Reminiscence:ミーナ
いつも優しい子でありなさい、と、アタシは両親に言い聞かせられて育った。
両親の言う「優しい」は、例えば、自分の宝物でも、他に欲しがっている子が居れば譲ってあげること。自分がどうしてもやりたい事でも、それが誰かにとっての嫌な事なら我慢してあげる事。
実際アタシの両親はそういう人で、その背中を見て育ったアタシもその生き方が正しいんだって信じて疑わなかったけど、今はそれって優しさじゃなくってただの自己犠牲なんじゃないかって思う。
かつて故郷で暮らして居た頃のアタシは、それはもうダサかった。
お化粧どころか髪や肌の手入れもしていなかったし、服だって、組み合わせや皺汚れなんてお構いなしに、適当に着られるものを着てた。
当時はそれがイケてると思ってた。派手に着飾ったりしないことが良い事だって思っていたから。
まあ、財力をただひけらかすような悪趣味な派手さは、今だって苦手だけど。でも、自分を磨く事だって大事だって、過去のアタシに言ってやりたい。
アタシの故郷は別に都会って訳じゃない。けど、田舎って言う程でもない。
だから普通に、〝ダサくて真面目なイイ子ちゃん〟は、派手な子達には嫌がられた。
そう、それって普通の事だ。かつてのアタシにとっては全然普通なんかじゃなかったけど、今思うと普通。
そういうのって何処にだってあるんだって、その後の人生でアタシは学んだ。環境が悪かったとか、たまたま良い出会いに恵まれなかったとか、そういうんじゃない。
周りがおかしいんじゃなくって、おかしいのはアタシの方。周囲と違うのはダメ、世間一般とズレてるものは変。人って、そういう価値観を持ってるものなんだ。
過去のアタシは、両親で言うところの「優しくない」子達にとっては最高の玩具だった。
平均以下の見た目とか、臆病であがり症な性格とか。学校っていう閉じた世界の中で暮らす多感な少年少女達に、そういう奴は最高にウケた。
箸が転んでもおかしいって、ああいうのを言うのかしら。そいつらは、アタシが何かする度にゲラゲラと笑ってた。
今のアタシなら、そんな奴らは即行黙らせてやるけど、当時のアタシはそんな奴らにさえ謙ってた。
だってどれだけ嫌な奴らでも、低姿勢で接するのが美徳だと思ってたから――なんて。ぶっちゃけ、ただ怖かっただけだけど。
反抗すればもっと嫌な目に遭うから、アタシはどんな扱いを受けてもずっと我慢してた。
毎日毎日泣いてばかりいた。助けてくれるような友達も、守ってくれる大人だって居なかった。まあ、いくら戦士族だからって、力で解決できない事はどうしようもないわよね。
だからただひたすらに耐えて、耐えて、耐えて耐えて耐えて、早くこの地獄が終わりますようにって神様に祈ってた。
でもその地獄は、いつまで経っても終わる気配がなかった。
アタシ何も悪いことして無いのに、良い子で居るのに、どうしてこんな目に遭うんだろうって、不思議でしょうがなかった。
そしてやっと気づいた。両親の言うような「優しい子」で居たって、ひとつも良いことなんて無いんだって。
そういう人は「優しくない子」に色んなものを奪われて、どんどん不幸になっていくだけなんだって。
アタシは全く効果の無かった神様への善人アピールをやめて、その地獄から抜け出す為に本当に必要な事を始めた。
まず、どうして自分が標的になっているのか、その原因を徹底的に調べた。そして、直せるところは全て直した。
最初は見た目。それまで見向きもしていなかった店に入って、そこに飾ってある服を一式買った。いつも自分で切っていた髪も、ちゃんと美容師に整えて貰った。
センスなんてもの当然無かったし、何が良くて何がダメなのか判断がつかなかったから、とにかく他人の真似をした。メイクに関しては指導してくれる人が居なかったから、慣れるまでは逆効果だった事もあったけど。
けど、見栄えを良くするには、当然お金がかかった。
お小遣いは貰っていたけど、その額は決して高くは無かったから、親のお手伝いや勉強を頑張って、少しでも多く貰おうとした。
それでも足りない時は、物を失くしただの、友達へのプレゼントだの、嘘を吐いたりもした。
他人を疑うことをしない両親はアタシを疑わなかった。アタシは嘘を吐く度に自分が酷く嫌になったけど、それでもやめようとはしなかった。
そうして見た目がある程度〝まとも〟になったら、アタシは次に内面を矯正した。
例えば、目立つような振る舞いはしないこと。周囲と違う意見は言わないこと。たったそれだけでも効果はあった。
そうやって何年も何年もかけて、アタシはアタシを改造し続けた。
気が付けば、アタシを嗤う人は居なくなってた。知らないうちに、アタシはかつて自分を虐めていた奴らのグループに入っていた。
見事アタシは地獄から脱出した。もうこれで嫌な目に遭う事はない、理不尽に搾取される事もないって、アタシは心底ホッとした。
でも、すっかり変わってしまった日々に喜びは無かった。地獄を抜けた先に待っていたのは虚無だけだった。
別人のように変わったアタシに、両親は良い顔をしなかった。
悲しい顔をする両親を見るのが嫌で、アタシは次第に家には帰らなくなっていった。
夜を明かす場所は他にいくらでもあったし、寂しさを紛らわせてくれる喋り相手にも事欠かなかったから、思ったほど不便は無かった。無かったけど、虚無感だけはずっと消えなかった。
アタシは今の自分に満足してる。選択を間違えたとは思ってないし、昔のアタシに戻りたいだなんて微塵も思わない。
でも、全然面白くもなんともない話にケラケラ笑ってる時とかに、ふと考えることがある。
アタシはもう、誰かに何かを奪われることに怯える必要はない。
けど今のアタシに、この空っぽなアタシに、誰かに奪われたくないと思える物が、あといくつ残っているんだろう?
あの地獄から抜け出す為に、アタシはどれだけの大事なものを捨てて来たんだろう――って。




