22.活路を開け
フィアさんは無事だろうか。
適当な理由をつけて外へ出ることに成功したナイゼルは、見張りの男に背後から銃口を向けられた状態で、体育館の裏側を回って校舎へと移動していた。
現在地からはフィアの姿は見えないが、拡声器を通した犯人の演説は彼の耳にも届いていた。どうやら一時間の安全は保障されたようだが、それでも不測の事態が起こらないとは限らないし、犯人達が律儀に口約束を守るとも思えない。
急がなければ。ナイゼルは逸る気持ちを抑えながら、不意にピタリと足を止めた。突然止まったナイゼルの背に、向けられていた銃の先端がぶつかる。
「……? おい、止まるな、さっさと歩け」
見張りの男は怪訝な顔をしながら、銃口でナイゼルの背を突く。だが、ナイゼルは反応を示さない。
「妙なことをすれば撃つぞ。……おい、聞いているのか!」
まさかまたルーンでも使うつもりか。先のロザリアの反撃を見ていた男は、強引に振り向かせようとナイゼルの肩に手を置いた。
瞬間、男の体に電流が走る。
「がッ??!?」
バチン!と電気の弾ける音がしたかと思うと、男は痙攣してその場に倒れてしまった。
ナイゼルは男が取りこぼした銃を拾って、地に伏したまま動けずにいる相手を憐みの目で見降ろす。
「すまないね。僕がしっかりしていれば、君がこんな事をする必要も無かっただろう。けれど、無関係の人々を巻き込むやり方は良くないな。これはその罰だとでも思ってくれ」
「ぐ……ぁ……貴様……ッ!」
男は全く言うことを聞かなくなった四肢を動かそうと足掻いたが、麻痺した身体は気力でどうにか出来るものでもなかった。
ナイゼルは男が持っていた通信機も取り上げると、男をその場に残して早足で校舎の裏側へ向かい、目当ての物を探す。
彼が探しているのは体育館の電気系統を管理する分電盤、或いはそこへ送電している配電盤だった。
校舎の中にある可能性も高いが、とりあえず先に外を探そうと、周囲に警戒しながら敷地内を散策する。と、それらしきものがすぐに彼の目に留まった。
それはメッキを施した鋼板の直方体の箱で、小窓から見える中身はナイゼルの予想通りの機械だった。が、鍵が掛かっている。
(鍵を探すのはリスクが高いな……、時間も惜しいし、気は進まないけれどこれしかないか)
ナイゼルは鍵穴に人差し指を向けて、火の精霊に呼び掛けた後、短く指示を唱える。
『 溶かせ 』
彼の言葉の後、鍵穴は炉に入れられた鉄のように熱を帯びて、ドロドロと融解していく。
錠を外された扉はひとりでに開いて、中にあった配電盤が露になる。
「さてと、開けたはいいけど……、どこをどう弄ればいいか解らないなぁ」
機械弄りは人間の分野だ、魔族には必要無いとして教育を受けてこなかったナイゼルは、となればやることは一つだと再び詠唱を始めた。
*
同刻。イーガルから解放されロザリアの元へ戻ってきたラクアは、その場にナイゼルの姿が無いことに気づいた。
「ああ、無事でしたのね! サーシャさんと喋っていたのに、いつの間にか姿が見えなくなって心配していましたのよ」
「ごめん、ちょっと色々あって。その件で相談したい事があるんだけど……ナイゼルはどうしたんだ?」
「それが、急に手洗いに行くと言って出て行ってしまったんですのよ。直前に気になることを言っていたから不安ですわ、無茶なことを考えていなければ良いのですけれど……」
「気になることって?」
「それが――」
ロザリアが説明しようとした時、突如二人の視界は暗転した。
否、二人だけではなかったようで、暗闇に包まれた体育館が騒然とする。
「なっ、なんだ!?」
「停電!?」
「騒ぐな! おい、誰かブレーカーを見てこい!」
周囲を一喝する犯人の声で、ロザリアはこれが犯行グループの仕業ではないことを理解した。
「……ラクアさん、目と耳をしっかりと塞いでおいて下さいな」
「へ? 何する気だ?」
ロザリアは徐に立ち上がり、何もない虚空――本来電気が灯っている天井へと細い指を伸ばした。
彼女の意図が分からないまま、ラクアは言われた通りにする。
『 火の精霊よ、我が身に蓄えられし汝が力の源を対価に、我が忠実な僕となりその力を振るえ 』
人々のざわめきを隠れ蓑にして、ロザリアはいつもより控えめな声量で詠唱を完了させる。
『――閃光!』
刹那、黒一色だった視界が反転した。
「!?」
「きゃああああっ!?」
轟音と共に光が炸裂し、その場に居た人々の視界と聴覚を奪う。
室内はすぐに元の暗がりへと戻ったが、それを理解出来たのはロザリアとラクアだけだった。
「ラクアさん、入り口に向かって突風を!」
「え? いやこれ、何がどうなって――」
「貴方が今理解する必要はありませんわ! 出来ないとは言わせませんわよ、早く!」
パニックに陥る人々の中、ロザリアが鋭い声でラクアに指示を出し、自らは再び魔術の詠唱を始める。
彼女の指先が天井をなぞると、光を失っていた電灯が復活し、室内を照らした。
「!? 何の音だ!?」
待ってくれ、とラクアが口にする猶予もないままに、入り口の外から男の声が飛んでくる。
状況を察したラクアは、ええいままよと入り口に向かって両手を突き出た。
『 し、風の精霊よ!我が身に蓄えられし汝が力の源を対価に、我が忠実な僕となりその力を振るえ! ――吹き飛ばせ! 』
ラクアが言い終わるとほぼ同時に、目の前の扉がけたたましく開かれる。
だが、中の様子を窺おうとした数人の武装兵は、その目的を果たすより早く、後方へ吹き飛ばされてしまった。
「出来た!」
「他に敵影は!?」
「無い! ……と思う!」
「よろしい。では私は恐らく外に集まってくれているであろう王国軍の方々を呼んできますから、この場はお任せしますわね」
言うが早いか、ロザリアはラクアの横をすり抜けて、倒れている武装兵を踏みつけながら駆けていった。魔術の応用か、そのスピードは一陣の風のように速い。
その冷静さと迅速な対応に暫し呆然としてしまっていたラクアは、とりあえず助かったのかとほっと息を吐いた。
体育館内に居た兵士が、数人居なくなっていることには気付かないまま。
*
同刻。ロザリアの魔術による轟音は、外に居る者達の耳にも届いていた。
「おい、何があった! 応答しろ!」
フィアを人質に取っている男もそれは同様で、応えの無い無線機に悪態を吐く。
「くそっ! 諦めてたまるか……!」
男は相変わらず無反応のフィアを連れて、足早に時計台を降りた。
王国軍の制止の声も無視して、その足は体育館には向かわずに、学園の裏門を目指す。
「穏便に済むならそれに越したことは無かったんだがな、仕方がない。恨むなら我が身可愛さに勝手な行動をした他の人質を恨めよ、お嬢さん」
「…………」
「最悪、あんたには悲劇のヒロインになってもらうかもな。要人が死ねば、少しは領主の名に傷も付くだろうよ」
「待て!」
裏門に手をかけた男は、背に投げかけられた声に動きを止める。
先に振り返ったフィアが、安堵したようにその名を呼んだ。
「ナイゼル、無事だったんだ」
ナイゼルはフィアに微笑みかけてから、隣に居る男を睨み付ける。
男もナイゼルを見て、やれやれと言いたげに首を振った。
「さっきの爆発音はお前の仕業か?」
「答える義理はありません。それより、彼女を離してください」
「こちらも従う義理は無いな。そもそも、どの口でそれを言う?」
「……人質が必要なら僕が代わります。彼女は伯爵家の親類縁者でもなければ、エルトリアの市民でもない。巻き込むのは筋違いです」
「犯罪者に道理を説いてどうする? 我々はテロリストだ、目的を果たす為ならば、どんな事でもやってみせるさ。なぁ、同士諸君?」
男はナイゼルの背後を見てそう言った。瞬間、銃声が鳴り響いた。
「……っ!?」
「ナイゼルッ!!」
いつから居たのか、ナイゼル達の背後に並んでいた男達が放った弾丸が、ナイゼルの脚を貫いた。
衝撃と激痛で膝を折るナイゼルに、一人の男が歩み寄ってくる。
「さっきのお返しだ、詰めが甘くて助かるよ」
それはナイゼルが外に出た際に昏倒させた筈の男だった。
どうやら魔術の効きが思ったより良くなかったらしいと理解して、ナイゼルは歯噛みする。
「人質がお望みなら連れて行ってやる、お嬢さんと一緒にな」
フィアを拘束したままの男は、他の武装兵より比較的若い青年にナイゼルを任せ、自らは先んじて学園の裏手に止めてあった車へ乗り込んだ。他の男達は追手を警戒してか、銃を手にその場に残っている。
自力で立ち上がることも出来ないナイゼルは、不本意ながらも青年の肩を借りてフィアの後を追う。
「……こんなやり方でしか、この街は変えられないのかい?」
「少なくとも、俺たちの頭ではこれしか思いつかなかった。他に妙案があるなら教えてくれよ」
ナイゼルは答えられなかった。青年は悲痛な顔で押し黙る相手を見て、
「まぁ、あんたの大事な人を巻き込んだのは悪かった」
小声で謝罪を告げた。
意表を突かれたナイゼルは、まじまじと相手の顔を見る。その表情は確かに、バツが悪そうなものだった。
「ただな、お前があの娘を傷つけられたくないのと同じに、俺たちだって大事な人にこれ以上辛い想いはして欲しく無いんだ」
だから、退く訳にはいかない。
青年――イーガルの一種の覚悟めいたものを感じ取ったナイゼルは、それ以上の説得や交渉は諦めて、口を噤んだ。
*
一方、学園内では、ロザリアの報せで体育館内に突入した王国軍による犯行グループの制圧が完了していた。
ロザリアの術で不全となっていた視覚と聴覚も戻り、人質となっていた生徒達は堰を切ったように泣き始め、保護者達の元へ帰る。
そんな心温まる感動の再会の裏で、軍人に手錠を繋がれ連行されていく犯人達の中にサーシャの姿を見つけたラクアは、取り返した武器を背負い直しながら慌てて割って入る。
「待ってください、その子は違うんです!」
「ん? ああ、その制服、君がノブリージュ学院から来た実習生だね、無事で何よりだ」
「それはどうも! それで、この子を連れていくのは待って欲しいんです」
人の好さそうな魔族の軍人とサーシャは、揃ってきょとんとした顔になる。
「それは……、理由を聞いても?」
「その子は自発的に犯罪に加担していた訳じゃあ無いんです、他の犯人に脅されていただけで」
イーガルが用意した筋書き通りの説明をするラクアに、軍人は怪訝な顔。
「……仮にそれが事実だったとして、どうして君がそれを知っているのかな?」
経緯をそのまま話そうとしたラクアは、それが下策であるとすぐに思い至り、
「――俺は先日、実習の一環でこの学園に来ていました。その時に彼女と知り合って、今回の件について聞いたんです」
口からでまかせを言った。
「では君は、この事件が起こることを事前に知っていたと?」
「具体的な内容については知りませんでした。ただ、犯罪に巻き込まれるかもしれない、だから助けて欲しいと」
「彼女はどうして他の誰でもなく、初対面の君に頼ったのかな」
軍人はサーシャを見たが、サーシャとしては全く身に覚えのない話なので、答えられる筈もない。ラクアは必至に頭と口を動かし続ける。
「誰がどこまで繋がっているのか分からない以上、身近な人には迂闊に相談出来なかったんでしょう。その点、俺は完全に部外者ですから」
「……成程、それなりに説得力はあるね。けれど、この子が嘘を言っていないとも限らないだろう?」
「彼女は嘘を吐くような子じゃありません」
「根拠は?」
そんなものはない。ラクアが相手を納得させる理由を考えようとうんうん唸っていると、
「彼女は私が魔術を使う好機を作って下さいましたわ」
いつの間にか近くに来ていたロザリアが助け舟を出してくれた。
「私達を含め、人質が無事に解放されたのは彼女のお陰、言わば命の恩人ですわ。その恩人が犯罪者として裁かれるのは、こちらとしても心苦しいですわね」
涼しい顔で嘘を吐くロザリアに、軍人は暫し潜考。
「私達が一奴隷に過ぎない彼女を庇う理由など他に無いと、聡明たる王国軍の魔族ならお解りになりますわよね?」
そのダメ押しに観念した軍人は、手錠を外してサーシャを解放する。
「そこまで言うなら信じよう。但し、後で何かあっても責任は取れないよ」
「勿論ですわ、それではごきげんよう」
優雅に挨拶して、ロザリアはラクアと、状況を呑み込めていないサーシャの手を引いて、その場を離れた。
「有難うロザリアさん、助かった」
「……で、実際はどうなんですの?」
「いやそれが、実はさっきも言おうとしてたんだけど……」
ラクアは本来停電前に相談するはずだったイーガルとのやり取りの全てを、ロザリアとサーシャに説明する。
「イーガルがそんなことを……? そういえば、イーガルはどこに……」
「え、普通に捕まってるもんだと思ってたけど……?」
言われてみれば、連行されている面々の中にイーガルの姿は無い。
まさか逃げたのだろうかと考えていると、人混みを掻き分けて見知った顔がやって来る。
「ロザリー! ここに居たのか」
「お兄様!」
お兄様もといウォレアの登場にロザリアはパッと表情を明るくしたが、ウォレアは余裕無さげに周囲を一瞥して、
「他の二人はどうした、一緒では無いのか?」
と言うので、心配や労いの言葉を期待していたロザリアは少々落胆しつつ答える。
「ナイゼルは訳あって途中から別行動ですわ、体育館の電気を落としたのは彼の仕業でしょうし、学園の敷地内には居る筈ですけれど……」
「そうだ、フィアさん! 人質として連れて行かれたんです、外で見かけませんでしたか!?」
自分のことで精一杯ですっかり抜け落ちていた大事なことを思い出して、今更ながらラクアが慌て始める。
「落ち着きなさいな。人質に取られたままなら、このタイミングで脅しをかけてくる筈ですもの。今こうして何事もなく鎮圧出来ているのなら、きっと彼女も解放されて――」
ロザリアは途中で言葉を止めた。何を見たのか、緩んでいた表情を僅かに険しくさせる。
ラクアがその視線を辿れば、話し込んでいた軍人の何人かが慌ただしく体育館を出て行くのが見えた。
同じようにその様子を見ていたウォレアが、残ったうちの一人に声をかける。気になったラクアとロザリアも、その後に続いた。
「失礼、私は中央区の王立学院教官なのだが、今回の件に巻き込まれたうちの生徒二名が何処に居るかご存じ無いだろうか」
「ああ、丁度良いところに――って、貴方はもしやウィスターシュ興のご子息のウォレア様では?」
「今はただの学院教諭だ。丁度良い、というのは?」
「はっ、それが、貴校の女生徒と思われる少女を人質に取った犯人が、彼女を連れたまま逃走したとの報告が入っておりまして……」
「そんな……!」
「……もう一人、フォルワード家のナイゼルに関しては?」
「今のところ目撃したとの報告は入ってきておりません、見つけ次第保護するつもりではありますが……」
「ナイゼル君ならフィア様と一緒ですよ」
申し訳なさそうに告げる軍人の言葉に、聞いた覚えのある声が重なった。
「イアンさん!」
「ラクア君とロザリアさんは無事の様ですね、ご友人やユリアナ教官が酷く心配していましたから、後で連絡してあげて下さい」
「イアン、二人が共に居るという情報は確かなのか?」
「ええ、先行していたアルス殿からの報告なので。学園裏手に車を停めてあった様で、そこに二人共乗せられているようです、今アルス殿が車を追跡しています」
イアンは愕然としている軍人に向けて、
「という訳で、貴方がたにも情報は共有させて頂きますので、今のうちに救出部隊の編成をお願い出来ますか?」
そう言った。彼の素性も何も知らない軍人は、一見するとただの学生にしか見えない彼の言葉を信じていいのかと一瞬躊躇したが、
「彼の諜報能力は私が保証する、頼む」
ウォレアのその一言で、敬礼と共に足早に去っていった。
フィア達の現状が予想していたよりも遥かに危険なものだと知り、揃って青ざめているラクアとロザリアに対し、
「お前達は先に学院へ戻れ」
ウォレアは簡潔に指示した。
「今の話を聞いて、黙って帰れる訳がありませんわ!」
「お前達が居たところで足手纏いになるだけだ、後の事は我々と王国軍に任せておけ」
「私より行動力が劣る軍になど任せておけませんわ! 人質の解放も、私達が殆ど自力で何とかしましたのよ!?」
「その結果がその怪我だろう、次も同じような怪我で済むとは限らない。そんな無茶を繰り返すのが、侯爵家息女の正しい在り方か?」
「それは……っ! でも……!」
納得いかない様子で、それでもその言葉に対しては反撃する事が出来ないのか、ロザリアは悔しそうに唇を結んで俯く。
「お前達が今すべきことは、一刻も早く学院へ戻り、皆を安心させてやる事だ。分かったな?」
「……っ」
「ベルガモット、すまないがロザリーを頼む」
「えっ、あ、はい……」
ロザリアと同じくナイゼルを助けに行くつもりだったラクアは、この空気の中でそれを発言することも出来ず、ただ了承するしかなかった。




