3.中央通りの長い一日
「はぁ……疲れた……」
リアが武器屋を訪れていたちょうどその頃。
リアと同じく学院の制服姿になったラクアは、げっそりとした顔でそう呟いていた。
男子の制服も、デザインは女子のそれとほぼ同じ。金のボタンと紐のついた生成り色のジレベストにスラックス。中のブラウスは長いカフスが特徴。
そして襟には、魔族生徒の証である、青のフリルタイが付けられている。
「ここの人達って、皆あんな変――じゃなくて、個性的な人ばかりなんですか?」
あんな、とラクアが指して言ったのは、今制服を買った店の主人であるデヴィット・リーチェルと、魔族寮の寮母であるユリアナ・ラウリカのことだ。
濃緑でスカート丈が長めの、古めかしいメイド服姿をしたユリアナは、ラクアが丁寧な挨拶するなり、ウェーブのかかった鶯色の髪と豊満な胸を振り乱しながら駆け寄ってきて、
「あなたが下段から来たっていう魔族の子ね! 新入生はみんな初々しくって可愛いけれど、あなたみたいにきちんと挨拶してくれた子は初めてだわ!!」
などと言いながら、思いきり抱きついてきた。
リアやステラと同じ屋根の下で育ってきたラクアにとっては、多少のスキンシップ程度ならば慣れたものではあったのだが、ユリアナのそれは今挙げた二人よりも激しかった。
抱き込んだまま頭に頬を摺り寄せて、近すぎる距離でじーっと顔を見つめらたかと思えば、そのまま頬に額にとキスを落とされた。
それを傍観していたウォレアは、されるがままのラクアと違い、襲いかかろうとするユリアナをうまく躱す。
「もう、ウォレアちゃんったら、すっかり冷たくなっちゃって。 ここに入ってきたばかりの頃は、小動物みたいにびくびくおどおどしてて、とーっても可愛かったのに」
ユリアナは膨れっ面でそう言っていたが、ラクアにはそんなウォレアの姿は想像できず、ただ苦々しい顔をしているウォレアを見て、ああ事実なのか、と思った程度だった。
「まぁ、ああいった者も居る、というだけだ。 ここで暮らしていれば、じきに慣れる」
「それは慣れるっていうより、感覚が麻痺する、ってことじゃないんですかね……」
「同じことだ」
前後に並んで歩いていた二人は、「コープス書房」と書かれた看板が掲げられている、三階建ての店に入った。店内は壁や天井、棚から全て艶のあるダークブラウンの木材で構成されており、薄暗い店内にぽつぽつと灯るオレンジ色の光と相まって、アンティークカフェのような雰囲気になっている。商品である本は、天井まで届く高さの棚いっぱいに納められており、客は立てかけられた梯子を登って高い位置にある商品を手に取っていたりした。
外のざわめきは一切入ってこず、蓄音機から小さく流れるクラシックな音楽だけが鼓膜を僅かに揺らしている。
ウォレアは誰も立っていないレジカウンターを一瞥して、
「店員を探してくる、少し待っていてくれ」
そう言って店の奥へと進んでいった。
一人取り残されたラクアは、言われた通りその場で待機していたが、ただ棒立ちで待っているのも勿体無いかと、周囲にあった本を手にとって読み始める。
始めに手にしたものは挿絵が多く、子供向けの絵本のようだった。が、それにしては内容がなかなかに残酷だったので、自分ならこれを子供に読み聞かせはしないだろうと思った。
次に開いたものは、一面見たことのない文字や小難しい数式で埋め尽くされていて、内容など解ったものではなかった。ぱらぱらとページを捲って、すぐに棚に戻す。
ほとんどがそのどちらかだったので、早々に読むのに飽き始めていたが、ようやくそれなりに読めそうなものを見つけた。
それは所謂ファンタジー小説で、ラクアにも読める文字と適量の挿絵で構成されていた。今まで手に取ったものの中では、下段にあったものに限りなく近い。
内容はありふれたものだったが、ウォレアが戻ってくるまでの暇つぶしにはなるだろうと、立ち読みを始めたラクアに、
「やぁ、君もその本を読むのかい?」
そんな声がかかった。
文字を追っていたラクアの視線が、声の方へと向けられる。
そこに居た声の主は、身長はラクアと同じくらいで、歳も近く見えた。少しうねりのついた胸元あたりまでの長さの髪は亜麻色で、白いリボンで一つに束ねられている。服装は白のカッターシャツに黒いスラックスというシンプルなものだが、シャツは襟や袖などいたるところにフリルがついている。
他の人が着たならば冗談にしか見えないだろうその服装は、恐ろしいことに青年にはよく似合っていた。その外見を簡潔に表すなら、白馬の王子様、またはお姫様、といったところか。顔つきが中性的なのでいまいち性別の判断がつきにくいが、声色は青年のそれだった。
「あ、いや、これはちょっと、人を待ってるから、適当に見つけたやつを読んでるだけで……」
二段目では同世代とほとんど喋ることのなかったラクアは、突然の出来事に困惑して、たどたどしく答える。
相手はそれを気にした様子もなく、
「なるほど。それじゃあ、読んでいるところで申し訳ないんだけれど、その本は僕が頂いていいかな? 実はそれを買いに来たんだ」
にこやかに言った。
「あ、すみません!」
知らずと他人の買い物の妨げになっていたことを恥じながら、ラクアはその本を相手に手渡した。
相手は「こちらこそ」と言いながら、棚にあった本を一冊引っ張り出して、
「この話は続きものだから、どうせなら最初から読むのをオススメしておくよ。はい、これが一巻」
と宣伝を交えながらラクアに手渡した。
「ところでその制服、もしかして君はノブリージュ学院の生徒なのかな?」
「あ、はい、まだ入学してませんけど……」。
「ああ、それじゃあきっと、歳は僕と同じだね。 僕も今年度から学院の生徒になるんだ。 同じ魔族同士、これから関わることも多くなるかもしれないね。 入学前に何だけれど、よろしくお願いしておくよ」
にこやかに差し出された手を、ラクアはぎこちなく握り返した。
とそこで、相手が腰に剣を差していることに気付く。
「それ……?」
「ん? あぁ、これは入学前に調整して貰おうと思って持ってきただけなんだ。これから行くところでね、本当はそっちが目的なんだけれど、ついでに此処にも立ち寄っておこうかと思ったんだ。君は?」
「俺は入学前に必要なものを買いに……、っていうか、武器なんて要るんですか?」
きょとん、とした顔で尋ねたラクアに、青年もまったく同じ反応を返した。
「えっと……それはどういうことかな? まさか君は、体術の心得があるワイルドな子なのかな? それとも、魔術の腕にかなりの自信があるから、護身用の武器やルーンの補助は要らないとか……?」
青年は深刻な顔で語りだしたが、ラクアは彼の言っていることの意味が今ひとつ理解できなかった。
彼が話し終えた後、自分は何と言葉を返せばいいんだろうかと頭を悩ませていると、救世主の如く待ち人が現れる。
「すまない、店員を捕まえるのに少し時間がかかった」
「いえ、その間ここにある本を――」
読んでましたから、と言うラクアの声は、どさっ、という音に邪魔されて途切れた。
それは本が床に落ちた音で、本を持っていた青年――ラクアの話し相手は、血の気の引いた顔で震えている。
「あ、あああ、あああああなたは……!?」
「ん?」
ウォレアもそんな青年に気付いたが、相手と違って至極冷静に、
「ああ、誰かと思えば、フォルワード家の次男坊か」
相手の素性を当てた。
瞬間、青年は恐ろしいものでも見たかのような怯え様で、
「しっ、ししし失礼いたしましたっ!!」
風のように去っていった。
何をどう失礼したのか、ラクアには全くわからない。
「えっと、今の人は……?」
「なんだ、知らずに喋っていたのか? ――彼はフォルワードという伯爵家の子息だ。昔から私の家と交流があってな。まぁ、私がよく知っているのは、彼の兄の方なのだが」
「伯爵……、身分階級のことですよね? すみません、二段目にはそういうのがなくて、本で読んだ程度の知識しか……、かなり偉い人ってことですか?」
「まぁ、爵位を持たない者からすればそうなのだろうな。国王を一番上として数えて、上から四番目あたりだ。ちなみに下段出身の君は、更にそれより三つほど下になる」
「うわ、結構差があるんですね……なんかちょっとショックです」
「気にするな。身分だけで言えば、君よりも更に下に位置づけられている者も居るのだぞ」
「え? そうなんですか?」
「こいつがそうだ」
ウォレアは言いながら、自分の後ろに居た黒髪の青年を前に引っ張り出した。
ラクアはそこで始めて、彼がウォレアの背後に立っていたことに気付く。それほどまでに存在感がなかった。
肩下まで無造作に伸びた黒く太い髪と、よれよれの白いTシャツ。黒いエプロンは片側がずり落ちてしまっていて、前髪の隙間から覗いている目は、そんな風体に違わず気だるげだ。
「ウォレアさん、それ本人の前で言うことですか?」
低い声でゆったりと喋るのも、ラクアが見た目から想像したイメージ通り。
「お前が身分を気にする者ならば、私も言いはしないがな」
「はぁ、まぁそうですね」
「彼はケインズ・アルドルパ。これでも一応優秀なここの書店員だ、まだ免許を持たぬ見習いではあるがな。本のことでわからないことは彼に聞くといい」
「免許? 書店員に免許なんて要るんですか?」
「中央区は特別でな。まぁ、そのあたりのことは学院に入ればわかることだ。今は気にしなくていい」
話し始めると長くなるのだろうかと考えて、ラクアは深く追求はせず、男に挨拶代わりに軽く会釈した。
それに対し、ケインズの反応は一言。
「その本買うの?」
「え?」
その本、というのは、先の青年に渡された、シリーズ小説の一巻だ。
未だ手に持っていたことすら忘れていたラクアは、首を横に振る。
「すみません、ちょっと読ませてもらってただけなんです」
「じゃあ、ちゃんと棚に戻しといて。教材はこっち」
言うなり歩き出したケインズに、ラクアは慌てて持っていた本と、青年が床に落としていった本を棚に戻して後を追った。
一階、二階、三階と広い店内を連れまわされながら、ケインズが手渡してくる本が次々にラクアの手の上に置かれていく。
「こういうのって、一箇所に纏めて置いてあるもんなんじゃないんですか?」
「今年度分のはもう全部渡したんだよ、君ともう一人の分だけはギリギリになって申請が来たもんだから、用意出来てなかったの。出版社から纏めて送られて来るのは来年になるし、あとは棚に出してる在庫かき集めるしかない」
もう一人、というのはリアのことだろう。ギリギリになったのは自分たちのせいではないと思うのだが、至極面倒くさそうに言う相手に、ラクアは少し申し訳なくなった。
「はい、じゃあカウンターに戻ろっか」
「結構量多いですね、これもしかして三年分ですか?」
「まさか、一年分だよ。 それに、それでまだ全部じゃないから」
「えっ」
「それ以上持てないだろうから、一旦置きに行くだけ」
嘘だろ、という顔のラクアを気遣う素振りもなく、ケインズはスタスタとカウンターに戻る。
ラクアもしぶしぶそれについて行くと、
「おー、お前らも来てたのか」
ちょうど入り口からバレッドが入ってきた。ラクアが持っている教材の山を見て、うげ、という顔をする。
「相変わらずえげつない量だな……本当にそれ全部使うのかよ?」
「お前たちの方が少なすぎるんだ、よくあの量で一年も授業が出来るな」
「書くより身体で覚えた方が早いからだろ。ケインズー、俺も新入生の教材頼むわ~」
ラクアから本を受け取って、巨大な紙袋に詰め込んでいたケインズに、バレッドがそう声をかける。
そこでふとラクアが気付いた。
「バレッドさん、リアと一緒じゃないんですか?」
「ん? ああ、あいつなら今、武器屋で得物選んでるぞ」
「一人で置いてきたのか? 無責任な奴だな」
「四六時中監視みてーに一緒に居る必要はねーだろ。マルナと仲良くやれそうだったから、気ぃ利かせてやったんだよ。時間もかかるだろーしな」
バレッドのその言葉は、既にラクアの耳に入っていない。
リアが一人でうろついていると聞いた瞬間、ラクアの頭は不安で埋め尽くされていた。
というのも、二段目に居たとき、リアは少し目を離しただけで、あっちで喧嘩、こっちで怪我といった風に、よく問題を起こしていたからだ。
今もその武器屋で商品を壊したりしてはいないだろうかと、心配のあまりしきりに店の外に目をやるラクアを見て、
「気になるのなら、先に行っていろ。 道沿いに歩いて行けばあとは看板で分かる。ハーヴィという名の店だ」
ウォレアがそう告げた。その気遣いに感謝して、ラクアは一人書店を出る。
「お前だって目ぇ離してんじゃねーかよ」
「彼に関しては、一人にしても大丈夫だろうという確信があるからだ。――それより、ちょうどいい所に来たな。荷物持ちが居なくて困っていたところだ」
「おい、俺はお前のパシリじゃねーんだぞ」
「彼らの入学に際して必要な手続きは、全て私一人でやったようなものだが? お前はろくに手伝いもせずに報酬だけ得るつもりか?」
押し黙るバレッドに、やり取りを見ていたケインズが、
「バレッドさん、すっかり立場弱くなりましたね」
特に何の感慨も無さそうに言った。