23.彼なりのやり方
「…………」
暴れ狂う魔獣の蔓を斬っては投げ、斬っては投げの作業を続けていたアルスは、喧噪に混ざって微かに聞こえたその音にピタリと動きを止める。
彼の寄越す蔓の残骸、小さな魔獣となったソレを一人でなんとか処理していたラクアは、槍を振るいながらアルスの背に声をかける。
「どうかしましたか?」
「……ラクアくん、今の聞こえた?」
「え? どれのことですか?」
ラクアには特段気に留めるような音は聞こえておらず、その反応からアルスは先の音――銃声が、戦士族にだけ聞こえる程度の微かな音だったことを理解して眉根を寄せた。
それと同時に、頭上に渦を巻くようにして暗雲が広がり始め、ぽつぽつと雫が落ちてくる。その数は次第に増え、やがて雨となり降り注いだ。
「ギィイイイイイイイイイイイイイイイイッ!!」
雨に打たれた魔獣は、けたたましい叫び声と共に出鱈目に蔓を振り回し始めた。
だが、鮮やかな緑色をしていた蔓は、徐々にその色や強度を失い始める。アルス達が何かするまでもなく、蔓は端から腐り落ちていった。
「やった! って、アルス先輩?」
セリウスの術が成功したことを喜ぶラクアを置いて、アルスは強く地面を蹴り、朽ちかけている大樹の根に一息で向かう。
そんな彼の目の前で、未だ緑色を保っていた根本が爆発したかのように弾け飛んだ。
「きゃあっ!」
「な……っ!?」
「何だ!?」
遠くから見ていたラクア、セリウス、サーシャの三人は、突然の事に揃って目を見張る。
すぐ傍でそれを見たアルスは、衝撃波をモロに喰らって、散り散りになった魔獣の残骸と一緒に宙を舞った。空中で身を翻して着地すれば、勢いを吸収した大地にスリップ痕が残る。
顔を上げて前を見れば、風に巻き上げられた土煙の向こうに、立っている人影が見えた。
警戒して武器を盾のように構え直した直後、土煙を割いて飛来した何かが大剣の腹に当たり、その衝撃でアルスは更に後方へと押し戻される。
「アルス先輩! 一体何が……」
駆け寄るラクアは言いながらアルスの視線を辿って、驚愕した。
「ナイゼル……!?」
先の攻撃で晴れた煙の先に、血塗れの男――満身創痍のナイゼルが立っていた。
肩や腹には銃創が出来ており、そこから血が溢れ出している。制服を赤に染めながら滴り落ちる血は、彼の足下に小さな血溜まりを作っていた。
更にその周囲に、体中を鋭利な刃物で切り刻まれたような惨たらしい姿をしたイーガルと、崩落した土壁の下敷きになっているフィアの姿がある。
飛び込んできた情報量が多すぎて、その光景に釘付けになり動けずにいるラクアに対し、アルスは再び地を蹴って飛び出す。
感情を映さない冷ややかな目でそれを捉えたナイゼルは、静かに腕を上げて指先をアルスに向けた。
「やめろナイゼル!」
次に何が起こるか理解したセリウスが咄嗟に叫ぶ。それはアルスも同じで、彼は来る攻撃を予測して剣を横に凪いだ。その剣圧で、弾丸の如く飛んできた風の塊は相殺される。
アルスは走るスピードを落とさないまま跳躍し、ナイゼルを飛び越えてフィアの元へ。瓦礫に埋もれたフィアは気絶しており、瓦礫を押しのけたアルスは力なく横たわっているその体を抱き上げて、直ぐにその場を離れた。
その間、ただただ立ち尽くしていたラクアは、
「イーガルっ!!」
悲鳴にも似たサーシャのその声で我に返った。
フィアの傍に倒れるイーガルの元へサーシャが飛び出して行こうとするので、慌ててその腕を掴む。何が起こっているのか全く理解出来ないが、今近寄れば危ないことだけは分かる。
「セリウス先輩! これ何がどうなってるんですか!?」
切羽詰まったラクアに問われ、セリウスは苦々しい顔で歯噛みしながら、努めて冷静に返す。
「俺も状況を把握出来た訳じゃないが、ナイゼルのあの様子は恐らく原種返りだ」
「原種返りって……」
リアが下段でなってたアレか。ラクアは自我を失くし獣のようになっていた幼馴染の姿を思い出す。
「でもリアの時に比べて、ナイゼルは比較的落ち着いてるようにも見えるんですけど……」
「魔族の原種返りは戦士族のものとは違う、本人の意識も残ったままの筈だ。ただ、一切の感情が無くなる」
ナイゼルはフィアを抱えて逃げるアルスに再び指を向けた。今度は地中から細い蔓が伸びて、先の魔獣と同じようにアルスと捕えようとする。
アルスはフィアを肩に担ぐと、片手で大剣を振るって全ての蔓を叩き切り、ラクア達の傍に滑り込んでくる。
「あービックリした、この展開は流石に予想してなかったなぁ」
言いながら、アルスはフィアを両腕で横抱きにした。気絶しているフィアの怪我はイーガルやナイゼルに比べれば軽傷だったが、それでも綺麗な白い肌に浮かぶ痣や切り傷は痛々しい。
「怪我させちゃった、従者失格だ」
「……これは不味いな、色々と」
ナイゼルは数十メートル離れた場所から、不気味なほど静かにラクア達を見据えていた。
身体からは耐えず血が流れ出ているにも拘わらず、その表情は痛みに歪むこともなく、ただ時折フラつく身体だけが彼が無事ではないことを伝えてくる。
「せめてあの傷だけでも早く塞がないと手遅れになる、いっそ気絶してくれれば有難いんだが……」
「あの出血量だと、その前に失血死しちゃうかもね」
死、という単語を聞いたラクアの顔から血の気が失せた。
「ま、魔術で癒せたりしないんですか!?」
「気休め程度ならやり様はあるかもしれないが、肉体に直接作用する類の術を使うのはリスクが高すぎる、よほど優れた術者で無ければ逆に悪化させかねん」
「今ウォレア教官がイアンと一緒にこっちに向かってくれてるだろうから、あの人に頼めば止血くらいはして貰えるかもね。ただ、ナイゼル君がそれまで保てばの話だけど」
そう話すアルスとセリウスの表情は険しく、ウォレア達の到着を待つには厳しい状況なのだろうことがラクアにも伝わってくる。
一方でナイゼルは、無表情のまま再び指をアルスへ向けた。攻撃が来ることを察したセリウスは詠唱を短縮して術を発動させ、直前で何とか相殺する。
だが攻撃はそれに留まらず、今度はさっき苦労して倒したばかりの大樹のものと似たような蔓が、地面を割って地表に現れた。一瞬魔獣が復活したのかと思ったが、ナイゼルの手の動きに合わせて撓るそれを見て魔術だと確信する。
「さっきから思ってたんですけど、なんであんなに魔術の発動が早いんですか!? ナイゼルって精霊と契約はしてないんじゃあ……」
「今のあいつは魔族ではなくほぼ妖精族だからな。妖精族は精霊を使役するのに詠唱も命令も必要としない、己の意思一つで全て思い通りに出来る」
そんなの、どうやって相手取ればいいんだ。
悩んでいるうちにも、ナイゼルの操る蔓は矢のように襲い掛かって来る。魔獣よりも複雑な動きをするソレはセリウスとアルスだけでは凌ぎきれず、何本かがそれぞれの身体を容赦なく切り裂いた。
「あぁ~ダメだこれ。ごめん、フィア様にこれ以上怪我させられないから、退くか倒すか決めて貰っていい?」
「退くか倒すかって……、それってナイゼルを見捨てるってことですか!?」
「うん、ごめんね」
バッサリと言い放ったアルスに、ラクアはそれはあんまりだと抗議しようとしたが、
「俺に出来ることがあるのならしてあげたいけど、現状どうしようもないから」
と言われてしまえば、口を閉ざすしかなかった。非情だとは思うし納得もいかないが、アルスを説得出来るだけのものを自分は何も持っていない。
「アルス、二人を連れて撤退してくれ」
「……セリウスは?」
「俺はあいつを助ける為にここに来た、一人で帰ったのでは何のために来たのかわからないからな」
残ったところで死体が増えるだけ、セリウスがそれを理解した上で言っていることを察したアルスは、「そっか」と呟くだけに留めた。
「それじゃ、行こっか二人とも。三人抱えて走るのはちょっと無理があるから、後ろついてきてくれる?」
「まっ、待ってください! 私はイーガルを置いては行けません!」
「俺も反対です! まだきっと、何か助ける方法が――」
「あるかもしれないけど、そうやって粘って君たちにまで何かあれば、相手は悲しむんじゃないかな」
「それは……そうかもしれませんけど、でもだからこそ見捨てて行くなんて出来ませんよ!」
三人が押し問答を繰り広げている間にも、ナイゼルは容赦なく魔術を放ってくる。
サーシャを庇いながら、ラクアは必死に打開策を考えていた。アルスのように力が強い訳でも、セリウスのように魔術をまともに扱える訳でもない自分に、出来ることは何か。
「俺は魔族じゃないけど、詠唱も無しに魔術を使う相手と互角に渡り合うのが無理なことくらいは解るよ、それこそ妖精族か、同じように原種返りしてる人でもないと……」
だから諦めて、と説得の意味を含めて言ったアルスだったが、ラクアにとってその言葉は天啓だった。
「――先輩、それですよ、そうすればいいんだ!」
「え? 何が?」
「相手が原種返りしてるなら、こっちも同じ状態になればいいんです!」
原種返りをよく理解していないサーシャは不思議そうに目を瞬かせたが、アルスは絶句。
「いや、それじゃ被害が大きくなるだけだよ、原種返りってどういうものか知ってるよね?」
「ある程度は解ってます、でも俺は魔族としてまだ未熟だから、原種返りして無差別にナイゼルを攻撃しても殺すには至らないかもしれない」
「そんなの可能性の話でしかないよ、そもそも原種返りするには死にかける必要があるんだよ? 君が未熟だって言うならそれこそ、ナイゼル君より先に君が殺される可能性だってある」
「それでも、何もせずにあいつを死なせるよりはマシです。俺がここに居るのは、俺一人の意思じゃないんです、命懸けであいつを助けたいと思っているのは、俺だけじゃないんです!」
ラクアの脳裏には、涙を浮かべるロザリアの顔が浮かんでいた。
ロザリアにとってのナイゼルは、自分にとってのリアと同じ。そして自分にとっても、ナイゼルは一段目で出来た初めての友人だ。
「死なせる訳にはいかないんです、そんな簡単に諦めていい存在じゃないんだって解って貰う為に、俺は此処まで来たんですから」
その表情と言葉に込められた意思を受け取ったアルスは、それでも簡単に頷く訳にもいかずに渋ったが、
「私からもお願いします! イーガルは私と妹にとって兄のようなものなんです! もし彼が死んでしまったら、それこそ私は何の為に……!」
と泣き出しそうになるサーシャに白旗を上げた。
「わかったわかった、わかったよ。そこまで言うなら無理に連れて行ったりはしないけど、フィア様はこれ以上この場に置いておけないから、俺は手助け出来ないよ」
「はい、俺の勝手でやる事ですから」
即答するラクアにアルスは何か言いたげに口を開いたが、言葉の代わりに長い溜息を吐くだけだった。
彼はやれやれといった様子の苦笑を浮かべながらフィアを抱え直すと、静かにその場から離脱する。
ラクアとサーシャはその背を見送って、ナイゼルと死闘を繰り広げるセリウスの下へ戻る。
二人を見たセリウスは「早く逃げろ」と目で訴えたが、ラクアはその隣に進み出た。
「セリウス先輩、俺に考えがあるんです。無茶苦茶なやり方だけどもうこれしかない、信じて任せて貰えませんか?」
「……これはフォルワード家とエルトリアの問題だ、お前をこれ以上巻き込みたくはない」
「先輩にとってはそうでも、俺にとってはそうじゃありません。あいつはエルトリアの伯爵家の息子かもしれないけど、俺にとってはただの大事な友人の一人なんです」
セリウスはナイゼルの攻撃を紙一重でいなしながら、強張った顔に僅かに笑みを湛えた。
「兄としてそれは嬉しく思う、だが、それなら尚の事ここは退いて欲しい。ナイゼルにとって何より堪えるのは、お前のような存在を自分の手で傷つけてしまうことだ、それだけは容認出来ん」
「なら、先輩もこのままナイゼルが死んだって構わないって言うんですか?」
「…………」
渋い顔で閉口するセリウスにラクアは内心で安堵しながら、意を決して一歩を踏み出す。
「なら、やれるだけやりましょう!」
セリウスの返答を待たず、ナイゼルの攻撃が止むタイミングを見計らって、ラクアは単身特攻した。
感情を灯さないナイゼルの瞳はその姿を捉え、暴力的な威力に増長した風の刃が容赦なくラクアに襲い掛かる。
だが、それらがラクアを傷つけることは無かった。彼の周囲に渦巻いている風を見て、セリウスがハッとする。
ラクアを困らせている風の精霊は彼の制御を離れ自律して行動する、それは平時においては弊害にしか成り得ないが、この状況下であれば話は別。
それは本人の意図したものではなかったが、好都合だとラクアは果敢にナイゼルに向かって突き進んだ。
だが近づけば近づくほどに、相手の操る風は苛烈さを増していく。それはやがて風の防壁を突破し、遂にラクアの肌を切り裂き始めた。
それでもラクアは止まらなかった、元よりこれが狙いなのだから、傷つくことは止まる理由にはならない。
決して痛みに強いとは言えない自身の身体を奮い立たせながら、すぐ傍にまで近づいたナイゼルに向けてラクアは叫ぶ。
「ナイゼル! 助けに来たぞ! フィアさんは無事だし、敵はもう居ないんだ! だから、いい加減目を覚ませ!」
その呼びかけにナイゼルは眉一つ動かさず、ただ静かにラクアを見据えるだけ。
ラクアは荒れ狂う風の中で懸命に手を伸ばした、だがそれは相手に届くことはなく、凄まじい突風に煽られた身体が押し戻される。
殆ど立っているだけでやっとだ、傷だらけで尚も挑もうとするラクアに、セリウスはもういいと告げるが、彼は諦めなかった。
持っていかれそうになる身体を前傾姿勢で何とか維持しながら、やっとのことで相手の手を掴み取る。
「ロザリアさんをこれ以上泣かせるなよ! 俺と一緒に帰るんだ!」
ラクアのその言葉に、吹き荒れていた風が止んだ。
やっと言葉が通じたのかとラクアは気を緩めて――足下から這い出てきた蔦を躱すことが出来なかった。
「が……っ!?」
「ラクアさん!!」
ラクアがナイゼルの気を引いてくれている内にイーガルを安全な場所へ避難させようとしていたサーシャは、槍のように変形した蔦に脇腹を貫かれるラクアの姿を見た。
彼の頑張りを無碍にはしたくないと手を出さずにいたセリウスも、これには流石に黙っていられず詠唱を始める。
だが、ラクアはそれを手で制した。
痛みに顔を歪め、口から血を流しながら、朦朧とする意識を必死に繋ぎとめようとする。
ナイゼルはそんなラクアの努力など歯牙にもかけず、無防備な首筋に蔓を這わせて締め付け始めた。
元より圧迫されていた呼吸が更に細くなり、視界がじわじわと狭まって来る。
それでも、ラクアは力を振り絞ってナイゼルの胸倉を掴んだ。瞬間、弱まっていた彼の風の精霊が一斉に攻勢に出る。
主人を捕まえている蔓を引き千切り、脇腹に刺さる図太い蔦を切断するその動きは、「暴走」と呼ぶにはあまりにも出来過ぎたものだった。
ナイゼルはその出来事にほんの一瞬だけ気を取られ、ラクアはそれを見逃さなかった。
「――これが下段のやり方だあああああ!!」
彼はナイゼルの胸倉を勢いよく引っ張ると、そのまま互いの額を全力で衝突させた。
その衝撃は両者の脳を全力で揺さぶり、二人はふらふらとよろめいた後、仲良く揃って地面に転がる。
場に静寂が戻った。割れた地面から這い出ていた植物はしなしなと草臥れて、あちこちから吹き荒れていた風は元の穏やかなそよ風に変わる。
セリウスの作った雨雲はいつの間にか消えており、空には青空が広がっていた。血溜まりに伏したラクアが最後に聞いたのは、自分とナイゼルの名を叫ぶサーシャとセリウスの声だった。




