト隊が抱える問題に頭を悩ませていた。
そして、ライン地方における帝国軍の進攻はおおむね好調であったものの、思わぬ反撃を受けた軍もあった。ドロテーアの兄ラインハルトが従軍しているヴェルテンベルク公ウルリヒの軍勢である。
ウルリヒの軍勢は、ライン川を北上しながら順調に諸城を落として行き、プファルツ領の重要拠点エーベルンブルク城にまで進撃していた。この城の主こそが、宗教改革期に思想家フッテンの影響を受け、後に騎士戦争という反乱を起こすことになる、
フランツ・フォン・ジッキンゲン
である。ジッキンゲンの家は複数の城を所有しており、他の騎士に比べたら元々裕福だったのだが、最近父を亡くして家督を継いだジッキンゲンは、
「もっと家族や領民たちの暮らしを楽にしてやろう。ついでに俺も金持ちになろう」
と、息こんで、借金をしてまで領内の鉱山開発に力を入れるという博打好きな若者だった。
ただ、ジッキンゲン本人は、主君プファルツ選帝侯の命令でランツフート領に援軍として赴いていたため、現在、城を守っているのは、ジッキンゲンと結婚したばかりの新妻ヘートヴィヒである。
「無駄な抵抗はやめて大人しく降伏しろ。さもないと、皆殺しだ!」
十七歳のウルリヒは、十一歳で家督を継いで以来、ゲッツ、タラカーら盗賊騎士たちやプファルツ選帝侯の騎士たちにさんざん領内を荒らされて一時期ノイローゼになっていたせいか、人間性がだいぶ歪んだ方向に成長し、主のいない城の兵に向かって「全員殺してやる」と脅し文句を言う程度には性格が悪い若殿になっていた。
しかし、まだまだ迫力不足である。ウルリヒがほとんど脅迫と言っていい降伏勧告をすると、城壁塔からオホホホという笑い声が聞こえてきた。ジッキンゲン夫人のヘートヴィヒが、ウルリヒの軍勢を見下ろして笑っているのだ。
「あらあら、まぁまぁ。随分と威勢の良い殿様ですこと。……ですが、三十分後にも同じ台詞を言えますか?」
ヘートヴィヒは、おっとりとした口調でそう言うと、さっと右手を挙げた。
すると、城兵たちが城壁の狭間窓から火縄銃を構えた。同時に城門を開けて打って出て来た兵たちもおびただしい数の火縄銃を持っていて、銃口をウルリヒ軍に向けたのである。大量の火縄銃は、ジッキンゲンが、戦争が起きる直前に「これからは火縄銃の時代だ。じゃんじゃん買ってしまおう」と言い、またもや借金をして購入したものだ。
この兵士たちの多くは自ら志願して城内に入った農民たちで、日頃から可愛がってくれている領主ジッキンゲンの奥方を守るために女や子ども、老人までもが駆けつけたのだ。死ぬほど搾取されて領主たちに恨みを持つ農民たちが多いこの時代にしては珍しく、ジッキンゲンの領民たちは情け深い殿様に対して親しみと愛情を持っていた。
さらに、この城にはゲッツの兄のフィリップとハンスも籠城軍に加わっていた。プファルツ選帝侯側につき、各地を転戦していた兄弟は、城主のいない城がウルリヒの軍勢に襲われようとしていると聞き、援軍に駆けつけたのである。
「放て!」
ヘートヴィヒが、掲げていた右手を降ろす。その直後、
ズダダダーン! ズダーン! ズダダダーン!
大量の火縄銃の銃声は轟音を響かせ、ウルリヒ軍の兵馬に恐怖を与えた。馬が暴れ、落馬する騎士も十数人いた。そして、
「ベルリヒンゲン家の兄弟の実力、見せてやる!」
大量の火縄銃による一斉射撃ですくみ上ったウルリヒ軍に、ベルリヒンゲン兄弟の手勢が突撃を開始したのである。ゲッツの兄二人は、ゲッツのような不良ではないが、彼らも気性の激しい母方の血を濃く受け継いでおり、血気盛んな武者たちだった。
「ベルリヒンゲン!? ま、まさか、あの盗賊騎士ゲッツの血縁者か?」
ベルリヒンゲンという姓を耳にしただけで、ウルリヒは顔が真っ青になった。よほどトラウマになっているらしい。
ウルリヒ軍の先陣の将の一人であったラインハルトは、
(うわわっ! あの精悍で人の話を聞かなそうな腕白者の顔つき、ゲッツ殿そっくりだ! 間違いなく、ゲッツ殿の兄上たちだ! 大して恩義のないヴェルテンベルク公のためにゲッツ殿の兄たちと戦い、ゲッツ殿との友情を壊したくはないなぁ。……それに、恐いし)
そう思い、適当に交戦すると、さっさと退いてしまった。先陣のラインハルトがあっけなく退却したせいで、これはよほどの強敵かと警戒した他の将兵も、ろくに戦わずに後退した。
年若く、君主となってまだ日が浅いウルリヒには、人望がないのだ。家臣との絆も生まれていない。だから、自分の兵士たちをウルリヒへの忠義ために死なせようとする騎士はほとんどいなかったし、殿様のために戦おうという兵も数少なかったのである。はっきり言って、やる気がなかった。
「に、逃げるなぁー! 戦えーっ! 戦えーっ!」
ウルリヒの必死な怒鳴り声は、再び鳴り響いた銃声のとどろきによりかき消された。ウルリヒ直属の軍隊だけが踏みとどまって戦ったが、続々と銃弾に斃れ、ベルリヒンゲン兄弟によって陣はかき乱された。ウルリヒは、あまりにも情けない敗北を喫したのである。
(お、おのれ……。表面上は俺に従っている家来や領民たちなど、何のあてにもならない。俺自身が強くならなければ……)
後年、帝国の諸侯の中でも屈指の梟雄となって動乱の宗教改革時代をしぶとく生き抜き、ゲッツと主従関係を結ぶことになるウルリヒも、この時点では臣下の統率も取れない若年の君主だった。
城壁塔から戦闘の一部始終を見守っていたヘートヴィヒは、「おやおや、三十分ももたずに潰走ですか」とクスクスと微笑んでいた。
「この戦果を旦那様にお伝えしたら、大喜びされるでしょうね。それにしても、ベルリヒンゲン兄弟の武勇の凄まじさには、目を見張りました。さすが、旦那様が尊敬するゲッツ様のお兄様たちですね。……旦那様は、ランツフートの戦場でゲッツ様と再会できているでしょうか。九年ぶりの再会だからゲッツ様が旦那様の顔を覚えていなくて、問答無用で叩き殺されていないといいのですが」
おっちょこちょいなところがある夫のことが心配になったヘートヴィヒは、遠く離れたランツフートの戦場に思いをはせ、ジッキンゲンがいるはずの南東の空をじっと眺めるのであった。




