23-④ 日常への帰還
それから更に数週間。
入院していたラクア達も無事に退院し、学院は漸く元の平穏を取り戻した。
どこから話が漏れたのか、それぞれの班が帰って来るより早く、エルトリアとガルグラムでの事件は一年生の間で噂になっていた。
レオルグやミーナ、ナイゼルやロザリアやフィアといった面々よりも比較的話しかけ易いと評されているリアとラクアは、同学年から数日間質問責めに遭ったが、それは二人が学院に馴染むきっかけにもなった。
そんな騒がしくも忙しい日々も過ぎて落ち着いてきたある日の放課後。
「はいこれ、サーシャ君から預かってきたんだ」
ラクアより遅れて退院し、更にその後暫くは何故か寮ではなく実家と学院を往復していたナイゼルは、寮に帰ってくるなりそう言ってラクアに手紙を手渡した。
「いや、いきなり渡されても……先に今まで何してたかくらい説明してくれたっていいだろ」
「大した事じゃないよ、まあ大体はそれを読んでもらえれば解ると思うから。あ、オリバーにはお土産を買ってきたよ、渡すのがすっかり遅くなっちゃったけど」
「そんなのいいのに……、あ、じゃあ僕もこの前作ったルーンが――」
そんな調子でナイゼルはオリバーと仲良く喋り始めてしまったので、ラクアは渋々受け取った手紙を開封する。
差出人の欄にはナイゼルの言う通りサーシャの名が記されており、便箋には丁寧な筆跡で長い文が綴られていた。
--------------------------------------------
ラクア・ベルガモット様へ
ご無沙汰しております、サーシャです。
本当なら直接会ってお話がしたかったのですが、お忙しい身かと存じますので、代わりにこうして文を送らせて頂きました。
既に復学なさったとは聞いておりますが、その後お身体の調子は如何でしょうか。
あの時、あの場所に居ながら、何もできずにただ見ている事しか出来なかった事、そもそもこんな事件に無関係の貴方を巻き込んでしまった事を、まずお詫びさせて下さい。
直ぐにでもその償いを、と言いたいところなのですが、正直なところ、これだけの罪をどうやったら償えるのか、今の私にはわかりません。
もし貴方が私に極刑を望むのでしたら、私はそれに従います。けれどきっと、ラクア様はそれを望むことは無いのでしょう。私は、貴方がどういう人物か、今回の件で少しは理解出来たつもりです。
ですから今は、私に出来ることを精一杯全うしようと思います。
今私は、セリウス様のお計らいでフォルワード家の奴隷として働いています。
奴隷と言っても、実態の待遇はお屋敷に雇われている他の使用人と変わりません。本来ならばフォルワード家に人間の奴隷など足を踏み入れることも許されない筈なのですが、セリウス様とナイゼル様が旦那様へ掛け合って下さった様です。
お陰で私と妹は、綺麗なお部屋で、綺麗なお洋服を着て、十分過ぎるほどの食事と賃金を得る事が出来ています。未だに、これが現実だとは信じられません。
イーガルも病院で治療を施して頂いたお陰で、既に動けるほどに回復しています。以前見舞いに行った折に、貴方に礼をと言っていましたので、この場を借りて伝えさせて下さい。
彼も私も、本来ならば極刑、少なくとも無期懲役は免れなかったでしょう。それが短期間の拘留や免罪で済んだのは、貴方を始め沢山の方々のご厚意の結果に他なりません。
救っていただいたこの命で、私はセリウス様達と共に、奴隷の在り方を変えるべく尽力したいと思います。
いつかまたお会い出来るならその時は、どうか今度こそ、嘘偽りないお礼をさせて下さい。
--------------------------------------------
「……なぁナイゼル、これ、何がどうなってるんだ……?」
お土産のクッキーを広げて紅茶を片手に優雅なティータイムを楽しんでいたナイゼルは、カップを口元に運びつつ答える。
「どうもこうも書いてある通りだよ、サーシャ君はフォルワード家がダンドリオン学校長から買い取ったんだ。まぁ兄上が勝手にやった事だったから、父上はそれはもうご立腹で、僕が戻ってからも屋敷の中は酷い空気だったけれど。毎日実家に帰っていたのはその辺りのゴタゴタが原因だよ」
「そ、それは災難だったな……、でもそれって、つまり先輩はサーシャちゃんを助けてくれたんだよな?」
「まあ半分はね。兄上はサーシャちゃんに父上の偏った考えを直すきっかけになって欲しいと考えたみたいだ、人間の奴隷に対する待遇改善をただ訴えても意味が無いからね、実際にどれだけ有用かを証明するには、見て貰うのが一番手っ取り早いだろう?」
「なるほど……、確かにサーシャちゃんは奴隷に甘んじていい感じの子じゃないもんな」
エルトリアでその才能の片鱗を何度も見ていたラクアは納得し、ナイゼルもそれに同意しつつ続ける。
「でも、兄上は彼女の優秀さなんて知らなかった筈だ。その上で、父の出した条件を呑んだって言うんだから驚いたよ」
「? 条件って?」
「サーシャちゃんが成人するまでに、サーシャちゃんを買った分の金額を自力で稼げなければ、兄上は勘当されるそうだよ」
苦笑しながら言うナイゼルに、ラクアは口を開けて固まってしまった。
代わりに、オリバーがその気持ちを代弁する。
「それって、実際に達成出来るような額なの?」
「普通に考えれば無理だよ、父上もまさか兄上が了承するとは思わなかったんじゃないかな。今まで兄上があんな風に父上に逆らった事は無かったから、僕も最初聞いた時は驚いたよ、気でも触れたのかと思った」
「……な、なぁ、それって俺が無理言ったせいだったりするか……?」
あの日、セリウスと別れ際に交わした会話を思い出して真っ青になるラクアに、ナイゼルは歯切れ悪く返す。
「それはまぁ、ほら、君が言っても言わなくても結果は変わらなかったかもしれないし、だから気にしなくて大丈夫だよ」
「いや思い切り目を逸らして言うなよ! 俺のせいだろ!?」
軽率にあんなこと言うんじゃなかったと後悔して蹲るラクアを横目に、オリバーが小声で尋ねる。
「実際はどうなの?」
「どうかな、兄上の考えは兄上にしか分からないよ。ただ……」
「ただ?」
「……、……いや、これ以上はちょっと、僕がとても恥ずかしい事になるから、聞かないでくれ」
自分が実家に戻って事情を知り、どうしてそんな無謀な賭けをしたのかと、それなら自分が代わるからと兄に詰め寄った時のことを思い出して、ナイゼルは言葉を濁した。
その横顔を見て、彼が兄に何を言われたのか想像を巡らせて察したオリバーが、口元を緩める。
「弟が酷い目に遭わされたのが余程癇に障ったのかな? 原因になったお父さんへの意趣返しにしては、ちょっとやり過ぎな気もするけど」
「……昔からそういう人なんだ、本当に敵わないよ」
「何二人でコソコソ話してるんだよ……」
「大丈夫だよラクアくん、つまりは君のせいじゃないって事らしいから」
「なんだそうなのか? それならそうと言ってくれればいいだろ、なんで隠すんだよ」
「もう過ぎたことなんだからいいじゃないか。――そういえば、そんなことより大事な話があったんだ」
「はぐらかすなっ!」
「まぁまぁ。ほら、コレの事だよ」
ナイゼルはそう言って、自分の前髪を持ち上げて額を指さした。
何のことか分からず首を傾げたラクアに、
「なんだ、せっかく感動的なことを言ってくれていたのに忘れたのかい?」
ナイゼルがいつもの芝居がかった大仰な身振りで悲しみを表現しながら言う。
「感動的なことって?」
「それがね、ラクアは原種返りした僕を助ける為に無謀にも魔術が吹き荒れる中に飛び込んできて――」
「ああああ思い出した!! お前なんで覚えてるんだ!?」
「魔族の原種返りは戦士族と違って記憶が残るんだよ、ずっと意識だけはあるからね」
そういえばそうだった。セリウスの説明を思い出したラクアは頭を抱える。
「冷静になったら死ぬほど恥ずかしい、忘れてくれ」
「嫌だよ勿体ない」
「お前面白がってるな!?」
「まさか。――本当に感動したんだよ」
ナイゼルに真面目な声で言われて、掴みかかろうとしたラクアは勢いを失くしてしまった。
「僕を諦めないでいてくれて有難う、ラクア。お陰で、僕は今こうやって笑っていられる」
相手に茶化すつもりがないと理解したラクアは手を引っ込めて、
「どういたしまして。……ナイゼル、なんかちょっとだけ変わったか?」
「かもしれないね。君が頑張ってくれた事も含めて、色々あったから」
オリバーはそんな二人を交互に見て、
「ねぇ、その話僕も詳しく聞きたいんだけど」
「そうだね、オリバーだけ仲間外れにするのは良くない。――という訳で、ラクアが一人の少女と友を救った感動的な話をとくと語ってあげるとしよう!」
「やめろ!! 絶対変な脚色入るだろそれ!!」
そんな賑やかな室内に、不意に軽快なノックの音が響いた。
一番ドアの近くに居たラクアが気を取り直しつつ開けると、そこに立っていたのは制服姿のイアン。
「ご歓談中にすみません。フィア様からの使いで、ナイゼル様とラクア君にお話が」
開かれた扉の隙間からその姿を認めたナイゼルは、ラクアに手招きされてその隣へ。
「ナイゼル様におかれましてはお初にお目にかかりますね、フィア様にお仕えしているイアン・リドナーと申します」
「ああ! お噂はかねがね、お会い出来て幸栄です。今回のエルトリアの件でも、色々と手を回して下さったと兄から聞いています」
「その件に関してのご報告もしたい所ですが、今日はそれとは別の用でして。――先日の件で、フィア様の救出に尽力して下さった貴方がたに直々にお礼がしたいとのことで、旦那様が屋敷へ招待したいと申しておられるのです」
「「えっ?」」
ラクアとナイゼルが揃って声を上げたので、イアンは「難しいでしょうか」と困り顔になる。
「いえ、その、フィアさんって何か事情があって家のことは話せないみたいだったんで……」
「ああ、その事でしたらお気になさらず。確かに本来であれば外部の方をお招きする事は疎か、その内情を口外する事もあってはならないのですが……、今回は特例です、フィア様がどうしてもと旦那様や私共に食い下がったものですから」
よほど壮絶なやり取りがあったのか、その言葉や表情には疲労がうっすらと滲んでいた。
そういえば最初に会った時もこんな表情をしていたなぁと、ラクアはかつてフィアに電話で呼び出されてやって来た時の彼を思い出しつつ同情する。
「それに、今回の件で貴方がたに深く感謝しているのは旦那様も我々家臣も同じ事ですから、そういう事であればと特別に許可が下りたのです。とは言え、お二方が気が進まないという事であれば、無理にとは言いませんが」
「いや、俺としては断る理由も無いですから、喜んで行かせて貰います」
「そうだね、僕はお礼を言われるような働きは出来ていないけれど……、謝辞を述べる機会を貰えるのなら是非」
「有難う御座います。では、日時はまた追って連絡致しますね。屋敷までは我々が責任を持って送迎させて頂きますので、当日は学院の正門前でお待ちください」
それでは、とお手本のような一礼をして踵を返したイアンは、三歩ほど歩いたところで立ち止まり、
「――言い忘れました。今回の件で知るであろう一切の事柄は、くれぐれも他言無用でお願い致します。本来であれば、知ってしまった方は排除するのが決まりですので」
サラリと物騒なことを言った。
*
「……せっかくですけれど、私はご遠慮させて頂きますわ」
同刻。青組寮内の別室で、ラクア達と同じやり取りをしていたロザリアは、話を持ってきたフィアにそう返した。
「どうして?」
「ナイゼル達が呼ばれるのは納得がいきます、ですが私は貴方の救出に一切関わっておりませんもの、お礼を受け取る資格が御座いません」
「…………」
あからさまに落ち込んでしまうフィアに、ロザリアは後ろ手にドアを閉めて溜息を吐く。その向こうでは、ルームメイト達が興味津々な様子で二人の会話を盗み聞こうとしていた。
「私が居なくとも然したる問題は無いでしょう? 何をそんなに拘ることがあるのです」
「…………」
「黙っていられると分かりませんわよ」
視線を落としたままのフィアは、そう促されてぽつりと呟く。
「……やっぱり怒ってる?」
「はい?」
「前に、喧嘩したままだったから」
フィアが言っているのが、エルトリアでのラクアの精霊との契約についての話だという事に思い至るまで、それなりに時間のかかったロザリアが呆れ混じりに言う。
「いつの話をしておりますの、今の今まですっかり忘れていましたわよ。そもそも、あんなものは喧嘩のうちに入りませんわ」
「……そうなの? じゃあ何で私のこと避けるの?」
「避け……? ちょっと待ってくださいな、私は避けた覚えなどありませんわよ」
「だって、ナイゼルが入院してた時、私が部屋に居るとすぐ帰ってたから……」
「それは――!」
それは貴方とナイゼルの仲を取り持つ為の私なりの気遣いですわよ! と叫んでしまいそうになったのをすんでの所で堪えたロザリアは、咳払いをして言い直す。
「それは別に貴方を避けた訳ではありません。そもそも、私は貴方に感謝しているんですのよ」
「? 私、ロザリアに何かした?」
「私にというか、ナイゼルの事ですわ。貴方と出逢ってから、ナイゼルはよく笑うようになりましたから」
「どうしてそれでロザリアがお礼を言うの?」
「どうしてって……、単純に嬉しいからですわよ。私にはどうやっても、あんな顔を引き出せはしませんでしたから。まあ、少し悔しくもありますけれど」
「……もしかして、ロザリアはナイゼルの事が好きなの?」
「それだけは完っ全に否定しておきますわよ!! 絶対にあり得ませんわ!!」
勢いあまって食い気味に叫んでしまったロザリアに、フィアが目を丸くする。
「その勘違いを貴女にされるのだけは絶対に許しませんわよ!! 話をややこしくしないで下さいな!!」
ロザリアにしてみれば、せっかく応援しているところを台無しにされる危機なので、必死になるのも無理は無いのだが。
リアと同じく少々鈍感のきらいがあるフィアはその心労を汲み取れず、ただその剣幕に圧されてこくこくと頷くことしか出来ない。
「とにかく! 私は別に貴方のことを嫌っても怒っても避けてもいませんし、誘いを断っているのは最初に申し上げた通りお礼を受け取る資格が無いという、ただそれだけの事ですわ! 他意などありません!」
――実のところ、理由はそれだけではないのだが。
彼女は兄であるウォレアが使った治癒術の事が引っ掛かっていた。ラクアに言った通り、治癒術とは禁術と紙一重だ。リスクが高いのは勿論、人の身体に干渉するという行為そのものが道理に背いているとされるからだ。
「魔術で干渉して良いのはあくまでも非生物だけ」というのが一般の魔族にとって暗黙のルールのようなものだった。背いたからといって罰則がある訳でもない以上、平然と使おうとする魔族も居るには居るのだろうが、少なくともロザリアは赤子の頃からそれを禁忌として教えられており、それは同じ家で育ったウォレアとて例外ではない。
今回の件で治癒術を使った事が問題なのではなく、〝治癒術を習得していた〟という事実が問題なのだ。しかもラクアの口ぶりからすれば、ウォレアはそれを労なく使っている。
ロザリア自身そちらの魔術に造詣が深い訳ではないが、使役する精霊の数も、消費する元素量も、命令式の複雑さも、並の魔術の比ではないだろうことぐらいは解る。いくら兄が優秀だからといって、そう簡単に出来る芸当では無いだろう。
つまり、ウォレアはすんなりと扱えてしまう程に、治癒術を使い慣れてしまっている事になる。
ロザリアは今はそちらの詮索に時間を費やしたかったのだが、事情を知らないフィアは尚も説得を続ける。
「どうしてもだめ?」
「ですから、どうしてそんなに私に拘るのですか」
「だって、せっかく私の家のこと話せるチャンスなのに……、今回だけしか無いのに……」
しゅん、と器用に頭頂のアホ毛まで萎れさせて落ち込むフィアに、ロザリアの良心が苛まされる。
「ロザリアは家のこと話せない人は信用出来ないって……」
「ああもう、分かりましたわよ! 行きます、行けば良いのでしょう!?」
結局根負けして折れたロザリアに、フィアがぱっと顔を明るくして飛びつく。
「有難うロザリア、嬉しい!」
「ちょっ、分かりましたから!」
まったくもう、とぼやく彼女は、言葉とは裏腹に楽しそうに苦笑していた。
*
「セリウス! もう家のことは済んだのか?」
ナイゼル同様、久しぶりに学院寮に顔を出そうと中庭を歩いて向かっていたセリウスに、慌てた様子で声をかけたのはララだった。
セリウスは意表を突かれたような顔をして、その隣に居るアルスに目を向ける。
「ごめん、最初は俺もユリアナ教官も適当に誤魔化してたんだけど、凄い勢いで尋問されたもんだから喋っちゃった」
「黙って居なくなられたらどうしたのかと思うだろう! そもそも私だって誘拐の話は知っているのだから、その後どうなったのかぐらいは聞かせてくれてもいいじゃないか。そりゃあ、戦士族の私に出来ることなど何も無いかもしれないが……」
「いや、そういうつもりで黙って居た訳では無いんだ。余計な心配をかけたくなかったんだが……、逆効果だったな」
「それが水臭いと言っているんだ! 私とお前の仲だろう!?」
「わぁ、ララってば大胆~」
「は? ……何がだ?」
本気で全くそんな気はないというリアクションに、煽るつもりで軽口を叩いたアルスは内心でセリウスに土下座しながら閉口する。
「それより、首謀者はもう捕まったのか?」
「え? ああ、結局はウォレア教官の推論が正しかった。リカルド氏――と言ってもお前達は知らないだろうが、エルトリアの名のある貴族が扇動していたようだ、後はダンドリオン学校長も一枚噛んでいたな」
「へー、それもイアンが調べたの?」
「いや、そちらは相手が勝手にぼろを出してくれた。訳あって彼の学校に居た奴隷を一人フォルワードで買い取ったのだが、事情を説明しても随分と渋られてな。訝って叩いてみれば埃が出るわ出るわ……」
頭痛がするといった風にこめかみを押さえるセリウスに、アルスとララが同情する。
「今回の件はそもそもエトワール家が諸悪の根源なのだろう? グエルに今回の件は話したのか?」
「いや、確かに全く関係が無かったとは言えないが、グエルがどうこう出来る問題でも無いだろう。あいつには言わないでくれ、それこそ余計な心労をかける事になる」
「……まぁ、お前がそう言うのなら、私も我慢するが……」
納得がいかない、といった様子のララに、「こうなるから隠してたんだよなぁ」と男二人が苦笑する。
「とは言え、グエルさんの事だから色々と察してるとは思うよ、聞きたくなくても勝手に耳に入って来るような立場でもあるし」
「そうだな、お前が魔族区に不法侵入した事も既に知っていた事だしな」
「えっうそ」
「不法侵入? ……アルスまさかお前」
戦士族区長の娘であり、その手の違反を取り締まる立場にあるララに胡乱な目で見られたアルスは狼狽する。
「いやあれは仕方なかったんだって~! 真面目に申請してたら半日はかかっちゃうんだもん!」
「まぁ、今回の件は私としては致し方ないと思うが……、あの嫌味はお前の事だったのか」
「嫌味? ……もしかして俺のせいで何か言われた?」
「〝戦士族はこんな簡単な手続きすら出来ないほど頭が弱いのか? それとも規則を覚えられないほどの鳥頭か? まぁ頭首がお前の同類では仕方もないか〟だと」
「うわぁなんかほんとごめん、そういやここ最近いつにも増して冷ややかな目で見られてた気がする……」
「あいつも事情は知っているだろうに……ああ思い出したらムカムカしてきた! セリウス! やっぱり今回の件、父親の暴君ぶりを放置したグエルにも責任はあると思うぞ!? お前が言いにくいのなら私から言ってやる!」
勇んで殴り込みに行こうとするララを羽交い絞めして引き留めつつ、アルスは「それにしても」とセリウスに話しかける。
「正直、もっと荒んだ顔して来ると思ってたけど、以外と元気そうで安心したよ」
「ああ、まあそれなりに荒んではいたんだがな、ナイゼルのお陰で今は気分が良い」
「へぇ、なんかあったの?」
「家に居る間、久しぶりにあいつとゆっくり話せたんだ。これまでは互いに顔を合わせる機会が少なかったとはいえ、碌に喋ることも出来ていなかったからな。……少し見ない間に随分と雰囲気が変わっていて驚いた」
実家でのやり取りを思い出して、セリウスが目を細める。
父の言い付けを破ってエルトリアへ向かったのも、サーシャを買い取ったのも、全てはセリウスが身勝手なエゴでやった事に過ぎない。
以前までのナイゼルであれば、謝罪こそすれ、感謝など口にはしなかった筈なのだが、今回は違った。
彼はセリウスの行動を諫め、その上で感謝し、最終的には自分のやろうとしている事を支持してくれた。
「どういった心境の変化があったのかは知らないが、あいつのあんな笑顔を見られたのが嬉しくてな」
「なるほど、それは良かったねぇ」
「ああ、本当に良かった。あの様子ならもう余計な心配は無用だろう、……少し寂しくもあるがな」
「あ~わかる、なんか子供離れできない親の気持ちみたいになるよね」
そう言って同意するアルスに、セリウスはきょとんとした。
「……お前に弟の類が居たとは知らなかったが?」
「あ、いや、そうじゃなくてさ。あれだよ、フィア様の事でたまにそういう気持ちになる事があるなぁ~ってだけで、俺は孤児だってば」
「それは知っているが、生き別れの弟でも見つけたのかと」
「そうなったら面白いけどねぇ。――ところでララ、グエルさんの事はそろそろ諦めて欲しいんだけど……腕が疲れてきた……」
「なら離せ! どうして止めるんだ!」
広い中庭の中心で、そんな三人のやり取りは暫く続いていた。




