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Reminiscence:フィア

「フィア、君はこの屋敷から出てはいけないよ」


 そう父様に言われるようになったのは、いつからだっただろう。

 覚えてはいないけれど、恐らく生まれた時からずっと言われ続けてきたのだろう。


 私の世界はそんな父様と、広くて豪華なお屋敷と、お世話をしてくれる使用人と、大好きな兄と幼馴染だけで出来ていた。

 幼い頃はそれで満足していた、世界とはそういうものなのだと思っていたから、不満など抱きようもなかった。


 けれどいつしか、私が幽閉されているのだということに気付いてからは、変わりの無い世界に退屈を感じるようになってしまっていた。


「ねえ父様、私も兄様やイアンと一緒にお出掛けしたい」


 何度そんなお願いを口にしたかわからない。

 私がそれを言う度に、父様は困った顔で笑って、


「駄目だよ、君の身に万が一の事があったら、沢山の人が悲しむ事になるからね」


 そうやって優しく諭すのだった。


 父様は私の望むことはなんだって叶えてくれた。欲しいものは与えてくれたし、生活する上で何の不自由もなかった。

 けれど、外に出ることだけはどうしても許してくれなかった。


 理由を聞いても同じことを繰り返すだけ、掘り下げても私が納得出来る答えは終ぞ貰えなかった。当時の私は、きっと自分が普通じゃない(・・・・・・)からなんだと不貞腐れていた。

 私は毎日部屋で勉強をして、魔術の練習をして……、あとは大体、本を読んでいたか、お菓子を食べていた記憶しかない。


 楽しかったことと言えば、兄様やイアンや小鳥や精霊から(・・・・・・・)聞く外の世界の話くらいだ。

 けれどそれは聞けば聞くほどに、出ていけない不満を募らせる要因にもなった。


 実際、私は堪えきれずに無断でお屋敷の外に出たことがあった。

 誰にも内緒で、本で読んだお話を真似して、部屋の窓からこっそりこっそり出て行った。

 右も左もわからないまま歩く外の世界は、何もかもが初めて見るものに溢れていて、風に舞う木の葉にすら感動した。


 けれど結局、私の冒険はその一回きりで終わってしまった。


 小鳥や精霊に案内して貰ったお陰で、私は特に道に迷ったりすることもなく、夕暮れ時には無事に屋敷に帰ってきた。屋敷は、それはもう大変な騒ぎになっていた。


 私を見るなり使用人は悲鳴のような声で父様を呼んだ。いつもは屋敷の中に居る使用人達は殆どが外に出ていて、誰も彼もとても憔悴しきった顔をしていた。

 色んな言葉が飛び交っていたけれど、パニックに陥っていた私は殆ど聞き取ることも出来なかった。ただ、とんでもないことをしたのだという実感だけがあった。


 兄様とイアンはかなり遠くまで探しに行ってくれていたようで、連絡を受けた二人が帰って来る頃には辺りはすっかり暗くなっていた。

 兄様もイアンもその時はまだ小さな子供だったのに、父様は他の使用人と同じように二人のことを叱っていた。


 全部私のせいなのに、私が黙って居なくなったからいけないのに、どうして私よりずっと沢山、他の皆が怒られるんだろう。

 理由は分からなかった、けれど「そういうものなんだ」と理解した。理解してしまったから――私はそれ以来、外に出て行こうとはしなかった。


 それでも、外の世界への興味は尽きなかった。私は外で見た物を忘れまいと必死にペンを動かした。それはやがて一冊の本になり、二冊、三冊と増えていった。

 憑りつかれたかのようなその行いは、兄様とイアンが学院に入ってからはもっと酷くなった。


 このままずっと屋敷に居たら、私という存在が消えてなくなってしまうんじゃないかと思った。

 私を知る人は、この広い世界に居る沢山の人達の中で、この屋敷に居る限られた人だけ。

 

 兄様やイアンが居なくなって、このままどんどん他の人も居なくなっていったら、私はどうなってしまうのだろう。

 時が来れば私の存在は公になると父様は言った、けれどそれまで生きて居られる保証なんてない、病気に罹って死んでしまう可能性も、事故や天災で死ぬ可能性だってある。

 そうしたら、私は多くの人にとって、最初からこの世界に存在しなかったことになる。


 どうしようもなく恐ろしかった。誰か、誰でもいいから、この屋敷以外の人に私の存在を知っていて欲しかった。


「兄様、この本を、沢山人が居るところへ置いて欲しいの」


 私がこの屋敷の人間で、父様の娘であることは絶対に知られてはいけない。

 でも、この本なら、私が私であるとは知られないまま、私の存在だけを伝えることが出来ると思った。

 どこの誰かなんて伝わらなくていい、ただ「私」という存在を認知して貰えればそれで良かった。私は確かにこの世界に存在して、何を見て何を聞いて何を思っているかだけを知って貰いたかった。

 父様はそれすら許してくれなかったから、これ以上迷惑はかけまいとしていた兄様に頼むしかなかったけれど、兄様は笑って許してくれた。


 誰にも見つけて貰えないかもしれない、結局無駄かもしれない。

 それでも、何もしないで諦めるよりずっと心は楽になった。私は、自分の気を紛らわせる為だけにその本を書き続けた。


 そうしていくつもの夜と朝を超えて、私は学院への入学を期に、外を出歩けるようになった。

 相変わらず色んな制約はあったけれど、それでも、それは私が漸く得たほんの僅かな間の自由だった。


 真っ先に向かったのは書店だった。兄様がそこに本を置いてくれたと言うから、どうしても見てみたくなった。

 誰にも読まれないまま残っているだろうとは思っていたけれど、もしかしたら誰かが読んでくれているかもしれないという期待を消し切れなかった。

 

 思ったよりその店の本は多くて、これは見つけて貰えなくても仕方がないなんて自分に言い聞かせながら恐る恐る尋ねてみたら、たった一人だけ、その本を買ってくれた人が居ると聞いた。

 驚いた、何より嬉しかった。こんな沢山の本の中で、私の本を見つけて読んで貰えたのは奇跡だと思った。


 その人がどんな思いでその本を買っていったのかは分からない、けれどわざわざ買って帰るのなら、きっと一度は目を通して貰えるだろう。

 くだらないなと捨てられてしまうかもしれないけれど、私は願った。どうかその人がその本を、私を、記憶してくれますようにと。


 いつか私は、沢山の人に知られることになる。けれどそれは私であって私じゃない。

 本当の私は公にはならない、けれどもうそれでいい、たった一人、あの本を読んでくれた人が居るのならそれでいい。


 そうしたら、鳥籠の中の鳥は――今のこの私は、居なかったことになんてならないだろうから。


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