21-② 抱える問題
一体、何がどうなっているんだ。
誘拐事件のことが露見し、学院で一部の教員や生徒が騒然とし始めた頃。
目隠しを外され、拳銃を向けられた状態で他三人と共にその場に座らされたラクアは、未だ自分の身に降りかかった悲劇を信じることが出来ずに狼狽していた。
縋るようにサーシャを見ても、彼女は目を合わそうともしない。
「……すまない、僕のせいだ」
銃口を向けられている状態では逆らうことも出来ず、誰も彼もが何も言えずに押し黙る中、ぽつりとそう零したのはナイゼルだった。
「いや、なんでだよ、お前のせいじゃないだろ? そもそも、何がどうしてこんな事になったのかもよく分からないし……」
「……そうでもないんだ、ラクア。僕はこの状況の理由に思い当たる節がある」
え、と驚き固まってしまうラクアに対し、ナイゼルは懺悔のように語り始める。
「エルトリアは以前から貧富の差が激しかった、その理由の殆どは父がエトワール卿の指導の下で政治を行っているからだ。……エトワール卿のことは覚えているかい?」
「ええと、確か魔族で一番偉いお家柄なんだよな?」
「そう、そしてエトワール卿は血統を重んじる魔族の中でも特にそれに固執していらっしゃる、父はそれに賛同する形で身分の高い者を贔屓する嫌いがあってね。それ故に上流階級の者ばかりが重役に就き暴利を貪り、その家系に生まれてこれなかった者はどれだけ努力しようとも正当に評価されず徴税や圧制に苦しむ、という社会構造になっている。そしてそれに不満を抱くものは少なくない、僕が幼少の頃からずっと懸念されていたエルトリアの問題なんだ。けれど、それが原因になって何か決定的な事件が起こる訳でも無かったから、ずっと目を逸らし続けてきた。恐らくこれはその結果だ」
ナイゼルは銃を向ける覆面の男達を見上げて、確信を持った様子で尋ねる。
「君達の目的は父の――ヘルゼン伯の失脚、といったところじゃないかい?」
男達は目を見合わせ、隙間から覗く鋭い視線をナイゼルに向けた。
「……そうだ。そして、これまで苦しめられてきた我々の復讐も、今此処で果たす」
「……穏やかじゃありませんわね、私達に手を出せば、貴方がたも徒では済みませんわよ」
「それくらい理解しているさ。だからこそ、我々はこの作戦に全てを懸ける。少しでも長生きしたければ、非力なお嬢様らしく震えて大人しくしていることだな」
男は言いながら、ロザリアに向けていた銃口の引き金に指をかける。気丈に振舞っているロザリアもその仕草には流石に恐怖を感じたのか、身を強張らせて口を閉じた。
「それでいい、貴様ら貴族の子供を殺して親の泣き顔を拝む楽しみはなるべく最後にとっておきたいんでな。それまでは、せいぜい交渉の材料として使わせてもらおう」
鼻で嗤う男達に、ロザリアは悔しげに唇を噛んで俯く。
ラクアはその心中を気遣いながら、なんとか逃げる隙はないものかと周囲を見渡してみたが、出入り口は勿論、体育館のあちこちで黒服の男達が見張りに立っており、障害物も何も無いこの開けた空間で彼らの目を盗んで逃げることは不可能だという結論にしか至らなかった。
「くそ……っ、魔術で何とか出来たらいいんだけどな……、見たところ、ここに居る人達って全員人間だよな? 目が黒いし」
「そうだね、恐らくこの事件を〝奴隷として虐げられてきた人間の暴動〟ということにでもする心算なんだろう。彼らの狙いが父の失脚であるならば、空席となる領主の座を狙っている黒幕が必ず居る、そしてその黒幕は事件の後にこれが父が齎した結果だと声高に叫び、自分こそがエルトリアの領主として真にふさわしい人物だと名乗り出る気だろうからね」
「なるほどな……、でもこんな無関係の子供達を巻き込むような乱暴なやり方をする奴を、次の領主として認める人なんて居るのか? 流石にそんなタイミング良く立候補した奴が事件に無関係だなんて誰も思わないだろ」
「どうかな、父と比べて民にとってどちらがマシかという話だから……、そればかりは僕にもわからないな」
「エルトリアの人たちは、そこまで困窮してるのか? 昨日一日歩き回っただけだけど、皆そこまで辛そうには見えなかったんだけどな……」
「それを表に出すことが出来ない程にまで悪化していた、っていうことなのかもしれないね。嘆いても何も変わらないのなら、何でもないように振舞って、いつか訪れるであろう反撃の機会に向けて密かに刃を砥ぐ方が利口だと考えたんだろう」
ナイゼルは自嘲気味に笑って、「だから僕のせいなんだよ」と続ける。
「僕はそれを知っていた、そしてそれを何とかできる立場にあった、なのに何もしなかった。父を説得することも、彼に代わってこの地を統治することも出来ず、言われるがままに日々を過ごすばかりで、その結果、君たちまで巻き込んで……」
そこまで言って、ナイゼルは頭を振った。
「いや、こんな泣き言を言っていても、君に気を遣わせるだけだな。今は君達を無事にここから逃がす術を考えないと……」
そう言ってナイゼルが思考に耽るのと時を同じくして、外から別働隊と思しき男が入ってきた。やはり全身黒服の覆面姿ではあるものの、その隙間から覗く瞳の色は人間の物とは違う。ラクアと同じくその姿を観察していたロザリアは、小声で「魔族ですわね」と呟いた。
その魔族と思しき男性は、ラクア達を監視していた男達に資料らしき数枚の紙束を見せながら、二言三言ほど言葉を交わす。すると男のうちの一人が、
「貴様、名を名乗ってみろ」
と、フィアに向かって言った。
この部屋に入ってからずっと無言を貫き通していたフィアは、依然として銃口を向けたままの男性を見つめ返し、
「フィア」
と、いつものように短く返答する。
「フルネームでだ」
「…………」
「どうした、言えんのか?」
男は引き金に指を添えて、銃口をフィアのこめかみに強く押し当てる。だがフィアは怯えた様子は無く、ただ困った顔で押し黙るだけ。それを見かねたロザリアが「どういう事情があるかは存じませんけれど、流石に話した方が宜しいですわよ、彼らは本気ですわ」と焦った様子で促しても、フィアは固く結んだ口を開こうとしない。
男はその強情な態度にフッと笑いを零し、銃口と離したかと思いきや、その銃身でフィアの頭を殴りつけた。
「――っ!」
ガツン、と鈍い音と共に、フィアがその場に倒れ伏す。
「フィアさん!!」
「動くなっ!!」
殆ど無意識だろう、フィアの声を聞いて自然と視線を彼女の方に向けていたナイゼルが、血相を変えて立ち上がろうとしたのを、見張りの男の一人が鋭い声で制する。
だがそれも無視してフィアとの間に無理矢理割って入ろうとするナイゼルに、ついに男の一人が発砲した。ガァンッ!という凄まじい発砲音が体育館内に反響し、収容されていた人々が一斉に悲鳴を上げる。
弾丸はナイゼルの肩をかすめ、制服とその下の皮膚を痛めつけた。傷口から滲み出た血が肩口からしたたり落ちて、ブラウスと床を赤く侵蝕する。
「ナイゼルッ!! 貴方、やりましたわね!?」
それを見て今度はロザリアが激昂し、フリルタイに付けていたブローチを乱暴に引き剥がすと、たった今発砲した男に投げつけた。
瞬間、ブローチは閃光を放ち、小さな爆発を起こす。
「ぐあっ!?」
閃光に目を焼かれ反射的に腕で顔を覆った男は、その爆発を腕に受けて後ろに転倒する。
ロザリアがブローチを投げる瞬間、それがルーンだと理解して咄嗟にフィアに覆いかぶさったナイゼルは、転倒した男が取りこぼした銃を遠くへ蹴り飛ばす。
「この餓鬼共が……ッ! 取り押さえろ!!」
忌々しげに呻いた男の一声で、周囲に居た男達が一斉にナイゼルとロザリアに襲い掛かる。
ここまであまりの急展開に呆然としていたラクアは、二人は取り押さえられたのを見て我に返り、
「やめろ! その二人はあんたたちの大事な交渉材料なんじゃなかったのか!?」
とりあえず今自分に出来得る限りの抵抗を試みた。
魔術が使えない、腕っ節も強くないとなれば、なんとか口で丸め込むしかない。
だが冷や汗を流しながらもなんとか威嚇しようと必死に睨みつけるラクアを、男達は鼻で笑う。
「殺しさえしなければ交渉材料にはなる、少々痛めつけておいた方が、こいつらの親も必死になるだろうさ」
そして、先ほどフィアにしたのと同じように、銃身で二人の身体を甚振り始めた。
「痛っ……この……!」
「ぐぁっ! ……っめろ、ロザリア君に手を出すな……っ!!」
それぞれに抵抗しようともがいてはみるものの、多勢に無勢なこの状況では抗うことも逃れることも出来ない。
「武器と、それから装飾品も奪っておけ、まだルーンを仕込んでいる可能性がある、先のように反撃されては敵わん。違ったとしても、それなりの金にはなるだろう」
髪を掴み、装身具を捥ぎ取り、四肢を殴りつけるその光景に、周囲に居た人々はただただ怯えて縮こまることしか出来なかった。それはラクアも同じで、止めたくても有効な手段が全く浮かんで来ない。
なぜ自分はリアのように勇敢になれないのか、せめて先のナイゼルのように間に割って入ることが出来ないのか、無理を承知で男達に掴みかかることぐらいやれないのか。
いくら自分を叱責し奮い立たせようとしても、己の非力さを嫌と言うほどに知っているラクアの身体は、絶対に敵わないと分かっている相手に対して動いてはくれなかった。
ただ悔しさと憤りに拳を奮わせることしか出来ないラクアが、それでもただ黙って見過ごす訳にはいかないと立ち上がりかけたその時、
「やめて!!」
強く悲しげな声が男達の暴行を止めた。
声を上げたのはフィアだった。彼女の叫び声など聞いた事がなかったラクア達三人は、揃って目を丸くする。
「貴方達は私の家のことを調べたんでしょう、そして〝何もわからなかった〟 それがどういう事かは貴方達にもわかっているはず」
どういう訳か、男達はフィアの言葉には耳を貸していた。その表情はまるでフィアがそうするのを待っていたとでも言いたげだ。
「交渉材料には私がなる、これ以上その人達に酷いことをするのなら、私は今此処で自害する」
「フィアさん!?」
「貴女、何を言っていますの!」
驚き止めようとするナイゼルとロザリアを他所に、男達は満足気に微笑んでフィアを引き寄せる。
「最初からそう言っていれば、君の友人がこんな風に痛めつけられることも無かっただろうに」
「……っ」
「だがまぁ、過ぎた事を言うのは止そう、君の勇気を酌んでやる」
来い、と言って、男達はフィアの細腕を掴み、体育館を出て行こうとする。
その背を追おうと足掻くナイゼルに、未だ拘束を解こうとしない男が呆れたように言う。
「お前は彼女の気持ちを無駄にするつもりか?」
「……っ! フィアさん! 僕は反対です! 貴女にそんなことをさせるぐらいなら死んだほうがマシだ!」
本気でやりかねない彼の悲痛な訴えに、フィアは困ったように微笑んで、
「私は、ナイゼルが死ぬ方が嫌だから」
それだけ言うと、男達に引かれるがままに、ナイゼル達の視界から消えた。
*
それから暫く。拘束を解かれても、フィアの言葉がある以上抵抗することが出来なくなったナイゼルは、悔しそうに床に拳を叩き付けたきり静かになった。
畜生、と彼らしくもない言葉を呟くのを隣で聞いていたロザリアとラクアは、その胸中を思えばこそかける言葉が見つからず、せめて今はそっとしておいてやろうと少し離れた場所で話す。
「……ごめんな、俺、何も出来なくて」
「別に、貴方が謝ることではありませんわよ。民を護るのは上に立つものの義務の一つですわ」
「逆じゃないか? 偉い人ほど護られるもんだろ」
「私はそうは思いません。ですが、この痣は淑女としては宜しくないですわね」
体中に出来た真新しい痣を見て溜息を零すロザリアに、それを肩代わりすることが出来なかったラクアは再び謝罪しようとして、けれどこれ以上は野暮かと思い直して話題を変える。
「あれからこっちは何とも無いけど、フィアさんは大丈夫かな……」
「さぁ、何とも言えませんわ。あくまでも人質である以上、最悪の展開にはなっていないでしょうけれど……」
ロザリアはそこで一度言葉を切って、険しい顔で続ける。
「それよりも彼女、要人の息女の可能性が出てきましたわね」
「……って言うと? 貴族とは違うってことか?」
「貴族で無いとは言いませんけれど、私やナイゼルのようなただの魔族貴族ではないことは確かでしょう。この国においてもっと重要な……高級官僚や将校、あらゆる機関の代表者の娘である可能性が高いですわ」
なんでそんなことがわかるんだ、と思ったことが顔に出ていたのか、ラクアが何を聞くまでもなくロザリアが答える。
「彼女が連れて行かれる前に言っていたでしょう、〝私のことは調べても何も分からなかった筈だ〟と。あれは恐らく、彼女の出自やそれに類する事柄が意図的に秘匿されているという事だと思いますの。要人の血縁者はこういった事件に巻き込まれる可能性が高いですから、モルタリアではそれを防ぐために日頃から素性を隠しておくことが多いんですのよ。ですが裏を返せば、そこまで徹底して情報を管理されているということ自体が、そういった身分の者だという証明にもなってしまいます。先の犯人達もそれに気付いて彼女を連れていったのでしょう」
「なるほど……って、それじゃあ今のこの状況ってかなり大事なんじゃ……?」
「大事ですわね。一貴族の娘ならばいざ知らす、要人の娘ともなれば、国を揺るがす大事件にもなりかねませんわ。此処で起こっている事が今どれほど外に漏れているかは定かではありませんけれど……。本当に、彼らは自分が一体何をしているのか理解しているのかしら。最悪処刑も有り得ますわよ」
「処刑って、そんな……!」
「何ですのその反応は、私達をこんな目に遭わせる犯人側に同情している、などと言うのでしたら怒りますわよ」
自分への暴行に対してか、はたまたナイゼルを傷つけられたことへの恨みか、或いはその両方か。ロザリアは酷くご立腹の様子で「当然の報いですわ」と呟く。
ラクアとて三人を銃で殴りつけた男達に対して情がある訳では無い、ただ、彼は一人の少女のことがどうしても気掛かりだった。
その視線の先に居た少女、サーシャはラクアの視線に気付くなり、ビクりと肩を震わせてそっぽを向いてしまう。
「……あれも演技かもしれませんわよ?」
ラクアの目線を辿って同じようにサーシャを捉えたロザリアの言葉に、ラクアは苦笑を返す。
「でも、そうじゃなければいいのにって思ってるんだろ? 俺もそう思うから、ちゃんと確かめておきたいんだ」
わかったような口を利かないでくださいな、と面白く無さそうに言うロザリアから離れて、敵を刺激しない程度のさり気ない動きで、ラクアはサーシャの近くへ移動する。
一方、ラクアが近付いてくるのを見たサーシャは、逃げるようにその場を離れた。ラクアはそれを追い、やがて壁際まで追い詰められたサーシャが立ち止まる。
二人の距離が手が届きそうなほどまでになった時、先に声を発したのはサーシャだった。
「私を裁きに来たんですか? それとも、今すぐこの暴動を止めるようにと説得しに?」
それは以前までとは違う強く険のある口調で、振り返ったその表情は声色と違わぬものだった。だが、両の手で服の胸元を強く握り締めているその様は、必死に何かを堪えているようにも見えた。
「無駄ですよ。私は、私達は止まりません。例え世界中の人を敵に回すとしても、同胞が何人死んだとしても、私達はやり遂げなければならないんです」
「……何の為に?」
「自分自身の為にです。私は、こんな卑しい身分のままずっと生きていたくはありません。けれどこの街ではいくら努力しようとも、下賎の者が高みへ登ることは叶わない。だから、街の仕組みそのものを変えなければならないんです」
「…………」
「誰かがやらなければならなかったんです、でないと、ずっと永遠に何も変わらない。こんな、理不尽でどうしようもない世界で、ただ上を見上げ続けて死んでいくなんて、私には堪えられません」
「……本当に?」
その訴えは、確かにもっともらしいものだった。だがラクアは彼女の言葉に違和感を拭えず、その疑問をぶつける。
「君が今言っていることが全部嘘だとは思わないよ、でも自分自身の為だとか、私には堪えられないだとか、そういうのは嘘なんじゃないか?」
「……勝手な妄想はやめて下さい、貴方には私の気持ちなんてわかる筈ありません」
サーシャの手に益々力が込もる。それを見て、ラクアの疑念が確信に近付く。
「サーシャちゃん、前に俺に言ったよね、自分が溝鼠だとか何とか。あれが君の本心だったんじゃないのか?」
「……だ、だったら何だって言うんです。そう思っているからこそ、現状を変えたいと言ってるんじゃないですか!」
「俺にはそれがわからない。自分のことを本当にそんな風に思っている人が、そんな自分の為だけに頑張れる筈が無い。……少なくとも俺はそうだよ」
「……え?」
下がり始めていた視線を上げたサーシャは、哀れむような、どこか苦しそうなラクアの表情と、投げかけられた言葉に困惑する。
「それに、君の言動は矛盾してる。明るい未来を勝ち取る為にやるのなら、こんな手段は取らない筈だ。例えこの事件をきっかけにこの街の問題が解決したとしても、事件を起こした犯人がこの先何事もなく過ごしていける可能性なんて無いって、君みたいに頭の良い子ならわかってる筈だ。……だから本当は、自分の為なんかじゃなくって、他の誰かの為なんじゃないか?」
「……ッ! 違います!」
「おい、何の騒ぎだ」
思わず声を荒げてしまったサーシャに、近くに居た男が詰め寄ってくる。無理矢理話を打ち切られるかとラクアは焦ったが、サーシャは「なんでもありません」と首を振るに留めた。
男もそれ以上追及はしなかったが、気まずそうに顔を背けるラクアとサーシャを交互に見て、
「おいお前、ちょっと来い」
不意にラクアに銃を押し付けてそう命令した。
ぎくりとしたラクアだったが、銃口を向けられた状態で反抗することなど出来る筈もなく、渋々サーシャから引き離されて体育館にある舞台の方へ移動する。その途中に振り返ってサーシャを見てみれば、相手は心配そうな顔でこちらを見ていた。




