26-② 初めての仕事
「――なに、仕事がしたいだと?」
授業が終わるなり、ラクアは教室を出ていく担任のウォレアを捕まえて声をかけた。
確認を取るように今言われたことを繰り返すウォレアに、ラクアが首肯。
「どうしてまた急に」
「いや、前々から考えてはいたんですけど……これまでは学院の事とかで手一杯で、仕事なんてしてる場合じゃありませんでしたから」
成績を鑑みれば今も決して余裕がある訳ではないのだが、入学当初最下位だったラクアの成績は、ここ数ヵ月の間ずっと右肩上がりだ。
一段目の常識というものもある程度身に付き、大きな失敗も減ってきた今、ラクアの頭は次の問題――有り体に言えば懐の寒さに向いていた。
学院での生活に必要なものは全て学院側が用意してくれているので、自身の財布が空であっても特別困るような事は無いのだが、あくまでも困らないというだけで、不便がない訳ではない。
せっかく遊びに誘ってくれる友人が居ても、その為のお金が無ければ断る事しか出来ない。二段目と違い娯楽に溢れたこの一段目で、それらに一切触れずに勉強だけに集中するというのは、なかなか厳しいものがある。
とは言えリアならまだしも、養子の身であるラクアがステラからお金を頂く訳にもいかない。
下段に居た頃は、そんな遠慮などする必要はないとステラ夫妻が毎月小遣いをくれていたが、稼ぎ手が亡くなった今、ラクアは寧ろステラに仕送りすべきだとも考えてた。
ステラの生活を助けるような大金は今は無理だとしても、せめて小遣い程度は稼ぎたい。ラクアの胸中にはそんな切実な想いがあった。
「自分でも一応調べてみたりしたんですけど、今の俺の年齢で出来る仕事って殆ど無いみたいで……」
「そうだな、大抵の仕事は満16歳以上の雇用しか認められていない。確かお前はまだ15歳だったな?」
「はい。冬生まれなんで、もう少し待てばいいだけの話なんですけど……この長期休暇中の空いた時間を有効活用出来ないかと思って」
だから何か良い仕事ありませんか? というラクアの期待の眼差しに、アルバイトとは無縁の生活を送ってきた侯爵家の子息ウォレアは必至に頭を捻る。
「……ああ、そう言えば、最近は学院の下働きが立て続けに抜けて、人手が足りないとユリアナ女氏が言っていたな。そちらに相談してみてはどうだ?」
「下働きって、あのいつも寮の掃除とかしてくれてる人達の事ですか? そう言えば確かに、最近ちょっと数が減ってたような……」
「寿退職や産前休暇などが続いたらしくてな。臨時の用務員を雇うなどで補っているそうだが、学院のことをよく知らない部外者よりは、お前のような学院生の方がやり易い部分もあるだろう」
〝臨時の用務員〟と聞いて、ラクアの脳裏に先日見た妙な男――確か名はイースだった筈――の顔が過った。
という事は、彼もつい最近雇われたばかりだったのだろうか。それで生徒の顔と名前をもう覚えているとは、彼はあれで随分と勤勉家らしい。
「わかりました、ユリアナさんに聞いてみます。――あ! すみませんウォレアさん、もう一つ聞きたいことが」
立ち去りかけたウォレアを引き留めて、ラクアは先日下段で見つけたリアの父の日記の内容について話した。
事件が起きる暫く前から徐々に記憶力が落ちていたらしい事、最後のページには何なのか判別出来ないような落書きめいたものが描かれていたこと。
事のあらましを聞いたウォレアは、話の途中何かに気付いたような顔をしていたが、何故か先ほどよりも一層難しい顔をして押し黙ってしまう。
「えっと、何か知ってることがあるなら教えて欲しいんですが……」
「それは……、いや、そうだな……、確かに戦士族がそういった状態に陥る事は稀にある。だが、記憶力や思考能力の低下を引き起こす病気もあるのでな。彼のその症状の原因がどちらだったのかまでは……」
「なら、原因が前者だった場合の詳細を教えてくれませんか? 戦士族に該当する話なら、リアにも関係ありますよね」
「……戦士族に限っての話では無い、我々魔族にも起こり得る話だ。それは俗に〝原種負け〟と呼ばれる現象の前兆として現れるものだ」
「原種負け? 原種返りとはまた別なんですか?」
ラクアの問いに、ウォレアはまたも口を閉ざしてしまった。
その複雑な表情の所以も、彼の今の心の内も、ラクアには分からない。
「その件については、折を見て君達に説明するつもりではある。だが……すまない、今は言及を避けさせてくれ」
「え、何でですか? 俺やリアに関係する事なら尚更知っておきたいんですけど……」
「原種負けについては未だに不明瞭な部分が多くてな。病気の一種なのか、原種返りと同じく本能的なものなのか……或いは、外的要因によるものか。数多の研究者達が解明しようとしているが、成果は上がっていない。加えて現時点では、一度発症した場合、元に戻す方法も見つかっていない」
「……えーっと、つまり、記憶障害とかの症状が回復する見込みがないって事ですか? あれ、でも記憶障害は原種負けの〝前兆〟って話でしたよね。なら、原種負けって実際にはどういうものなんですか?」
三度ウォレアが閉口した。
その勿体ぶった態度がこちらへの配慮のつもりなら、そんなものは不要だと先を急かすラクアに、ウォレアは首を横に振る。
「どちらかと言えばこちらの都合だ。この件は、然るべき時に然るべき場所で、サテライトも含めて話したい。お前一人に、今ここで世間話のように喋って良いものではないのでな」
「そこまで言うなら無理には聞きませんけど……、ちなみに、その然るべき時っていうのはいつ頃になるんですか?」
「少なくとも今では無いな」
では失礼する、と言って、ウォレアは一つに束ねた長い髪を翻して去っていく。
原因が分からない、という事は、恐らく予防策も確立されてはいないのだろう。
そして発症した際の治療法も無い。記憶障害が前兆なら、原種負けとやらの内容はそれよりも酷いものの筈だ。
(戦士族と魔族だけが罹る、死に至る不治の病……とかか? 知ったところで防ぎようも治しようも無いのなら、確かに知らない方が良いのかもしれないけど……)
まあ、今はこれ以上考えていても仕方ないか。
ラクアは今自分が出来る事をする為に、ユリアナを探して魔族寮へと向かった。
「ラクアちゃん、せっかくだから服も着替えておく?」
事の次第を伝えたラクアの申し出をすんなり了承し、「雇用契約は方々の承認も要るから、今日はとりあえずお試しね」と言ったユリアナは、更衣室兼休憩所として使われているらしい校舎内の空き部屋の棚を漁りながら言った。
この学院には、新人教育などの事務仕事のみを専属で行う者が居ない。その手の仕事は授業の合間に各教官が手分けをしてこなしているが、誰がどの担当をするのかは明確には定められておらず、ユリアナは率先してそれらの仕事を引き受けている。
「下働きの服って……まさかあのヒラヒラしたスカートじゃないですよね?」
「一応男女でデザインは別だけれど、ラクアちゃんがメイド服の方が好みだって言うんなら勿論それでも――」
「いや男性用でお願いします!!」
そんなやり取りの後ユリアナに手渡されたのは、裾が燕尾のようになっている黒色の礼服と白い手袋。
さながら執事のような恰好になったラクアを見て、ユリアナは「よく似合ってるわ」と満足そうに頷いた。
「さてと、それじゃあ早速お仕事の説明をしましょうか。掃除に洗濯、炊事と配膳、お庭の手入れに設備の点検と色々あるけれど、今日ラクアちゃんにお任せしたいのは配達ね」
こっちこっちと導かれるままにラクアが連れて行かれたのは、魔族寮のエントランスにある小部屋だった。
ラクア達が寝泊まりしている部屋と違い、煌びやかな装飾も家具も無い殺風景なその空間に、木箱や包みが所狭しと積み上げられている。
「ここにあるのは学院の外から生徒宛てに送られてきた荷物や手紙なんだけど、これを各部屋まで届けに行って欲しいの。ここに寮内の見取り図があるから、荷物の宛名と照らし合わせてね」
届けたら受け取りの受領印かサインを貰うこと、不在の場合は不在票を扉に挟んでおくこと等、最低限守るべきルールを教わったラクアは、まず一階の生徒宛の荷物を選別して台車に乗せる。
寮の部屋は一階を1、2年生、二階を3、4年、三階を5、6年生が使っている。4年生からはインターンシップが始まる為、上級生は就労先で寝泊まりして寮には帰ってこないことも多い。
そういった生徒宛の荷物は部屋に配達せずに、本人が帰ってきた際にフロントで受け渡す事になっている。
故に今回運ぶべき荷物は下級生宛の物が多く、ならば先に少ない方から片付けようと、ラクアは積んだ荷物の上段にある数点を手に階段を上った。
幸い軽く小さな小包や手紙が殆どで、運ぶのにはそれほど労力はかからなかった。
階段近くの部屋から順に扉をノックしていき、順調に荷物を届けていったラクアは、最後に残った小さな木箱――見るからに高価そうなもの――を手に扉を叩く。
部屋の中から聞こえて来たのは男性の声だった。
扉越しに聞こえたその声はどこかで聞いた覚えのあるもので、それが誰であるかに思い至る前に、部屋の住人が出てくる。
そして、互いに顔を見て目を丸くした。
「セリウス先輩! ここ、先輩の部屋だったんですね」
「そうだが……こんな所にそんな恰好で、一体どうした?」
「えっと、実は……」
ラクアは手短に経緯を説明して、手に持っていた荷物を見せた。
宛名の欄に書かれているのはセリウスの名ではない。セリウスは部屋を振り返って、記されている名を呼んだ。
「グエル、お前宛の荷物が来ているぞ」
これまたどこかで聞いた名だとラクアは思ったが、セリウスの声に答えたのは、初めて聞く男性の声だった。
「今は手が離せない。すまないが代わりに受け取ってくれ」
セリウスよりは少し高いそんな声と共に、真鍮製の判子が部屋の奥からふわふわと宙を漂ってやってくる。
奇怪な光景にラクアはぎょっとして半歩後退ったが、セリウスは慣れているのか、驚きもせずにそれを掴み、紙面に判を押した。
「い、今のどうやって……まさか魔術ですか?」
「ああ。風の魔術だな。とは言え、ここまで繊細なコントロールが出来る者は、そう多くはないが」
「へぇ……って事は、同室の方はかなりの腕前なんですね」
興味が湧いて、ラクアは扉の隙間から姿を窺おうとしたが、見えたのは机に向かっている金髪の青年の後ろ姿だけだった。
セリウスは「会わせてやりたいのは山々だが」と言いながら、木箱を受け取る。
「今は取り込み中らしい。また後日、機会があれば紹介しよう」
「分かりました。それじゃあ、俺はまだ配達が残ってるんで、これで」
ぺこりと頭を下げ、小走りで階段の方へ戻っていくラクアを見送ってから、セリウスは部屋の扉を静かに閉めた。
そして、真剣な顔でノートに文字――正確には魔術の式を綴っている青年、グエルの机に、受け取ったばかりの木箱と、役目を終えた判子を置く。
「知り合いか?」
グエルはノートから目を離さず、ペンを握る手を動かしながら尋ねた。
「後輩だ。例の専属指導の……元はお前に弟子入りする筈だった、訳ありの新入生だ」
グエルの手が止まった。
大体いつも寄っている眉間の皺を深くして、傍に立つセリウスを見上げる。
「お前の手を煩わせているあの一年か? どうしてそいつが僕の荷物を届けに来る?」
「俺は別に煩わしいとは思っていないが、その一年だ。下働きの研修中らしい」
「下働きの研修? 下働きの研修だと?」
大仰に二度も繰り返したグエルに、セリウスは首肯を返した。
「どうして魔族がそんな真似を……配達など人間の仕事だろう」
「だから、彼は一般的な魔族とは違うんだ。その辺りの説明は、専属指導員の話が来た際に、ウォレア教官から聞いた筈だが」
「悪いが、覚えておく価値の無い話はすぐに記憶から消去しているんだ。どんな事情があるのかは知らないが……魔族が下働きの研修……」
いかに特権階級の魔族と言えど、皆が皆、裕福な暮らしをしている訳でもないのだが。
魔族貴族の代表として生きている彼には、同族が小遣い稼ぎにせっせと雑用をこなしているという事実は受け入れ難いらしい。
頭が痛そうに額を押さえて、ぶつぶつと同じ言葉を繰り返すグエルに、セリウスは苦笑。
「まあ、常識からは少し外れているかもしれないが、それ以外の点においては、学院の名に恥じぬ良き生徒だと思うぞ。――何より、彼は弟の命を救ってくれた恩人だ。兄としては、ああいった者が弟の友人で居てくれて、とても有難く思う」
「……それはまさか、以前のエルトリアであった騒ぎの事か? その一年もその場に居たのか?」
「ああ。弟と同じ班だった様でな」
それを聞いて、グエルは記憶の隅に辛うじて残っていた、エルトリアの事件の顛末を掘り起こした。
確か事件が起こったのは、実地訓練に来ていた一年の魔族生徒が、訓練先のダンドリオン学校に居た奴隷に接触した事が発端だった筈。
「……お前がそこまで言うのなら、悪人では無いのだろうが……僕はどうにも、そいつが疫病神に思えて仕方がないな……」
無邪気な子供がそうであるように、無知というのは時に悪意よりも恐ろしい事態を引き起こすものだ。
その一年生が原因で、厄介ごとが増えなければいいが。
魔族諸侯、エトワール公爵家の長子たるグエル・フォン・エトワールは、先を憂いて溜息を吐いた。




