9-② 精霊の逸話
「もう駄目だ、疲れた!」
リアが保健室で、事のあらましを説明していたその頃。
教室での座学を終え、こちらも恒例のランニングに励んでいたラクアは、学院敷地内を一周したところで走るのを止めた。
並んで走っていたナイゼルも、それに合わせて歩調を緩める。
「今日もかい? 毎日少しずつでも距離を伸ばしていかないと」
「一応伸びてるんだぞ、昨日はもうちょっと手前で終わってた」
ラクアはやや後ろにある花壇を指差しながら言ったが、ナイゼルはその言い分を却下。
「そんな少しの差異は伸びたうちには入らないよ、昨日が一周だったなら今日は二周、明日は三周、くらいの勢いでやらないと、いつまで経っても源素切れに悩まされ続けるよ」
「それはわかってるんだけどな……」
敷地内のランニングは、赤組と白組戦科、それから青組の生徒が、授業終わりに行う日課のトレーニングだ。
赤組や白組戦科のように日頃から身体を動かしている者にとっては大した苦にもならないが、普段座学ばかりの青組にとってはそうではない。特にラクアはそれが顕著に現れている。
そもそも身体能力を伸ばす必要のない青組がなぜランニングに励んでいるのかと言えば、魔術を扱う上で体力が必要となるからだ。
厳密に言えば必要なのは源素なのだが、魔族が体内に溜めておける源素の量には上限があり、これを増やすことは出来ない。それを上回って消費しようとすれば、体力が源素に変換され術者は疲弊してしまい、最悪の場合は死に至る訳だが、術者が体力に長けていればその限りではない。
即ち体力をつけることが、結果的には体内の源素を増やすことに繋がるのだ。
ラクアは初日にその話を聞いていたので、ランニングを行うことに対して一切の不満はないのだが、頭が乗り気でも身体がそれについて来てくれる訳ではない。
ラクアはそれでもなんとか足を前に進めようしたが、数百メートル進んだところで体力が底をついた。
「悪い、今日はこれが限界だ……」
「うーん……、まぁ、無理をし過ぎて倒れてしまっては本末転倒だからね、仕方ない。――それじゃあ、僕はもう少しだけ走ってくるから、先に寮で休んでいてくれ」
「ああ、わかった……」
ラクアはナイゼルを見送って、寮へと足を向けてよろよろと歩き出す。疲れ果てた身体では寮までの道程すら億劫だが、道端で倒れる訳にもいかない。
一度軽く休憩を取ろうと、中庭のベンチに腰掛けて息を吐くと、更に疲労感が押し寄せてきた。その虚ろな視線の先では、未だ多くの生徒たちがランニングを続けている。
ラクアはそれを眺めながら、己の体力の無さに気落ちして項垂れた。
そこへ、一人の少女がやって来る。
「……あ」
それは入学初日の実技テストの際にラクアを助けた、白い髪の魔族生徒だった。
相手はラクアが座っているのとは別のベンチに腰掛けると、携えていた本を開いて読み始める。
「あ、あの」
声をかけるべきか悩んだが、彼女が本に没頭してしまってからでは余計に気が悪い。
少女はゆっくりと顔を上げて、真っ直ぐにラクアを見つめ返した。
「なに?」
「えっと、前に俺、貴方に助けられたことがあって……、覚えてませんか? 実技テストの時なんですけど……」
少女は暫く考える素振りを見せて、
「……あ、思い出した。……大丈夫?」
そう返した。
最後の心配が何に対してなのかわからないラクアが首を傾げると、
「あの後」
そんな一言が付け足される。
「ああ! うん、大丈夫。有難う、その、助けてくれたことも」
「うん、どういたしまして」
つられて口調が砕けてしまったが、相手はさして気にした様子は無さそうだった。
短いやり取りを終え、少女は再び視線を本に戻すと、そこに綴られている文字を追い始める。ラクアもとりあえず礼が言いたかっただけなので、それ以上会話を続けようとはせず、静かに体力の回復を待った。
そうして二人の間に暫く穏やかな沈黙が流れたが、不意に少女が口を開く。
「原因、分かった?」
「え?」
「あの時の、風の精霊が暴れた原因」
「ああ……、まあ、原因は一応……」
魔術は基本的に、魔族が源素を精霊に与え、命令することによって発動するものだ。源素をエネルギー源としている精霊たちはそれによって活力を得て、食物など様々なものを生み出す。それを魔族が摂取することで再び源素が溜まり、それをまた精霊に与える、といった風に循環して関係が成り立っている。
だがラクアは下段での生活が長く、魔術を扱う機会も全くなかった。結果、源素は循環せずラクアの体内に温存され、彼の傍に居た精霊は飢えていった。
その結果、我慢の限界がきた精霊たちは、何も知らないラクアから源素を無理やり奪い取るという暴挙に出た――らしい。
下段でラクアの身に何かあった際に風が渦巻いていたのは、ラクアを餌場にしている精霊たちが、彼を護ろうとしていたからなのかもしれない。
実技テストのあの現象は、彼を独占したい風の精霊たちが、水の精霊を追い払おうとしたせいで起こったのだろうと、ウォレアは推論した。
「ただ、原因が分かっても、解決策がわからないとどうしようもなくて……」
下段のことは伏せて、原因をかいつまんで説明したラクアは、苦笑交じりに言った。
話を黙って聞いていた少女は、
「精霊に言うことを聞いて欲しいなら、貴方もそうしなきゃだめ」
本に視線を落としながら言った。
「知ってる? この世界の生き物は、元はみんな精霊の分身体だったんだよ。精霊は始めは自分達で源素を作り出して集めていたけど、より効率的にそれを行うために、源素生成に特化した身体を持つ分身を生み出して、その子たちに食べる物を与える代わりに源素を貰おうとしたの。――でも時が経って、その分身たちに自我が芽生えた。精霊の加護無しでは生きられなかった彼らは、やがて自分達の手で食物を育て始めて、それだけで生活出来るようになってしまった。そうなるともう源素を精霊に与える理由もなくなって、源素を生成するための機能も必要なくなった。進化の過程で、多くの分身体はその能力を失っていった。今でもそれが残っているのは、私達魔族のようなほんの僅かな存在だけ……」
フィアは今まで何の変化も見せなかった表情を少しだけ陰らせて、
「精霊たちにはもう自分で源素を生成する力はないの。長い間それを分身に任せていたせいで、彼らもその機能を失くしてしまって……、自業自得といえばそうだけど、自分達が生み出した存在なのに、その子たちに忘れられて見放されて、なんだかそれって、ちょっと可哀想」
切なげにそう語った。
「親に依存していた子供はやがて大人になって親元を離れていくけど、親は年老いて一人では生きていけなくなる。そんな感じ」
「なるほど、それはまぁ、確かにちょっと悲しいな。でも、だからって勝手に食料泥棒するのもどうなんだ?」
「それは良くない。でも、お互いに怒ってたって何も解決しない。〝互いに理解しようと努力し、手を取り合って前に進め〟って学長先生も言ってた」
「それって生徒間での話じゃないのか?」
「他人の話をどう受け取るかは個々人の自由」
「おーい、フィア様~、どこですか~?」
間延びした声が中庭に飛び込んできたかと思うと、少女が本を閉じて立ち上がった。どうやら呼ばれているのは彼女らしい。
「あ、居た居た。ちょっと目を離したらすぐ居なくなりますね」
呼んでいた方は、恐らくはラクアより上級生であろう戦士族の男子生徒だった。
肩まで伸びる茶色の髪が、外に向かってぴょんぴょんと跳ねている。
「でも、見つけてくれるから問題ない」
「いや問題ありまくりですよ、俺はなるべく離れるなって言われてるんですから」
「じゃあ頑張って」
「あれ、フィア様が離れないで居てくれるっていう選択肢はないんですか……?」
会話から察するに、彼女もまた高貴な身分の様だ。しかも今までの貴族生徒と違ってお付きの者まで居るらしい。
ラクアは彼に先ほどまでの態度を咎められるかと思い肝を冷やしたが、
「あ、君も新入生? 同じ青組なんだね~、フィア様のこと宜しくね」
一連のやり取りは聞いていなかったのか、はたまたそういった事に目くじらを立てる家柄ではないのか、にこやかにそう言われただけだった。




