19-② 救いの手
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(……馬鹿みてぇだな)
迫る魔獣の咆哮に、遠く過去に飛んでいたレオルグの意識が、現実に引き戻される。
遥か昔に確かにあったその温かい時間も、皆が笑い合うその光景も、今はもう見る影も無い。村人達の中に、あの日のことを覚えている者が、果たして何人居るだろうか。
村人達は既に、あの男と出会う前の状態に戻ってしまった。男やそれについていった者達は、今やもう過去の情景など見えぬ程、遥か先に行ってしまっていることだろう。
自分一人だけが、いつまでもあの場所に取り残されたままで。戻ることも進むことも出来ずに立ち止まっている。
(俺が間違ってたんだ。結局、あの男も他の奴と何も変わらない法螺吹きだった。ただそれだけのことだ、何もおかしなことはねぇ)
直感などという不確かなものを信じた己が悪い。
だが、何もかも嘘に塗れたこの村で、自分の心さえ信じられないのなら、一体他に何を信じればよかったのだろう?
他者も自分さえも信じられずに、何を護るでも築くでもなく、この寂れた村で何年、何十年と生きて――、果たしてそれが生と言えるだろうか。
(……まぁ、どっちにしろ結末は同じってこったな)
必死に抗って希望にしがみついても、何もかも諦めて惰性で日々を過ごしても、何も成せないことに変わりはない。無意味で虚しい人生だ。
レオルグは再び目を閉じた。その瞼の裏に、もうあの光景は映らない。
疲れ果て、抗うことをやめたレオルグは、ずっと受け入れることの出来ないでいた現実を、死という決定的な終わりで無理矢理受け入れることを選んだ。
だが、それを、少女の声が阻む。
「レオルグさんっ!!」
反射的に、名を呼ばれたレオルグは目を開き、相手の方を向いた。
そこに居たのは、とうに逃げた筈のマルナ。
魔獣の存在に気付き悲鳴を上げ、恐怖に震えながらも駆け寄ってくる相手に、感情を失くしていたレオルグの表情が、みるみる怒りと焦りに染まっていく。
「てめぇっ、何しに戻って来やがった!! 無駄死にしてーのか!?」
「ごっ、ごめんなさい!! わかってるんです!! せっかく逃がしてくれたレオルグさんの気持ちを無駄にする行為だって!! でもっ、やっぱりわたし、貴方を置いては行けません!!」
何とか外せないかと枷を調べ始めるマルナは、迫り来る魔獣に泣きそうになっていた。その声は取り繕えないほどに震えてる。
「ふざけんな!! んな偽善者の為に俺はここまでやった訳じゃねぇんだよ!! あのまま逃げてりゃ良いものを……!!」
「良いかどうかなんてわからないじゃないですかっ!!」
マルナは悲鳴に近い声で叫んだ。レオルグが、その剣幕に圧されて黙る。
「何が最善かどうかなんて結果論でしか語れません!! わたしがあの時助かったのは、おじいちゃんの言うとおりきっと運が良かっただけだった!! 人の選択に、絶対の正解なんてありません!!」
マルナはまず足を固定している錠前に狙いを定め、唯一持ってきていた斧を振り翳した。ジェットエンジンによって加速した刃が、対象に僅かに亀裂を入れる。
マルナがここに来る覚悟を固めたきっかけは一つ。
遠い過去のあの日、魔獣に襲われて死ぬところだった自分を助けてくれたのは、友人らが呼んで来てくれた大人たちなどではなかったということを思い出したからだ。
もしもマルナがあの時武器を持っていなければ――、一人置いていかれた彼女は、間違いなく死んでいただろう。
「だから考えたんです!! もしわたしがあのまま逃げて、レオルグさんにもしもの事があったらどうなるかって!!」
「別にどうにもならねーだろ!!」
「どうにもならないとしても!! わたしはずっと後悔するだろうって思いました!! 今ここで貴方を見捨てて逃げることは、あの時のわたしを置いて逃げることと同じだからっ!!」
涙声になりながら、マルナは斧を振り翳す。錠前に、更に深く亀裂が入った。
「もしわたし、あの時に死んでいたら――、たった一人で誰にも知られずに、痛い思いをしながら死んでしまっていたら、きっと最後まで何もかもに絶望したままで……、武器を好きになることも、リアさん達に出会うこともなかったんだって思うと、怖くて怖くて仕方がないんです!! わたしは、貴方にそんな風にはなって欲しくない!!」
頬を伝う涙を拭うこともせず、マルナはひたすら斧を振り続ける。
ついに錠前が壊れて、レオルグの両足が解放された。
「んなくだらねぇ感情論と同情心だけで、てめーはずっと大事にしてきたもんを棄てんのかよ!? どいつもこいつも大層なのは口だけかよ!!」
「くだらなくなんてありませんっ!! そんな簡単な気持ちなわけないじゃないですか!!」
次いで両腕の拘束を解くべく、マルナは斧を構えなおして、錠前に振り下ろし始める。
魔獣は、もうすぐそこまで迫っていた。吐き出す炎の熱さを背に感じて、恐怖に顔をひきつらせながら、それでもマルナは逃げようとしない。
「簡単だろうが!! 会ってまだ一月程度しか経ってねぇような相手を助ける為に諦めるなんざ、本気で大事に思ってんなら出来るわけ――」
「時間は関係ありません!! わたしが武器を好きになったのだって、ほんの数分の出来事だった!! だからって、ただそれだけの理由で、わたしの気持ちを軽んじられたくはありません!!」
一層強く、斧が錠前を叩く音が響いた。
砕けた錠前が二人の足元に落ちて、レオルグの両腕を捕らえていた枷が外れる。
「確かに、わたしはまだレオルグさんのことを碌に知りません。出会った時は正直苦手だとも思いました。でも今日、わたしの事を何度も助けてくれたり、仲間の事を心から思う貴方の姿を見て、もっとちゃんと沢山お話がしたいって、貴方のことを理解出来るようになりたいって思ったんです。馬鹿なことをしているかもしれませんけど……」
涙でぐしゃぐしゃになった顔で、マルナは穏やかに笑った。
「こういうのって、理屈じゃないですよ」
その表情に、言葉に。
レオルグは、消えかけていた感情が、奔流のように押し寄せてくるのを感じて――
「ガァアアアアァァァアアアアアアアアッ!!」
無粋な魔獣の声で我に返った。
そして、上から落ちてくるかのように襲い来るその巨大な八つの首から、マルナを抱えて逃れる。
格納庫と違い、コンテナ等の障害物が一切ない体育館のような広い空間で、レオルグは魔獣と対峙。
「……で、こっからどうすんだよ?」
「ええと……、流石に勝ち目が無さそうなので、大人しく逃げませんか? わたし、あの子たちを残して死ねません」
「テメェ、さっきの啖呵はどーした」
「誰もあの子たちを棄てて来ただなんて言ってませんよ、レオルグさんが勝手に勘違いしただけです」
「そうかよ。――逃げるっつっても、出口はあっちにしかねーぞ」
あっち、とレオルグが指したその先は、ちょうど魔獣の居る方角だった。どう回り込んでも、接触を避けては通れない。
苦悶する二人の頭上から、突如拍手が降って来た。
「いやはや、なかなか面白い展開じゃあないか。君達と居ると退屈せずに済む」
「ンだよテメェ、まだ居やがったのか」
「私は、人を殺すときは最後までしっかり見届けるタイプなのでね。何せ、貴様ら村の連中のしぶとさは害虫並だからな、油断は出来ない」
不毛なやり取りだと察したレオルグは、部隊長の相手を早々にやめて、魔獣に集中する。
マルナの言うとおり、勝算は限りなくゼロに近い。自分は兵士に散々暴行を受けたせいで既に満身創痍、対してマルナは怪我は少ないとはいえ、人間である以上一人であの魔獣を相手取ることは出来ないだろう。
(見た目からして敵は上級――、全快の状態でも、普通なら倒せねぇな)
だが、諦めようという考えは、既にレオルグの中にはなかった。
再び迫ってくる魔獣から距離を取りつつ、広い部屋の中を全速力で駆ける。向かう先は出口ではなく、ギャラリーに続く階段。
「なるほど、下に道が無ければ上からか?」
部隊長の見つめる先で、彼が居るのとは逆側の通路を、レオルグはひた走る。
魔獣は下から何とか二人を捕まえようと首を伸ばしているが、ギリギリ届かないようだ。
吐き出してくる炎を跳躍で避けて進む二人に、部隊長はその場に屈んで、足元に置いてあった機材を操作し始めた。
無数のダイヤルとメーターがついたそれは、持ち運び用の小型のステレオミキサーだった。挿さっているプラグから伸びるコードは、その脇にある二つの大きなスピーカーに繋がっている。
部隊長がそのスイッチを入れると、室内に何かを引っ掻いたような不快な音が響く。
「ガァアアッ!! ギィイィイイイ……ッ!!」
すると、それに呼応するかのように、突如魔獣が呻き始めた。
先程までの敵を威嚇する咆哮とは違い、苦痛に耐えるかのような響きを持つその声に、レオルグに抱えられているマルナが総毛立つ。
そして、その視線の先で、魔獣の姿がゆっくりと変わり始めた。
「ひっ……!?」
攻撃が止んだ隙に逃げ切ってしまおうとスピードを上げたレオルグは、マルナの口から漏れた小さな悲鳴を聞いて、背後を振り返った。
――そこには、背中から生えた四対の翼を羽ばたかせ、宙を舞う魔獣の姿。
「は……!?」
その突然の変態に驚愕するレオルグに向かって、飛ぶ力を手に入れた魔獣が猛スピードで飛来する。
避ける術も場所もなく、正面からその体当たりを受けた二人は、無残にも壁に叩きつけられてしまった。
「が……っ!! く、そがァ……ッ!!」
八つある首の一つが、咄嗟にマルナを庇ったレオルグの腕と背に牙を立てる。
そのまま噛み殺してしまうつもりなのか、上顎と下顎で彼を捉えた魔獣は更に力を込めた。
皮膚に鋭い牙がより深くめり込んで、レオルグが痛みに声を上げる。
「この――っ!!」
その腕の中に抱きしめられていたマルナは、そこから這い出て魔獣の口に斧を振り下ろした。口の端を切り裂かれた魔獣は、痛みに悲鳴を上げて二人を解放する。
だが、マルナがほっとしたのも束の間、別の首が二人に襲い掛かる。
レオルグは壁を蹴ってそれを躱したが、最早着地する力すらなく、重力に従って落下するだけ。落下の衝撃で傷口は更に広がり、血が白い床を汚していく。
「レオルグさんっ!!」
「くそ……っ! まだだ、まだ……っ!!」
まだやれる、その意思に反して、レオルグの身体はもう立ち上がることさえ許してくれなかった。
それでも地を這って進もうとするレオルグの姿に、マルナが斧を握り締める。
そして、空から自分達を見下ろしている魔獣の前に立ち塞がった。
「おい……、何してんだ馬鹿……っ、いいからどっか逃げてろ……!」
マルナの震える足を見て、レオルグが呻くようにそれを促す。
だが、彼女は動かなかった。斧を構えて、迎撃の意思を示す。
それが、どれだけ無謀なことだとわかっていても。
「畜生……っ! ふざけんなよ……!」
そしてレオルグは、それをどうすることも出来なかった。
諦めずに最後まで足掻いても、やはり結果は変えられないのだろうか。
早々に諦めた者とそうでないもの、その二つには何の違いも無いのだろうか。
誰にも理解されず、認められず、それでも尚自分を信じ続けた者は、ただの愚か者にしか成り得ないのだろうか。
「――っざけんじゃねええええええええええええええ!!!!」
レオルグの叫びに、魔獣の咆哮が被さり、敵は二人めがけて飛翔する。
その開かれた八つの巨大な口が、二人を食い殺そうと肉迫して――
「調子に乗ってんじゃねぇぞ犬ッコロがァッ!!!!」
突然、天窓を突き破って飛んで来たその怒声と大剣によって、吹き飛ばされてしまった。
窓の割れた音、その破片が降り注ぐ音、魔獣の絶叫。
騒音が続いたせいで、その場に居た者達の鼓膜が軽くダメージを負う。
窓に開いた風穴から現れたその大剣の持ち主は、魔獣の首に刺さった得物を引き抜いて、一閃。
八つあった魔獣の首の一つが、そのたった一撃で千切れ飛んだ。
「なっ……、なっ……、なぁぁああ……っ!?」
ギャラリーでそれを見ていた部隊長は、先程までの勝者の余裕を崩され、わなわなと震えながら叫ぶ。
「――何故貴様が此処に居る、バレッド・アルマイトッ!!」
魔獣の首の断面から噴き出すドス黒い血のシャワーを浴びながら、その男――バレッドは部隊長を仰ぎ見て、
「おー、名前を覚えて貰えてるたぁ光栄だな」
冗談混じりにそう返し、再び剣を振るった。
二本目の首を落とされた魔獣は、理性を欠いた獣のように暴れ始める。
その首と炎の猛追を、蝶のように舞いながら躱すバレッドを、呆けた顔で眺めていたマルナは、命拾いしたことを実感して膝から崩れ落ちた。
そんな彼女の背中越しに、レオルグもまた、信じられない気持ちでバレッドを見る。
二人の視線を受けながら、バレッドは順調に魔獣にダメージを与えていく。それを見て焦った部隊長は、再びスピーカーから謎の不協和音を流した。
魔獣はまたも苦しそうに呻いて、変態していく。
「おいおい、そりゃどういうカラクリだよ?」
瞬く間に胴体と首の筋肉を異様に発達させた魔獣は、先程の数倍のスピードとパワーでバレッドに襲い掛かった。
バレッドは一つ二つ三つとそれを躱したが、流石に六つまでは躱しきれず、その胴や脚に無数の牙が刺さる。
「痛ッ!? ――ってぇな!!」
だがバレッドは怯まず、剣を振るって、自分に噛み付いている三つの首を、順に斬り落としていった。
どうやら八つの首の神経は繋がっているらしい。残る三つの首は断末魔を上げながら、口から大量の炎を吐き出し始めた。
慌てて空高く飛び退いたバレッドは、ギャラリーの手摺りを飛び越え、部隊長のすぐ傍に着地する。
至近距離にやってきたバレッドに、部隊長は腰に提げていた剣を抜いて後ずさり。
「ききき貴様ァッ!! 何をしに村へ戻ってきた!?」
「何って……、あれだよあれ、里帰り」
「ふざけるなああッ!!」
バレッドは威嚇してくる部隊長は無視して、炎を吐き出し続けている三つの魔獣の口に剣の切っ先を向けた。そして、柄に付いている引き金を絞る。
立て続けに三度発火して飛び出した弾丸は、三つの龍の口内に被弾し、その喉を突き破った。
「……まぁ確かに、里帰りなんざ出来るような立場じゃねーけどよ」
バレッドはギャラリーから飛び出し、炎を引っ込めた魔獣の頭上へ跳躍。
その背に降り立つと、残る三本の首を討ち取った。
胴体だけとなった魔獣は、切り口から血を滝のように流しながら、それでも尚四対の翼で宙を彷徨う。
背に乗ったままのバレッドは、両の手で剣を高く持ち上げて、
「――悪ぃな、こっちはもう上級如きに手こずってらんねーんだよ」
自分の足元、魔獣の心臓目掛けて、勢いよく突き刺した。
絶叫を上げたくても上げられない魔獣はゆっくりと高度を下げていき、痙攣しながら静かに地面に落ちる。弱々しく動いていた羽も、やがて力を失い、その躯に覆い被さった。
そうして、ようやく収容庫内に静寂が訪れる。
見事魔獣を屠ったバレッドは、ずっと自分を見つめていた二人に歩み寄った。
「ようマルナ、怪我はねぇか?」
「バレッドさん……っ!!」
堪えきれず、泣きながら縋りついて来たマルナの背を、バレッドは子供をあやすように摩る。
そしてその後ろで、無理矢理上体を起こそうとしているレオルグを見た。
「お前はじっとしてろ、多分もうじき助けが来る」
「……何がどうなって――」
「質問と恨み言は元気になったら聞いてやるよ」
言葉を先読みしたバレッドに先手を打たれて、レオルグが閉口する。
そんな三人の会話に、ギャラリーから降りて来た部隊長が割って入った。
「やってくれたな、バレッド・アルマイト……ッ!」
眼光鋭く、部隊長はバレッドを睨みつけ、その喉元に剣の先を突きつける。
その手は怒りに震えているが、幾分落ち着いたのか、先程までの狼狽は無い。
一方のバレッドも、冗談めかした態度を払拭し、冷ややかな目で相手を見た。
「そりゃこっちの台詞だ。いくらなんでも、こりゃやり過ぎじゃねーのか?」
「先に手を出して来たのはそのガキ共だ、我々は賊に対し正当防衛を行ったに過ぎん」
「手足拘束してボコボコにした挙句、魔獣の餌にすんのがテメェらの正当防衛かよ」
バレッドは自分に向けられた刃を掴んだ。皮膚が裂け、血が流れるのも厭わず、力尽くで下ろさせる。
「――なら、同じ目に遭う覚悟は出来てんだろうな?」
怒りを露にするその気迫に、部隊長がたじろいだ。
部隊長というだけあって、彼の実力は折り紙つきだ。ただの村の不良上がりに負けるような腕ではないという自負が、彼にはある。
だが、今相対している、まさに〝不良上がり〟でしかない筈の男に、彼は畏怖の念を抱いてしまっていた。
(おかしい、そんな筈はない。確かに、元より他に比べて腕の立つ男ではあったが……、所詮は素人のソレだった。そして何よりこいつは、村を棄てて教師などという平和ボケした職を選んだ腑抜けだった筈だ……ッ!)
村のゴロツキの一人でしかなかった子供が、たった数年で何故こうも変わったのか。何故、これほどまでに変われたのか。
部隊長には、その答えは解らなかった。




