5.ノブリージュ王立学院
「ほら、朝だよ起きな!!」
二段目とは違って、窓から降り注ぐ朝日を浴びながら迎える朝。
天蓋付きのベッドで安らかに眠っていたリアは、ドアを盛大に開け放して高らかに響くアガータの声によって、強制的に目覚めさせられた。
「ん~、なに~!?」
「朝! とっとと支度してご飯食べないと、入学初日から遅刻なんてしたら大目玉だよ!」
嵐の如く去っていくアガータ。リアは未だ覚醒しきれていない頭で言われたことを反芻して、
「――そっか、学校!」
慌ててベッドから這い出た。
*
「あ、おはようラクア!」
昨夜同様、さながら貸切り状態の学院の食堂――王城として使われていた頃は、ダンスホールであったらしい豪華で広い部屋――で円卓の席に着いたリアは、後から入ってきたラクアに大きく手を振る。
「おはよう、ちゃんと眠れたか?」
「バッチリ!」
「一人じゃ眠れないってんで、アタシが添い寝したんだけどね」
「アガータさんっ! 言わないでって言ったじゃないですか!」
下段に居たときも、一人では怖くて眠れないと言ってずっとラクアと同じ部屋で眠っていたリアなので、どうせそんなことだろうと思っていたラクアは、料理を運ぶアガータと、頬を赤くしながら怒るリアを見て笑った。
「それにしても……、相変わらずすごい量ですね」
そして、机の上に並べられた料理の数々に思わず呟く。
二人分だというのに、今目の前にあるそれは、一段目でリア達四人家族が食べていた量を優に超えていた。
下段で食べていた芋類や固めのパンなどの質素なものと比べて、一段目の料理は見た目にも華やかでレパートリーも多く、味も申し分ない。
だからそんな料理を沢山食べられることは嬉しいのだが、さすがに限度というものがある。
ラクアよりはまだ食べる方であるリアも、
「うん、ちょっとさすがにこんなには……」
と、困った顔で呟いた。
「はー、昨日の夕食のときも思ったけど、アンタたちはほんとに食が細いねぇ。今日は式の後にテストもあるんだから、それくらい食っとかないと乗り切れないよ?」
「逆にこんなに食べたら身体重くって動けなくなっちゃいますよ!」
残すのは忍びないと思いつつも、結局リアもラクアも半分ほど食べきったところで手を止めた。
作ってくれたアガータとユリアナに何度も詫びてから各々寮の部屋に戻り、制服に着替えて少ない荷物を持つ。
「えっと、まずどこに行けばいいんでしたっけ?」
「とりあえずは講堂だね。皆向かう場所は同じだから、人の流れに着いていきゃいいよ」
ほらほらと背中を押されて、リアは寮の扉を開けて外へ出る。
先ほどまでがらんとしていた学院の敷地内は、いつの間にか同じ制服を纏った人々で溢れかえっていた。
「わ!? すごい、いっぱい居る!」
思わず声を上げたリアを、生徒たちが横目に見ながら通り過ぎていく。
その人波をかきわけるようにして、魔族寮から制服姿のラクアが駆けて来た。
「リア!」
「ラクア! よかった、見つけられないかと思ったよ~」
見知らぬ人だらけで不安だった二人の心は、互いの顔を見ることで少し落ち着きを取り戻す。
「すっごい人の数だね~! これ全部、ここの生徒なんだよね?」
「だろうな。少なくはないだろうとは思ってたけど、実際にはこれだけ居たのか……」
昨日のうちに何名かの上級生とはすれ違うこともあったのだが、新入生は今日が初登校である為、リアとラクアが同級生を見たのはこれが初めてだ。
「うっわ、何アレ」
二人がその光景に圧倒されていると、不意にラクアの背後からそんな声がかかった。
振り返れば、赤いタイを着けた女子の一団が、立ち止まってこちらを眺めている。
「魔族と戦士族のくせに馴れ合って、気味が悪いったら。朝から嫌なもん見ちゃったなぁ~。っていうか、こっちは戦士族側の通路なんだけど、魔族のくせに空気も読めないの~?」
その内の一人、おそらくはグループの筆頭なのであろう、勝気な顔をした橙色のツインテールの少女が、声と顔に不快感を表しながら言う。
この手の輩に真っ先に食ってかかるのはいつもリアで、今日もそれは変わらない。
ラクアが止める間もなく、リアは一歩前に出て相手を睨んだ。
「ちょっと、何いきなり」
「は? 別に普通に思ったこと言ってるだけなんですけど? っていうかアンタ見ない顔だけど、一体どこの誰よ。魔族と連れ合うなんて、どういう神経してんの?」
「どういう神経って、それはこっちのセリフ! そっちこそどこの誰よ!」
「リア、もうやめとけって、取り合うなよ」
噛み付きそうな勢いで吠えるリアと違って、冷め切った目で相手を見ていたラクアが言う。
「俺先に行くわ、お前も式には遅れないようにしろよ。あと、あんまり揉め事起こさないようにな」
「え? ちょっと……」
スタスタと一人去っていくラクアに、リアは頭から冷や水をぶっかけられたかのように、急速に怒りを萎ませていった。目の前の少女も、全く意に介さないラクアの態度に言葉を詰まらせる。
「な、何よアイツ、澄ましちゃって……、これだから魔族って嫌いなのよ!」
「……相手されないからって逆ギレ?」
「はぁ!? なんなの、さっきからほんっとムカツクんだけど! 喧嘩売ってんの!?」
「だからそれもこっちのセリフだってば! 先につっかかってきたのはそっちでしょー!?」
激化していく言い争いに、二人の周囲には軽い人だかりが出来ていた。
その光景を、場から離脱したラクアが遠巻きに眺める。
自分が居なければ収まるのではと思っていたのだが、どうにも違ったようだ。
自分が発端であることやリアが心配なこともあって、知らぬフリをすることも出来ずに立ち往生していると、これまた不意に肩に手を置かれた。
驚いて振り向いたラクアに、相手も驚いて手を引っ込める。
「あぁ、ごめん、驚かせてしまったかな? 姿を見かけたものだからつい……」
「いえ。えっと、貴方は……あの時書店で会った?」
それは先日の買い物の際に書店で出会った、例の貴族の青年だった。
ウォレアから聞いていた彼のプロフィールを思い出しながら、ラクアが緊張気味に続ける。
「すみません、あの、俺前に会った時は貴方のことよく知らなくて……、貴族の方だとは思わなくて、普通に……」
「ああ、いいんだよそんな些細なことは。名を名乗りもしなかった僕にも非があったし、君が頭を下げる必要があるほどの無礼を受けた覚えもないしね。――それじゃあ、せっかくだから改めて。僕はナイゼル・フォン・フォルワード、魔族地区内エルトリア市を治める領主、ヘルゼン伯爵の息子だよ。僕も君のことは知らないのだけれど……、その、あの方と一緒に居たということは、君はオルディオ市出身なのかな?」
「あの方?」
「ウォレア様と一緒に居たじゃないか」
「ああ、ウォレアさ……、え、〝様〟? 」
よく知った人の名を、それなりの身分らしい相手が厳かな敬称で呼んだことに、ラクアは嫌な予感がした。暑くもないのに、額から汗が流れる。
「――ウォレア・フォン・ウィスターシュ様だろう? 魔族地区内で一番の面積を誇る都市オルディオ市の領主を勤める、ウィスターシュ侯爵家の嫡男の」
「…………」
「……まさかそれも知らなかったとは言わないだろうね?」
信じられないといった顔をするナイゼルに、ラクアは引きつった顔で乾いた笑いを返すことしか出来ず、二人の間に沈黙が流れた。
*
「なるほど、それで君は何も知らないんだね……、まさか下段の住民だったなんて……」
自分が下段から来たこと、そのきっかけになった事件でウォレアと知り合い、それからずっと世話になっていたこと、下段では一段目の情報などほぼ全く得られなかったことなど、ラクアは自分に関する話を一通り話した。
話の途中でナイゼルは何度も「それは冗談だよね?」と聞き、その度にラクアは首を横に振った。話を全て聞き終えた今でも半信半疑といった様子だ。
「色々と衝撃的な内容が多すぎて、少し頭が痛いかな……、〝事実は小説よりも奇なり〟という言葉は、こういう時のためにあるのだろうね……」
「俺も自分で言ってて、夢でも見たんじゃなんじゃないかなってちょっと思ってます」
「無理もないよ。――それにしても、下段にはまだ原種が残っていたんだね? 僕の聞いた話では、原種は既にこの国には存在しないってことだったんだけれど」
「え、そうなんですか?」
「あくまでも聞いた話だよ。実際に君が遭遇しているんだから、数多あるデタラメの一つだったんだろう。他に考え得る可能性が無い訳でもないけれど……」
ナイゼルは神妙な面持ちで呟いたが、「確証もなく滅多なことを言うのは止そう」と、その先を語ることは無かった。
「ところで、せっかく同学年なんだから、その敬語は止めにしてくれないかな?」
「いや、でも、俺はただの平民ですし……」
「僕は気にしないよ? 僕自身、そんな風に畏まってもらえるほど大した人物じゃあないしね。それに、〝学院に在籍する間、生徒及び職員はすべて、血統などによる階級制度は適用外とする〟っていう規則もある。まぁそれでも、卒業した後に言及されることもあるから、気にする人は気にするんだけど。僕も自分より身分の高い人に対してはそうなってしまうし……」
ウォレアが教官であるということを先のラクアの話で始めて知ったらしいナイゼルは、その事を憂鬱そうに嘆く。
「ただでさえ気が重かったのに、追い討ちをかけられるとは思わなかったよ……」
「? なんで気が重かったんだ?」
「ウォレア様より更に名のあるお方が、高等部にご在籍だからね。……他言無用でお願いしたいんだけれど、その方とはなるべく関わらないほうが良いよ」
声を潜めて耳打ちしてくるナイゼルに、ラクアはまさか陰口の類かと眉を顰めた。
「……理由を聞いてもいいか?」
「さっき説明しそびれたけど、一段目は国王陛下が直々に治める中央区と、戦士族の代表が治める戦士族区、魔族の代表が治める魔族区に大きく分けられているんだ。ウォレア様は魔族区の中で一番大きな都市の領主家の生まれだって言っただろう? 高等部にいるそのお方は、それも含めて魔族区全体を取り締まっている諸侯、言わば魔族のトップとも言える存在だね、その家の嫡男なんだよ」
ナイゼルが伯爵というだけで凄みを感じていたのに、その更に上の上となると最早想像が追いつかなくなってきたラクアは、〝魔族のトップ〟という部分だけを記憶に残しておいた。
「少なくとも、魔族の中であの方を知らない人は居ないと思う。常に周囲を見下した態度を取るし、立場上誰も彼に逆らえないのを良いことに、わざと相手を怒らせるような言動をして煽ったりもするんだ。諸侯である父君も独裁的なやり方ばかりだし。皆表には出さないけれど、彼らに反感を抱いている人が殆どだよ」
「す、凄まじいな……?」
そこまでされて誰も何も言えないというのは、余程圧力がかけられているのだろう。
一段目でも傍若無人な振る舞いをするガキ大将は居たが、ラクアはそれよりもっと下劣な、人の悪意というものを感じた。
「もし俺がその人に会ったら、一発くらい殴ってやってもいいぞ。俺は下段出身だし、圧力をかけられてもそこまで困ることにはならないだろ」
「とんでもないことを言うね? 他の人が聞いたら卒倒するよ」
体面を憚らずに言うラクアに、ナイゼルは困ったように笑う。
「それに、暴力で解決するのは戦士族のやり方だ。魔族ならもっとスマートにやらないと」
「例えば?」
「それが思いつくなら、早々に実行しているよ」
「なるほど」
これはやはり自分がなんとかするしかないなと、ラクアは密かに決意したのだった。