23-② その果てに
「……全く、とんだ無茶をしたものだ」
それから暫くして、現場に到着したウォレアは、ボロボロになった二人の魔族生徒に治癒術を施しながら一人ごちた。
治癒術といっても万能な魔法の如き効力を齎すものではなく、自己再生・防衛機能を補い傷の悪化を抑える程度の応急処置でしかないが、病院に搬送されるまでの一時凌ぎにはなる。
それを傍らで見守っているセリウスは、済まなそうに深々と頭を下げた。
「ご助力感謝致します、ウォレア教官。下級生の監督役としても、フォルワード家の長子としても、碌に役目を果たせず申し訳御座いません」
「礼も謝罪も不要だ、これはお前が責任を感じるべき事ではない。寧ろ不測の事態においてこれだけの被害で済んだのだ、褒められるべきだろうよ」
それは此処へ向かう途中にすれ違ったアルスが、フィアの無事を知らせた事も含めての言葉だ。
今一つ釈然としない様子のセリウスに、ウォレアはこれ以上の応酬は無粋かと判じて早々に話題を変える。
「それより、お前はリカルドという男を知っているか?」
「ええ、実家で何度かお会いしたこともありますが……、彼がどうかしましたか?」
「此処へ来る前にダンドリオン学校長と少し話してな、次の領主に推挙するのなら誰が良いかと尋ねたところ、その名が挙がったのだ」
「……まぁ、確かに彼は各所で慈善活動や資金援助を行っていますし、父に比べれば民衆からの支持も得やすいでしょうから、その評価は妥当だとは思いますが」
「成程、現領主の息子にまでそう言わしめるほどに、彼の評判は知れ渡っているのだな。であれば、この事件の後に彼が領主に成り代わったとして、そう不審がられる事も無いという訳か」
初めは何の話か理解できずに怪訝な顔をしていたセリウスだったが、そこで漸くウォレアの言わんとしている事を理解して眉根を寄せる。
「教官は、彼が今回の件に絡んでいるとお考えなのですね?」
「あくまで今得られている数少ない情報の中から導き出した邪推でしか無いがな。ただ少なくとも、エルトリアの貴族がテロリストに諸々の援助をしていた可能性は高い。表立って現領主に不満を抱いていた者よりも、リカルド氏のような人物の方が色々とやり易くはあるだろう」
「……あまり考えたくはありませんが、一理ありますね。ですが、何の証拠もなく彼を調べるとなると少々骨が折れます、下手をすればそれこそ父の失脚に繋がりかねない」
「そういう事でしたら、私に任せて頂けませんか?」
難しい顔をする二人の会話に割って入ってきたのはイアンだった。
アルスとの通信を終えた彼は、いつものにこやかな顔で告げる。
「こと情報収集においてなら、それなりにお役に立てるかと」
「そうして貰えるのなら有難いが……、お前はただでさえ忙しい身だろう」
「一つや二つ調査対象が増える程度、何という事もありませんよ。それに今回の件は、私も黙っては居られませんので」
フィアを傷物にされるというのは余程彼の地雷だったらしい、その言葉の端々から滲み出る怒りを感じ取ったウォレアとセリウスは顔を見合わせてから、
「……まぁ、そういう事であれば頼りにさせて貰うとするか」
半ばその剣幕に圧される形で承諾した。
そうして話が纏まった頃、ウォレアに介抱されていたラクアが目を覚ます。
「気が付いたか、具合はどうだ?」
「ウォレアさん……、はは、なんか前にもこんな事ありましたね……」
「あまり何度も経験したくは無いが、無事で何よりだ。だがまだ動くなよ、救急隊が到着するまでは安静にしていろ」
ラクアが起き上がろうとするのを制して、ウォレアが言う。
確かに少し動いただけでも激痛が走るので、ラクアは言われた通り地面に横になったまま、頭だけを動かして周囲を見渡す。
少し離れた場所に寝かされている友人の姿を見て、
「あの、ナイゼルはどうなりましたか……?」
「彼も今のところは無事だ、予断を許さぬ状態ではあるがな」
なら良かった、と安堵しかけたのも束の間、
「イーガルっ! しっかりしてイーガル!」
というサーシャの悲鳴が聞こえてきた。
「ベルガモット、彼女達は……?」
「……一応、テロリストの仲間です。ただ、これは俺の我儘でしか無いんですけど……、助けてやって貰えませんか?」
「……何か事情があるのだな?」
神妙な面持ちで頷いたラクアから離れ、ウォレアは二人へと歩み寄る。
それに気付いたサーシャはびくりと体を跳ねさせて、庇うように傷だらけのイーガルに覆いかぶさった。
「そう警戒しなくていい、傷を塞ぎに来ただけだ、ベルガモットに頼まれたのでな」
サーシャは疑心に満ちた目でウォレアを見て、それからラクアを見た。
彼が頷くのを見て、恐る恐るイーガルから離れる。
「こちらもかなりの重傷だな……、直ぐにでも病院に運んだ方がいい」
人間には馴染みのない詠唱と共に出血が止まったのを見て、ウォレアの言葉に嘘偽りが無かったことにほっとしていたサーシャは、その言葉ですぐにまた青くなる。
「びょ、病院ですか……!? 私達のような奴隷が医療施設で治療を受けるなんてとても……!」
奴隷には保険が適用されない為、医療機関に掛かればその費用は全額自己負担となってしまう。
莫大な治療費を支払ってまで奴隷を生かそうとする雇い主は存在せず、故に奴隷はどんな怪我や病気も自力で治す、治せなければ死ぬというのが通例だった。
「それに関しては俺が手配する、費用の心配はしなくていい」
「え……?」
どうして、と目で問うサーシャに、話に割って入ったセリウスが続けて答える。
「今回の件、元を正せば父の――フォルワード伯爵の圧政が原因だと理解している。君達は多くの民にとっては加害者に他ならないが、俺にとっては被害者でもある。これはそれに対するせめてもの贖罪だと思ってくれればいい」
それはサーシャにとって願っても無い申し出ではあったのだが、彼女の胸中を占めたのは安堵や歓喜などではなかった。
サーシャは静かに目を伏せて、地についた両手を握りしめる。
「……私は、私達は間違っていましたか? 私と彼はただ、これまで通り過ごしていられればそれで良かったんです、変化なんて望んだ訳じゃない……。それでも、力も権力も持たない私達は、ただ大きな流れに従う他になかった」
その呟きは罪の懺悔であり、やり場のない怒りの発露でもあった。
「貴方達が私達の居場所を、大切な人を奪うのなら、これはそれを守る為に必要な戦いなんだと言い聞かせてきました。けれど……貴方達は私達が思っていたよりもずっと優しい人達だった、私の大切な人達と何も変わらない……、なら、私達のしたことは、私達が何より恐れ憎んでいたものと同じになる……、私は……」
自責で今にも泣き崩れそうなサーシャの傍に、セリウスが膝をつく。
「これだけの被害を出した行いを間違いでは無いとは俺は言えない、だが、君が選べる道が他に無かったのも事実だ。君達の嘆きはエルトリアの嘆きであり、事が起こるまでその声に耳を貸さなかった者にも等しく罪はある。だからこそ俺は、これをただの悲劇として終わらせる訳にはいかない」
そう言って差し伸べられる手を、サーシャが不思議そうに見つめる。
「もし君が俺と共にその罪を償おうと思ってくれるのなら、手を貸してはくれないか」
「……私には、もう何も、出来る事なんて……」
「いいや、まだ有るさ。一筋縄ではいかないだろうし、互いにとって長く険しい道程になる事は間違いない、上手くいく保障もない。だが、何もしなければ同じ事が繰り返されるだけだ」
「…………」
「君は大切なものの為に全てを投げ打った、俺はその覚悟を無駄にはしたくない。まだ彼らを守ろうとする意志が残っているのなら、俺に賭けてはくれないか」
サーシャは視線をイーガルへと向けた。未だ生と死の間を彷徨っている彼を見て、迷いや躊躇いを振り払った彼女はセリウスの手を握る。
「――やります。それでイーガルや妹を救えるのなら、私はどんな事でもやってみせる」
セリウスは微笑んで、サーシャと共に立ち上がる。
一連のやり取りを見てたラクアは、そのままいずこかへ行こうとする二人を呼び止めた。
「待ってください、セリウス先輩、サーシャちゃんで一体何を……」
「後の事は俺に任せて休んでいろ、彼女の事も悪い様にはしない」
「……信じていいんですね?」
不安げなラクアに、セリウスはしっかりと頷く。
「ああ、信じてくれ。俺はその信頼を裏切らない、裏切れはしないさ。お前は、俺の何より大切なものを命懸けで救ってくれた恩人だからな」
そう言って去っていく二人をラクアはただ見送ることしか出来ず、最後にこちらを振り返ったサーシャが「ありがとう」と言うのを見届けたところで、彼は再び意識を失った。
*
それから数週間が経過した、とある日の夕刻。
「ラクア―っ! お見舞いに来たよ~!」
モルタリア王国中央区にある大病院の一角で、暇つぶしと自習を兼ねて学院の教材を読んでいたラクアは、病室の扉を開けて飛び込んできた元気な声に苦笑する。
相部屋なので他の病人も居るのだが、連日のことでもう皆慣れてしまったのか、はたまた咎める気力もないのか、誰も彼も見て見ぬフリだ。
「リアさん、病院ではお静かに」
「あ、ごめんごめん」
他の人に代わって彼女、リアを諫めてくれたのはロザリアだった。
自力で起き上がれる程度には回復したラクアは、身を起こして二人を歓迎する。
「有難いけど、そんな毎日来てくれなくてもいいんだぞ?」
「だって心配なんだもん! 最初怪我してるの見た時は死んじゃうかと思ったんだからね!?」
「まあ、確かに俺もちょっと死ぬかと思ったけど……、これでも最初予定してたよりは軽傷で済んだんだぞ、風の精霊のお陰で」
「あら、制御出来るようになりましたの?」
「いや、そういう訳でも無いんだけど……今回は助けられたからさ」
そもそも思い返してみれば、風の精霊に助けられたのは今回が初めてではない。
〝自分の意思で操れない〟という部分にのみ目がいって、何とかしなければと躍起になっていたが、自身の考えで動く精霊というのは悪いことばかりでも無いのかもしれない。
「退院したら先輩に相談して、きちんと契約しようと思う。ロザリアさんの忠告を無視するようで悪いけど……」
「別に、貴方がリスクを理解した上でそうする事を決めたのなら、私もとやかくとは言いませんわよ」
「? ねぇねぇ何の話?」
「お前には説明しても分からないだろうし、関係ないから言わない」
「なにそれ~! また無茶しようとしてるのかと思って心配してるのに!」
「それはこっちの台詞だ! お前の方がよっぽど無茶してるだろ!」
エルトリアでの騒動の後、現場に駆け付けた救急隊に運ばれ中央区に戻ってきてからの数日、彼の周りはそれはもう騒がしかった。
まず事情を知っていたらしいユリアナが病室に駆け込んできて、泣き縋る彼女を連れ戻しに来たアガータにリア達の件を聞いた。
ガルグラムでの事件はエルトリアよりも凄惨で、ラクアは己の怪我のことも忘れて取り乱したが、数日後実習から戻ってきたリアがピンピンしているのを見て脱力したものだった。
「レオルグさんなんて聞く限りでは死んでもおかしくない怪我してるのに、入院しなくて大丈夫なのか?」
「あたしもそう言ったんだけどね、〝あんな陰気なトコ居られっか〟って全然聞いてくれなくてさぁ。まあ、実習が終わって学院に戻ってきてからは、バレッドさんが無理矢理保健室に連れてったけど」
「保健室でなんとかなるもんなのか……?」
「戦士族の教官がそう判断したのでしたら問題は無いのでしょう、戦士族に私達の常識は通用しませんわよ。それよりも、貴方はご自分の身体の心配をすべきですわ」
「そうだよ! ナイゼル君の為に頑張ったのは偉いけど、あんまり危ないことしたら駄目なんだからね!」
「だからそれはお前には言われたくない。……ところで、そのナイゼルは今どんな感じなんだ?」
ナイゼルは怪我の度合いから、ラクアとは別の病室に運び込まれていた。
治療が終わるまで付き添ってくれていたウォレアによれば命に別状はないとの事だったが、それでも心配にはなる。
「順調に回復しておりますわよ、お兄様の処置が間に合ったのは不幸中の幸いでしたわね」
「本当にな。俺もどうせならああいった魔術が使えるようになりたいけど……、難しいんだっけ?」
「難しいというか……、普通の魔術とは系統が違うんですのよ、少なくとも学院の授業で学べるようなものではありません。いつどこでどうやって習得したのか知りませんけれど……、あんなのは殆ど禁術のようなものですわ」
「え、そんなに危ないものなのか? 元素の受け渡しと同じようなことなのかと思ってたけど……」
「あれは言わば空になった桶に水を注ぐようなものですもの、亀裂の入った桶に水を注いでも亀裂が勝手に塞がったりはしないでしょう?」
成程分かりやすい。となれば、あれは思っていたよりも複雑な魔術なのか。
セリウスの言っていたリスクの話を思い出して、ラクアは過ぎたこととはいえ血の気が引くのを感じた。
「ウォレアさんって凄い人なんだな……改めて実感した」
「ええ、まぁ、それに違いはありませんけれど……」
いつもなら兄への賛辞に喜ぶ筈の彼女は、何やら深刻な顔で黙り込んでしまう。
「どしたのロザリーちゃん、具合悪いの?」
「そういや学院の授業の後だもんな、あんまり無理するなよ」
「……いえ、そういう訳ではありませんわ。ですがまぁ、あまり長居するものでもありませんし、そろそろ失礼しますわね、あとはお二人でごゆっくり」
「な……っ! だから、そういうのはいいって言ってるだろ!」
幼馴染故か、それとも魔族貴族の嗜みか何かなのか、ロザリアとナイゼルのこういう所は本当に似ていると思う。
それに引っ掻きまわされるラクアは盛大な溜息を吐いてから、
「まぁ、元気なら良かったけど……。ロザリアさん、学院でも変わった様子は無いか?」
「うん? 別にいつも通りだと思うけど……、何かあったの?」
「いや……、何もないならいい」
ナイゼルの件を未だ気に病んでいるのではないかと心配していたが、杞憂だっただろうかとラクアはほっとする。
彼女の性格を思えば気丈に振る舞っているだけかもしれないし、鈍感なリアがそれに気付けていないだけの可能性もあるが。
「まぁとにかく今は早く治して復学しないとな……、ただでさえ遅れてるのに、このままじゃ完全についていけなくなる」
「大丈夫だよ、あたしなんて授業出てるのに全然ついていけてないもん!」
「いや、それは駄目だろ」




