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24-② 虚偽と真実


「いやぁ吃驚した、まさか気絶されるとは」


 穏やかな昼下がり、館の応接室で苦笑交じりにそう言ってのけたサイラス――この国の王を前に、ラクアは心中で「吃驚したのはこちらです」と返す。


 失神してしまったロザリアとナイゼルは使用人達によって客室へと運び出され、現在はベッドの上だ。今この部屋に居るのはラクアとサイラス、フィアとアルスとイアンの五名のみ。

 ただ友人の家に遊びに来ただけの筈だったのに、何がどうなって王家の人間とお茶をしているのだろう。


 いくら身分制度に疎かろうが、国王がどれほど凄い人物かどうかなんてリアでも分かる。

 自分の一挙手一投足が不敬に相当しないだろうか気になって仕方がない。ラクアはナイゼル達と一緒に気絶出来なかった己を呪った。


 そんな彼の心境とはうってかわって、この事態を招いた原因とも言えるフィアは、先ほどの高雅な雰囲気はすぐに取り払って、普段の調子でテーブルの上の菓子をもりもり食べていた。

 イアンはすぐに空になる彼女のカップに紅茶を注ぎ、アルスはフィアの口元についた食べカスをナフキンで拭う。ラクア以外の人物は憎らしい程にいつも通りだった。


「ラクア、お菓子食べないの?」


「いや……、ちょっと今はそういう気分になれない……、ああでも、食べないのも失礼だよな……じゃあ頂きます……有難う御座います……」


「……なんで敬語なの?」


「いやだって、フィアさん――じゃない、フィア様は王女様なんでしょう? ああ駄目だ、すみません、どういう喋り方をしたらいいのかも分からない……」


「そんなに緊張しなくても構わないよ、今日のこの会合は公のものではないし、私もフィアも今はただのどこにでもいる親子のつもりだから」


 そう言われても、「はいそうですか」とすぐに緊張が解ける訳でもない。

 ラクアは味を楽しむ余裕もないまま、苦し紛れに紅茶を啜る。


「そもそもアルス先輩もイアン先輩も、王室護衛官レクスガーディアンを〝目指してる〟って話じゃなかったですっけ……? これじゃまるでもう既に……」


「ああうん、ごめん、あれ嘘」


 さらりと暴露したのはアルスだった。

 「ですよね」という顔をするラクアに、イアンが弁明を付け加える。


「彼にも私にも騙す意図は無かったんですよ、ただ隠しておく必要があったんです。安全性を鑑みて、王家に生まれた者は成人するまでその存在を知られてはならない決まりですので」


「俺達が王室護衛官レクスガーディアンですって言っちゃうと、フィア様が王女殿下ですって事までバレちゃうからね。そもそも王室護衛官レクスガーディアンは本来きちんと学院を卒業してその資格を得た者しかなれないっていう決まりもあるんだよ、俺とイアンは今そこに違反してるから、他の人に知られるとちょっとね」


「ええっと……、それってつまりアルス先輩もイアン先輩と同じように、元々からこの家に仕えてたって事ですか?」


「そうそう。だから半ば出来レースだったとしても、体面を保つ為に正規の手順をきちんと踏む必要があったわけ」


「とはいえ、何も彼らを贔屓している訳では無いんだよ。アルスとイアンの成績をこちらの良い様に操作している訳でもない、彼らは実力で王室護衛官レクスガーディアンに必要な条件を満たしてくれている。このまま卒業までそれを維持してくれれば特に問題はない、ただ他の人とは順序が逆だった、というだけだよ」


「……じゃあ、もし卒業までにその条件から外れてしまった場合ってどうなるんですか?」


「それは当然、王室護衛官(レクスガーディアン)から外れて貰うことになるね」


「だからもう必死なんだよ~、ここまでお膳立てして貰ってやっぱり無理でしたーって訳にもいかないし」


「アルスとイアン以外の人が従者になるなんて嫌」


「ってフィア様も言うし」


「あはは……、よほど好かれてるんですね」


「小さい頃からずっと一緒に居るから、私にとっては家族みたいなもの」


 成程、それは離れ難くもなるだろう。

 以前リアに聞いた王室護衛官レクスガーディアンの条件を考えれば相当に大変な道程の筈だ、それを運命付けられているとなるとさぞや辛かろうとラクアは思ったが、アルスとイアンがそれを嫌がっている風には見えないのは、彼らも彼女と同じ気持ちだからかもしれない。


「そういえば、アルス先輩のその恰好って……」


王室護衛官レクスガーディアンの正装だよ。見る人が見れば一発でバレちゃうから任命式の前に着ちゃ駄目なんだけど、今日は誰も見てないしいいかなーって。フィア様のカミングアウトの前にこれで少しでもショックを和らげられるかなと思ったんだけど……あんまり効果は無かったみたいだね」


 玄関先でのロザリアのあの反応はそういう事かと納得しつつ、今頃別室で魘されているであろう彼女にラクアは同情した。


「という訳で、これはラクア君と俺達の秘密にしてね。というか、今日見聞きすることの殆どは秘密にしといて欲しいんだけど」


「それはイアンさんにも事前に言われてたので大丈夫です、言ってた意味がよく分かりました……」


「助かるよ。それじゃあせっかくだから他にも色々と話しておこうか、彼女の事とかね」


 そう言って指し示されたフィアは、マカロンをスナック菓子のように次々口の中に放り込んでいた。個人的にはこの大食いの謎を聞かせて貰いたいのだが、ラクアは黙って聞く姿勢になる。


「彼女は普通の魔族マグスとは少し違ってね、普通の魔族マグスは人間と妖精族(エルフ)の混血なんだけれど、彼女はもう一つ別の血が混じったクォーターなんだ。彼女が魔術を使うところを見たことは?」


「何度かあります。そういえば、ロザリアさんがそれについて色々言ってた気がするな……、一年生で精霊と契約してるのは珍しいとかなんとか……」


「傍目に見ればそう見えただろうね、けれど彼女のは一般的な契約とは少し違う。そこにクォーターの話が絡んでくる訳だけど……まぁ、その辺りは本人に説明させた方が早いかな」


 紅茶で口の中のものを流し込んでいたフィアは、空になったカップを置いて話を引き継いだ。


「私の身体には共鳴種レイリークっていう種族の血が流れてるの。共鳴種レイリークはありとあらゆる生物と意思疎通を図ることが出来る能力があって……、例えばこの前、ダンドリオン学校で私が歌った歌があるでしょ?」


「えーっと、なんかあのやたらと小鳥が集まってきたやつか?」


「そう、あれはあの子達の音声を真似て歌ってるの。私はクォーターだから能力がかなり劣っていて、基本的には〝聞くこと〟しか出来ないけれど、あの歌はたまたま上手く出来た例。あとは、魔族マグスの血のお陰で精霊となら会話も出来る」


「……つまり、それが魔術を使う上でのアドバンテージになってるって事か?」


「そういうこと。普通の魔族マグスは一方的に指示を出すことしか出来ないから、魔術に失敗した時に何が原因だったのかを調べるのも、もっと効率を良くするにはどうしたらいいのかも、自分で試行錯誤して見つけるしかない。でも私の場合は、そういうのは全部精霊が教えてくれる。人間同士でも、コミュニケーションが取れる相手との方が色々とやり易いでしょ?」


 確かにラクアも風の精霊(シルフ)の件に関して、実際に会話が出来ればどれほど良いかと思ったことはあった。会話が出来たとして、あの様子ではまともな話し合いが出来るかどうかは疑問だが。


「契約する時も同じ。私は源素量が他と比べて少ないから、本来なら一つの精霊と契約するのが限界。でも皆優しいから、私から徴収する源素量を平均よりずっと少なくしてくれてるの。……それでもお腹は空くけど」


「おお、最大の謎が解けた」


「え?」


「いやこっちの話。――まあ、大体は分かった。それも秘密にしておいた方がいいのか?」


 フィアは確認を取るように父の方を見た。サイラスは頷いて説明役を代わる。


共鳴種レイリーク妖精族(エルフ)鵺族(キマイラ)と違って、この国原産の種族じゃないんだ。彼らはかつてとある島国に生息していていたのだけれど、帝国の侵略を受けた際に散り散りになってしまってね」


「それってもしかして、聖国と帝国で戦争になったっていう……?」


「ああ、知っているんだね。そう、この国の周囲に要塞が建てられる要因になったとされる戦争の発端となった種族だよ。多くは聖国に保護されたと聞くけれど、帝国の捕虜になったり、はぐれたまま彷徨っている者も少なからず居たんだ。彼女の母方の祖先はその一人なんだよ。今はもう殆どが潰えてしまったから、その血を受け継いでいる彼女はとても貴重な存在なんだ」


「……? ええと、それがどうして秘密にしなくちゃいけないんですか? 寧ろ公表した方が、皆で保護しましょうって流れになるんじゃあ……」


「そうだね、皆が君のような思考の持ち主であれば、公表するのも良いかもしれないね。けれど、悲しいかなこの世界の人は皆が皆そういった人物ではないんだよ。特に帝国の人間にとっては、希少な存在というのは実験サンプルにしか成り得ない、私はそれを危惧しているんだ」


 その言葉に、ラクアは場の空気がほんの少しだけ張り詰めるのを感じた。


「じ、実験サンプルって……」


「宗主国をあまり悪く言うものでは無いけれど、帝国とはそういう国で、帝国人とはそういうものだ。良くも悪くも、彼らは国と己の発展しか頭にない。そんな人達にもしフィアの存在がバレてしまったら、有無を言わさず本国に連れて行かれてしまうだろう。――だから、君もこの事は殊更内密にしていて欲しい。彼女が王女であるという事以上に、これは知られたくない話だ。この国にも大使館はあるし、帝国から出向している人だってあちこちに居るからね」


「……あの、そんな話を俺にして良かったんですか? 聞かない方が良かったんじゃあ……」


 ――というか、聞きたくなかった。

 うっかり話してしまった場合にどうなるかを想像してしまったラクアが青冷めながら言うと、その胸中を察したサイラスが至極申し訳なさそうに続ける。


「彼女と同学年の子に事情を知ってくれている子が居ると安心なんだ、アルスとイアンは常に傍に居られる訳じゃあ無いからね。フィアにも気を付けるよう常々言い聞かせてはいるんだけれど、ご覧の通り少しのんびりしている子だから、親としては気が気では無くて。その点君はしっかりしている様だし、先の反応を見るに帝国派という訳でも無さそうだからね。彼女がボロを出しそうになった時に、上手い具合にフォローして貰えると助かる」


「そ、そう言われても……、善処はしますけど……」


「頭の片隅に置いておくぐらいで構わないよ。下段から引っ張ってきた事といい、こちらの都合で色々と気苦労をかけてしまってすまないね」


 頭を抱えていたラクアは、突然湧いて出た〝下段〟という言葉に顔を上げた。


「――どういう事ですか?」


「え? あれ、知らなかったかな? 君を迎えにウォレア君とバレッド君を使わせたのは私なんだけれど……」


「初耳です、ウォレアさん達はその辺りの事は詳しく教えてくれなかったんで……どうして王様が俺を?」


「ええと……」


 サイラスはまるで助けを求めるかのようにイアンを見つめ、イアンはそれに応じたかのように彼に代わって簡潔に答える。


「陛下は貴方のご両親のことを知っておいでです、二人の間に子供が居たことも――」


「父と母のことを知っているんですか!?」


 椅子を蹴り飛ばす勢いで立ち上がったラクアに、隣のフィアがびくりと肩を跳ねさせた。

 他の三名も驚いた様子で、目を丸くしてラクアを見る。


「どうしたのラクア、びっくりした」


「あ……いや、その、すみません。でも、知っている事があるなら教えて欲しいんです!」


「教えて欲しいって……、お父さんとお母さんの事なら、ラクア君の方が詳しいんじゃないの?」


 不思議そうに言うアルスに、ラクアは頭を振って着席。


「俺は……俺は何も知らないんです。覚えてるのは、優しかった母さんの面影だけで……父に関しては、そんな記憶すら殆ど無い……、分かってるのは、二人が幼い俺をリアの――知り合いの家に預けて消えたっていうことだけです」


 思い出したくもない事実を再認識させられて、ラクアが膝の上で拳を握る。

 他の面々は顔を見合わせて、


「すまない、我々は君のそういった事情を把握出来ていなかった。リア君の家で養子になっているというのも、ウォレア君達から聞いて初めて知ったんだ」


 皆を代表してサイラスがそう謝罪した。

 そのまま難しい顔をして、考えを巡らせるように暫く沈黙する。


「……私も君のご両親について特別詳しい訳ではないんだ、存在を知っていたのはあくまでも臣民の一員としてでしかない。――下段には魔族マグス戦士族ベラトールとの共存を拒んだ人間だけが移動する筈だったんだ。なのに実際は魔族マグスが混ざっていて、しかも子供まで存在しているとあっては私も捨て置く訳にはいかなくてね。君を見つけたのは偶然で、一段目へ連れてきたのも秩序を保つためにやった事に過ぎない」


「……そう、ですか……、じゃあ、両親が俺を捨てて何処へ行ったのかっていうのは……」


「すまない、それは私も知らないんだ。ただ君のご両親の所在については、此処に居るイアンを含め暗行御史アメンオサの皆が捜索してくれている最中ではあるんだよ」


「え、そんなことまでしてくれてたんですか? どうして……」


「好意的な理由でなくてすまないのだけれど、先も言った通り下段に人間以外の種族が存在しているという状況は看過できない事なんだ。下段に居る人々は、魔族マグス戦士族ベラトールには今後一切関わらないという条件の上で、あの生活に甘んじている。それを破ったのでは、彼らがかつての住居を放棄してまで移った意味が無くなってしまう」


「盟約の反故は民の疑心を買うでしょう、それが積もり積もれば内乱の引き金にさえなる。下段の皆さんは魔族マグス戦士族ベラトールの件で元より鬱憤を抱えていらっしゃいますから、これ以上刺激する訳にはいかないのですよ」


 ラクアは気を落ち着かせる為に一度深呼吸をして、聞いた情報を頭の中で整理し始めた。

 サイラスも何やら思案に耽り、フィアは自分が関与すべき話題ではないと結論付けて、話の邪魔をせぬよう黙々と菓子を食べ進める。アルスもそれに倣って菓子をつまみ、イアンは粛々と給仕の役割をこなした。


 結果、数分ほど咀嚼音と時計の針の音だけが部屋を満たしていたが、


「――そういえば、ナイゼル君達の方は大丈夫かな?」


 アルスのその唐突な発言で沈黙は破られる。


「そうですね、一度様子を見てきた方が良いでしょう。目を覚まして最初に見るのが我々ではまた気絶させてしまうかもしれませんので、ラクア君にお願いしても構いませんか? 我々はその間に減ったお茶菓子の補充をしておきますので」


「え? はぁ、それはまあ、いいんですけど……」


 両親の件についてまだ色々と聞きたい事があったラクアは渋ったが、暇を持て余していたフィアが「なら私も行く」と彼の腕を引いて歩きだしてしまう。

 まあ、先の話からすればこれ以上聞いても何も出てこないのだろう。ラクアはそう判断して、大人しく彼女と共に部屋を出て行った。


 閉ざされた扉の向こうで二人分の足音が遠ざかっていくのを耳で確認しながら、三人だけになった部屋でサイラスが深い溜息を吐く。


「すまない、助かったよ。いい加減ボロが出そうだった」


 それを理解した上で助け船を出したアルスは、一口サイズのマフィンに手を伸ばしつつ答える。


「嘘に嘘を重ねるからですよ、もう正直に全部話したらどうですか」


「それは出来ない。私がそんな勝手をすれば、下段に居る彼女がどうなるか分からない」


「前回も肝が冷えましたからね、丁度いいタイミングで援護射撃があったので事なきを得ましたが」


「……イアンには苦労をかけるね、本当に。危ない橋ばかり渡らせてすまない」


 組んだ手の甲に額を押し当て、沈痛な面持ちで謝罪するサイラスに、イアンが明朗に答える。


「貴方に救っていただいた命です、貴方のお役に立てるのなら、それ以上の名誉はありません」


「でも、その様子だとヒューゲルさんはいつ約束破るとも知れないですよ。確実に護るなら国外に逃がした方がいいのでは?」


「そう出来ればいいんだけれど、頼る場所も無くてね。まさか聖国に帰って頂く訳にもいかないし、帝国は論外だ。それに、そもそも下段は監視の目が多すぎる」


「いっそイアンにヒューゲルさんを後ろから刺して貰えば解決しませんかね」


「必要とあらばいつでも承りますが、話はそう簡単には行きません。聖国の方々もどう対処すればいいか……まさか皆殺しにする訳にもいきませんし」


「そんな事をすれば彼女は自責で首を括りかねない、優しい人だからね」


「はぁ~、色々と面倒ですね」


「面倒だね」


「面倒ですね」


 三人は口を揃えてそんなぼやきを零した。

 その心労を共有出来るのは、世界中でここに居る三人だけだ。


「そういえば、リアちゃんの方は何か分かったの?」


「大したことは何も。ただ、彼女の場合はラクア君と違って両親に――少なくともステラ様には愛されていたようですよ」


「そうか……なら、無理矢理という訳では無かったのか……良かった」


「聖国の人達はそれ知ってるの?」


「どうでしょう、そもそもあちらが重視しているのはそこではない気もしますし……。どちらにせよ、今のところ聖国の方々から見た我々王国人は、敵以外の何物でも無いのでしょう。何より私は先日の件でステラ様にナイフを突き付けてしまったので」


「う~ん……」


 唸りながら、アルスは天を仰いで紅茶を飲み干して、徐に立ち上がる。


「どちらへ?」


「紅茶とお菓子の補充~、するって言ったからにはやっとかないと怪しまれるよ」


「それでしたら私がやりますから、アルス殿はお待ちください」


「いいよ、ずっと座りっぱなしでも疲れるし」


 制止も聞かずにさっさと部屋を出ていくアルスに、慌ててイアンがついていく。

 昔はこの館にも使用人が多く居たが、フィアが学院に入ったのをきっかけに皆が本宅である学院に移った為、現在は殆ど無人であることが多い。休暇で皆が帰って来る際には賑わいもするが、今日のように突発的かつ一日の滞在だとそうもいかない。


 故に現在この館に居るのは、外で待機してる運転手とボディーガードの二人を除けばアルス達だけだ。今日出されているお茶菓子の用意や館内の掃除を手伝ってくれた使用人達は、朝のうちに帰っている。


 そんな静けさの中、階段の前を通ってキッチンへ向かう際、二階から微かにラクア達の声が聞こえてきた。彼らは、一階で行われている会話の内容など知る由もない。


「何も知らないまま終わるのと、全部知った上で何も出来ずに終わるのは、どっちの方が良いんだろうね」


 ぽつりと独り言のように吐き出されるアルスの言葉に、その心境を慮りながらイアンが答える。


「人によって違うでしょうから、私には何とも」


「だよねぇ」


「……貴方はどうお考えなのですか、王子殿下・・・・


 久しぶりに聞いた呼称に足を止めたアルス――正式にはニーア・アルス・フォン・エルクートと呼ばれるべき青年――は、苦笑しながら背後に居るイアンを振り返った。


「王子はやめてよ。ガラじゃないし、そもそも俺は王子じゃない。フィアと違って、将来的にそう呼ばれるようになる事もない。俺は永遠に〝孤児のアルス〟だよ」


「それでもフィア様が王女と呼ばれるうちは、彼女の兄である貴方のことも王子と呼ぶのが本来在るべき姿だと思いますが」


「この国に正しいことなんて何一つないんだから、今更だよ」


 再び歩き出して無人のキッチンに入ったアルスは、棚から紅茶缶を取り出して、中に入っている茶葉を温めたポットに移し替えていく。


「人も歴史も身分も全部嘘ばっかりだ。どれだけ取り繕ったって、この国は帝国の巨大な実験場でしかない。俺だって帝国への献上品の一つでしか無いんだから、王子なんて呼び方は――」


「ご自身の事をそんな風に仰るのだけはやめて下さい!!」


 お湯を注ぎ始めていたアルスは、イアンの怒声に吃驚してお湯を零した。


っつ! ――大声出したらラクア君達に気づかれちゃうよ、イアン」


「あああすみません、火傷したならすぐに冷やして下さい、淹れるのは私がやります」


 アルスの冷静なリアクションにすぐさま平静を取り戻したイアンは、アルスの手からポットをひったくる。

 手ぶらになったアルスは、そんな幼馴染の指示に軽く微笑みながら従った。


戦士族ベラトールなんだからこれくらい平気だよ」


「そういう問題ではありません」


「イアンは優しいなぁ~良い子だなぁ~」


「今は両手が塞がっているのでやめて頂けますか殿下」


 ぐりぐりと頭を撫でまわされたイアンは口でそんな反抗をしながら、紅茶の用意が出来ると今度は大皿に並べてあった菓子をケーキスタンドに乗せ換え始める。


「まぁ俺は、フィアやラクア君やリアちゃんみたいな子達が、そういう面倒なものに巻き込まれずに居てくれたらいいなって思うよ。それが出来ないんなら、せめて少しでも長く幸せな夢を見ていて欲しい」


「そうですね。その為には多少の嘘が必要な時だってあります、現実が残酷なものならば尚更」


「本当に〝多少〟なら俺も気にしてないんだけどね。まあ、ここで言ってても仕方ないか」


 アルスは乗せ換えるのを手伝いながら、ふと思い出した懸念事項を口にする。


「そういえば今更なんだけど、本宅(学院)の方空っぽにしてきて良かったの?」


「ええ、陛下が居ないのであればそう警戒する必要も無いでしょうし、警備もいつもの通りきちんと配置してありますから」


 そうして完成したお茶菓子一式をカートに乗せたイアンは、いつもの爽やかな笑顔で「それに」と付け足す。


「学院には、私の師範が居ますからね」



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