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24-③ 化かし合いの結果


「――まったく、家主が居ないのに、こんな厳重な警戒を布いておく必要なんてあるのか?」


 時間は少し遡って、ラクア達が学院を出て行って暫く。

 休日故に生徒の居ないノブリージュ王立学院本校舎の最上階にて、そんな愚痴を漏らしたのは警備を任されている一人の魔族マグスだった。


「まあ、その気持ちは分からなくも無いがなぁ。給料泥棒をする訳にもいかないだろうよ」


 それに同意しつつも苦言を呈したのは、同じく警備を任された戦士族ベラトールの男性だ。

 護衛すべき対象が不在で平時より少ない人数とは言え、二人の他にもこの階の警備に当たっている者は数名居る。静かな校舎で棒立ちになるか延々と歩き回るかを長時間続けるというのはなかなかに苦行だ。


「それにほら、最近は色々と物騒だろ。原種負けの事件といい、要塞への不法侵入といい、良くない噂ばかり聞くし」


 戦士族ベラトールの男性の発言に、魔族マグスの男は僅かに顔を険しくした。

 が、あまりにも微細な変化だった事もあり、真面目に周囲を警戒している話し相手は気付かない。


 魔族マグスの男がその件について深く探りを入れるべきか悩んでいるうちに、学院のチャイムが鳴った。腕に巻いた時計を見た戦士族ベラトールの男性が、「やっと休憩か」と嬉しそうに言う。


「どっちが先に行く?」


「どちらでも、しいて言うなら僕はまだそこまで空腹ではないな」


「じゃあお先に、なるべく早く戻って来る」


「別に急ぐ必要もないさ、そんな気を遣われたらこちらもゆっくり休めなくなる」


「それもそうか。それじゃ、ご厚意に甘えさせて貰うとするかね~」


 言いながら去っていく男と同様に、他の警備員も殆どが封鎖されている階段を下りて食堂へと向かった。

 いつもはきっちり半数ずつ交代で休息をとるのだが、今日はそれを破ろうと咎める者も居ない。


 その場に残った魔族マグスの男は、目だけを動かして周囲の様子を確認した。

 今この階に居るのは自分を含めたった三人だけ、加えて他の二人はちょうどコの字型になっている校舎の突き出した部分をそれぞれ見張っているようなので、魔族マグスの男が立っている位置からは二人の姿は見えない。逆も同じだろう。


 此処を護る者達は随分と互いを信頼し合っているようだ。或いは、好待遇のこの職を手放してまで馬鹿な真似をするような愚か者が居るとは考えないのだろう。

 魔族マグスの男は傍目には何の違和感もない警戒態勢のまま、いつもなら家主――この国の王であり、この学院の院長――が使っている部屋のドアの前に移動する。


 そのままドアノブを背に隠すようにして、両手に嵌めた白手袋から一つの鍵を取り出した。

 それを後ろ手で器用に鍵穴に差し込んで解錠すると、滑るような動きで部屋の中へと入る。


 当然のことながら部屋の中は無人だった。静かに扉を閉めた男は、部屋を見渡しながらズボンのポケットから小さなカフスボタンのようなものを取り出す。

 

 部屋には調度品の他に大きな執務机があり、壁には本棚が並んでいた。かつてここが学院ではなく王城として使われていた頃は書斎か何かだったのだろうと見当付けながら、高級感のある絨毯の上を歩く。


 さて、どこへ隠したものか。これだけ色々あればいくらでも候補はある。

 男はカフスボタン――実際にはそれを模した小型の盗聴器――を指で弄びながら、目に留まった卓上のルームライトを手に取った。彼は懐から取り出したドライバーでそれを躊躇いもなく解体し、普通に使う上ではまず気づけないであろう場所に先の盗聴器を入れた。

 それからバラバラになった小さな部品を手際よく組み立て直して、元の状態に戻ったライトを寸分違わず元の場所へ置く。


 男はそこで一度動きを止めて耳を澄ませた。閉ざされた扉の向こうに人の気配が無いことを確信してから、今度は部屋の隅に置いてあるダイヤル式の固定電話へと近づいていく。

 この国に普及しているものより更に型の古いそれは、アンティーク品としての価値もありそうな見事な意匠のものだった。が、男の興味はそこには無く、彼の視線はそこから伸びている電話線に向けられる。


 それを辿って見つけた壁面のモジュラージャックの前に屈み、次にポケットから取り出したのは電話線に取り付けるプラグ――に擬態した別の盗聴器だった。

 ジャックに刺さっている電話線を引き抜いた彼は、今使用されているプラグを取り外して――


「大胆な奴だなぁお前は、そういう事は普通夜中にやるもんだぞ」


 ――完全な静寂だった室内に突然現れたその声に、弾かれたように顔を上げた。


 男がその声の主を視認するより先に、彼の身体は床に叩きつけられる。

 絨毯のお陰で昏倒せずには済んだが、後頭部を強く打ち付けた衝撃で視界が眩んだ。口から漏れた呻き声は、彼の顔の下半分を覆うようにして掴む相手の掌に吸収されて消える。


 襲撃者はそのまま仰向けで倒れる男の上に馬乗りになって、困惑やら恐怖やら敵意やらに塗れた相手の顔を見下ろした。


「いくら陛下が不在だからって、勝手に鍵開けて入る奴があるか。それとも、俺の知らない間に此処は出入り自由にでもなったのか?」


 眩暈が退いてやっとその顔を認めた魔族マグスの男は、それが見知った顔――それも一番警戒していた筈の相手であることを理解して歯噛みする。

 いつもの無駄にデカい声とは違い、すぐ傍に居る相手にだけ聞こえる程度の声量で、しかし威圧的に喋るその人間の男は紛れもなく、学院教官のアスターだった。


 どうしてあんたが此処に、と問いたくても、口元を押さえつけられた状態では声を出すことも出来ない。拘束から逃れようと足掻いてみても、相手の身体はビクともしない。

 アスターは自重と片手のみでそれを制しながら、先ほどまで男が座り込んで弄っていたモジュラージャックを見遣る。

 配線がむき出しになった電話線の先端と、二つ転がっているプラグを見ながら、


「まさかわざわざ忍び込んでやってた事が、劣化したプラグの交換だなんて事は無いよなぁ?」


 とおどけつつ、手持ち無沙汰になっている片手でプラグを二つとも拾い上げた。

 それらを見比べて、うち一つが盗聴器だと気付いたアスターは、怪訝な顔で眼下の男を見た。何かを見定めようとするかのようにじっと相手の顔を覗き込んだ後、口を塞いでいた手を放す。


 男は突然解放された理由が分からず、何のつもりかと相手を睨んだが、アスターは何も言わずに様子を窺うだけ。

 こちらが何かするのを待っているように思えたが、未だ圧し掛かられたままで起き上がる事も出来ない男は、この状況で言うことも出来ることも無いので同じように黙りこくるしかない。


 やがて、先に口を開いたのはアスターだった。


「上手い事化けたもんだなぁ、聞いてはいたが大した技術だ」


 男は内心ギクりとしたが、その同様を表に出さぬよう努めて冷静に返す。


「何の話ですか、アスター教官」


 その声は、見た目は、口調は、いつも此処の警備を任されている魔族マグスの男性のものに違いない。彼の同僚がそう判じたように、それは疑う余地のない完璧な変装・・だった。

 だが、アスターはまるでその仮面の下の顔が透けて見えているとでも言うように、一切の迷いなく告げる。


「俺に無理矢理暴かれるのと、自分から白状するのとどっちがいい?」


 その有無を言わさぬ笑みに、男はさっと顔を青くして後ずさった。身体は動かないので、あくまでも心境的な話だが。

 これはもう完全にバレているのだろうか、いや、まだ鎌をかけられている可能性だってある。自分はまだ何のボロも出していない、相手が変装を見破るだけの判断材料など無い筈なのだから。


 ならばここで口車に乗ってしまえば相手の思う壺だ。男はそう判断して降伏しなかったが、そのせいでアスターに思い切り首の皮を引っ張られる。


「痛っ!? ちょっ、何すん――何をするのですか!」


「その演技まだ続けるのか? 正直、俺から見てどこまでがマスクでどこまでが地肌なのか判別がつかん。お前が自分で剥がす気が無いのならこっちが探すしかないだろう」


「だからってそんな急に全力で引っ張らずとも良いでしょう!? 首の皮を剥がす気ですか!」


「まぁ、顔さえ残しておけば正体は分かるからな」


 ゾッとするようなことを平気で言ってのけるアスターに、いよいよ本気で身の危険を感じた男は狼狽えながら叫んだ。


「私が偽物であるという根拠は何ですか!? 何の証拠もなくこんな事をしているのでしたら、教官といえど許されはしな――」


「お前が魔族マグスだったらなぁ、とっくに魔術を使ってる筈なんだよ」


 男が言い切るのを待たずに、アスターは呆れ気味に答える。

 

「最初に俺が何でお前の口を塞いだか理解して無かったのか? 魔族マグスは声さえ出せる状況なら魔術が使える、だから対魔族(マグス)制圧の際はまずそれを奪うのが常識だ。なのにお前は、自由に喋れるようになっても一向に魔術を使おうとしなかった」


「……それは、単にその隙を見計らっていただけで。そもそも、僕がここで魔術で反撃してしまえば、それこそ問題行動になるでしょう」


「この部屋に入ってる時点で十分問題だぞ。まぁいい、本当にそういう理由で使わなかったって言うんなら今使わせてやる。これでお前が魔術を使って俺から逃げたら、俺の推理が外れてたんだと認めてこの場は見逃してやろう」


 アスターはそう言って、男の上に乗ったまま両手を上げた。


「そんな都合の良い話がある訳が無いでしょう、何か罠を仕込んでいるに決まっています」


「だとしても、それはお前が魔術を使わない理由にはならんぞ。魔族マグスが他種族相手に力技で勝てる筈がない、逃げる為には魔術を使うしかない、魔族マグスなら誰だってそう考えるさ。ついでに言えば、魔族マグスならこうやって喋っている間に、とっくにルーンを使ってる」


「…………」


「お前はそのどちらもしない、故にお前は魔族マグスじゃあ無い。俺に乗っかられたぐらいで身動きが取れなくなってる辺り戦士族ベラトールでもない。なら後は、もう人間しか残ってないよな」


「…………」


 男は口を結んで、恨めしそうにアスターを睨んだ。

 それを受け流しながら、アスターは先程しげしげと眺めていたモジュラープラグを相手の眼前に持ってくる。


「で、こんなもんを持ってる人間って言ったらもう容疑者はかなり絞られてくる。この国にはまだこんな形の盗聴器は普及してない」


 今度は、言われた男が怪訝な顔をする番だった。

 確かにアスターの言う通り、モルタリア王国の技術力はまだそのレベルには到達していない。極一部の人がその存在を辛うじて知っている程度で、物を見ただけで盗聴器だと看破出来るほどの者はこの王国には居ない筈なのだ。


 だからこそ男はこの部屋にそれを仕掛けたのだ、万が一取り付けている所を見られても、よもやこんな小さなパーツが盗聴などという機能を有しているとは気づかれないだろうという確信があったから。


「……なんであんたがそれを知ってる。あんた、王国人じゃないな」


 これまで以上に警戒を強めた男の言葉に、アスターは捕食者が得物を捕えた時のような、見た者を底冷えさせる笑みを湛えた。


「こっちの質問が先だ、もう一回だけ聞くぞ。――俺に暴かれるのと自白するの、どっちがいい?」


 流石にもうここまでか。

 自供せずとも相手は既に答えに辿り着いていると理解した男は、諦めと共に顔を覆っていたマスクを引き剥がした。


 その素顔を見たアスターは、まるで自身も変装を解いたかのようにガラリと身に纏う空気を変えた。

 いつも通りの豪傑さを感じる笑みを浮かべて、露になった相手の黒髪をわしわしと撫でる。


「よーしよしよし、偉いぞガンナ、正直者には内申点をやろう」


「要りません。……少しくらい驚いたらどうですか」


 先ほどまで魔族マグスの皮を被っていた男――黒組の生徒であるガンナは、この上ない屈辱を感じながら相手の手を叩き落とした。


「一応驚いたぞ、最初は本当に騙された。でも人間で、その背格好で、この部屋に盗聴器なんてもんを仕掛けそうな奴って言ったら、お前くらいしか居ないからなぁ」


「最後のは理解出来ないんですが、どうしてそう思ったんですか」


「なんでって……入学式の時、思い切り陛下(校長)の事を睨んでただろう」


「え」


「なんだまさか無意識か? 妙なところで脇が甘いなぁ」


 全く自覚していなかったガンナがショックを受けている間に、アスターは立ち上がって盗聴器の仕掛けられたプラグを足で踏み潰した。


「仕込んだのはこれだけか?」


「…………」


「往生際の悪い奴だな、黙っててもどうせ後で発見器使えば一発だぞ」


「…………」


「……レマに今回の件を全部話してやるとするか」


「ルームライトの中」


 この野郎覚えてろ、と心の中で悪態吐くガンナを置いて、ルームライトを豪快に解体したアスターは、中から転がり出てきたカフスボタンを先と同じ手順で破壊する。


「さて、事は済んだしとっとと移動するか、時期に皆が戻って来るだろうしな」


 上体を起こした姿勢のまま床に座り込んでいたガンナは、アスターに腕を掴まれ強引に立たされた。

 お釈迦になった可哀想なルームライトは置き去りにして、部屋を出て鍵を閉める。


「ああそうそう、大事なことを聞き忘れてた。お前が変装したその魔族マグス本人はどうした?」


 通した筈のないガンナが上階から現れた事に驚く他の警備員を適当に躱していたアスターは、階段を下りながらそう尋ねた。

 こちらとしても聞きたい事があるので大人しく連行されているガンナは、今更隠すような事でも無いかと正直に答える。


「眠らせて男子トイレに置いてきました」


「そりゃ良かった、一応先に確認しに行くがいいよな?」


「どうぞ、恐らくまだ寝てると思いますが。……何が〝良かった〟なんですか?」


 何の罪もないのに、ただ「変装し易い」という理由だけで巻き込まれた可哀想な魔族マグスの現状をそんな風に評したアスターにガンナが問うと、相手は特に何の感情も乗らない声色で一言。


「もし殺してたら、同じ目に遭わせる心算だったんでな」


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