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1-③ 魔族と戦士族

 俺がリアの家、サテライト家に迎えられたのは、もう随分と昔の話だ。

 

 実の親に捨てられたのは五歳かそこらの頃だっただろうか。まだ自分の世話さえ満足に出来ず、親が傍に居なければ不安で泣き出すような子供だった俺は、両親と交流のあったサテライト夫妻に引き取られた。


 サテライト夫妻はとても心優しく、仲の良い夫婦だった。父親がろくに家に居ないうちとは正反対で、いつも揃って食卓を囲む、そんな暖かい家庭を築いた人達。

 知人の息子とはいえ、育てる理由などない筈の俺を、実の息子のように大切に育ててくれた二人に、今の俺は心底感謝している。当時の、二人に対して素っ気無い態度を取ってばかりだった俺を殴ってやりたいぐらいには。


「おじさん、何か他に手伝うことありますか?」


 鉱夫として朝から晩まで働いて一家を支えているおじさんは、休みの日でもよく働く人だった。娘の子守りに妻の家事の手伝い、雨のせいで老朽が激しい家屋のメンテナンスと、ひたすら動き回っている姿しか見たことがなかった。


「有難うラクア。でも、そろそろ休憩にしよう。ステラがお茶を淹れてくれているだろうから」


 三角屋根の上に登って木板を取り替えていたおじさんが言うと、玄関から顔を覗かせたおばさんが、まさしくそれを伝えた。

 流石夫婦だなと感心した俺に、おじさんは恥ずかしさと嬉しさを含んだ笑みで返す。


「長く一緒に居ればわかるようになるよ、ラクアも最近は、リアのことがわかるようになってきてるじゃないか」


「リアは分かり易いから……、って、あの、貶してるわけじゃないですよ!」


「わかってるわかってる、そんなに気を遣わなくても大丈夫だよ」


 大きな掌で頭を撫でられるその感触は、サテライト家に来て初めて知ったものだった。

 

 おじさんは雰囲気こそのんびりしている人だったけれど、先に言った通りに良く働く人で、そして察しの良い人でもあった。


 俺が引き取られたことに負い目を感じていることも、訳のわからない力に怯えていることも、本当はそれを不気味がられているんじゃないかと疑ってしまっていることも、そのせいでまた捨てられてしまうのではないかと怯えていることも、それを防ぐために手伝いを名乗り出ていることも。


明言した訳でもないのに、俺の言動の端々からそれを察して、その気持ちを汲んでくれる優しい人だった。


「リアも手伝いはしてくれるんだけど、ちょっと仕事が雑なところがあるからなぁ。ラクアは仕事は丁寧だけど、体力がちょっと足りないかな。足して二で割ると丁度よくなりそうだ」


 過度に褒めるでも貶めるでもないその接し方も、おばさんと違って俺の名を呼び捨てにすることも、実の娘と変わりなく扱おうとしてくれている優しさだったのだろう。


「つまり、うちの家族は今がちょうど良いバランスってことかな」


 俺はただ、その居心地の良さに甘んじていることしか出来なくて。

 言葉にしてもきっと伝わらないからと、話を切り出すのが難しいからと、先送りにしていたその感謝の気持ちは、いつか何かの形で伝えようと、ずっと胸に秘めたままで――、


今思えば、拙くても、ちゃんと言葉にして伝えるべきだったんだ。



 *



「……気がついたか?」


 目覚めの気分は、あまり良いとは言い難かった。

 ラクアは全身に倦怠感を覚えながら、見開いた瞳に心配そうなウォレアの顔を映す。


 知らぬ間に場所を移したようで、そこはラクアの見慣れた空間だった。

木造の勉強机とベッドが並べらているだけの簡素な部屋、ラクアとリアが使っているものだ。それは分かるが、何故自分がベッドに寝ているのかがラクアにはわからない。


その困惑が顔に出ていたのか、ベッドの傍らの椅子に座るウォレアが端的に経緯を説明する。

ラクアは途中で気絶して倒れてしまった事、あの化け物は無事に撃退したこと、リアはバレッドに気絶させられて、ラクアと一緒にここまで運ばれた事、そして今、隣のベッドに寝かされている事。


頭を横に倒してそれを目で確認したラクアは、ほっと安堵の息を吐いた。


「じきに彼女も目を覚ますだろう。もう暴れることは無い筈だ、安心してくれ」


「そうですか……、っていうか、何で急にあんな風に……」


「あれは戦士族ベラトールの原種返りだ、彼女に限定して起こることではない。……しかし、頻発するものではないとは言え、これまで同じようなことは一度も無かったのか?」


「べらとーるのげんしゅがえり? 何ですかそれ……、そういえば、さっき貴方がやってたあの、蔓を操るみたいなあれも……、手品か何かですか?」


 ――数秒、部屋に妙な沈黙が流れた。


「……何も知らないのか?」


 ウォレアは神妙な顔で、床に胡坐をかいているバレッドと顔を見合わせる。


「こりゃ、説明が長くなりそうだな」


「てっきりもう聞かされているものだと……」


「……あの、俺の発言が何かの期待を裏切ったってことは察しましたけど、そもそも貴方達は誰なんですか? どうして俺のことを知っているんですか。それに、貴方達のその髪の色は染めているんじゃないんですよね? 髪色が黒じゃない人なんて、俺達以外じゃ見たことも聞いたこともありません。少なくともこの近くに住んでる人じゃ――」


「はいストーップ、落ち着けよ小僧。いっぺんに聞かれても答えらんねぇって」


 身を乗り出してまくしたてるラクアの眼前に、バレッドが掌を突き出す。

 

「順番に説明すっから、こいつが」


「お前じゃないのか」


 空いた手でウォレアを指し示すバレッドに、ウォレアは呆れ声で言った。

 

「込み入った話は、彼女が起きてからの方が良いだろう。とりあえず自己紹介だけはさせて貰う。――私はウォレア・フォン・ウィスターシュ、君と同じ(・・・・)存在だ」


「……俺と同じ?」


「君は周囲の人間とは違う、人間には真似の出来ない、不思議な力を持っているだろう?」


「――っ!!」


 養子なのだな、と言われたときと同じ衝撃を、ラクアは受けた。

特にそういった言動はしていない筈なのに、隠していることを言い当てられてしまう。


「……たまに、凄い突風が吹いたり、鎌鼬みたいな現象が起こるだけですけど……」


「なるほど、こんな感じか? ――〝そよ風(エザコヨース)〟」


ラクアに人差し指を向けたウォレアが呟くと、ラクアの正面から穏やかな風が吹きつけてきた。

部屋は窓も扉も締め切っている状態だ、明らかに自然のものではない。


「……今、私が言った言葉の意味がわかるか?」


 ウォレアの問いに、ラクアは首を振って否定の意を示す。


「今見せたのは一般的に〝魔術〟と呼ばれるものだ。君にとっては聞きなれなかったであろう言葉は〝素語〟といい、魔術を操る際に使う。……素語を知らないということは、その鎌鼬などの現象は、君が意図的に起こしていたものではないんだな?」


「はい。そもそも、コントロール出来るものだなんて知らなかったし……」


 ――それが出来ていれば、もっと楽に生きて来れたのに。

 ラクアは今日に至るまでに、その風によって受けた扱いを思い出して歯軋りする。


「魔術の仕組みを理解し習得すれば、今後そのような事にはならないだろう。君がそれを望むのであれば、私はその手助けをしてやることも出来る」


「え、本当ですか?」


「それが仕事だからな。我々は今日、その為にここへ来たようなものだ」


「仕事……?」


「お、嬢ちゃんも目ぇ覚ましたぞ」


 リアの眠るベッドにもたれかかっていたバレッドが、気配を感じて体を起こす。

 ラクアとウォレア含め三人の視線を集めたリアは、仰向けのまま三人を見つめ返した。


「知らない人が居る……」


「俺もお前のことは聞いてねーぞ、戦士族ベラトールのお嬢ちゃん」

 

「べらとーるってなに……? あたしの名前はリア・サテライトだよ……」


「ほー、リアか。俺はバレッドだ、宜しくな」


「バレッドさん……」


 まだ寝ぼけているのかオウム返しになっているリアは、そのまま暫くバレッドの顔を凝視してから、


「――髪の毛が赤いっ!?」


 そう言って飛び起きた。


「気にするところはそこかよ、お前だって赤っぽいじゃねーか」


「えっ、えっ!? ――あぁっ、髪の毛の色落ちてる! なんでっ!?」


 黒髪から、生来の薄い赤髪に戻ってしまったリアは、ベッドの上で軽いパニックを起こす。


「っていうかラクアもじゃん!」


「今それは大した問題じゃないから落ち着け、この人たちだって黒じゃないんだし」


「だからそれが何で!? この人たち誰!?」


「覚えてないのか?」


 ラクアの言葉がどのことを指しているのかわからないリアは首を傾げた。

 ウォレアはリアに対し事の経緯を簡単に説明してから、二人の間にある認識の齟齬を正す。


戦士族ベラトールの原種返りにおいては、当事者に最中の記憶は残らない」


「それさっきも言ってましたけど、何なんですか?」


「それを説明するには、君たちにまず己が何者であるかを理解してもらう必要があるな。……端的に言うと、君たちは人間ではない」


 ――再び、部屋に沈黙が流れた。


「……はい?」


「厳密に言えば、人間と獣のハーフだ。鵺族キマイラと人間のハーフは戦士族ベラトール妖精族エルフと人間のハーフは魔族マグスという。鵺族キマイラというのは、先程君たちが襲われていたあの化け物のことだ」


 巨大な化け物の姿と、それに痛めつけられたことを思い出して、ラクアは身震いした。

 今更ながら、身体のあちこちに包帯が巻かれているし、体のあちこちが痛い。一方で、ラクアよりも傷の多かったはずのリアは、大きめの絆創膏を貼られているだけで済んでいた。


「一般的に世界に居る生物とは違った異形、君たちが化け物と称するものを、我々は魔獣と呼んでいる。鵺族キマイラは驚異的な筋力と肉体強度を誇る上に自然治癒力も高い、数多居る魔獣の中で最も強いと言われている二種族のうちの一つだ。戦士族ベラトールはその特性を引き継いでいる。人間の血が混ざっている分、原種オリジナルには劣るがな」


「……ちょっと待ってくださいよ。さっき、バレッドさんはリアのことを〝戦士族ベラトールのお嬢ちゃん〟って呼びましたよね。ウォレアさんも、リアが暴れてたのは戦士族ベラトールの原種返りだって……」


「そうだ」


「今の説明だと、リアがさっきの化け物と人間のハーフだって言ってるように聞こえます」


「その通りだが?」


 ラクアは絶句した。呆れて言葉を失った、という方が、より正しい表現かもしれないが。


「……あの、失礼ですけど、リアの父親はあんな化け物じゃありませんよ? ちゃんと人間です。当然母親も」


「――あっ!? そういえばパパは!?」


 そこで漸く、自分が坑道に行った理由を思い出したリアが声を上げた。

 アクシデント続きですっかり失念していたラクアも、それに思い至る。


「そうだ、こんなことしてる場合じゃない! あの場所におじさんが居たんだとしたら――」


きっと無事では無いだろう、そう考えて、真相を確かめるべく慌てて部屋を出て行こうとする二人を、バレッドとウォレアが引き留めた。


「父君のことに関しては、既にこちらで確認を取ってある。君達を連れてきた際に、母君から父君について聞いたのでな」


「そういうこった。とりあえず、今お前らが俺らの話をぶった切って部屋を出て行く必要はねぇよ」


「ってことは……」


 無事だった、ということだろうか。無傷ということではないだろうが、もし命に関わるような怪我をしているのであれば、こんな言い回しはしないだろう。

 もし彼らが嘘を吐いているのだとしても、ステラが大人しくしている筈がない。今この場にステラが居ないのは、彼に付き添っているからだと考えれば、納得がいく。


「……わかりました。今は、貴方達の話を聞くことを優先します」


「助かる。なにせ話しておくべきことが多いのでな」


 ラクアが大人しくベッドに座りなおすと、リアもそれに倣った。ラクアが良しと判断したならそれが正しいのだろう、という考え方をするのがリアだ。


「さて、君は先程、彼女の両親は人間だと言ったが、父君に関して言えばそれは違う。無論、化け物だと言うつもりもないが……、彼は、彼女と同じく戦士族ベラトールだったんだ」


「ああ、なるほど……、つまり、リアの遠い先祖のうちの誰かが化け物と交配したから、その子孫であるリア達は皆その血を引いた戦士族ベラトールってことですね? 化け物と交配した人が居るっていうのは、ちょっと信じられませんけど……」


「君が想像しているのは自然交配だと思うが、そうではない。戦士族ベラトール魔族マグスが誕生したのは人為的な遺伝子操作によるものだ。まぁ、その辺りは後々知る機会もあるだろう、今は割愛させてくれ。――話を戻すが、君たちが人間で無いとする理由は幾つかある。一つは、その髪や瞳の色だ。君たちはよく知っていることだろうが、人間の髪色は黒髪黒目、それ以外にはない。だからこそ君たちは、周囲に溶け込むために髪を染めていたのだろう?」


 その通りだった。幼い頃、髪を染めるように勧めてくれたのはステラだ。植物を煮詰めて作った染料は水で簡単に落ちてしまうような粗末なものだが、それでも、周囲の奇異の目を少しでも和らげてくれるだけの効果はあった。


「そして、もう一つが異能――君たちはそれぞれ、人間が持ち得ない力を持っている。戦士族ベラトールは、先程言ったように強靭な肉体や治癒力を。魔族マグスは魔術と呼ばれる、自然現象を人為的に操作する力を、正確には、それを成す精霊を従えるための要素、〝源素〟を体内に有している。君が気を失ったのは、その源素を私に譲渡した為だ。その節はすまなかったな」


「ええと……、渡した実感が無いので何とも言えないんですけど、源素は無くなるとまずいってことはわかりました」


「源素は生命力を変換したものだからな、使い過ぎれば命に関わる」


「……ってことは、さっきは貴方に殺されかけたってことですか?」


「……流石にそこまではしない。鵺族キマイラを倒すのに、私一人の源素では足りそうに無かったのでな、やむを得ず徴収させて貰っただけだ」


 苦々しく言ったウォレアは、咳払いをして話を続ける。


「ちなみに原種返りと言うのは、先祖返りと似たようなものでな。一時的にそれぞれの元になった原種オリジナルのようになってしまうことを指す。これについてはまだ原因究明の最中ではあるが、恐らく危機的状況に陥った際、防衛本能によって引き起こされるのではないかと言われている」


「……確かに、それなら今回の事も辻褄が合いますね」


「まぁ、原種返りを発症する者は少なくない。危機が去って気持ちが落ち着くか、一度気絶すれば元に戻る一過性のものだ。発症者の扱いには少々手を焼くことになるがな」


「? あたしどんな風になってたの?」


 きょとんとするリアに、ラクアは苦笑を返すしかなかった。覚えていないのは幸か不幸か、ラクアには断ずることが出来ない。


「さて、君たちの疑問に関してはこんなところか、そろそろ本題に入ろう。――我々は、とある筋からの依頼で君たちを――、正確には、ラクア・ベルガモットを迎えに来た」


「迎えにって、どこから……?」


「そうだな、此処に住む君たちの目線に立って言うのであれば、雲の上、と表現するのが分かり易いだろうか。……別に天界人だなどと言っている訳ではないぞ? 此処から見えているあの雲は層雲と言って、低地に出来る雲だからな」


 雲の上、と聞いた時点で怪訝な顔をしたラクアに、ウォレアが何を言われる前に付け加えた。


「河に下りるのとは逆側に、上に伸びる崖があるだろう? あの上にも人が住んでいる。今は仮に〝一段目〟と呼ぼう。一段目は此処とは違い、魔族マグス戦士族ベラトールが数多く存在している。行けばわかるだろうが、君たちが此処で受けてきたであろう扱いは、一段目では有り得ないことだ。一段目では、魔族マグス戦士族ベラトールは人間よりも優遇されている。君たちにとっても住み良い環境であることは間違いない」


「へぇ~! あたしたちみたいな人が他にも居るんだ! そんな場所があったんだ!」


 目を輝かせて話に食いつくリア。ラクアもそこまで分かり易い反応はせずとも、ウォレアの話に心惹かれるものがあった。


「そして何より、魔族マグス戦士族ベラトールに必要な教育体制が整っている。此処にも学舎はあると聞いているが、あくまでも人間の為のものだろう? 一段目には、魔族マグス戦士族ベラトール専門の学院がある。そこでなら、君たちが持て余していた力を正しく使う術を学ぶことも出来る筈だ。我々は、君にそこへ入学するよう言いに来た」


「それが本当なら、願ってもないことですけど……、意図がわかりません。貴方達に俺を迎えにくるよう指示したのは誰なんですか?」


「……悪いがそれは言えない、守秘義務があるのでな」


「ならその話が、無知な俺を騙して利用するためのものでないという証拠の提示をお願いします」


 浮つきそうになる心を抑えて、ラクアはウォレアを睨んだ。その反応に、ウォレアが面食らう。


「――なるほど、これまで随分と苦労をしてきた様だな。確かに君にとっても美味しい話だ、疑うのも無理はない」


「えぇ~? 行こうよラクア、こんなチャンスそうそう無いよ!」


「……援護射撃は有難ぇけどよ、お前を連れて行くとは言ってねーぞ、嬢ちゃん」


「えっ」


 ラクアの肩を掴んで揺さぶっていたリアは、呆れた様子のバレッドの言葉に固まった。


「ウォレアがさっき言っただろうが。俺達はその坊主を迎えに来るよう言われただけで、お前のことは何にも聞いてねーの! お前をどうするかは俺達の一存じゃ決めらんねーし、一旦保留だな」


「そっ、そんなぁ……!」


 が~ん、と擬音が聞こえてきそうな勢いで、ショックを受けたリアはベッドに突っ伏す。

 その様子を横目で見ていたラクアは、


「リアが行けないのなら、俺も行きません」


 キッパリとそう言った。

 これには流石に、ウォレアだけでなくバレッドも困惑する。


「おいおい、なんでそうなんだよ?」


「一段目が良い場所なのはわかりました。だからこそ、此処にリアを一人残して行くつもりはありません」


 血が繋がっていないとはいえ、ラクアにとって、リアは大切な家族だ。

 否、血が繋がっていないからこそ、ラクアがリア達サテライト家に感じている恩は、並々ならぬものがあった。

 その恩人を誹謗中傷の渦巻く地獄に置き去りにして、一人楽園に行く事など出来る筈がない。傍に居るからといって、それがリアにとってどれだけの助けになるかはラクアにはわからないが、ラクア自身の気持ちの問題だ。


「ラクア、あたしは別に大丈夫だよ?」


 一方で、リアはそんなラクアの心は露知らず。


「俺が行きたくないんだよ」


「どして? もしかして夜一人で寝るのが寂しいから?」


「それはお前だろ!!」


「はいはい仲良き事は美しいな。……んで、どーすんだよ?」


「だから俺は行きませ――」


「お前に聞いたんじゃねぇ」


 ラクアの言葉を遮ったバレッドは、確かにラクアの方を向いてはいなかった。その目は、難しい顔で黙り込んでいるウォレアを映している。


「……少年、彼女が共に入学出来るのであれば、君は一段目に来ることを受け入れるのだな?」


「まぁ……、でも、おじさんやおばさんとも相談しないと……」


「そちらの了承は既に得てある。――では、我々は一度、彼女の処遇についての判断を上に仰いで来るとしよう。後日、その結果の報告も含め、改めて伺わせて貰う」


「おいおい、ここまで来て手ぶらで帰んのかよ?」


 ウォレアの決断に、バレッドが心底不満げな顔をして言った。


「結果がどうあれ結局は――」


「我々が彼らにしてやれる事が他にあるか?」


 何やら悲痛な顔で言葉を被せたウォレアに、バレッドが口ごもる。

 その心境がわからないリアとラクアは、揃って首を傾げた。そんな二人に、ウォレアが向き直る。


「用件は以上だ。……最後に、話す順序をこちらの都合の良いように操作したことを詫びよう。すまなかった」


「……? どういう事ですか?」


 ウォレアは黙したまま、部屋の扉を開けた。そこにあったのは、憔悴した様子のステラの姿。


「ママ……? どうしたの?」


「リア……ッ!!」


 ステラは震える声で娘の名を呼ぶと、倒れこむようにしてリアに縋りついた。

 日頃、穏やかに笑う彼女の姿しか知らないリアは、自分に縋りつくように抱きついて体を震わせるステラに狼狽する。説明を求めても、返答は無い。


 困惑したのはラクアも同じだった。泣きながらリアを抱きしめるステラの姿を見て、次々に疑問が噴出する。


 ずっと扉の向こうで待っていたのか? 何の為に? この場に混ざっても不都合は無いだろうに、それをしなかったのは何でだ? そもそも……、


 そもそも、おじさんに付き添っていたんじゃなかったのか?


 ラクアは、それまで〝恐らくはこういうことなのだろう〟と勝手に決め付けていたものが――ステラがこの場に居ないのは、負傷した夫の傍に居るからだという認識が、徐々に崩れていくのを感じていた。


 リアも危ない目には遭った、怪我をしたことや原種返りを起こしたことを心配していたからこその反応、という可能性もあるだろう。

 だが、既にステラはリアの容態を知っていた筈だ。ウォレアは先程の説明の中で、ステラと話をしたという旨の発言をしている。恐らくは、負傷した自分たちをここへ運んできた時のことだろう。であればその時に、ステラはリアの無事を確認しているはずだ。その上で、あそこまで取り乱すのは不自然ではないだろうか。


 つまり、彼女が今泣いている理由は、リアに由来するものではない。当然、自分のことでもないだろう。


 ラクアは恐る恐る、扉の脇に立つウォレアの方を向いた。

 

「……おじさんは、無事だったんじゃないんですか……?」


 縋るような、或いは責めるような響きを持ったその言葉に、ウォレアは目を伏せて淡々と答える。


「――私は、無事だったとは一度も言っていない」


 ラクアの気持ちを切り捨てるかのような、非情な一言。

 それは、ラクアに現状の認識を正させるには十分なものだった。


「確認を取ってあるって……、急いで見に行く必要は無いっていうのは……」


 大した怪我ではないから、――ではなく、

 

「君が察しているであろう通りだ。――死んでいる以上、君たちが駆けつけたところで意味はない」


 ラクアの胸中の絶望を、ウォレアが言葉にして告げた。



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