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生まれつき魔族と戦士族  作者: 稲木 なゆた
第二章①:ガルグラム編
55/88

19-④ 変わるもの、変わらないもの

 *


「貴方は、今日は泊まっていくものだと思っていましたが?」


 夜のモルタリアを走る列車の中。トーマはズリ落ちてくる眼鏡を押し上げながら、一人窓辺に座って、窓の外を眺めているバレッドに声をかけた。

 列車内に他の乗客の姿は無く、貸し切り状態なので、トーマはバレッドとは逆側の窓辺に座る。


「そんなに急いで帰る必要も無いでしょうに。せっかく久しぶりに帰ってきたんですから、ゆっくりして行けばいいじゃないですか」


 電車に乗る前も乗ってからも、ずっと心此処に在らずといった状態のバレッドは、遠ざかっていく村の明かりに視線を固定したまま答える。


「俺はそんなこと出来る身分じゃねーんだよ。あの村の連中にとって、俺は顔も見たくねぇ嫌な奴なの」


「……領主になることを放棄して、教官になる道を選んだからですか? 本当の理由を話してあげればいいじゃないですか」


 学生時代からのバレッドの友人であり、彼の抱える事情を知っているトーマは、そうしない理由がわからないといった表情だ。

 だがバレッドは、その提案を拒絶する。


「巻き込むようなことはしたくねぇ。――ただ、それはあくまで俺の勝手な意見で、帰ってくるっつってた奴がそのまんま学院で教官になってたら、そりゃあいつらは納得出来ねぇよな。裏切り者だ何だって言われても仕方ねぇよ。理由がどうあれ、約束を違えたのは事実だしな」


 バレッドは窓枠に頭を預けて項垂れた。開いた窓から入ってくる夜風が、その髪を揺らす。


「だから、別にそれでよかったんだ。理解されねーのも、軽蔑されんのも、恨まれんのも、俺は覚悟してた。……なのによ、俺が何にも言わねーでも、勝手に全部理解しやがった」


 ――別に、赦して貰いたかった訳ではない。

 自分自身が一番赦せていないのに、それを村人に赦されたからといって気が晴れる訳でもない。


 けれど一つだけ、もし願いを聞いて貰えるのならば、バレッドは彼らに伝えたいことがあった。


 自分は、今も昔も、気持ちは何一つ変わっていないのだと。自分にとって村の皆は、そんな簡単に棄てられる存在などではないのだと。

 

 村の皆がバレッドを必要としていたのと同じかそれ以上に、バレッドにとってあの村は必要なものだった。

 何も持たない自分に役目を与えてくれた、護るものを与えてくれた、価値を与えてくれた。〝どこの誰かわからない子供〟を〝ガルグラムのバレッド〟という確かなものにしてくれた。


 それを手放すことに、どれほどの恐怖があったか。どれほどの覚悟の上の選択だったか。

 ただそれだけを、村の誰かに分かって貰いたかった。

 何も言わずに村を出ておいて、勝手な願いだと理解していても、それを望まずにはいられなかった。


 叶う筈もないだろうと、とうの昔に諦めていたのに。


「すげぇわアイツ、エスパーかよ」


 小さく笑いながら語るバレッドに、トーマは座席に身体を預けて、目を閉じた。


「私は今から寝ますから、泣きたかったら泣いてていいですよ」


 溜息混じりに言う相手に、バレッドは鼻を啜りながら答える。


「うるせぇ!! つーか、頼んでおいた例の機械の回収は出来たのかよ?」


「ええ、適当に理由をつけてこちらで押収しておきました。貴方が運搬にも部外者を挟みたくないと言うので、ララさんにお願いして軍経由で回して貰うことにしましたが……、そこまで警戒しなくても良いのでは? まだ原種負けに関係しているとも限らないでしょう」


「でも現象としては似てる。今まで散々出し抜かれてんだ、漸く巡ってきたかもしれねぇチャンスを、手ぇ抜いて不意にしてたまるかよ」


 ――そのために、俺はあいつらを裏切ってまで教官になったんだ。


 拳を握り締めて、一人決意を新たにするバレッドの心は、村の皆には届かない。


(全く……、本当に馬鹿ですよ、貴方も、ウォレアさんも)


トーマはそれを心中で哀れみながら、今度こそ眠りについた。





 そうして、長い夜は更けていった。


 治療を終えた怪我人達がそれぞれの住処へ帰るのを見送って、ようやく床についたリア達は、遅くまで働いた分ぐっすりと眠った。屋敷の人々も、そんな彼女らを起こすのは忍びないと、自然に起きるまでそっとしておくことにして――、


その結果、次にリア達が目を覚ました時には、すっかり陽が登ってしまっていた。


「――はぁ!? 今なんて!?」


 そして、遅い朝食、というか遅すぎて最早昼食になる食事を摂っていた生徒四人は、ブラハムから告げられた内容に様々な反応を返す。


「で、ですから、実地訓練は三日間ありますので、あと二日で残る課題を消化しておくようにと通達が……」


「ふざけんじゃないわよ! あんな事があって、訓練なんか出来るわけないでしょ! こっちはもうヘトヘトなのよ!」


 ブラハムは、椅子から立ち上がって怒鳴るミーナに困り果てていた。

 メイド達はそれに苦笑しつつ給仕に勤しみ、リアは彼女らの運んでくる料理を幸せそうに頬張る。


「ミーナちゃん、このお肉をお野菜で巻いてるの美味しいよ! 食べた?」


「アンタは黙ってもぐもぐしてなさい! ――それに、こっちには怪我人だって居るんだし!」


「別にこれぐらい何ともねぇよ、つーか朝からうるせぇ」


 ミーナに指されたレオルグは、全身包帯と湿布のオンパレードという、見るからに何ともある姿で言った。その口ぶりから、今日は真面目に課題を手伝うつもりらしい。


「アンタ、やる気があるなら最初っから協力しなさいよ……」


「ま、まぁまぁミーナさん。わたしからも、一度学院にかけあってみますから……。皆さんの日程にズレが生じたのも、元はと言えばわたしのせいですし。ご迷惑をおかけして、本当に申し訳ありませんでした」


 忌々しげにレオルグを睨むミーナに、マルナがぺこりと頭を下げた。

 その言動に、ミーナが今度は慌て出す。


「ちょっと、アンタが謝る事じゃないでしょ? 悪いのは武器を盗んだ此処の不良共と、それを指示した軍の奴らよ! まったく、どれもこれも何で事件にならないのよ……!」


 ミーナが言っているのは、マルナの武器が盗まれたことだけではない。

 軍人が魔獣を引き連れて、廃倉庫で男達を襲ったことも、要塞でレオルグが兵士たちから行き過ぎた暴行を加えられたことも、何もかも無かったことにされたのだ。

 ただそれは、あくまでも当事者らの希望があったからこそだが。


「確かに軍の奴らがやった事には腹は立つ。が、まんまと口車に乗せられたアイツらにも非はあんだろ。だから今回は痛み分けでいい」


「良くないわよ! 大体、軍の奴らもアイツらも、この子にちゃんと謝ってな――」


「悪かった」


 ミーナが言い終わる前に、レオルグは先のマルナのように、椅子に座ったまま頭を下げた。

 それを見た面々は唖然とし、一瞬、食卓が静まり返る。


「えっ……、あ、そ、そんな、レオルグさんは何も悪くありません!」


 最初に石化から脱したのは、その謝罪を受けたマルナだった。


「寧ろ沢山助けて貰って……、わたしの方こそ、そんな怪我までさせてしまったことを謝らないと……」


「テメェの為にやった訳じゃねぇって何回も言っただろうが。それに、テメェが居なきゃこんな怪我じゃ済まなかった」


 相変わらず冷たい言い方ではあるが、その内容は明らかにマルナを気遣うものだ。

 謝罪のみならず感謝までされたマルナは、申し訳なさと嬉しさの入り混じった複雑な表情でうろたえている。


 そのやり取りを見たミーナは、苦虫を噛み潰したような顔で、静かに着席。


「ん、ミーナちゃん落ち着いた?」


「これ以上やったら馬に蹴られる気がしたのよ……」


「馬? ――なんで急に馬?」


 リアの疑問を無視して、ミーナはすっかり冷めてしまったジャガイモのスープを頬張り始める。

 そんな四人のやり取りを、同じく席について眺めていたキサラギは、静かに、穏やかに笑っていた。





 そしてその頃、領主邸から離れた村の一角では、


「サランねーちゃん! 見てみろよこれ! 食いもんだぜ食いもん!」


 一人の少年が、掘っ立て小屋の入り口で、何やら嬉しそうにはしゃいでいた。

 その手には、水の入った大きなタンクと、これまた大きな麻袋。

 

 呼ばれた女性は、少年が前に掲げて見せた麻袋を見て、怪訝な顔をした。


「なんだいそれ? あたしは水を汲んでこいって言ったんだよ、タタン」


「ちゃんと水も汲んできたって! それよりほら!」


 少年は麻袋の口を開いて、中に入っていた包みを一つ取り出した。

 包まれていたのは特に何の変哲も無いチーズだったが、それを見た女性はぎょっとする。


「ちょ、ちょっとアンタ! そんな高価なもんどっから盗ってきたんだいっ!?」


「盗ってきたんじゃねーって、家の前に置いてあったんだ! 水瓶の裏に隠すみてーにしてさ~」


「そんなもん罠に決まってるじゃないか! 後でとんでもない請求が来たり、それ自体に毒が入ってたりするんだよ!」


「とんでもない請求って……、こんなボロっちい家にか? 毒だって用意する方が大変だろ、どっちもこの村じゃ有り得ないって」


 言いながらも、少年も少し不安になったのか、麻袋から取り出した別の包みを開き、そこに入っていたパンを千切って、家の前にばら撒いた。

 するとすぐに鳥がやって来て、それを啄ばみ始める。


「……うん、別になんともないな! 大丈夫だぜサランねーちゃん! やっほー飯だァーッ!!」


 女性は半信半疑で、麻袋の中を覗いてみた。中にはまだ、大量の包みが入っている。

 その中身は、燻製肉、乾麺、調味料などの食材から衣料品、薬などなど、どれもこれも村では高値で取引されるものばかりだった。


「有り得ない……、こんな……、一体誰が……?」


「誰でもいーじゃん! 置いてったってことはくれるって事だろ? チョー良い人! ヒーローか何かだぜきっと!」


 すっかり有頂天になっている少年に、女性は渇いた笑いを返すしかない。


「ヒーローねぇ……、ま、貰えるもんは貰っとこうかね」


 その脳裏に、一瞬、ある人物の姿が過ぎったが――、

 女性は自嘲気味に笑って、その考えを追い払うのだった。





「あーくそ、だりぃ、ねみぃ。なんで今日は休みじゃねーんだよ……」


 昼過ぎ。重役出勤とばかりに遅れて学院教官室に顔を出したバレッドは、開口一番そんなことを言った。


「あらぁバレッドちゃん、ようやく帰ってきたのね? 昨日はどこに行ったのかと思って心配したのよ?」


 寮母としての午前中の仕事を終え、教官室で休憩中だったユリアナは、のほほんとそんな出迎え。


「ユリアナ教官、そのような甘い言葉は不要です。人手不足のこの学院で無断欠勤の上遅刻など言語道断、懲戒処分として今月の給料は無しにするのが妥当かと」


 対して、離れた場所からでも伝わってくる冷ややかな怒りのオーラを纏ったウォレアに、バレッドが露骨に嫌な顔をした。


「めんどくせぇのが来た……」


「面倒で悪かったな。貴様がそうさせているという事を、そろそろ自覚したらどうだ?」


 言いながら、ウォレアは手に持っていた大量の紙束をバレッドの机に置く。


「これは昨日と今日の午前中に溜まった、貴様が処理すべき仕事だ」


「へーへー、やりゃあいいんだろやりゃあよ!」


 半ばヤケになりながらバレッドが椅子に腰掛けると、ユリアナがくすくすと笑って、


「大丈夫よ、よく見てバレッドちゃん」


「はい?」


 意味がわからず、促されるままに紙を何枚かつまみ上げたバレッドは、それらにざっと目を通して――


「……んだこれ、終わってんじゃねーか」


 自分が手を加える必要など全くないことに気付いて、眼を瞬かせた。


「貴様の押印が必要なものが何枚かある、きちんと全てに目を通せ。引継ぎが出来ていないだのと他所から苦情が来たら張り倒すぞ」


 最後の一言で、目の前の書類を作ったのがウォレアなのだと理解したバレッドは、口をへの字に曲げる。


「どういう風の吹き回しだよ?」


「真っ先に言う事がそれか?」


 ウォレアは歎息して、次の授業の準備を始めながら答える。


「貴様が何処へ何をしに行っていたのかは、方々から聞いた。だが、それで生徒や他の教官方に迷惑をかけるわけにはいくまい。そう思っただけだ」


 それを聞いて、きっと理由はそれだけではないのだろうと、バレッドは思ったが、


「ふーん……、ま、助かったけどよ」


 話が長くなりそうなので、あえて追求はせずに流す事にした。


「しかし、軍の人間が中央区での窃盗を教唆するとはな。動機は何だったんだ?」


「んなもん聞くまでもねぇよ、金が足りてねーんだ。ガルグラムで困窮してんのは何も村民だけじゃねぇ、軍人も一緒だ。世間様からとことん見放されてんだよ、あの村は。そこを何とかしねぇ限り、今回みてーな事件はいずれまた起こる」


 いつになく深刻そうに語るバレッドに、ウォレアはその胸中を察して、


「……教官になったことを後悔しているのではないか?」


 そんなことを言ったが、言われたバレッドは大変不服そうに反論。


「んな簡単に選んだ訳じゃねぇよ、見縊みくびんな」


「自分から言い出した手前、引っ込みがつかなくなっているだけかと思ったのでな」


「テメェは俺の神経逆撫でしねーと生きていけねーのか? 喧嘩なら買ってやる」


「そんなものは売った覚えが無いが? 貴様は何故いつもそう私の言葉を曲解するんだ」


「どのへんが曲がってんだよ、今のはどう考えても馬鹿にしてんじゃねーか!」


 彼らが出逢った頃からその関係を見守ってきたユリアナは、そんな二人のやり取りを愉しそうに眺めていたが、不意に鳴り響いた固定電話の音に邪魔されて、渋々受話器を手に取る。


「はぁーい、こちらノブリージュ学院ですよ~、どちら様で……、あら、これは失礼いたしました。ご機嫌麗しゅう、フォルワード卿」


 流石に通話中に近くで喧嘩を繰り広げる訳にもいかないので、二人は口論を引き分けで終わらせた。

代わりに、珍しい相手からの電話に興味を示した二人は、耳をそばだてながらひそひそ話を始める。


「そういや、今頃あの坊主(ラクア)はフォルワード卿のところか?」


「ああ。まぁ、彼らに関しては心配は要らないだろう。ベルガモットの風の精霊(シルフ)の暴走だけが気掛かりだが、それも大した騒ぎには――」


「なんですって!?」


 突然、席を立ち声を荒げたユリアナに、バレッドとウォレアが揃って肩を跳ねさせた。


 いつも穏やかなユリアナの切羽詰った様子に、どうやら何かあったらしいとだけ悟った二人は、「まさか彼らが何か騒ぎを起こしたのか」と危惧したが、受話器を一度離して二人を見たユリアナが告げた内容は、全く予想外のものだった。


 そしてそれが、新たな騒動の幕開けとなる。


「ラクアちゃん達が、誘拐されたって……!!」



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