表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
80/88

25-④ 疑念

「……っくしゅん!」


 雲に覆われて常時薄暗い下段が、殊更に暗くなる時間帯。

 家に戻りステラの作ってくれた晩御飯を久しぶりに満喫したリア達は、同じく久方ぶりとなる自室に集まっていた。


 学院のものと比べれば圧倒的に質は劣るものの、愛着のある使い古したベッドに寝そべっているリアは、鼻を摩るラクアを見遣る。


「あれ、ラクア風邪?」


「いや、なんかちょっとムズムズしただけ。久しぶりの下段だから、体が吃驚してるのかもな」


「ねぇ、本当にこのベッド使わせてもらっていいのかしら? 私は外で寝ても構わないのだけれど」


 と言うレマはラクアのベッドの端に遠慮がちに腰を下ろしていた。

 椅子に座っているラクアは、リアに抗議される前に、相手の提案を却下する。


「流石に俺はそこまで嫌な奴じゃない。お前がどうしても俺のベッドを使いたくないって言うんなら別だけど」


「ならお言葉に甘えさせて貰うわ。貴方はどうするの?」


「俺はおじさんの部屋を使わせて貰うから。それじゃ、二人ともおやすみ」


 立ち上がって部屋を出ていくその後ろ姿を、レマは不思議そうに、リアは寂しそうに見送る。


「おじさんって……?」


「あたしのパパ。死んじゃったのはレマちゃんに話したんだっけ?」


「……ああ、そういう事ね。ええ、知ってるわ」


「本当に急な事だったんだ。いきなり大きな怪物が現れて……あたしはよく覚えてないんだけど、バレッドさん達が助けてくれたんだって。それで一段目に行くことになって……まだそんなに経ってないのに、もうずっと昔のことみたいにも思えるなぁ」


 もう死んでしまったのだと、この世には居ないのだと分かってはいても、その存在を過去にするにはまだ時間が足らず。

 寂しそうに語るリアを見たレマは、その視線を地面に落とす。


「……ねぇ、ひとつ聞いてもいいかしら」


「うん?」


「貴女は、その人のことどう思っていたの?」


「パパのこと? 大好きだったよ! 優しくて強くて、あたしにとってはヒーローみたいなものだった。これから先もずーっと一緒に居てくれるって、当たり前みたいに思ってた。こんなに早くお別れする事になっちゃうなんて思わなかったな……」


「……それは、彼の正体を知った今でも、そう思うの?」


「正体? 戦士族ベラトールってこと? そりゃあ吃驚はしたけど、パパがパパなことに変わりはないから……」


「……そう」


「あ、ごめんね! なんか暗くなっちゃったね!?」


「私の方こそ、悲しいことを思い出させてしまってごめんなさい」


「ううん、大丈夫! 今はもう、大丈夫だから」


 果たしてその言葉は、誰に向けてのものだったのだろうか。レマかラクアか、両親か、はたまた自分自身か。

 そろそろ寝ようかと布団を引っ被ったリアに応じて、レマが部屋の明かりを消した。虫の鳴き声と風の音だけが満ちる静かな部屋に、ほどなくしてリアの寝息が重なる。


 月明かりに照らされた部屋で、ベッドに横になっていたレマはゆっくりと起き上がった。

 すっかり寝入っている様子のリアを見て、レマは苦笑する。


(寝てるフリ……って訳でも無さそうね。隙だらけでいっそ心配になるわ)


 レマは静かに太腿のホルスターから拳銃を抜いて、それをリアの額に向けた。

 白銀の銃身が月の光を浴びて輝くのを見ながら、安全装置を外し、引き金に指をかける。邪魔が入る様子はない。


(今なら確認できる、この子が本当にシュティリア様の血を継いでいるかどうか。でも、もし違ったら……)


 血だまりに伏せる彼女の姿を想像して、レマは息を呑んだ。

 彼女が父と呼ぶあの男も、こんな風に無防備だった。穏やかな面差し。一切の敵意を感じない優しい瞳。これまでの人生で見た事のなかった無垢な微笑み。


 あの時はそれでも、相手が得体の知れない、人の皮を被った化け物にしか見えなかった。

 この娘はあの男によく似ている。けれど、もうこの目にその姿は化け物には映らない。


 暫くその場に立ち尽くしていたレマは、結局、何もせず銃を下ろした。

 止まってしまっていた息を吐きだして、役目を果たせなかった拳銃をしまう。


(……真実を全て知ったら、この子はどう思うのかしらね)


 両親のことも、自分自身のことも、この国のことも、彼女はまだ何も知らない。

 やろうと思えば、何も知らないまま、遠いどこかへ逃げることも出来るのかもしれない。


 その可能性を潰しているのは自分だ。

 大事なことは隠したまま、この王国という名の牢獄の中に閉じ込めている。


(父親が死んだ原因が私にあるって知ったら、この子はどう思うのかしら)


 あの化け物が、こんなに愛されているだなんて知らなかった。

 化け物の血が混じった人間もどきが、自分よりもずっと人間らしい心を持っているだなんて知らなかった。


 知っていたからといって、この結果になることは避けられなかっただろう。

 けれど、それでも、ほんの少しでも何か、この一つの尊い家族の為に、出来る事があったかもしれない。


 レマは唇を噛んだ。己を照らそうとする月明かりから逃げるように、腕で視界を覆う。


(……それでも私は、役目を放棄する訳にはいかないのよ)





(ああ、おばさん、この部屋そのままにしてるんだな)


 無人の部屋の扉を開けたラクアは、誰も居ない筈のそこに懐かしい人の姿を見たような気がした。

 部屋の明かりを点けるとその幻は消えて、代わりに散らかった部屋の姿が照らし出される。


 本や紙の束、汚れたピックやヘルメット、替えの作業着等、鉱夫としての生活を感じさせるその風景の中に、押し花や折り紙などといった全く関係のないがらくたが数点交じっている。

 そのがらくたには見覚えがあった。幼い頃のリアや自分がプレゼントしたものだ。それらを見たラクアは、こみ上げてくるものをぐっと堪えて寝台に向かう。


 だが、さっさと寝てしまおうとするラクアの意思に反して、唐突に部屋に風が吹き荒れた。

 跳ね起きたラクアは、ぶんぶんと羽虫のように室内を飛び回る風の精霊(シルフ)の姿を認める。


「こら、何やってるんだお前! ちゃんと源素はやってるだろ!? こんな所で暴れるなよ!」


 契約のお陰か、叱られた風の精霊(シルフ)はすぐにピタリと止まった。

 と同時に、宙を舞っていた紙束や本が床に散らばるのを見て、ラクアは嘆息。


「まったく、遊びたいならせめて外でやってくれよ……ここにあるのはおじさんの遺品なんだぞ、うっかり壊したり失くしたりしたら大変……」


 などとぶつくさ言いながら一つ一つを拾い集めて元の場所へと戻していると、ふと他とは違う本が目に留まった。

 中を開いてみればそれは日記帳だったようで、ラクアは勝手に読んではまずいと慌てて閉じて机に置いたが、それに抵抗するように風の精霊(シルフ)が風でページを捲っていく。


「だからやめろって! せめて先におばさんやリアに渡してから……ん?」 


 開かれたページの一行目には、「最近、物忘れが激しい気がする」という文言が書かれていた。

 そう言えば、あの事件のあった日も、彼は傘を忘れて行ったのだったかと、ラクアは当時を振り返る。


 ただのうっかりでは無かったのだろうか。流石に気になって更にページを捲っていくと、どんどん症状が悪化していく様が文面から見て取れた。

 それだけではない。お手本のように綺麗だった筆跡が、ページを捲る毎に乱れていく。


 そして、


「…………なんだ、これ」


 最後のページに至っては、のたくった蛇のような線が書かれているだけで、とても読めたものではなかった。





 リア達が下段に帰ってきてから一週間。

 特に何事もなく、休暇に相応しい穏やかな日々を堪能した三人は、いつかと同じように一段目に続く崖の前に集まっていた。


「あう~、もう帰らなくちゃいけないなんて……」


「そうね、あっという間だったわね。でも、来てくれて嬉しかったわ。ラクアくんも」


「…………」


「ラクア? 聞いてる? 乗り物どこか壊れてたりした?」


「え? ――ああ、いや、大丈夫。ちゃんと動いてる」


 スカイモービルに原素を注いで起動させたラクアは、ステラに別れの挨拶をして、先に操縦席に乗り込む。

 談笑するリアとステラの声を聞きながら、彼の思考は先日見つけた日記の事でいっぱいになっていた。


(結局、あの日記のこと言いそびれたな……。おじさんに持病があったなんて話聞いたことないけど……)


 いや、そもそもあれは病気の類なのだろうか?


 歳を取ると物忘れが激しくなる、というのはそう珍しい事でもないだろうが、最後のページのあれは異常だ。

 手が震えてまともに書けないという風ではなかった。幼い子供が適当に落書いたような、そんな印象を受けるものだ。


 まるで突然知性を失ったかのような――と、そこまで考えたラクアの脳裏に、原種返りしたリアの姿が過ぎった。


(そう言えば、おじさんもリアと同じ戦士族ベラトールなんだよな。原種返りみたいに、何か戦士族ベラトール特有の症状だったりするのか……?)


 もしそのせいで判断力などが鈍っていたのだとしたら、そのせいで彼は逃げ遅れて死んだのかもしれない。


「今度ウォレアさん達に聞いてみるか……」


「何の話?」


「うわっ!? 吃驚した、脅かすなよ」


 いつの間にか隣に来ていたレマは、ラクアのその反応と言葉に心外だと返す。


「普通に話しかけただけよ。何か考え込んでいたみたいだけれど?」

 

「ああ……こっちの話だから気にしないでくれ」


「そう、ならいいけど」


「それじゃあママ、また来るから、それまで元気でね!」


「ええ、貴方達も元気でね」


 しっかりと抱きしめ合ってからスカイモービルに乗り込むリアを見届けて、ステラはレマの方を向いた。


「レマちゃん、この子達のこと……私の命より大切な子供たちのこと、どうか宜しくね」


「…………」


「ちょっと、何言ってるのママ。そんな風に言われたらレマちゃん困っちゃうよ」


「あら、ごめんなさい。じゃあ……お友達として、これからも仲良くしてあげてね」


 微笑むステラに、レマはなんと答えればいいのかわからなかった。

 あたしからもよろしく! と無邪気に手を握ってくるリアにされるがままになっていると、


「待ったぁ! そこのスカイモービル、ちょっと待ったぁぁぁあっ!」


 と、場に騒々しく一人の男が駆け込んできた。

 くたびれた革のジャケットとつばのついた帽子を除けば、黒く短い髪にTシャツとジーンズパンツという、下段ではありふれた容姿の男は、皆の視線を浴びながらスカイモービルへ乗り込む。


「はーよかった、この崖を自力で登る羽目になるとこだった」


「って、いやいやいや、誰ですか!? 何しれっと乗ってるんですか」


「まあオレの事は気にせず。ほら帰るんでしょ? 離陸してどうぞ~」


 慌てふためくラクアの後ろ、リアの隣の席に腰を下ろした男は、背凭れに体重を預けて寛ぎ始める。

 誰かの知り合いかとラクアは他三人に目で問うたが、皆は揃って頭を振った。


「お兄さん一段目のこと知ってるの? ここの人じゃないの?」


「あー、そういう質問はナシで。あっちこっちから、あれは喋っちゃダメこれも喋っちゃダメって口煩く言われてるから」


「ん~? ……あ、わかった! イアンさんと同じ暗行御史(アメンオサ)の人?」


「ああ、それいいね! じゃあそれで」


「ええ……?」


 そのあまりの適当さにリアですらも困惑。

 男は皆の奇異の目など気にも留めずに口笛を鳴らす。


「え、何で行かないの? もしかして定員オーバー?」


「定員は大丈夫ですけど……どこの誰かも知らない人を一段目に連れて行くわけには……」


「どこの誰って言われてもなぁ。名前はイース、所属は多すぎるから割愛。これでいい?」


「ふざけていないで真面目に答えて。さもないと撃つわよ」


「うーわ、おっかない。その銃の弾丸って弾頭に毒とか仕込んでるんでしょ? そんな危ないもの初対面の相手に向けないでよ」


「――――っ!?」


 元よりリア達よりも警戒の色が強かったレマは、男の発言に驚き身を強張らせた。


「……どうしてそれを知っているの」


「どうしてって、実技テストで使ってたじゃん。オレは見た人から聞いただけだけど」


「見た人……? 貴方、学院の関係者なの?」


「あー、うん、じゃあそれで」


「っ、ふざけないで!!」


「わーっ!? 待って待ってレマちゃん、落ち着いて!」


 今にも引き金を引いてしまいそうなレマをリアが慌てて制する。

 いくら怪しい人物とは言え、いきなり撃ち殺してしまうのは流石にいただけない。


 珍しく頭に血が上っている様子のレマに代わって、比較的冷静なラクアが尋ねる。


「あの、学院の関係者なら、せめて身分証か何か見せて貰えませんか? 不審者を連れて行って怒られるのは御免なので」


「不審者って失礼な! 身分証、身分証ねー。ちょっと待って、探してみるから」


 そう言って、男は徐に懐をまさぐり始めた。あちこちのポケットから名刺やメモ帳が飛び出して床に散らばるのを、皆が呆れた目で見守る。


「あーあったあった。はいこれ。これは見せてもいいやつだった筈」


「これはって……他のは見せられないんですか? その割に扱いが雑ですけど……」


「あ、見た? もしかして見ちゃった?」


「別に見てません。えーっとどれどれ……〝ノブリージュ王立学院 臨時用務員 イース・レサリア〟」


 渡された名刺に書かれた文字をラクアが読み上げると、リアがたどたどしい発音でそれを復唱する。


「よーむいんさん! 下段の学校にも居た! なんかよく分からないけど、学校の敷地内をウロウロしてる人だよね!」


「それじゃ不審者と変わらなくない? オレって結局不審者なの?」


 などという気の抜けた会話を聞き流しながら、ラクアと同じく名刺を覗き込んでいたレマは、そこに証印がある――つまり偽造されたものではない本物である事を確認して、一先ず銃を下ろした。


「それで? どうしてその用務員がこんな所に居るのかしら」


「だからー、あんまり喋れないんだって。喋れないっていうのはオレが言いたくないんじゃなくって口止めされてるってこと。オーケー? 詳しく知りたいならお上に聞いてね」


「ならそのお上とやらの名前を教えて頂戴」


「それも無理でーす。はい、もう身元の確認は済んだんだからいいでしょ? ラクアくんゴーゴー」


「はぁ……って、何で俺の名前知ってるんですか」


「用務員さんだからじゃない?」


「そうそう、多分そう。いやー君は良いこと言うね~」


「??? ありがとうございます!」


 リアはこのイースという男のことを理解するのを諦めたようだ。

 とりあえず褒められたから喜んでおこうという精神のもと元気よく返事をするリアは、手を伸ばしてきたイースとハイタッチを交わす。


「胡散臭い事この上ないわね」


「まぁ、もし何かヤバい人だったら、パレス要塞の人達が何とかしてくれるだろ」


「それもそうね。なら行きましょう」


 レマと小声でそんなやり取りをしたラクアは、漸くスカイモービルを浮上させた。

 遠ざかっていくその姿を見上げていたステラは、頭上からひらひらと舞い落ちてきたいくつかの紙片をキャッチする。


 何かと思えば、先程イースが床にばら撒いてしまった名刺の数々、その一部のようだった。

 落としていって大丈夫なのだろうかと、苦笑交じりに数枚を流し見たステラは、それらに書かれている文字を読んで目を見張る。


 記されていたのはイースの名と、政府、軍、王室、モルタリア王国の中枢を担うありとあらゆる機関の名前、及びそれに関連した彼の役職名だった。

 ステラは我が目を疑った。確かに本人も「所属が多すぎる」とは言っていたが、これらは普通兼任出来るようなものではない。仮に出来たとしても、数が多すぎる。


(どういうこと……? やっぱり、さっきラクア君達に見せていた名刺もこれも、全て偽物……? でも、ちゃんと証印もあるわ……)


 まさかこの証印も本物を真似た偽物なのだろうか。だが簡単には真似出来ないからこそ証印としての価値があるのだ。

 つまり、少なくともこの国ではそんな模倣品を作る事など出来ない。そう、この国では。


 ステラはイースの正体に思い至り、緊張した面持ちで空を見上げた。

 だが、彼らの姿は既に雲海の向こうへ消えてしまっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=694134660&s
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ