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9.学院の日常

 リアとラクアが学院に入学してから、一週間が経過した。


 入学式や始業式といった祭事を終えたことで、学院はようやく平時の落ち着きを取り戻していた。

 だが新入生たちはその雰囲気をのんびりと堪能する暇もなく、新しい生活に順応すべく日々奔走している。


「わっ、たたっ!?」


 学院敷地内にあるグラウンドの一角では、そんな新入生らの一員であるリアをはじめ、一年赤組の生徒が授業に勤しんでいた。

 後ろによろめいて尻餅をついたリアに、ミーナが呆れる。


「ちょっと、これじゃ全然鍛錬にならないんだけど!?」


「うぅ……ごめん。でも、ミーナちゃん強すぎだよ~、もうちょっと優しく……」


「手ぇ抜いてたら意味ないでしょ!」


 今は素手による近接格闘術の練習を、二人一組で行っている。

 ペアであるミーナとリアは、先ほどからミーナの攻撃をリアがひたすら凌ぎ、最終的にはリアが押し負けて倒れることを繰り返していた。


 すっかりやる気を削がれて愚痴が多くなっているミーナを、リアが服についた砂汚れを叩き落としながら見つめる。


 ミーナとは入学以来この調子ではあるが、なんだかんだでリアは彼女と仲良くやれている方だ。ミーナの方も口で言うほどにはリアのことを嫌ってはいないようで、喋る回数も日に日に増えている。


 ただ、同室であるレマと彼女の仲は、初対面から変わらず険悪なままだった。

 リアとそうしているように、軽い口論で済んでいるのならまだいい。だが二人は初日のあの一件以来ろくに口もきかず、二人が揃って部屋にいる間は常に重苦しい空気を漂わせている。どちらとも仲良くしたいリアにとっては、居心地の良いものではない。


 だが、だからといってリアに出来ることは、せいぜい普段通り明るく振舞うことぐらいだった。

 なにせ「友人同士の不和」というものに、リアは全く縁がない。下段に居た頃は、仲違いを起こしているのはいつも自分自身で、友達と呼べる相手もラクアぐらいしか居なかったからだ。


 だから今こうして悩んでいること事態、かつてのリアにしてみれば喜ばしいことなのだが、実際にその立場になってみると喜んでばかりもいられず、現在のリアは胃と頭を痛める毎日だ。

 悩み事はラクアや母に相談するのが常だったが、母はもちろんラクアとも、授業が始まって以来ろくに話せていない。


「はぁ……」


「なに溜息吐いてんのよ、吐きたいのはこっちよ」


「ミーナちゃんも悪い子じゃあないんだけどなぁ……」


「はぁ?」


「もっ、もう無理だ!」


 と、別のペアから情けない声が上がって、リアとミーナは揃ってそちらを向いた。


「んだよ、テメーもかよ。どいつもこいつも話にならねぇな……」


 それはレオルグのペアで、音を上げたのはその相手をしている男子生徒だ。

 彼の相手は先ほどから数回入れ替わっていて、今度の相手もまた例に漏れず交代を申し出たが、喜んで生贄になろうとする者はもう居ない。


「相変わらず圧倒的ね……、強さは尊敬するけど、あれじゃただの野獣って感じ」


「ミーナちゃん相手してきたら?」


「はぁ!? 嫌よ! あんな化け物の相手なんてまっぴらゴメンだわ。そう言うアンタこそ、アイツに鍛えて貰ってきなさいよ」


「う~ん、それはちょっと……」


 自分が行っても、即地面に転がされて終わりだろう。そもそも、相手をしてくれるとは思えない。

 彼とは以前武器屋で軽く衝突したこともあったが、あの時は手を抜かれていたのだろう。ここ数日の彼の活躍ぶりを見ていたリアには、それがよく分かっていた。


「相手が居ねぇんじゃあ授業にならねーな、どうすんだよ教官」


 レオルグはグラウンドの端にあるベンチに寝転がって、生徒たちがやり合うのを眺めていたバレッドに問う。

 完全にだらけきっていたバレッドは「やれやれ」と立ち上がって、


「お前ら、そんくらいでへこたれてどーすんだよ? まだどこの骨が折れた訳でもねーんだろうがよ、最近の戦士族ベラトールは軟弱者ばっかりか?」


 生徒達に容赦なく言い放った。言われた方は皆釈然としない面持ちだが、返す言葉もないようで押し黙っている。


「アンタの言う通り腑抜けばっかりみてぇだな、ぬくぬくと温室で育ってきた奴らしか居ねーんだろうよ」


「おーおー、嘆かわしいなぁ」


「でも俺は違う」


 レオルグは胸倉を掴んでいた相手生徒を放して、バレッドの方へ歩み寄っていく。


「アンタはどうだ?〝教官のバレッドさん〟よ」


 レオルグは基本的に教官を教官とは呼ばない。オッサンだのロン毛だの眼鏡だの外見的特長を端的に表した不遜なあだ名で呼ぶことが殆どだ。

 だがどういう訳か、バレッドの事だけは教官と呼ぶ。

 それは敬愛というよりも、どこか馬鹿にしたようなニュアンスがあるが、詳しいことはリアや他の生徒達にはわからない。


「そんでお前はその残念な生徒たちの気概を全部吸い取ってんのか? やる気があんのは結構だけ――」


 バレッドが言い終わる前に、レオルグが間合いを詰めて拳を繰り出した。バレッドは上体を僅かに後ろに傾けてそれを避ける。

 レオルグは避けられると同時に、前に踏み出していた左足を素早く右足に踏み変えて、それを軸に拳を放った勢いのまま体を回転させた。自由になった左足は高く上げて、かかとで相手のこめかみを狙う。

 

 それを左腕で防いだバレッドは、動揺も怒りもなく、レオルグと同じように不敵な笑みを浮かべていた。


「おいおい、誰も相手してやるとは言ってねーだろ」


「てめぇの意見なんざハナから聞く気はねぇよ」


「そーかい。生意気盛りで結構だがな、生徒なら教官の言う事は聞くもんだぞ?」


「はっ、今のてめぇに敬うだけの価値がまだ残ってんなら聞いてやるよ!」


 レオルグは左足を地面に下ろして、今度は反対に身体を回す。右足のかかとでバレッドの足元を狙うが、それは空を切った。

 軽く上に跳んで避けたバレッドは、続け様に飛んで来た左手の拳を避けきれず、右脇腹に受ける。


「っおお、やるじゃねぇか」


「てめぇが弱くなっただけだろうが」


「そりゃ聞き捨てならねぇなぁ」


 僅かによろめいた身体を立て直して、


「しょーがねぇ、〝教師はナメられたら終わり〟ってアイツも言ってたしな」


 バレッドは静かに呟くと、漸くやる気になったのか、構えを取った。


「ここは一つ、お前らにバレッドせんせーの格好良い姿を見せてやるとするか」


「言ってろ。今のてめぇはコイツらと同じ、学院っつー温室を選んだ腑抜けだろうがよ!」


 レオルグが打ち出す拳を全て見切って躱したバレッドは、その腕を掴んで捻り上げる。

 レオルグは若干顔を歪めながらも、腕を掴まれた状態のまま無理矢理接近し、頭突きで対抗。

 腕を掴む手が僅かに緩んだ隙に抜け出し、「痛ってぇな」と笑うバレッドの腹を蹴り飛ばす。


「おぉっと?」


 ぐらついて後ろに傾いた相手の身体に、レオルグは容赦なく追い討ちをかけようとしたが、悪い笑みを浮かべたバレッドはその拳を掴んで自分の方へ引っ張り、無理やり己の転倒に巻き込むという荒業を見せる。

 地面に背中がついた瞬間、バレッドは両手で相手の襟首を掴んで、レオルグの腹を思いきり蹴り上げた。レオルグの身体は本人の意思とは関係なく上方向に反転して、バレッドの頭上を飛び越える。


 背中から地面に着地したレオルグはすぐに立ち上がったが、バレッドの方が早い。

 バレッドは上体だけ起こしたレオルグの鳩尾に拳を叩き入れ、顔面にも容赦なく同じものを喰らわせた。起き上がったばかりのレオルグの体が、再び後方へ突き飛ばされる。


「うわっ、痛そ~……」


 他の生徒達は自分達のやることを忘れて、その戦いに見入っていた。

 それはリアも同じで、バレッドの攻撃にそんな感想を漏らす。


 その痛い攻撃をモロに受けたレオルグの顔からは笑みが消えていた。口や鼻から血を流しながら、相手を射殺さんばかりに睨みつけている。

 対するバレッドは、尚も楽しそうに笑うだけ。


「どうした? 〝温室を選んだ腑抜け〟相手に、随分余裕が無さそうじゃねーか。お前も弱くなったんじゃねーの?」


「てめぇ……ッ!!」


 血を拭ったレオルグは尚も果敢に挑むが、バレッドは苦もなく攻撃をいなすと、トドメといわんばかりにかかとを相手の脳天に振り下ろした。


 地面に伏して沈黙したレオルグ。それと同時に、授業の終わりを告げるチャイムが鳴る。


「よーし、今日の授業はここまでー! いつも通り敷地内走ってから帰れよ~」


 バレッドは何事もなかったかのように、それだけ告げるとさっさと校舎へと帰っていった。

 倒れて動かないレオルグと、その光景を呆然と見ていた生徒達だけが、グラウンドに取り残される。


「えぇ……、どうしよう?」


「ま、授業は終わったんだし帰っていいでしょ」


「あいつはどーするの?」


「さぁ、ほっとけば? そのうち復活するだろうし」


 ミーナは生徒達の群れの中から抜け出して、バレッドに言われた通り敷地内のランニングを始めた。

 他の生徒達もそれに倣って、一人、二人とグラウンドを出て行く。


 リアは「流石にこの場に怪我人を放置するのは」という良心でレオルグを運ぼうとしたが、体格差故にリアが一人でそれを成すことは出来ず、


「えーっと……、あ、そうだ、保健室の先生呼んでくればいいんだ! 呼んでくるだけだからね! 置いていくわけじゃないからね!」


 誰も聞いていない中で弁解のような台詞を並べながら、校舎へと走るのだった。


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