24.彼女の正体
「えーっと、とりあえずここで待ってればいいんだよな?」
週末の学院正門、休校日で平時より人通りの少ないその場所に、私服姿のラクアとナイゼル、ロザリアが立っていた。
ろくな私服を持たないラクアが着ているのはオリバーに譲って貰ったものだ。オリバーが昔着ていたもので既にサイズが合わなくなったものなのだが、彼より背丈の小さいラクアには丁度良い。
白のカッターシャツに濃紺のジレベストとスラックスというシンプルな恰好なので、フィアの実家――恐らくはそれなりに格式高い場所へ行くには少々ラフかもしれないが、それでもラクアは他二名のようにフリルのついた服を着る勇気は無かった。
ナイゼルはオリーブグリーンのジュストコール姿、ロザリアはラベンダー色のコルセットワンピースとつばの広い帽子を被っている。
「その筈ですけれど……ああ、恐らくあの車ですわね」
学院前の広い道を音もなく滑るように走ってきたリムジンが、三人の前に停車した。
後部座席から出てきたイアンも、今日は学院の制服ではなく燕尾服を身に纏っている。
イアンに促されて乗車したラクアは、運転席と助手席に座るスーツ姿の男性と女性に会釈しながら座席の端に座った。シートは対面型になっていて、片側に三人ずつ座れるようになっている。
「車って中はこんな感じなんだな、普段見てたのはもっと小さい車だったけど」
「あれ、君はまだ車には乗ったことが無いんだったかな?」
「俺が乗ったことあるのは下段から上がって来る時に使ったスカイモービルと、オリエンテーションに向かう時のバスと、こないだ乗った列車とエルトリアの馬車だけだな」
リアが居たらきっと喜んだだろうにと、ラクアは一緒に来れなかった幼馴染兼家族の顔を思い浮かべながら学院を見遣る。訳アリらしいフィアの家に無関係のリアを連れて行く事は出来ないので、今日はお留守番だ。
「それでは参りましょうか。小一時間ほどで到着するとは思いますが、道中何かあればご用命下さい」
ナイゼルとロザリアに続いて最後に乗り込んだイアンが運転手に発進の合図を出すと、車は静かに走り出した。ロザリアは自分の隣に座ったイアンの言葉に目を瞬かせる。
「一時間? てっきり駅へ向かうものと思っておりましたけれど……、まさかオルディオにお住まいだなんて事は無いですわよね?」
中央区から一時間ほどで到着出来る魔族区内の都市は一番近いオルディオぐらいのものだが、オルディオの貴族であればその領主の娘であるロザリアが知らない筈は無い、そういった意味を含んだ質問にイアンが首を左右に振る。
「本宅も別邸も中央区に在るのですよ。本宅は私用に使うには些か不向きなもので、今日は別邸の方へご案内させて頂きます」
「中央区に……?」
何を思ったか、ロザリアは難しい顔で運転席と助手席を見て、
「あの方々はお二人とも魔族ですわよね?」
「いえ、運転手を務めている彼が戦士族で、助手席に座っている彼女は魔族ですね。そういえばきちんと紹介が出来ていませんでしたが――」
イアンはそれぞれの名前と簡単なプロフィールを説明してくれていたが、ロザリアはその言葉が耳に入っていない様子だった。
その不可解な行動に疑問符を飛ばしているラクアに、ナイゼルが小声で解説してくれる。
「従者や使用人は主人と同族であることが殆どなんだ、特に魔族貴族はね。人間を雇う人は居ても、わざわざ戦士族を雇う人なんて滅多に居ない」
「そうなのか。まぁ、フィアさんはそういうのにあんまり拘りが無い人みたいだし、そういう家柄なんじゃないか?」
気にするほどのものでも無いようにラクアには思えたが、ナイゼルとロザリアは落ち着き無さそうにソワソワとし始める。その顔には冷や汗が浮かんでいた。
楽しくお喋りが出来る状態では無さそうなので、ラクアは様子のおかしい二人は放置してイアンに話しかける。
「そういえば、アルス先輩はインターンシップでフィアさんに仕えてるんだってリアから聞いたんですけど、イアン先輩も王室護衛官? っていうのを目指してるんですか?」
「そうですね、半分はそれで合っています」
「……半分?」
「私は元々から、フィア様の家にお仕えしている従者なのですよ。私自身は捨て子というか孤児というか……まあそういう身分の者でして、それを彼女の父君に拾って頂いたのです。ですから、彼女とは物心つく前から共に過ごしてきました」
「そうだったんですか……、あれ、でもそれなら、そのままフィアさんの従者のままで居た方がいいんじゃ……? どうしてわざわざ王室護衛官に?」
「……そうですね、それは私の口から話すよりは、フィア様に話して頂いた方が良いでしょう」
何か複雑な事情があるのだろうか。まあ無理に聞くこともないなと、ラクアはその部分は流して話を進める。
「でも凄いですね、従者だけじゃなくて暗行御史だって……、あ、そうだ、聞きそびれてたんですけど、おばさん――リアの母親は元気にしてましたか?」
「ええ、お二人からの手紙を喜ばれていました」
イアンは意図的に詳細は伏せて、一部分だけを抜粋して答えた。
下段でのやり取りを知らないラクアは、その報告にほっと胸を撫で下ろす。
「なら良かった。おじさんもリアも居なくなって、一人で寂しい思いをしてないといいんですけど……」
「それでしたら、私がお邪魔した時には先客が居らしていましたよ」
「先客?」
「お名前は存じ上げませんが、貴方達と同じくらいの歳の女の子でした。自分のことをボクと仰っていたので、一瞬男の子かとも思いましたが」
「……、まさかそれって……」
一人思い当たる人物が脳内検索にヒットして、ラクアが頬を引きつらせた。
自分達と歳の近い女子で下段に居るボクっ娘などそう多くは無い。
「ラクア君達の以前のご学友か何かだと思っていたのですが、違いましたか?」
「友人って訳じゃあ無いです。下段じゃ俺もリアも同級生から色々と嫌な目に遭わされてたんですけど、そいつはそのうちの一人だった奴だと思います。なんだっておばさんの所に……まさか俺達が不在の間に嫌がらせしに来た訳じゃないよな……」
「私が見聞きした限りでは、そういった雰囲気ではありませんでしたが……、普通に仲良くお茶をされていた様でしたので」
「ええ……? 駄目だ、何考えてるか全然わからない……」
リアがよく愚痴っていたので、ステラもその少女――リコッタがどういう人物かは知っている筈なのだが、それがどういう経緯で仲良くお茶をする事になるのだろう。まさかリアや自分の悪口で盛り上がっているとは思わないが。
唸るラクアに、イアンは「要らぬ報告だったでしょうか」と申し訳なさそうに謝る。
「いや、今度下段に降りた時におばさんに直接聞いてみます。長期休暇の間は下段に帰っていいんですよね?」
「そうですね、お二人に関しては申請さえして頂ければ問題は無いかと」
「って事は、他の誰かを連れて行くのは駄目なんですよね……、おばさんに紹介出来ればと思ったんですけど」
「許可したいのは山々なのですが、元々下段に住んでらっしゃる方は魔族や戦士族との共生には反対していらっしゃいますので……」
「……あの、そのへんについても前々から疑問だったんですけど、そもそも魔族と戦士族ってどうして存在するんですか? ウォレアさんは自然発生した訳じゃないって言ってましたけど、あれだけ反対派の人が居るのにこんなよく分からない種族を生み出した理由って何なんですか?」
ラクアの純粋な問いに、イアンは言葉を選ぶように間を置いて、
「端的に言えば、この土地の人々を護る為です。……モルタリア王国は元々、帝国の端にある小さな属州でしかありませんでした。帝国は侵略国家ですから、戦える者には存分に褒美を取らせていましたが、戦う能力の無い者やその意思が無い者にはその分他の貢献を求めました」
「他の貢献って?」
「最たるものは納税ですね、戦争に参加しない州には、他の州の数倍の徴税があったと聞きます。あらゆる支援を受けることも出来ず、故に発展もしない。戦争に参加しない州は衰退していくしかありませんでした。モルタリアの当時の総督――今で言うところの国王陛下は戦争を嫌っていたようで、長年戦争には非参加を貫いていたのですが……」
「……最終的には参加する事を選んだ?」
「その通りです。けれど、戦に参加したことのない民をいくら戦場に送り出しても無駄死にするばかり。資源も軍事力も何も無いモルタリアは戦果を上げる為にありとあらゆる方法を模索して――妖精族と鵺族に目を付けた」
「それって確か、魔族と戦士族の元になったっていう種族ですよね?」
「ええ、その二種族は古くからモルタリア近郊にだけ生息していた厄介な害獣でしかありませんでしたが、彼らをもし自分達の意のままに操れるようになれば、それはもう強力な切り札となる……当時の総督はそう考えたのでしょう。何とか本国にその研究の為の技術と費用を出して貰って、彼らを操る為の実験が始まりました。その結果、一番良いとされたのが人の遺伝子と掛け合わせるというやり方だった様です」
「……つまり俺達は、魔族と戦士族は、最初から戦場に送られる目的で生み出されたって事ですか? ノブリージュ学院の入学条件に〝有事の際に兵役に服する義務を課す〟なんてのがあるのは、そういう事だったんですね。最初から侵略戦争の駒にするつもりで……! 人の命を何だと思ってるんだ……!」
怒りに震えるラクアを、冷静なイアンが「落ち着いて下さい」と宥める。
「あくまでも誕生の経緯がそうであったというだけの話です、結局魔族と戦士族が誕生した頃には、既に帝国は殆どの国を傘下に収め終えていましたから、実際に戦争に投入されたことはこれまで一度も無いんですよ。ノブリージュ学院のその校則は建前のようなもので、今は二種族の力を戦争以外に役立てる方針で運用されています。実際、カリキュラムもそれに則ったものですよ。先の実地訓練も――まぁ、想定外のトラブルこそありましたが、平和なものだったでしょう?」
「それは……、確かにそうですけど」
「帝国はその在り方を認めて、未だに支援を続けてくれているそうです。その証拠に、壊滅寸前だった筈のモルタリアは国として独立するほどにまで栄え、今尚発展を続けています。それが非人道的な実験の結果だったとしても、今この国でその恩恵にあやかって生きている我々が文句を言う資格などないと、私は思っていますよ」
イアンの弁にぐぅの音も出なくなったラクアは、しゅるしゅると怒りを萎ませて縮こまった。それを見たイアンは眉を下げて笑う。
「すみません、何だか説教のようになってしまいましたね。――ラクア君の怒りはもっともです、人を戦争の道具として扱うなんて本来あってはならない事だ。そこにどれほどの事情があったとしても、その人の心まで踏み躙っていい理由にはならない、……絶対に」
その言葉は先ほどまでの淡々とした説明とは違い、熱の込もったもののようにラクアは感じた。
*
それからは他愛もない雑談をして過ごし、順調に進んだ車は市街地を抜けて郊外へ。
何もない殺風景な景色がスモークガラスの向こうで暫く流れ続けて、更に林道を進むこと十数分。森の中に張り巡らされたフェンスの前で、車は緩やかに速度を落として停車した。
どうしたのかと窓越しに外を覗き見てみると、フェンスに「この先私有地につき立入禁止」という看板が張り付けられているのが見えた。
道を跨いでいる部分は開閉出来る造りのようで、助手席に座っていた女性が車を降りて、施錠されたそのフェンスを懐から取り出した鍵で開き、車が通れるだけのスペースを作る。
女性が道の脇に退くと、運転手は車を僅かに走らせて、出来たばかりの隙間を潜ってから停車。車の後ろで女性が再びフェンスを施錠して、助手席に戻って来る。
「ここから先はもうフィアさんの家の敷地内って事ですか?」
「ええ、もう少しで着きますよ」
その規模に驚くラクアを乗せて、車が再び走り出す。
林道を抜けた先は丘になっていた。青々とした芝生や湖の広がるその光景を見て思わず窓を開けると、心地よい風が社内を満たす。
窓から顔を出して道の先を見れば、遠くにぽつんと建っている館が見えた。
車は湖を迂回してその館へと近づいていき、門の前で停まる。
「長旅お疲れ様でした。さあ、どうぞこちらへ」
先んじて車から降りたイアンに声を掛けられたが、ナイゼルとロザリアは未だ緊張症のような状態が解けていないようで、シートから中々立ち上がろうとしなかった。
その理由を知らず、故に唯一平静を保てているラクアは、何をそんなにと呆れ混じりで二人を無理矢理車内から押し出す。
生垣に囲まれた煉瓦造りのその館は二階建てで、歴史を感じる佇まいではあるものの隅々まで手入れが行き届いていた。周囲には季節に沿った草花が咲き乱れ、玄関までの小道を彩っている。小さな噴水から湧き出る水に、どこかからやって来た小鳥がくちばしを突っ込んでいた。
それらを観察していると、館の扉が開いて中から二人の男女が現れる。ラクアはその姿を見て息を呑んだ。
男性の方は、白い軍服に身を包んだアルスだった。いつもは寝癖がそのまま残ってしまっているかのように毛先を跳ねさせている髪は綺麗に整えられ、後頭部で一つに纏められている。
そして、彼に手を引かれて歩く女性はフィアだった。白いレース地のオフショルダードレス姿の彼女もまた、いつもは垂れさせている長い髪を綺麗に結い上げていた。ドレスやアクセサリーに使用されている綺麗な、それでいて華美でない宝石が、彼女の動作に合わせてキラキラと輝く。
それはまるで御伽噺に出てくる姫と王子そのもので、ラクアはそれが友人知人である事も忘れて見惚れてしまう。
だが相手は、そんな見た目に相応しい振る舞いなど知らないとでも言うように、ラクア達を見つけるや否や駆け寄ってきて、
「来てくれて有難う、待ってた」
「いらっしゃーい、出迎えようと思ってたけど遅かったかぁ、せっかく見た目はちゃんとしたのに」
といつもの調子で話しかけてきた。
だがそのお陰で、呆けていたラクアは正気を取り戻すことに成功する。
「お邪魔します。えーっと、すみません、俺こういう時の礼儀みたいなものに疎くて、いつもはナイゼルかロザリアさんに任せるんですけど……」
そう言って後方に顔を向けたラクアは、先ほどよりもさらに青冷めた顔で震えている二人を見た。
ラクアがどうしたと声をかけるより先に、ロザリアがわななく口で言葉を紡ぐ。その視線はアルスに向いていた。
「そ、そそ、その恰好は……、それじゃあ、やっぱり貴方がたは……」
今にも倒れそうな彼女の隣で、いつもならフィアの美貌を演劇調で語ってくれるであろうナイゼルもまた言葉を失っていた。
ずっとこうなんです、とラクアが告げると、アルスとフィアは顔を見合わせて――静かに二人の両脇に回り込んで、その腕を掴む。
「なんか色々察してるみたいだけど、そんなに緊張しなくても大丈夫だよ~」
「それじゃあ行こっか、父様が待ってる」
「ひっ」と小さな悲鳴を上げた二人は、有無を言わさず館の中へと引き摺られていった。
一人残されたラクアに、イアンが声をかける。
「まぁ、その、なんというか……、本当は色々とマナーもあるのですが……、当の本人がああなので、ラクア君も今日はあまり気にしないで下さい」
「ほ、本当にそれで大丈夫ですか? なんかナイゼル達の反応を見るに、フィアさんって相当凄い人……」
「行けば分かります。という訳で、我々も参りましょうか」
そう言われてしまえば従う他になく、先に行った四人に倣ってラクアも館に入った。
シャンデリアが吊るされた広いエントランスには、玄関のちょうど真正面に大きな扉があり、その両脇には二階へ続く階段がある。
フィア達は階段は無視して、正面の扉へと皆を誘導した。イアンとアルスがそれぞれドアの左右に立って、両開きのドアをゆっくりと押し開けていく。
その先は広い空間で、見るからに高そうな調度品の数々が並んでいた。そして、その中に一人の男性が佇んでいる。
ラクアはその顔に見覚えがあった。人間の象徴である黒い髪と瞳を持ち、気品溢れる、それでいてどこか親しみも感じる表情をするその男性は、確かに以前、ノブリージュ学院の入学式で見たものと同じ。
その人に向かって、アルスとイアンが声を揃えて言う。
「「お客人をお連れ致しました、陛下」」
「え、ちょ、え? ――は?」
全く予期していなかったラクアだけが、そんな間の抜けたリアクションをした。
陛下と呼ばれた男性は、人好きのする笑みでそれに応じる。
「いらっしゃい、こんな僻地まで来てもらってすまないね、流石に学院で話す訳にはいかなくて」
「いや、あの、ちょっと待ってください」
「色々と積もる話はあるけれど、先ずは先日、君達に助けて貰った私の娘を紹介させて欲しい」
どうやら心の準備というものはさせて貰えないらしい。
呼ばれたフィアは皆の傍を離れて男性の隣に移動すると、ロザリアがするような優雅なお辞儀をして――
「――ご紹介に与りました、モルタリア王国が王女、スィリア・フィア・フォン・エルクートと申します」
いつもの間延びしたものとは違う、凛とした声でそう名乗った。
一拍置いて、学院を出発した時からそれを察してしまっていたナイゼルとロザリアが、ついに耐え切れずに卒倒した。




