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8.初日を終えて

 別棟で戦科の試験が終わった、ちょうどその頃。


「どうやら、残りのテストも無事に終わったみたいだね」


 途中で同クラスの女子生徒の輪に戻ったマルナを除き、昼食をすっかり平らげてだらだらと喋っていた四人は、徐々に増え始めた食堂の客の数に気付く。


「席が足りなくなるかもしれないから、僕らはそろそろ退散しようか」


「そうだな。この後ってまだ何かあるのか?」


「いいえ、今日の日程はこれで終わりの筈ですわよ」


「じゃあ、あたし一旦寮に戻ろうかなぁ。着替えたいしシャワーも浴びたいし……」


 未だ魔獣の血がこびりついたままの制服を見下ろしながら、リアが嘆息する。

 

わたくしも戻りますわ、荷解きを済ませておきませんと」


「あ、そっか、ロザリアちゃんたちは今日から寮に入るんだったよね」


「ああ。ラクアくんも、一度寮で睡眠をとっておいたほうがいいよ」


「わかった。っていうか、呼び捨てでいいぞ?」


「そうかい? じゃあそうしよう」


 今日あったことの諸々の礼を今一度述べるラクアと、何ということはないと笑うナイゼルを、リアが羨望の眼差しで見つめた。


「すっかり仲良しだなぁ~、ラクアが同世代の子とあんな風に喋ってるの、初めて見るよ」


「ナイゼルも楽しそうですわね、何よりですわ」


「ロザリアちゃんとナイゼルくんも仲良いの?」


「ええ、まぁ。元々、家同士で交流がありますから、彼とは産まれた時からの付き合いですの」


「ってことは幼馴染み? あたしとラクアと一緒だね!」


「そうですわね、貴方がたほど強い絆かどうかはわかりませんけれど、わたくしにとっては、彼はとても大切な友人ですわ」


「ナイゼルくんにとっても、きっとそうだよ! ねぇねぇ、あたしもロザリアちゃんと友達になりたいな!」


「へ? か、構いませんけれど……」


「やったー! じゃあロザリーちゃんって呼んでいい? ウォレアさんがそう呼んでたよね?」


 ぐいぐいと迫るリアと、それに押されているロザリアを見て、今度はラクアが、


「すっかり仲良しだな、リアが同世代の子とあんな風に喋ってるの、下段じゃろくに見なかったんだけど」


 先ほどリアが言ったのと似たような感想を漏らした。


「女性が仲睦まじくしている光景は、どんな宝石よりも美しく輝かしいものだね」


「ナイゼルってよくそういう台詞をさらっと言えるよな……」


「リアさん、ラクアさん!」


 呆れと尊敬の入り混じった言葉をラクアが呟くと、別のテーブルで昼食を食べ終えたらしいマルナが小走りで駆けて来る。

 どこか子犬を連想させるその愛らしい挙動に、名を呼ばれた二人はほっこりした。


「あの、今日お店にいらっしゃいますか? もし何か別の用事があれば、必要な書類だけ今渡していただければ大丈夫ですよ」


 それはリア達が談笑するのを見ていて、この後も四人でどこかへ行くかもしれないと気遣っての言葉だったのだが、


「あ、そうだった! そういえば、書類返してもらってないや」


「最後まであの場に居なかったからな……」


 テストが始まる前にそれぞれバレッドとウォレアに預けたままだったことを思い出したリアたちは、苦笑交じりにそう返した。


「そ、そうなんですか? ええとじゃあ、わたしが受け取りに……」


「いや、ちゃんと自分達で行くよ。店に行くのはちょっと遅くなるかもしれないけど……」


「それは全然大丈夫なんですけど……、いいんですか?」


「うん、特に他の予定とかもないから。マルナちゃんはお店で待ってて!」


 二人ににこやかに言われて、マルナは「それなら」と従って食堂を出て行った。


「二人とも、武器屋に行くのかい? なら、僕もご一緒させて貰ってもいいかな」


「ナイゼルも武器屋に用があるのか?」


「武器の調整がまだなんだ。本当は、入学前に済ませておくつもりだったんだけれど……」


「ああ……、そっか、あの時は……」


 ラクアはナイゼルと初めて会った時のことを思い出した。

 あの日のナイゼルは書店で買い物を済ませた後、武器を調整して貰うのだと言っていたが、ウォレアやレオルグと遭遇してしまったせいで、どちらも達成されていない。


「あの男と同じ場所で生活しなければならないと考えると胃が痛いよ……、寮が別なのがせめてもの救いかな」


「そういえば、ナイゼルの同室って誰なんだ?」


「さぁ、流石に入学前にそこまでは知らされていないからね、寮に入ってからのお楽しみだよ。出来れば君と同じだといいんだけれど」


「いいなぁ二人とも、あたしは一人だけ寮違うし……、マルナちゃんもクラス違うし……」


「あら、でも彼女は白組でしょう? 同室になる可能性はありますわよ」


 ロザリアの一言で、暗くなっていたリアの顔に明るさが戻る。


「ほんと!?」


「ええ、白組は人数が少ないですから、専用の寮がないんですの。ですから、魔族マグス寮と戦士族ベラトール寮で空いているところに入れられるそうですわよ。まぁ、それを喜ぶ人は少ないのですけれど」


「あたしは大喜びだよ~! ああ、有難うございます神様……」


「そこは神様ではなく学院長に感謝するべきではなくて? それに、まだ同室になれると決まったわけではありませんわよ?」


「うっ」


「そういえば学院長って人間なんだな、式で見たときはビックリしたけど」


 再び気を落としたリアに苦笑しつつ、話題に気になっていた人物の名前が出たので、ラクアが何の気なしにそう言ってみたのだが、ナイゼルとロザリアは地雷でも踏んだかのような反応を見せた。


「――な、何だ? 何かマズいこと言ったか?」


「いえ……、貴方の無知さ加減に改めて驚かされただけですわ」


「今後、知らずと無礼を働いてしまわないように言っておくけれど、あのお方はモルタリア(この国)の国王陛下だよ」


 やれやれと首を振るロザリアの言葉と、苦笑交じりのナイゼルの説明から一拍おいて、


「こっ、国王陛下ぁ!?」


 ラクアが声を裏返した。


「そもそも、この学院はかつての国王陛下が創り上げたものですのよ? つまりこの学院は、王家の所有物のようなものですわ。であれば、その子孫たる今代の国王陛下が学院のトップを務めていらっしゃるのも、それほど不思議なことではないでしょう?」


「それはまぁ……確かにそうかもしれないけど、普通、校長が王様だとは思わないだろ」


「まったく、下段では一体どういう教育をしておりますの? 自国の王のご尊顔さえ知らないなんて……」


 呆れ気味に言うロザリアに、ラクアは返す言葉が無かった。言われてみれば確かに、それぐらいは最低限知っておくべきことなのかもしれない。


 だが、国王が誰であれ、生涯一段目に来る予定がない者には、必要のない情報だろうとも思う。なにせろくに顔を見るような機会さえ無いのだ。教育がされなかったのは、下段の大人たちがそう考えていたからなのかもしれない。


「さてと、それじゃあそろそろ行こうか? 君たちの準備が出来るまで、部屋で荷解きでもしながら待っているよ」


「ああ、じゃあ俺は書類を受け取ってくる。リアも寮で待ってろよ」


「え? なんで、あたしも一緒に行くよ?」


「その身なり、何とかしなきゃいけないだろ? 別に書類貰いに行くくらい一人で大丈夫だ、終わったら迎えに行くから」


 ラクアに言われ、リアは依然として己の姿が魔獣の血に塗れたままだったことを思い出す。


「あ……、そっか。わかった、じゃあお願いね!」


 リア達三人と別れて、ラクアは「さてと」と一人本校舎の方を向いたが、


「……あれ、そういえば、ウォレアさん達って今どこに居るんだ?」


 肝心なことを思い出して、行き場を失ってしまった。





「あ~、めんどくせぇ」


 本校舎一階にある職員室で、今日のテストの結果を纏めていたバレッドは、他の教師たちが出て行ってから一人ごちた。

 その向かいで手を動かし続けるウォレアが、そのだらしない声に辟易する。


「だからお前に教師は無理だと言ったんだ、今からでも他の職場に移ったらどうだ」


「うっせーな、他のことはちゃんとやってるだろうがよ」


「事務処理も出来るようになれ、私は助けんぞ」


「へいへい。――ところで今朝の話だけどよ、怪しい奴は居たか?」


〝今朝の話〟とは、今日の式が始まる前に二人がロードから聞いたとある一件のことだ。

 昨夜のあの話し合いの後、要塞へと戻ったロードは、カトル准尉と以下のようなやり取りをした。


「あれ、ロード少尉? お早いお戻りですね」


「お早い……?」


「先ほど家に戻ると仰っていたでしょう? 何か忘れ物でも?」


「……何の話ですか?」


「え?」


 これにより事態に気付いたロードはカトルに詳しい説明を聞いた。

 何者かが自分に成りすまして下段から一段目に侵入したのだと知り、ロードはもちろんカトルの驚き様は凄まじかった。


「そ、そそそそんなまさか……、で、では、あの二人は……?」


「誰なのかまでは分かりませんが……、わざわざ変装までしている以上、何かしらの目的があって侵入したのは間違いないでしょうね」


 ロードの言葉に、カトルの顔から血の気が失せていく。


「……。わ、私は、私はなんという失態を……」


「落ち着いてください、今のところ他に何かが起きた訳ではないのでしょう?」


「そ、それはそうですが……、少尉、私は、私はどうすれば……」


 縋るようなカトルに、難しい顔でロードは考え込む。


「……そうですね、とりあえず、この話は皆には伏せておきましょう。つい最近、下段から移住してきた子たちも居ることですし、彼らを追いかけてきた関係者、という可能性も無くはないでしょう。必ずしも悪意があるとは限りませんよ」


「で、ですが、今後もし何かあれば……」


「その時は私も共に責任を負いますから、とにかく今は情報を集めるのが先です。色々とツテがありますので、内々に話を通しておきますよ」


 そんな訳で、そのツテの一つであるバレッドとウォレアは、朝早くからロードに呼ばれ、要塞へと出かけていたのだった。

 その結果、二人は式に送れて教頭の小言を喰らうはめになった訳だが。


「今のところ、それらしき人物は見ていないな。そもそも、見てすぐに分かるほどに不審な人物であれば、准尉も気付けただろう。夜の薄暗闇の中だったとはいえ、常日頃ロードと接しているはずの准尉が違和感を感じぬほどに、完璧な変装が出来るような者なのだぞ。我々に怪しまれるようなヘマはしない筈だ」


「んじゃあ俺らに出来ることはねーだろ。学院の近くをうろついてるかどうかもわかんねーし。そもそも別に何も起こってねーんなら、気にしなくてもいいんじゃねぇか? ロードもそう言ってただろ」


「真に受けてどうする、それはあくまで我々の心労を減らすために言っただけだ。本当にただベルガモット達の関係者であるのなら、自然それは下段の人間ということになる。それがどうやって、下段に降りたことすらないロードの変装を完璧に出来る? 一段目に登ってきたことについてもそうだ。一段目に協力者が居たのか、何か特殊な道具でも使ったのか……、何れにせよ、素人には無理だろう」


「つってもよぉ、変装してたってことは顔も声も全部ロードだったってこったろ? つまり本人の情報は何もねーじゃねーか、んなもんどうやって探すんだよ。やっぱ正直に話して、軍に協力して貰った方が良いんじゃねーの?」


「何の手がかりも無い状態で話したところで、捜査が進展するとは思えん。余計な混乱を増やし、准尉が処分を受けるだけだ、ロードもそう考えているのだろう。今は相手の出方を窺うしかない」


「さいで。お前、なんでもかんでもそーやって生真面目に取り組んで疲れねーか?」


「お前の相手をすることに比べればマシだ」


「ああそうかよ」


 会話を打ち切って作業に戻るウォレアに、バレッドも渋々書類と向き合う。

 そうして静かになった職員室に、控え目なノックの音が響いた。


「すみません、今いいですか?」


「お? 下段の坊主じゃねーか」


 扉を開けて姿を見せたラクアを見たバレッドが、サボるチャンスだといわんばかりに仕事を放り出して出迎える。


「どうした?」


「その、武器屋に持っていく書類を受け取りに来たんですけど……」


「マルナんとこのか? それならもう寮に届けたぞ」


「えっ?」


 ウォレアも一度手を止めて、バレッドの言葉を引き継ぐ。


「そのまま寮に戻るだろうと思っていたのでな、渡しておいてくれとそれぞれの寮母に伝えておいたのだが……」


「そうだったんですか……」


 なら自分も先に一度寮に戻っておけばよかったと、ラクアは肩を落とした。

 完全に無駄足になってしまったが、こればかりは仕方が無い。二人に礼を言って、ラクアは部屋を出た。


「あ、居た居た、ラクア~!」


 とぼとぼと歩いていると、道の反対側からリアが駆けて来た。

 全身の汚れはすっかり落ちていて、手には二枚の紙が握られている。


「あのね、書類、アガータさんたちに預けてくれてたみたい! ラクアの分もユリアナさんに貰ってきたよ!」


「ああ、ちょうど今それを聞いたところだ……」


 ラクアは溜息を吐きながらそれを受け取った。

 二人は並んで、ナイゼルの待つ魔族マグス寮へと向かう。


「それにしても……」


「ん? なに?」


「いや、バレッドさんとウォレアさんが話してるのをたまたま聞いたんだけど……」


 ラクアは職員室に入る前に、聞こえていた二人の会話をリアに話そうとして、


「……いや、やっぱり何でもない」


 勝手に話を広めるのは悪いかと思い止まった。


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