6-③ 風の精霊の暴走
ラクアの意思に反して、突如巻き起こった風。
それは竜巻のように渦を巻いて、ラクアを取り囲む。
「なっ、なんだ!?」
下段に居たときも、こんな事が稀にあった。だが、その時のものとは比べ物にならない。
風はラクアの服と髪を乱暴に振り乱して、周囲に居た生徒たちを退ける。
慌ててラクアはナイゼルを呼んだが、相手も何が起こっているのかわからずに狼狽していた。
「どうして水の精霊を呼んだのに風の精霊が来るんだ!?」
「それはっ、俺が聞きたい! っどうしたらいいんだ、これー!?」
風圧で喋るのもやっとになっているラクアが、途切れ途切れに叫ぶ。離れた場所に居た生徒たちも、事態に気付いてラクアの方を見た。
だがそれによって生まれた隙が、生徒に圧倒されていた魔獣に反撃のチャンスを与えてしまう。
「がっ!?」
「きゃあっ!!」
一人の生徒が不意を突かれ、魔獣に跳ね飛ばされたのを皮切りに、魔獣たちは一斉に攻撃に転じた。
悲鳴は伝播し、一人、また一人と、生徒たちが地面に伏していく。
魔族が敵と戦う際に、気をつけなければならないのは距離感だ。魔族は魔術による遠距離攻撃が可能な反面、筋力が弱く接近戦には向かない。物理攻撃を得意とする相手であれば尚更、間合いを詰められてしまえば劣勢になる。
レイピアを取りこぼした生徒たちは、それを取りに行く時間さえ与えらぬまま、魔獣にいいように痛めつけられた。なんとか距離を取ろうにも、俊敏さでは相手の方が上。一度接近を許してしまった今、それぞれが自分の力だけで態勢を立て直すのは難しかった。
「くっ……、ロザリア君!」
「わかっていますわ! ここは一時的に手を組んだ方がよろしいですわね!」
ナイゼルに呼ばれて、彼の傍にあの紫髪の少女がやって来た。
ロザリアは倒れる魔族生徒を踏み潰そうとしてる魔獣にレイピアを向けて、高らかに叫ぶ。
『 土の精霊よ!我が身に蓄えられし汝が力の源を対価に、我が忠実な僕となりその力を振るえ! ――阻め!』
ロザリアはほとんど間髪入れずに詠唱を言い切り、彼女の命令通り動いた精霊が、魔獣と生徒の間に土の壁を作り上げた。魔獣は突然現れたその壁に激突して止まる。
一方、ナイゼルは反対側へ回り込み、ロザリアの方を向いた敵の背に呪文を唱える。
『 貫け! 』
すると、今度は魔獣の足元から、逆さにした氷柱のような形状の土が飛び出してきた。
腹から背にかけて土の槍を貫通させた魔獣は、低く呻いた後、動かなくなる。
魔獣が絶命したのを確認してから、二人は次の魔獣へとレイピアを向ける。今度はナイゼルが先に詠唱して、敵の足元に小さな土の盛り上がりを作った。躓いて転んだ魔獣の背に、ロザリアが出現させた巨大な岩が落ちる。
そうして二人は順調に生徒たちを助け出していった。テスト的には今、点は全て二人が攫っているようなものだったが、それに対して怒るような生徒は居ない。皆、ナイゼルとロザリアに声援を送りながら、少しずつ戦況を立て直していく。
そして、その様子を見ていたラクアはというと、
「悪いけど! こっちも! なんとかしてくれーっ!!」
そんな二人の勇姿に見惚れている余裕などなく、未だおさまらない風の渦の中から叫んでいた。
助けを求める声に、ナイゼルとロザリアが同時に振り向いて、
「それはこちらのセリフですわ! どういうつもりかは知りませんけれど、騒ぎを起こして皆の足を引っ張るのはおやめになってくださる!?」
まずロザリアからそんな叱責が飛んだ。
「俺だって! 好きで! やってるわけじゃないっ!!」
「助けたいのは山々だけれど、その風じゃ近付くことも出来ないよ。原因もよくわからないし……」
次いで申し訳無さそうに言うナイゼルが、また一体魔獣を屠る。
「なんだよそれっ、それじゃ、俺はどうすれば……」
ひたすら強風にさらされているせいか、次第にラクアの顔に疲れが出始めた。喋る気力もなくなり、その場に座り込んでしまう。
「あー、もう、なんなんだよ……」
ぼやくラクアは、そんな自分の様子をじっと窺っていた魔獣には気付かなかった。他の魔獣に気を取られているナイゼルとロザリアも同じ。
三人が気付いたときには、魔獣はラクアの眼前にまで迫っていた。
「――っ!?」
風はようやく威力を落とし始めていたが、今のラクアにとってそれは喜ばしいものではなかった。
逃げようにも全身が疲労を訴えていて、立ち上がることすら出来ない。
ナイゼルとロザリアが同時に詠唱を始めたが、魔術が完成するよりも、魔獣がラクアの元に到着する方が早い。
大口を開けて涎を滴らせながら突進してくる魔獣に、ラクアの口から小さく悲鳴が漏れた。
その様子を、いざとなれば助けに入るつもりで見ていたウォレアが、己の武器に手を添えて――、
何もしなかった。
『 水浸し 』
恐怖に目を閉じたラクアの耳に、澄んだ少女の声が届いた。ばしゃん、という音も。
何事かと開かれたラクアの目に映ったのは、水を被った魔獣と、その横に佇む美しい少女。
『 凍れ 』
白銀の長い髪をラクアが起こした風に靡かせながら、少女はレイピアの代わりに人差し指で魔獣を指すと、願文も無しにそれだけ呟いた。
すると、バキバキバキン、という音が鳴って、水に濡れた魔獣の身体が見る間に凍りついていく。
そしてたった数秒のうちに、ラクアを食い殺そうとしていた魔獣は、ただの氷像になってしまった。
「…………」
事の流れについてゆけず、言葉を無くすラクアに、
「大丈夫?」
無表情の少女が声をかけた。
見れば見るほど美しい少女だ。水色のリボンでハーフアップにした髪は銀糸のように煌き、肌は陶器のように透き通っている。瞳は空を写す宝石のような色で、唇は皺一つない潤んだ桜色。ナイゼルやロザリアもかなり綺麗な部類には入るだろうが、それとはまた次元が違う。
そんな彼女は、呆けつつも頷いたラクアに「ならよかった」とだけ言って、あとは無言。
二人の間に流れた十数秒の沈黙を試験終了のブザーが破り、駆け寄ってくるナイゼルと入れ替わるようにして、少女は去っていく。
少女とすれ違いざま、ナイゼルはチラッと彼女の方を見て、驚いたように目を見開いていた。
「大丈夫かい!? まったく、寿命が縮まったよ……」
「俺の方が縮まった……本当に、噛み殺されるかと思った……」
「無事で何よりだね。――ところでっ、彼女は君の知り合いかな?」
心配の言葉を早々に終わらせて、なにやら興奮気味のナイゼルが聞いてきたのはそんなことだった。
「全く知らない。というか、一段目に知り合いなんて居ない。ナイゼルも知らない人なのか?」
「見たことすらないね、一度見ていたら、絶対に忘れないだろうし……、ああ、なんて美しい人なんだ……」
恍惚の表情で彼女を見ながらナイゼルは呟いた。ラクアはそんな友人の様子に苦笑い。
「無事のようですわね。彼女が居なければ、危なかったかもしれませんわよ」
次いで、ロザリアもやって来た。彼女もまた興味深そうに、少女の後姿を眺めている。
「彼女、何者なのかしら? あんなに素早く正確に魔術を操れる人が、一年に居たなんて……」
「強くて美しくて、見ず知らずの他人を助ける優しい心の持ち主……、完璧だ、僕は彼女ほど完璧な女性を見たことがない……」
どこか別の世界に旅立っているらしいナイゼルを、ロザリアが訝しげに見た。
「……ナイゼルはどうしましたの?」
「さぁ……」
「まぁいいですわ、テストは終わったことですし、私たちもそろそろ引き上げた方がよろしいですわね」
ロザリアが身体を反転させて、出口へと歩き出す。
その言葉に従って立ち上がろうとしたラクアは、膝を立てた瞬間、酷い眩暈に襲われた。
「あ、れ……?」
世界が急速に光を失って、黒く塗られていく。周囲に居る人々の声が遠くなっていく。
――ラクアはそのまま床に倒れこんで、意識を失った。