最終話
「パン、頂きます」
沈黙を破った俺は、視線を合わせないように努めながら、サンタの衣装に身を包んだ少女の持つバスケットからパンをもらう。
「あ、ありがとうございます……!」
少女はかなり慌てた様子で言った。
「じゃあ。ごめんな……」
そう言って俺は立ち去ろうとする。
だけど、少女は俺に向かって言った。
「あの、あなたは──」
こういうとき、なんて答えたらよいのだろうか。俺は自分の名前を当てられて、うなずくしかなかった。
そもそも俺は動揺していた。サンタのコスプレをしていたのはあろうことか俺の想い人だったのだ。くっきりとした可愛らしい目元も、小さな鼻も、幼さの残る髪型も、俺が想い続けた人に相違なかった。
だから俺は迷った。ここで踏み切らないと、ここから先はないような気がしたし、傷つかないために引き返すという選択肢もあった。
迷った俺はこう答える。
「それ、いつ終わる?」
俺の問いかけが意外だったのか、少女は驚いた表情をすると、すぐに笑って言った。
「これがなくなったらかな」
彼女が指差すバスケットに入ったパンは、もう残り少ない。
「だったらさ、それがなくなるまで待っててもいい?」
「うん、大丈夫だよ。寒いでしょ? 中にいても……」
「いや、ここで待ってる」
「……うん」
そして、彼女はパン配りを続けた。俺は彼女から少し離れたところで、仕事が終わるのを待っていた。
バスケットの中にあるパンが尽きた頃。辺りはもうすっかり暗くなっていた。仕事を終えた彼女に、俺はお疲れ様と言うと、彼女は笑って、疲れてないよと言った。
「今日、一人なんだ?」
俺はやや緊張気味につぶやいた。
「うん……」
小さな返事が聞こえた。
俺たちは互いの距離を意識しつつ、二言三言話す。
あったかもしれない恋がここにある。そう思うと一層俺の緊張感は高まった。心臓は早鐘のように脈打ち、彼女にその音が聞こえていないかが気になって、さらに緊張感を増した。
「ちょっと待ってて!」
突然彼女はそう言うと、パン屋の方に向かった。
しばらくして、彼女はサンタの衣装のままバスケットだけを置いて戻ってきた。
「その、少し歩こっか」
俺たちはどちらからともなく歩き出す。
広場の真ん中にそびえ立つ大きなクリスマスツリーの周りをゆっくりと歩いた。
その間、会話という会話はほとんどなく、俺は自らの非力さを知った。
今日も、何もできずに終わるのだろうか。
踏み出す一歩が不意に重たく感じた。
せめて何か言おう。そう思ったのは、クリスマスツリーを一周し終えた時だった。
互いの視線が交差する。
周りには人がたくさんいるのに、俺たちだけが違う時間を過ごしているような淡い感覚。
でもそれは錯覚だった。
目の前にいるサンタ姿の少女は少しむくれた様子を見せると、俺に何かを訴えるような視線を送ってきた。
だけど返す言葉に迷った俺は、少しだけ間を空けて。
――メリークリスマス。
俺のサンタクロースは、どこか安心したようなため息をつく。
「もう、何も言ってくれないかと思っちゃった。でも、今日はこれでいいかもね」
メリークリスマス。
最後まで、お互いの考えていたことが明らかになることはなかった。
だけど、ふたりのいつか行く末を照らす明るい光は、モミの木のてっぺんで煌々と輝いていた。