第15話 一秒先の運命すら分からないのが戦場だ
「人が集まらねぇ……。これは、いったいどういうことだ?」
ゲッツは、子どもの頃に通っていた学校があるニーデルンハルなら知り合いが多いし、ノイエンシュタインおじさんにも協力してもらえば、容易に兵を集められると楽観視していた。しかし、実際に傭兵を募集してみると、七人しか集まらなかったのである。
「募兵する時期が遅かったんですよ。今回の戦は、ローマ王自ら戦争の指揮をとりますから、おそらく、帝国軍のランツクネヒト隊の募集にたくさんのごろつきどもが応じたのでしょうな」
ハッセルシュヴェルトが冷静に分析してそう言うと、ゲッツは「ランツクネヒトか……。気に入らねえなぁ」と呟いた。
ドイツ傭兵隊は、ローマ王マクシミリアンが組織した傭兵部隊である。マクシミリアンは、神聖ローマ帝国の手足となって戦ってくれる軍隊を欲したが、正規兵に毎月の給料を支払うような金は帝国にはない。だから、戦争中だけ雇う傭兵を求めたのだ。そこで、南ドイツを中心に募兵して生まれたのが、ランツクネヒトだった。
このランツクネヒトは、戦争の主役の座を騎士から奪い、今や帝国軍の主力部隊へと成長しつつある。後世、「中世最後の騎士」と謳われることになり、本人も騎士道精神に溢れるマクシミリアンが、騎士の時代に終止符を打ったのは、歴史の皮肉と言えるだろう。
(帝国の経済は帝国自由都市が動かし、戦争はランツクネヒトの奴らが動かしている。俺たち騎士の居場所は……存在意義はどこにある? 俺たち騎士は、これからどう生きればいい? 貴族として、そして、戦士としての誇りを失った騎士は、何を守るために戦う?)
生まれた時から騎士の子で、死ぬ瞬間まで騎士として生きなければならないゲッツには、それは答えの見つからない問いかけだった。
ゲッツがそんなふうに悩んでいると、ノイエンシュタインが代官屋敷に戻って来た。
「ゲッツ、ゲッツや。悪いが、もうこの街では傭兵になろうという若者はランツクネヒト隊に入隊してしまったよ」
「おじさん。すまねえな、俺のために方々を走り回らせたりして。もういいよ、この人数で行くしかない」
「まあ、待ちなさい。私に考えがある。この金を持って行きなさい。二百四十グルデンある。この街を発って、アンスバッハにたどり着くまでの道中、町々でこの金で募兵するんだ。ランツクネヒト隊は帝国の軍隊だから、身なりの汚い者は雇ってもらえない。きっと、不採用になったごろつきどもがいるはずだ。そいつらを雇うんだ」
「え? いいのか? あ、ありがてぇ! おじさん、感謝するぜ!」
ランツクネヒトの一兵卒の給料は、一か月(正確には二十八日間)につき四グルデンである。二百四十グルデンあれば、一か月契約で六十人は傭兵を雇うことができる計算になる。ただ、今回の戦争はドイツ全体を巻き込む大戦になる。戦は数か月間続く恐れがあった。給料を払えなかったら、傭兵たちは逃げ出すか暴動を起こす可能性があり、最悪の場合、雇い主に襲いかかる。しかし、ゲッツは、
(でも、まあ、一か月先の金の心配はその時にすればいいか)
と、お気楽なことを考えていた。というか、学校に通っていたくせに、細かな計算が全くできなかった。
「あと、お前に渡さないといけない物が他にもあるんだ」
「え? 何だ、この箱は? ……あっ、これは……」
ゲッツは、ノイエンシュタインの召使いが持って来た大きな木箱の蓋を開け、驚いた。義手や義足がたくさん入っていたのである。しかも、全て鉄製だ。
「おじさん。これは、母上が……」
「そうだ。マルガレータ殿は、お前がブランデンブルク辺境伯の元に駆けつける前にここへ立ち寄るだろうと考えて、私のところにこれを送ってきたのだ。『戦場で、お前の父のように体の一部を失う者がいたら、これをつけてやりなさい』と息子に伝えて欲しいという手紙が添えられていた」
ゲッツの父キリアンは、戦争で左足を失い、敵のケヒリという男から右手を奪った。
キリアンはその後、病にかかって戦場に赴くことができなくなったが、ケヒリは隻腕となりながらもまだどこかの戦場にあり、右手を失った苦しみと闘っているかも知れないと考え、自分やケヒリのように戦争で手足を失くした者のために何かできないだろうかと悩んだ。そして、ベルリヒンゲン家に仕える刀鍛冶の親方ロルフに義手や義足の製造をさせることを思いついたのだ。
ロルフの妻は腕利きの義肢職人の娘で、ロルフは自分の鉄を鍛える刀鍛冶としての技術と妻から教わった義肢の知識を組み合わせ、鋼鉄の義肢を長い年月をかけて開発した。
この当時にはすでに鉄の義手や義足が存在し、戦場で手足を失った騎士の中には鉄の義肢を身に着けている者もいたのだが、ロルフが開発した鋼鉄の義肢はより強度が高く、しかも、振り回しやすいように軽量化されていて、義肢の一級品と言っていいほどの性能だったのである。しかも、今現在も、さらなる改良をするべく鋭意研究中である。
生前、キリアンは、ロルフが作った鉄の義肢を戦争に赴く親族や友人に贈り、何人もの騎士や兵士がベルリヒンゲン家の義肢を使っていた。
「マルガレータ殿は、プファルツ選帝侯の陣営に味方してライン地方に出陣した、フィリップ殿とハンス殿にも同じように義肢を持たせたらしい。明日どころか一秒先の運命すら分からないのが戦場だからな。義肢は戦争の必需品だ」
「そうか……。兄上たちは、敵側に回っちまったのか。俺は、ランツフート領に攻め込む辺境伯軍に加わるから、兄弟で殺し合いになる心配はないけれど、ちょっと複雑な気分だぜ」
ベルリヒンゲン家は、父のキリアンの時代は帝国騎士として神聖ローマ皇帝に忠誠を誓い、また、辺境伯家とも深い繋がりがあった。しかし、ゲッツの兄たちは、辺境伯の長男カジミールの酷薄な性格をゲッツ以上に嫌い、プファルツ領の騎士たちと前々から昵懇であったため、今回の戦争では帝国と辺境伯の敵側についたのだ。
(俺は、辺境伯への恩を返さないといけない。兄上たちと一緒にプファルツ陣営につくことはできねえ。……兄弟が敵味方に分かれてしまって、気の強い母上も俺たちのことを心配しているだろうか……)
ゲッツがそう思うと、ゲッツの心の中を読んだかのように、ノイエンシュタインが言った。
「ゲッツ。この戦争が終わったら、一度、マルガレータ殿にお前の元気な顔を見せてやりなさい。親っていうのは、いくつになっても子どものことが心配なんだよ」
「おじさん……。うん、そうだな。いつまでも音信不通というわけにもいかねえしな。……ただ、戻ったら、絶対に折檻されるだろうけれど……」
母上の往復ビンタは痛いんだよなぁ……などとゲッツは思いながら、頭をガリガリとかくのであった。
「二十四歳にもなって、母親の折檻を恐がらないでくださいよ。頼りない主人を持って、俺は情けないなぁ~」
家来のトーマスがあきれてそう言った。いつもならトーマスの憎まれ口に腹を立ててすぐに暴力を振るうゲッツも、今回ばかりは「むむむ……」と唸るだけだった。自分でも、ちょっと情けないと思っているのである。