6-② 魔術
「はー面白かった、久しぶりにあんなに笑ったわー」
「全然ちっとも面白くない!」
リア含む第二班のテストが終わり、残った生徒のテストが続く中、入り口とは別のドアから外に出された第二班のメンバーは、バレッドの指示に従ってその場で全てのテストが終わるのを待っていた。
リアも全身の硬直から解放されて、皆に倣っている。
「あーあ、結局、全然倒せなかったなぁ……あんな怖い思いして、怪我までしたのにあんまりだよ……」
「ま、それはアンタだけじゃないみたいだからいーんじゃない?」
ミーナは言いながら、沈んだ顔をして押し黙っている他の生徒たちを見た。
テスト中、敵を何対も倒して回っていたのはレオルグとミーナぐらいのもので、他の生徒はリアほどではなくとも、敵を倒すまでには及ばなかったり、獲物をレオルグたちに横取りされたりで、ろくに加点を得てはいなかった。
「ミーナちゃん凄いねぇ、あんなに強いとは思わなかったよ。でもなんで鞘で戦ってたの?」
「そりゃあ剣なんか使って、うっかり自分の肌に傷がついたら大変だもの。それに、斬るとあの気色悪い血が出てくるし」
「あー、アレね……あたしもめちゃくちゃ汚されちゃったけど」
すっかり緑色になってしまった、元は真っ白だったブラウスを見て、リアが嘆息する。
学院の制服はかなりの強度がある特別製らしく、リアを含め生徒達の中に、制服が破れたり裂けたりしている者は居なかった。
やがて全ての班のテストが終わって、リア達は他クラスが待つ上階へと移動する。
「リア! 大丈夫か!?」
「ラクア~、大丈夫じゃないよ~、もう散々だよ~」
真っ先に人の群れから飛び出してリアに駆け寄ったラクアは、とりあえず元気そうなリアにほっとする。
「良かった……」
「どこが!?」
「よし、それでは次は我々だな」
青組の生徒たちの出番が回ってきたことをウォレアが告げると、部屋の中で散り散りになっていた魔族生徒達が集まってきた。
ナイゼルと共にそれに倣うラクアに、今度はリアがエールを送る。
「ラクア、気をつけてね! 良い点取れるように願ってるけど……、怪我とか、あんまり無茶しすぎないでね!」
「わかってる」
リアに微笑んで、ラクアは他の生徒たちと共に階段を下りていった。
やはり狭い空間に生徒達がすし詰め状態にされて、先の赤組と同じようにテストの説明を受ける。
内容は、赤組とほとんど変わらない。違ったのは、
「ルーンの使用は認めない」
という部分だけだった。
「ルーンって確か、元素を魔術に変換するための機構……だったっけ?」
「詳しく説明しようか? ――ルーンというのは、特殊な文字や記号で記される魔法陣のことでね。そもそも魔術というのは、使役する精霊と使用される源素の量、そして命令式によって、威力や効果が変化するんだ。ルーンはこの命令式の部分を担ってくれるから、術者はこれに源素を込めるだけで魔術が扱えるという訳だね。複雑な命令式を必要とする魔術が、君のような初心者にも簡単に扱えることから、魔族には重宝されているんだ」
「へぇ、便利だな」
「だろう? まぁ、今回は禁止されているから使えないけれど……」
「それでは、今から名を呼ぶ者は前に出るように!」
ウォレアが名簿を見つめながら、生徒たちの名前を上げていく。
ラクアの名は早々に呼ばれ、ナイゼルの名前もその後に続いた。第一斑に選ばれた十数名が、扉をくぐって広い部屋に出る。
「あれ? こっちから見ると鏡になってるんだな」
先ほどまで自分たちの居た場所を見上げながら、不思議そうにラクアが言う。その向こうで「頑張れー!」と手を振るリアの姿は、当然見えない。
「あら、貴方もいらっしゃったのね」
どういう仕組みなんだろうと鏡をまじまじと見つめていたラクアは、隣からかかった声に視線を戻した。
長い睫に縁取られたビー玉のような瞳に、紫色のふわふわとした長い髪を持つ、可愛らしい人形のような風体の少女は、ラクアの向こうに居るナイゼルの方を向いている。ナイゼルも、少女の方を見た。
「ああ、君か。同じ班だったんだね」
「そのようですわね。一応、この場では競い合うライバルという関係ですけれど、お互いに頑張りましょう」
「そうだね」
親しげに話す二人。その間に挟まれたラクアは全く会話についていけないので、話し終わるのを静かに待った。
終わってから、ナイゼルに小声で尋ねる。
「友達か?」
「まぁ、一応ね。僕の方からそんな風に彼女を紹介するのは、少し恐れ多いけれど」
「ってことは、また身分の高い人なのか……」
類は友を呼ぶというのはこういうことなんだなぁと、ラクアが両隣を貴族に囲まれていることを知って背筋を伸ばしていると、
「君も知っている、然る方の妹君だよ」
ナイゼルが言った。
え? とラクアが聞き返そうとして、檻の向こうで暴れる魔獣の咆哮に邪魔される。
今度の魔獣は、恐竜のような見た目のものが多かった。
前脚を浮かせ背を丸めた状態で、目線は人と同程度、鼻の先や額にある角で、何度も檻を叩いている。ガシャンガシャンと音を立てる檻が、やがて壊されてしまうのではないかと思えるほどだ。
「うわっ、凄いな……、あれと戦うのか?」
「見た目は凶悪だけれど、それほど大したことはないよ。ある程度の距離を保って戦えば、何ということはないさ」
魔族の試験では全員が武器を持って戦うようで、有無を言わさず全員にレイピアが配られる。握った事のないそれを見よう見まねで構えるラクアの緊張を他所に、両隣のナイゼルとその友人は落ち着いていた。立ち姿も、随分と様になっている。
ウォレアが部屋の隅に移動すると、皆が敵に切っ先を向ける。ラクアもそれに倣った。
「それでは、青組一年第一斑、実技テストを開始する!」
ウォレアの号令と共に、鉄格子から解放された魔獣たちが溢れ出して来た。
生徒たちはその場から動かず、一斉に同じ言葉を叫ぶ。
『 我が身に蓄えられし汝が力の源を対価に、我が忠実な僕となりその力を振るえ! 』
――直後、風の刃が敵の身体を裂き、炎の柱が敵を焼き、土の板が敵を押し潰した。
魔獣はそれぞれの場所で悶え苦しみながら倒れ、攻撃をかわした他の魔獣がそれを踏みつけて向かってくる。生徒達は再びそれらに切っ先を向けて、同じ言葉を唱えた。
静まり返っていた部屋はあっと言う間に騒然となり、目の前で起きる天変地異のような光景に、ラクアだけが呆然として立ち尽くしていた。
壁際で戦いを見守っていたウォレアが、それに気付いて彼に近付く。
「どうした、ベルガモット」
「いや、あの……、ちょっと頭が状況についていけなくて……、これ、俺はどうしたらいいんですか?」
「皆と同じようにすればいい」
「いや、俺はあんなビックリ人間みたいなこと出来ませんけど……」
「出来る。やり方がわかっていないだけで、君も魔族である以上、魔術を扱うために必要な元素を持っている筈だ。教官が手を貸すのはルール違反だが……、まぁ、この程度なら許されるだろう」
言いながら、ウォレアはラクアに歩み寄って、彼がレイピアを握る手を持ち上げた。そうして切っ先を敵の一体に向けさせる。
「試しにあの魔獣を風で吹き飛ばすとしよう。まず始めに、こうして武器の先端を向けて照準を定め、次に使役したい精霊の名を呼ぶ。風を操るのであれば、それを司る風の精霊だ、呼んでみろ」
「し、風の精霊?」
「そのまま続けてこう唱える。〝我が身に蓄えられし汝が力の源を対価に、我が忠実な僕となりその力を振るえ〟――己の元素を与える代わりに、力を貸してくれ、という意味の精霊への願文だ」
言われるがまま、かなり怪しい発音でラクアが詠唱する。
標的はどの生徒に襲い掛かろうかと品定めをしているようで、うろうろと徘徊しているだけ。
「な、何も起こりませんけど……」
「この時点ではな、次が一番重要な部分だ。精霊に何をして欲しいのかを具体的に頭の中でイメージして、それをなるべく簡潔に言い表す。敵を吹き飛ばして欲しいのならば、そのまま〝吹き飛ばせ〟でいい。ただし素語でな」
「ええと、すいません、素語とか全くわからないんですが……」
「〝吹き飛ばせ〟だ」
ラクアは脳内でその言葉を反復して、深く息を吸い込み――
『 吹き飛ばせ! 』
思いきり叫んだ。
周囲の苛烈な魔術の音に紛れつつも、はっきりとその声は部屋に響いて――
「…………」
――結果、何も起こらなかった。
恥ずかしさで真っ赤になったラクアが、恨みがましくウォレアを見る。
「やっぱり出来ないじゃないですか!!」
「及び腰になっている証拠だ、もっと精霊を従わせるという強い意思を持って唱えろ。それに、漠然としたイメージでは命令は伝わらない。赤子に教えるように、分かりやすくハッキリとしたイメージを持つんだ。どこからどこへ向かって、どれぐらいのスピードで吹くのか……、もう一度やってみろ」
ラクアは気持ちを抑えて目をつむり、何度も何度も強風が敵を吹き飛ばす光景を思い浮かべた。
自分の背後から前に向かって、リアが全力で投げるボールの如く、風の塊が一直線に吹くイメージ。リアが投げたボールから生まれた衝撃波が、敵を吹き飛ばすイメージ。リアの投げたボールが敵を吹き飛ばすイメージ……
最終的にラクアの脳内から風は消えたが、半ば自棄になってそのまま実行した。
『 吹き飛ばせ!! 』
目を見開いたラクアが、先ほどよりも強い声で叫ぶ。
同時に、レイピアが指し示す先に居た魔獣が、まさに剛球を受けたかのように、身体をのけぞらせて吹き飛んだ。
ラクアは暫く放心した後、興奮を隠さずに言う。
「できた……、出来た!!」
「今の感覚を忘れるなよ。さあ、行って来い」
ウォレアに背を軽く押され、よろめいた足取りのままにラクアは駆け出した。
交戦しながらもラクアを心配して何度か横目でその様子を捉えていたナイゼルが、自分の傍にやってきた相手に微笑む。
「なんとかコツは掴めたみたいだね?」
「ああ!」
慣れてしまえば後は簡単だった。ラクアは初めて自分の意のままに風を操れたことに感激して、まるで玩具で遊ぶ子供のようにはしゃぎながら、何度も同じ術を放つ。
威力は敵を殺すほどではなかったが、テストのことなどすっかり頭から抜け落ちていたラクアには瑣末な問題だった。
主にナイゼルと、その友人であるらしい紫髪の少女の活躍で、魔獣は次々に殲滅されていく。
ある程度魔獣の数が減ったところで、
「せっかくだから、他の魔術も試してみたらどうかな?」
余裕が出てきたナイゼルからそんな提案。断る理由のないラクアはすぐに首を縦に振る。
「他はどんなのがあるんだ?」
「今君が従えているのは風の精霊だろう? 他には火の精霊や水の精霊、地の精霊なんてのも居るね。まぁ、他にもまだ色々と居るんだけれど、それはまた次の機会にしよう。今言った中で、扱ってみたいものはあるかい?」
「うーん、名前聞いただけじゃ、いまいちピンとこないな……」
「なら水の精霊にしようか? 火や地は扱いを間違えると大惨事になってしまうからね。水は少々手元が狂っても、大抵は水浸しにしてしまうだけで済むし」
「わかった、じゃあそれで。どうやればいいんだ?」
「流れは今やっていたのと同じだよ。まず精霊の名を呼んで、その後に願文を唱える」
「よし」
ラクアは失敗した時のことを考慮して、あまり人の集まって居ない魔獣に狙いを定めた。
『 水の精霊よ、我が身に蓄えられし汝が力の源を対価に、我が忠実な僕となりその力を振るえ 』
とりあえずそこまで言って、ラクアは一つ深呼吸。
さぁここからだと、意識を集中するために目を閉じようとした、瞬間――
「うわっ!?」
突如、彼を中心に突風が吹き荒れた。