13-② 知る者達の闘い
「んっまーい! このケーキ超おいしい!」
ラクアが見つめた遥か先。今日も雨の降り止まぬ下段の地で、そんな声が一軒の家から上がる。
それはかつてリアとラクアが共に生活していた場所であり、二人が座っていた場所には今、別の少女が座っていた。
歳は恐らくリアやラクアと同程度で、体もまだまだ発育の途中といった具合。顔立ちは目尻と眉尻が上がり気味で、見る者に勝気そうな印象を与えている。
長い黒髪は真っ直ぐ腰の辺りまで伸びており、その半分を二本の毛束に分け、両サイドで縛ったハーフアップにしている。
服装は、下段の者の大半が同じであろう、質素なシャツとジーンズパンツだ。
そんな少女は現在リアに負けず劣らずの勢いで、ドライフルーツのたっぷり入ったケーキを頬張っていた。
その食べっぷりや賞賛を見聞きしていたステラは、嬉しそうに微笑みながら、対面の椅子に腰を下ろす。
「アイツらいっつもこんな美味しいもん食べてたの? ずるい!」
「ふふ、気に入ってもらえてよかったわ。材料はどこでだって手に入るものしか使っていないから、よかったら作り方を教えましょうか?」
「んー、教えて貰ったってどうせ作らないしなぁー。ボク料理とかそういうのしたことないし」
「あら、ならこれを機に練習してみたらどうかしら? きっと私より上手くなるわ」
「えぇ~? いいよそんなの、食べたくなったらまた来ればいいんだし」
空になった小皿に新しい一切れを取り分けて、尚も食べ続ける少女。
それに小さく笑ってから、ステラは視線を机に落とし、「ところで」と話題を変える。
「今それぞれの状況がどうなっているのか、聞かせて貰ってもいい?」
少女はケーキを咀嚼し終えてから、それに答える。
「自分で言うのも癪だけど、ボクはただの小間使いの下っ端だから、大したことは聞いてないよ?」
「それでもいいの。……今までは、ただ平穏無事に暮らせるのなら、他のことなんてどうだって良かった。でも、その結果がこれだわ。最初から無関係で居られる筈も無かったのに、ずっと目を背け続けてきたことで、あの人を……あの子たちすらも奪われてしまった」
ステラはそれぞれとの別れの時を思い出して、悲しそうに、悔しそうに目を細めた。
「今更遅いのかもしれないけれど、私に出来る事を考えたいの。その為に、少しでもいいから、現状を把握しておきたい」
お願い、と頼まれた少女は、持ちうる情報を頭の中で整理して、それに応える。
「えっとね、じゃあまず聖国の奴らだけど~、一段目に潜入して以降、特に目立った報告はナシ。まぁまだそんなに日も経ってないし、現国王陛下と接触するのも、おばさんを記憶喪失たらしめてる方法を解明するのも、当分先になるんじゃないかな。だから、おばさんの嘘がバレるのにもまだ時間がかかると思う。安心してていーよ」
「そう……。ごめんなさいね、私の勝手に付き合わせて、貴方達にまで嘘を言わせて」
「そこはお互い様じゃない? こっちもアイツらの手は借りたいし、その為におばさんを利用してるようなもんなんだし」
「なら良いんだけれど。他には?」
「ボクたちのところもさほど進展は無いかな~、聖国の奴らと違って顔が割れてる以上、大半は一段目には行けないし。あいつらがやってくれてる実証実験の結果を受けて、コレの改良を進めてるところ」
少女は懐から掌大の黒い立方体を取り出して、ステラに見せた。
それを見たステラが沈痛な面持ちになったのを見て、
「ああ、ごめんごめん。おばさんにとっては、あんま見たいもんじゃないよね」
と、少女は慌てて元の場所へ戻す。
その箱の正体を、その箱が何に使うものなのかを、彼女らに聞かされて知っているステラは、
「……貴方も皆も、そのやり方に納得してるのね」
問いかけではなく、ただその事実を確認する意味で言った。
少女は何の後ろめたさもなく、ただほんの少し自嘲気味に笑いながら、
「おばさんからしたら、ボクたちも悪者かな?」
そんなことを言う。対してステラは、何も返せなかった。
少女は脱線しかけていた話を戻そうと口を開いたが、その先の言葉は、荒々しく開け放たれた扉の音にかき消される。
何事かと二人が揃ってリビングを出て玄関に向かうと、数人の男達が狭い玄関に並んでいた。
皆フード付きのコートを羽織ってはいるが、雨具としては機能していないようで、水を含んで重くなってしまっているそれを不快そうに脱ぎ捨てている。
「……ノックも無しに入って来られるのは、流石に困ります」
ステラはそんな男達の先頭に立つ一人を睨みつけながら言った。
うねった黒い髪を前髪ごと後ろに流して、一つに縛っている無精髭面の相手は、嘲笑を含んで返す。
「それは悪かった。叩くと壊れそうに見えたんで、俺なりに気を遣ったつもりだったんだがな」
ここでいちいち腹を立てていても、相手を悦ばせるだけだと知っているステラは、不快感を溜息と共に吐き出した。
「そうですか。それで、何の御用でしょうか?」
「ここで話せるほど短い用じゃあないんでな、上がらせてもらうぞ」
許可を待たずズカズカと家に上がり込んだ男は、ステラの隣にいる少女に目を留めた。
「他にもまだ子供が居たのか?」
「いいえ、この子はただの私のお友達ですよ。独り身になって寂しがっている私の相手をしてくれているんです」
「どっちにしろ今この場には不用だ、帰らせろ」
ステラは少女にどうするかを目で問う。少女は少し悩んでから、
「なんだかお邪魔みたいだから、ボクとのお話はまた今度ね! ケーキご馳走様!」
にこやかにそう言って、潔く撤退した。
その少女と反対に次々に入ってくる男達を、ステラが制する。
「そんなに沢山おもてなし出来ません、入るのは必要最低限の方だけにして下さい」
「ほう? 残りは外で雨ざらしになって待っていろと?」
「それが嫌だというのなら日を改めてはどうですか? その時は、この狭い家の面積を考慮した人数でお願いしますね」
臆することなく言うステラに、男はつまらなさそうに舌打ちをした。
そして男達の中では比較的若い、礼儀正しそうな青年を指名して、後の者は下がらせる。
「これで話を聞く気になったか?」
「ええ、少しは」
ステラは二人をリビングに通し、一度机の上を片付けてから、二人分の紅茶とケーキを出した。
「なんだこれは?」
「さっきの子に振舞っていた分の余りです。貴方たちが突然押しかけてきたものですから、他にお出し出来るものもありませんので」
「下段の連中は客に残飯を出すのか?」
「まさか、お客様にはお出ししませんよ」
ステラの物言いに、男の隣に座った青年が笑いを零した。
きょとんとした顔のステラと、不愉快そうな男の視線を受けて、青年が笑い顔のまま言う。
「すみません、あまりにも素敵な返しだったのでつい」
「気が合うようで何よりだ、いっそ下段に住むか?」
「いえいえ、私は帰るべき場所がありますので」
ステラはその青年の顔に見覚えがあった。
ステラが夫を失ったあの時、数少ない遺品を届けに来てくれたのは彼だ。
「確かイアンくん、だったかしら?」
「ええ、覚えていてくださって光栄です。今回は貴方にお届けしたいものがあったので、彼に随行させていただきました」
首を傾げるステラの前に、イアンは二枚の封筒を差し出した。
シンプルなその封筒に、それぞれの送り主の名が綴られている。
ステラはその名前を見て顔を綻ばせた。
「本当に届けてくれたのね、有難う」
「どういたしまして。中は彼と共に検めさせていただきましたが」
しれっと言うイアンに、彼に好感を抱いていたステラの表情が曇る。
「……それで、貴方たちが期待していたようなことは書いてありましたか?」
「いえ、特に何も」
「そうでしょうね、あの子たちは本当に何も知りませんから」
「それを見極めるのは俺達であって、お前の意見はどうでもいい。お前に聞きたいのは別のことだ。 ――あの戦士族の男はどうやって連れ込んだ?」
それが今日の彼らの用件なのだろう。だが、それを理解した上で、ステラは口を閉ざした。相手はその様子を鼻で笑う。
「黙秘を貫くつもりなら、こちらにも考えがある。何も知らない無関係の子供を傷つけたくないのなら、早々に口を割った方が賢明だぞ」
「……あの子たちに何かするつもりですか?」
「何もしないさ、お前が素直に全て話せばな」
「本当に嫌な人ですね、貴方は。そんな事をして心は痛まないんですか?」
「良心に訴えかける作戦ならやめておけ、貴様のような聖人は、少なくとも我々の中には居ない」
その言葉通り、ステラの言葉など毛ほども痛くは無いといった様子の相手に、ステラは苛立ちと悔しさを感じて拳を握り締めた。
そして僅かな逡巡の後、口を開く。
「別に連れ込んだわけじゃありません。あの人は自分で逃げてきたんです、どうやって逃げてきたのかは私も知りません」
「ほう? なら、そんな不審な男を十数年も匿っていた理由は何だ?」
「境遇に同情しただけです。彼がどれだけ可哀想な人か、貴方ならよく分かるでしょう?」
「いいや全く分からんな。可哀想なのは、そんな同情心だけで子供まで産んだ偽善の塊である貴様の方だと思うが」
「私はあの人のことも、あの子達のことも愛しているわ!!」
席を立ち声を荒げたステラに、男は盛大に笑う。
「あの男の正体を知っていながらそれでも愛したと!? 正気の沙汰とは思えんな! お前がそんな頭のイカれた女だと最初から知っていれば、こちらで歓迎してやったんだが」
「お断りです。私が伴侶とするのは、生涯あの人だけですもの。……聞きたいことはそれだけでしょうか?」
ひとしきり笑った男は、話を終わらせようとするステラを制する。
「まだだ。あの男はどこに居る?」
「それは私の方が知りたいです、随分と前から連絡すら取っていませんから」
「あくまでシラを切るつもりか?」
「私は本当のことしか言っていません」
真っ直ぐ目を見つめて言うステラに、男は話をずっと黙って聞いていたイアンへと目配せする。
イアンは静かに立ち上がってステラの背後に回ると、警戒して距離を取ろうとした彼女を素早く捕らえ、その首元に抜き身のナイフを当てた。
その場の空気が、一瞬にして張り詰める。
ステラは恐怖を声に滲ませないよう、努めて冷静な口調で言った。
「私を殺したところで、何にもなりませんよ?」
「それは生かしておいても同じ事だ。何の役にも立たない上に、生意気に反抗ばかりする恩知らずどもは処分しておいたほうがいい、見せしめにもなるだろうからな」
「そうやって誰も彼もを犠牲にしてまで、貴方が得ようとしているものは何なのですか?」
ステラと男は、決して考えの一致することのない相手を、哀れみの目で見つめる。
「決まっている、俺の幸せだよ。 ――そしてその幸せに、お前は必要ない」
やれ、と短く男が指示を出す。イアンが手に持つナイフでステラの首元を裂こうとしたその瞬間――
「っ、!?」
突然、イアンの鼻先を何かが横切った。




