12.上級生たち
パパが死んだって聞かされて、あたしはそれをすぐに受け入れられなかった。
信じられなかった訳じゃなかったけど、あまりにも唐突過ぎて、実感が湧かなくて。
いつかひょっこり帰ってくる――そう思う気持ちの方が大きかった。
それでも、一日経って、二日三日、一週間一ヶ月が経った頃には、流石に理解した。
パパがこんなに長い間帰ってこないことなんて、あたしが生まれてから一度だって無かったから。
ああ、もう戻ってこないんだって、相変わらず漠然とだけど、あたしはラクアやママより遅れてそれを実感した。
実感したけど……、それでも、やっぱりまだ、心のどこかで思ってしまう。
パパはきっと死んでなんていなくって――、
――あたしがピンチになったら、きっと助けに来てくれるんだって。
*
時刻は、フィアが付き人から連絡を受ける少し前。
「いっ……たたた……」
転がされるがままに崖下へ落下したリアは、切り傷と葉っぱに塗れた身体を起こしながら呟いた。
落ちた衝撃でまだ頭が揺れているし、地面に打ち付けられた身体はあちこち痛むが、四肢はきちんと自分の意思に従って動いている。折れてはいないようだ。
「た、助かったぁ……、ほんとに死んじゃうかと思った……。でも……」
リアは先ほどまで自分が居た場所を見上げた。だが、空を覆うように生えている木々の葉が視界を塞いでいる。
落ちてから暫く気絶していたのだろうか、周囲は最後に見た時よりも薄暗くなっていた。
「ラクアーっ! マルナちゃん、オリバーくん、レマちゃん! 聞こえるー!?」
あらん限りの大声で呼んでも、返ってくるのは静寂だった。
なんとか自力で登れはしないかと崖際に手をついてみるが、崖は上に行くにつれ外側に反り返っている形状。これでは登っていったとしても、途中で重力に負けて落ちてしまうだろう。
「どうしよ……、――あ、そうだ、信号弾!」
こういう時のためのものだよね~! とリアは懐をまさぐったが、そこに目当てのものはなかった。
あれ? という顔で諦め悪く尚も手を動かすが、拳銃はどこにもない。
「うそ……なんで……? もしかして落とした……?」
あれだけ転がっていれば落としてしまうのも無理はない。だがそうなれば、どうやって助けを求めればいいのか。
焦り始めたリアの耳に、何かが蠢く音が聞こえた。
緊張の面持ちでじっと見つめるその先、がさがさと草むらを分け入って、姿を現したのは一匹の亀――というか、亀に似た魔獣だった。
甲羅に鋭利なトゲが無数に生えていることを除けば普通のリクガメのような見た目だが、サイズが違う。その全長は、二メートルほどもありそうな巨躯。
そんな亀型の魔獣は、リアを視界に捉えてのそりのそりと近付いて来る。
満身創痍なこの状態で戦うことは避けたほうがいいだろう。相手との距離はさほど近くはないし、あの鈍い足並みであれば逃げることは容易いはず。
そう思ってリアはくるりと亀に背を向けた。
瞬間、
「グオォォォオオオォォオォオオオ!」
「ひやぁっ!?」
とても亀とは思えないような咆哮を挙げて、魔獣はドシンドシンと足音を響かせながら突進してきた。
首を長く伸ばして、道を阻む木の幹を噛み砕いていく。
魔獣が一歩踏み出すたびに地面からその振動が伝わって、リアの身体を揺らした。
倒れてゆく幾本もの木々と肉迫する魔獣を見たリアは、真っ青になって駆け出す。
「なっ、なにあれなにあれなにあれ!? 誰か助けて~ッ!!」
後ろから追って来ているのを音と振動で感じながら、あてもなく森の中を全力疾走。
だが距離はなかなか開けず、魔獣はぴったりとリアの後ろを付きまとう。
どこか隠れる場所はないものかと、必死に辺りに目を凝らしながら走っていると、やがて一つの小さな洞穴を見つけた。
魔獣が木々に噛み付いて目を逸す僅かな隙に、リアは洞穴へと身を滑り込ませる。なるべく奥まで逃げ込んで、リアは祈るように指を組んだ。
気付かれませんように――何度も胸中で叫んだその願いが届いたのか、魔獣の足音は洞穴のすぐ傍まできて、息を潜めるリアには気付かぬまま、忙しなく遠ざかっていった。
それを聞きながら、リアは息を吐き出す。
「な、なんだったの今の……、っていうか、ここどこだろ……?」
洞穴からゆっくりと顔を出して周囲を伺う。なぎ倒された木々が道をつくってくれているので、それを辿れば元の場所には戻れそうだ。
だが先ほどの恐怖体験のせいで今すぐに外に出る気にはなれず、リアは再び洞穴の奥へと身体を戻す。
外は既に陽が沈み始めて、景色は夕暮れから夜へと変わろうとしていた。暗がりの苦手なリアは小さく身震いする。
遊歩道も休憩所らしきものも近くには見当たらず、外灯すらない。これではそのうち真っ暗闇になってしまうだろう。
(せめてラクアが傍に居てくれたらなぁ……)
それなら手強い獣も暗闇も、これほど怖くはないのに。
期待を込めて外を見つめても、彼はやってこない。
リアにとってラクアは、小さな頃から護るべき対象だった。気弱で貧弱ですぐに誰かに虐められてしまうような彼を、幼心に護らなければと思ったことを覚えている。
そしてそんな彼が居るからこそ、己は強く居られるのだとも知っていた。彼が居なければ、自分もただ虐められて縮こまってしまうような少女になっていただろう。元々のリアの気質も、どちらかと言えば彼と似たようなものだったのだから。
(――って、ここで泣き言言ってても駄目だよね。ラクアも心配してるだろうし……)
リアは帰りを待つ人が居るという気持ちだけで己を奮い立たせ、意を決して洞穴から這い出た。
目に見える範囲に、あの魔獣の姿はない。
慎重に、かつ迅速に、と胸中で唱えながら、とりあえず崖の近くまで戻ろうと駆け出したリアは、
「グオォォォオオオォォオォオオオ!」
「ひゃあああああああああ!?」
再び轟いた魔獣の咆哮と、地面を奮わせた謎の衝撃によって、吹き飛ばされてしまった。
地面に叩きつけられた身体は数回バウンドした後、木の幹にぶつかって止まる。
「痛……っ! なに、何が起きたの……!?」
痛む身体を起こして元居た場所を見てみれば、魔獣の足元に巨大なクレーターが出来ていた。
「ま……まさか上から落ちてきたとか……?」
型破りなことをやってのける魔獣に恐れ戦いている間に、魔獣はリアに突進。
避けなければ、と思う意思に反して、痛めつけられたばかりの身体は言う事をきかない。
「ちょ……っ、待って、待っ――!」
願い虚しく、魔獣は転がったままのリアの身体を容赦なく蹴り飛ばした。
再び遥か後方へと吹き飛んだリアは、やはり木に衝突して止まる。
二度、いや、崖から落ちたことも含めれば三度も地面や幹に打ち付けられた身体は、頑丈な制服の効果も最早期待出来ぬほどに痛んでいた。
もう起き上がることすらままならない。満身創痍のリアの耳に、ズシン、ズシンと魔獣の足音が響いてくる。
「や……やだ……、やだよ……もうやめて……」
これ以上攻撃が続けば、流石に戦士族の身体といえど耐え切れない。
痛みの度合いから、本能的にそれを感じ取ったリアは恐怖に震える声で嘆願するが、魔獣にはその心も、言葉すらも伝わらない。
「――ッ! 助けてパパ、パパ……!」
リアは、ずっと堪えていたものを吐き出すように呟いた。
その相手が、もうこの世に居ないことはわかっている。助けに来てくれないことも――助けに来たくても、来れないのだということも。
それでも、リアにはその人しか、縋る相手が居なかった。
自分が知る中で、唯一、自分を護ってくれた人。自分より強い人。
自分が危ない目に遭った時は、いつも駆けつけてくれた、優しくて大好きな父親。
「助けてよぉ……っ!!」
魔獣がすぐそこまで迫ってきても、リアは壊れた機械のように、同じ言葉を繰り返すだけ。
ただ来る筈のない助けが来る事を願って、喚き散らすことしか出来なかった。
そんなリアの絶望を――
「最後の一体み~~~~っけ!」
場にそぐわない軽快な声と、大剣による一撃が吹き飛ばす。
「グオォォォオオオォォオォオオオ!」
「へ……っ」
また咆哮。だが、今度のそれは痛みに呻く叫び声だ。
瞬きのうちに数十メートル右へ吹き飛んでいった魔獣に唖然とするリアの目の前に、声の主が姿を現す。
リアと同じく学院の制服に身を包んだ相手は、クセのある赤褐色の髪と、夕陽のような色の瞳を持つ青年だった。フリルタイの色は赤色だが、リアの知るクラスメイトとは違う。
「だ、誰……?」
追撃の為か、振るったばかりの大剣を構えなおした青年は、その声でリアに気付いたようだ。
傷だらけで地面に倒れているリアを見下ろして、ぎょっと目を剥く。
「えっ、誰!? どうしたのこんなところで!?」
どうやら相手もリアを知らないらしい。
青年は詳しく事情を聞こうとしたが、怒り狂った魔獣の雄叫びが邪魔をする。
「ごめん、ちょっと待っててね、先にあいつを倒さなきゃいけないから」
青年はそれだけ言うと、物凄いスピードで、魔獣の飛んでいった方角へと消えた。
一瞬の静寂の後、森の中に、魔獣の断末魔が響き渡る。聞くに堪えないその声に、リアは思わず耳を塞いだ。
やがてそれが治まると、魔獣の血に塗れた青年が戻ってきた。手に持っている大剣から滴り落ちる血が、あまりにも生々しい。
その姿に恐怖を覚えたリアは、傍に膝をついた青年にビクリと身体を震わせたが、
「大丈夫? あの怖い魔獣はやっつけたから、もう安心していいよ」
怖かったねと、その心境を気遣うようにかけられる言葉と、頭を撫ぜる手はとても優しくて――
「……、……ぅ、うぅ……っ」
「えっ、あれ、待ってどしたの? もしかして俺の方が怖かった?」
全く見当違いなことを言って慌てるその言葉すら、どこか居なくなった父の面影を感じさせて、リアは決壊した堤防のように涙を溢れさせた。




